表紙/裏表紙
T
晴着 10
おむすびのこと 12
歩く 17
コーヒー挽きのこと 19
六つめの駅 23
ある記憶 27
シュークリームと私 30
行けなかった画廊 33
二匹と一人 36
つれづれの記 40
花火の思い出 44
絵の好きな少年 48
九月の花嫁 52
匂いをもつ幸福 56
むかで 60
九月のレタス 64
はぎとられた蔦 68
遠くのリンゴの木 71
おやつの思い出 75

U
時間のむだ使い 80
アカシヤ考 82
驚く心 84
贈る 86
卵と次男 88
ある風景 90
コーヒーの味 92
スポーツの楽しみ 94
朝の市 96
ぜいたく 98
小さな出来事 100
顔 102

V
中部の女――岡崎(上) 106
中部の女――岡崎(下) 110
水の行方――浄瑠璃姫譚 
  東海のロマン1 114

六本榎悲話 
  東海のロマン2 122

白糸奇譚(しらいとものがたり)
  東海のロマン3 130

W
ふるさとのお正月 140
雛祭りの思い出 144
ふるさとの味 147
六月のころ 151
私と詩と 155
詩と夢と 160
乗客ひとり 164
おふささんの「ごまどうふ」 168
菊やんの奥さん 172
抽斗のこと 176
言葉が話せない 180
私のふるさとの家 183

黒部節子 年譜 188
あとがき 190
シュークリームと私


 どちらかというと、洋菓子の方が好きである。和菓子にくらべてあまり甘くないし、生クリームの舌ざわりもいい。お昼を抜くことの多い私には、三時の洋菓子は程よく食慾を満たしてくれる。
  前にはよく家で作ったものだが、近頃は店で買うことが多くなった。年をとるにつれて作るのがめんどうくさくなったのも事実だが、なんといってもいい洋菓子屋がたくさん出て来て、味の方がとてもついてついてゆけなくなったからだろう。ありあわせの原料でつくる家製は、いわゆる「家庭的」とは言いながら、どうしても味が落ちてしまう。
  けれどシュークリームだけは別だ。これは家で作るのも店で買うのも殆ど変らない。かえって家製の方がシューの香りがこうばしく中に入れるカスタードも好きなだけたっぷりと入れることが出来る。オーヴンでは16個は一度に焼けるから、経済的にも大へんいありがたいのである。
  それにシュークリームはむずかしいものという概念が私にはあったのだが、慣れてしまえばそれ程でもない。泡立て器だの粉ふるいだの、お菓子造りに必要なものは使わなくてもよく、お鍋としゃもじさえあれば私のようないい加減のものでもいつのまにか出来てしまうのだ。
  話は古くなるが私の叔母が終戦後いちはやく田舎の台所を改造して調理学校をひらいていたことがある。


  彼女のレパートリイの中でも自慢だったのは、洋菓子、中でもシュークリームだった。
  最初の(といってもこの学校は二年でなくなってしまったが)生徒だった私は、このシュークリームが習いたくて彼女の家に通ったものだった。はじめはいくら焼いてもころころのお団子のようなものが出来て、「ああ、もったないない」と母に言われてばかりいた。ふっくらとしたシューの皮が心配なく出来るようになったのは、そう、結婚して、子供が出来たころだったろうか。「ふくれろよ。ふくれろよ」と、まだ小さかった長男がオーヴンのガラス越しの種に呼びかけながら、手を叩いておどっていたのを思い出す。子供ばかりではない。大人の私でも、あのプッとふくれるときの種といったら何だか中に生きものがいるようで、思わず手を叩きそうになってしまうのだが、シュークリーム造りの面白さは、あのなんともいえない形のユーモラスなところにあるのかもしれない。
  あれからもう二十年になる。
  菓子造りのコツなんていうものはクリームのように底深く混ざってしまって、もう判らなくなっているのだろう。
  オーブンから香ばしく匂いだすお菓子の香りは、今も昔もおなじだ。その香りに、わけもなくかすかに胸がときめくのも。
  いまでは大きくなってしまった子供たちの「おふくろの味」の中には、きっとシュークリームも入っているにちがいない。

(『あじくりげ』76年2月号)