この春、さる縁があって、アメリカの一青年が二、三日わが家に滞在した。友人たちへのみやげに日本画を求めたいと言うので、彼の予算に合うようにとデパートの色紙売場へ連れていった。彼はそこで長い時間かかって、たくさんの色紙を選んでいたが、驚いたのは、彼が一枚々々の絵を友人たちの部屋や調度の色に合わせて、選んでいたことであった。だれそれの部屋の壁はグリーンだから、萌黄(もえぎ)色の若葉の絵を、だれそれのセットは茶系統だから渋い水墨画を、といった調子である。絵画をこのような基準で選択することの是非はさておき、物を贈ることに対する青年の心情の細やかさには感じさせられるものがあった。
最近、本国へ帰った彼から、礼状と共に数枚のステレオ盤が送られてきた。彼は、私のあまり豊かとは言えぬコレクションの中身を覚えていて、私の好きそうな、しかも私の持っていないものを選んでくれたのである。そしてそれは、何の飾りもない無造作な包装に象徴されるようななにげなさで、私の心に届いたのであった。
今年も贈り物の季節になった。人に品物を贈るのはたやすいが、真心を贈るのはむずかしい。だがその尊さを物質文明の極と言われる国の人に教えられるとは皮肉である。
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