表紙/裏表紙
T
晴着 10
おむすびのこと 12
歩く 17
コーヒー挽きのこと 19
六つめの駅 23
ある記憶 27
シュークリームと私 30
行けなかった画廊 33
二匹と一人 36
つれづれの記 40
花火の思い出 44
絵の好きな少年 48
九月の花嫁 52
匂いをもつ幸福 56
むかで 60
九月のレタス 64
はぎとられた蔦 68
遠くのリンゴの木 71
おやつの思い出 75

U
時間のむだ使い 80
アカシヤ考 82
驚く心 84
贈る 86
卵と次男 88
ある風景 90
コーヒーの味 92
スポーツの楽しみ 94
朝の市 96
ぜいたく 98
小さな出来事 100
顔 102

V
中部の女――岡崎(上) 106
中部の女――岡崎(下) 110
水の行方――浄瑠璃姫譚 
  東海のロマン1 114

六本榎悲話 
  東海のロマン2 122

白糸奇譚(しらいとものがたり)
  東海のロマン3 130

W
ふるさとのお正月 140
雛祭りの思い出 144
ふるさとの味 147
六月のころ 151
私と詩と 155
詩と夢と 160
乗客ひとり 164
おふささんの「ごまどうふ」 168
菊やんの奥さん 172
抽斗のこと 176
言葉が話せない 180
私のふるさとの家 183

黒部節子 年譜 188
あとがき 190
詩と夢と


 私の詩には、なぜかよく夢が出てくる。作品の中に、夢と断って書いている時もあるし、書いていないが全体がそのまま夢であることもある。
  夢は多分に個人的なものなので、なるべく書かないように心がけているのだけれど、日によって夢の方が現実よりもはるかに大きく日常を占めているときがあって、つい夢の方にひきずりこまれてしまうのだろう。そんな時は夢はもう夢ではなく、たしかに現実、現実以上なのだといえるかもしれない。
  私は小さい時からよく夢を見た。いつも何かに追われていたり、汽車にのりおくれたりする夢が多かったが、しかしこれらは暗いふんいきだけに終わって、それほど形になって残らなかったような気がする。反対に私がはっきりと見たのは、家や階段、雲や木の葉の夢である。これらの夢はいつも目のさめるような色彩、ふしぎなしじまをともなってあらわれた。そして私はこの種の夢に興味と奇妙な愛着を感じていた。次の詩は、こうした夢の一部分からとったものである。
  ……けれど階段をおりて 回り角を曲り 陽のまばらにあたる廊下を小走りにゆくうちに いままで考えていた言葉たちの幻影はみるみるうすれてゆき 部屋の入口までくると わたしの掌の上にはどうしたことか一枚の木の葉がかすかにふるえながらのっているのだった/円形状の葉のまんなかから細長い蕊が5センチほど伸び その上に直径7ミリ位の玉がついている。玉には水いろの粉がうっすらのって(「詩法」の一部)
  ここのあらわれた夢とも現実ともつかぬ一枚の木の葉。ここまでくると私は刻明にそれを追い、さらに夢の深奥にまで入ってゆくだけで十分なのだ。その時、一つの疑問、詩をよむ人にとってこれがそれほど重大なものなのかという問いが私の胸をかすめる。私はかすかに不安になる。これは何よりも大切なものなのだという客観的な証拠はどこにもないからである。ただ私がこの夢を確かに見、それに衝撃をうけ、作品にしようとした直観という能力を自分で信ずる外はない。


  私はこの詩に「詩法」という題をつけた。途方もなく大きなこの題と、私の微細な夢とが、遠いどこかでつり合い、つながるような気がふとしたからである。
  ところで夢の機能をうんぬんするときに、だれしも考えるのがあの意味のちぐはぐな世界、奇妙な条理の世界のことではないかと思う。実につまらないことが夢の中では非常に重大に思えるし、逆にとても出来ないこと――たとえば空を自由に飛べることなど――が何の苦労もなくやってのけられる。この面白さ、ふしぎさを私はまだ詩にしたことはないが、萩原朔太郎はその散文詩集「宿命」の、「この手に限るよ」の中で、夢と現実との関連を興味深くかいている。
  彼は夢の中で、紅茶に砂糖を入れるというばかばかしい手法で女の子をてなずけてしまう。これはすばらしい発見だと思われるのだ。彼は誇らしげに友だちを振りむき「この手に限るよ」と叫ぶのだが、同時にその声で目が覚める。その声が今でも現実の中に妙に残って自分の中に住んでいるあの「馬鹿者」(フール)の正体を考えるというのである。
  私たちはこの詩を読んで思わず笑ってしまうが、それが決して暗い笑いでないこと、外に開かれた笑いであるこということはだれとも一致しよう。けれど夢そのものはまた「怖い」ということも本当だろう。夢は過去のことでありながら、自分の知らない自分をいきなりみせてくれるのだ。夢は未知だからこそたのしく、また怖い。夢の謎を解きながらついに解かず仕舞いになる怖いたのしさを、ひょっとしたら、私は自分の詩の上でも味わっているのかもしれない。

(『中日新聞』78年1月12日)