どちらかというと、洋菓子の方が好きである。和菓子にくらべてあまり甘くないし、生クリームの舌ざわりもいい。お昼を抜くことの多い私には、三時の洋菓子は程よく食慾を満たしてくれる。
前にはよく家で作ったものだが、近頃は店で買うことが多くなった。年をとるにつれて作るのがめんどうくさくなったのも事実だが、なんといってもいい洋菓子屋がたくさん出て来て、味の方がとてもついてついてゆけなくなったからだろう。ありあわせの原料でつくる家製は、いわゆる「家庭的」とは言いながら、どうしても味が落ちてしまう。
けれどシュークリームだけは別だ。これは家で作るのも店で買うのも殆ど変らない。かえって家製の方がシューの香りがこうばしく中に入れるカスタードも好きなだけたっぷりと入れることが出来る。オーヴンでは16個は一度に焼けるから、経済的にも大へんいありがたいのである。
それにシュークリームはむずかしいものという概念が私にはあったのだが、慣れてしまえばそれ程でもない。泡立て器だの粉ふるいだの、お菓子造りに必要なものは使わなくてもよく、お鍋としゃもじさえあれば私のようないい加減のものでもいつのまにか出来てしまうのだ。
話は古くなるが私の叔母が終戦後いちはやく田舎の台所を改造して調理学校をひらいていたことがある。
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彼女のレパートリイの中でも自慢だったのは、洋菓子、中でもシュークリームだった。
最初の(といってもこの学校は二年でなくなってしまったが)生徒だった私は、このシュークリームが習いたくて彼女の家に通ったものだった。はじめはいくら焼いてもころころのお団子のようなものが出来て、「ああ、もったないない」と母に言われてばかりいた。ふっくらとしたシューの皮が心配なく出来るようになったのは、そう、結婚して、子供が出来たころだったろうか。「ふくれろよ。ふくれろよ」と、まだ小さかった長男がオーヴンのガラス越しの種に呼びかけながら、手を叩いておどっていたのを思い出す。子供ばかりではない。大人の私でも、あのプッとふくれるときの種といったら何だか中に生きものがいるようで、思わず手を叩きそうになってしまうのだが、シュークリーム造りの面白さは、あのなんともいえない形のユーモラスなところにあるのかもしれない。
あれからもう二十年になる。
菓子造りのコツなんていうものはクリームのように底深く混ざってしまって、もう判らなくなっているのだろう。
オーブンから香ばしく匂いだすお菓子の香りは、今も昔もおなじだ。その香りに、わけもなくかすかに胸がときめくのも。
いまでは大きくなってしまった子供たちの「おふくろの味」の中には、きっとシュークリームも入っているにちがいない。
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