――秋来ぬと 目にはさやかに見えぬども 風の音にぞ おどろかれぬる――この「驚く」は、普通「気がつく」と、訳されているが、そのままの意味にとっても、あながちマトはずれではないと思う。風の中に、秋の気配をとらえて感動している古人の心が、生き生きと伝わるようで、その悠揚としてみやびな暮しのさまがゆかしくうらやましくさえ思われる。詩の心とは、つまり驚く心なのであろう。
子どもにとっては、その生活の何もかもが驚きである。すべてが新しい世界の発見であり、それはそのまま詩の世界につながっているといえる。だが、大人たちは驚きというものを忘れてしまいがちだ。とりわけ近ごろでは、人は容易に物に動じなくなった。毎日のように、紙上を埋めるむごたらしい事件にもさほど驚かなくなったし、社会のいろいろな不合理、不自然にも、いつのまにか慣れっこになってしまった。まして、秋の風だの、つまらない花の風情だのに、いちいち心を動かされているような神経ではこの世は渡れぬと、いわれるかも知れない。けれども、本当は「驚く心」とは、決して弱い心ではないのだ。それは常に新しい世界に向って開いている、強く、若い心なのである。
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