三月の声をきくと何かしら心がはずむ。実際には、風の強い、春とは名のみのうすら寒い日が多いのに。
町を歩いていて、花屋のウィンドウの中に、鮮やかな桃の花をみつける。「ああ、もうお雛さまだ」そんな思いだけでも、ふっと胸のふくらむ季節なのだ。
それにしても、雛祭りという、ちょうどその桃の花あかりのような、仄かな語感から遠ざかって、もう何年になるだろうか。
今とは逆に、女の姉妹ばかりだった私の生家では、雛祭りはお正月についで、にぎやかな祝いごとだった。それは祭りの日の何日かまえに、雛人形を飾るときから、いやもっと正確に言えば、母が倉から人形を入れた大きなつづらを運び出してくれるのを、今日は今日はとうるさく催促するころから、もうはじまるのだ。
つづらにきちんと納められた小さな箱の中から細やかな細工もみごとな屏布、ぼんぼり、御殿の屋根やきざはし、橘に桃の木、こまごました調度品や御所車など、ひとつづきをとりだしてゆく楽しさ。
人形の顔に巻かれためかくしの紙をそっととると、小さな顔のなかの、あのひっそりした目鼻だちがあらわれる。昔、母が海辺の村から嫁いできたときに持ってきたという、古い人形たちである。指や鼻の先がちょっと欠けて、黄色い土がのぞいていたりしたが、髪の具合も着物のいろも、そして何よりもその顔がいいと、大切にしていた。幼い私たち姉妹に、人形の顔の良し悪しなぞわかるはずもないが、その控えめな表情は、人形の物言わぬやさしさそのもののように、静かであった。
三日の日は、昼から袂の着物をきせて貰った。さいの目に切った寒あられの、紅や緑をしたのを、火鉢の上でていねいに煎って、三角に折った懐紙にのせ、高杯の上に供える。これは子供たちの仕事である。
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遊び半分に煎っていると、近所の紅梅やの光ちゃんがあそびにくる。この子はいつも首に風邪除けの白い繃帯をしていた。幼稚園や学校で習った歌や踊りをしたり、写真をとってもらったりしているうちに、日が暮れて台所の方がにぎやかになってくる。
夜のごちそう、蛤の吸物や、赤い御飯や、飛竜頭などは、皆細かくきざんで、雛道具の小さな蒔絵の器に入れられる。それを私たちが、こぼさないように息をつめて、雛段へ運んだ。その日の主役はお雛さまであって、私たちの方が、お雛さまと同じものを、夜の祝い膳の席で、いただくのであった。
友だちも去り、ぼんぼりをつけていってくれた大人たちも去って、台所に明るい灯のけはいがしても、寒い座敷に取り残された人形たちのように、子供心のひとときの華やぎはなかなか消えない。
闇にうかんだ人形の白い顔と、闇のなかでめをひらいたまま、いつまでも立ち去れないでいる幼い心と――毎年雛祭りも近くなって思い出すのは、そんな三月の夕闇の、とらえどころもない古い写し絵である。
男の子ばかりの家庭で、すっかり疎遠になってしまっているいまだから、却って雛祭りのイメージは私の中で、やさしく洗われているのかもしれない。
そんな三月、私の買物篭のなかには、いつかビニールで包まれた梅の花が入っている。
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