表紙/裏表紙
T
晴着 10
おむすびのこと 12
歩く 17
コーヒー挽きのこと 19
六つめの駅 23
ある記憶 27
シュークリームと私 30
行けなかった画廊 33
二匹と一人 36
つれづれの記 40
花火の思い出 44
絵の好きな少年 48
九月の花嫁 52
匂いをもつ幸福 56
むかで 60
九月のレタス 64
はぎとられた蔦 68
遠くのリンゴの木 71
おやつの思い出 75

U
時間のむだ使い 80
アカシヤ考 82
驚く心 84
贈る 86
卵と次男 88
ある風景 90
コーヒーの味 92
スポーツの楽しみ 94
朝の市 96
ぜいたく 98
小さな出来事 100
顔 102

V
中部の女――岡崎(上) 106
中部の女――岡崎(下) 110
水の行方――浄瑠璃姫譚 
  東海のロマン1 114

六本榎悲話 
  東海のロマン2 122

白糸奇譚(しらいとものがたり)
  東海のロマン3 130

W
ふるさとのお正月 140
雛祭りの思い出 144
ふるさとの味 147
六月のころ 151
私と詩と 155
詩と夢と 160
乗客ひとり 164
おふささんの「ごまどうふ」 168
菊やんの奥さん 172
抽斗のこと 176
言葉が話せない 180
私のふるさとの家 183

黒部節子 年譜 188
あとがき 190
中部の女――岡崎(下)


 はからずもここで思い当たるのはその昔の士族の女房のイメージである。言うまでもなく岡崎は徳川の御本家、このあたりは三河武士の発祥地だ。花は桜木、人は三河武士とうたわれた意気昂揚と誇り高い武士たち、しかも決して暮しむきの豊かでない武士の女房たちが、どんな暮しをし、どんな考え方をしていたかを想像するに難くない。
  しかもこの国は貧しい。相次ぐ戦争に明けくれた戦国時代はもとより、ようやく落着いた徳川の世にもわずか五万石の禄高だった。一般の人民、特に農民たちの生活がいかに苦しかったかは、一八三六年に起った加茂郡(今の東加茂郡松平町付近)の一揆を顧みてもわかる。とりわけ子供らを守り、台所を預かる女たちがどんなに苦労したことか……。
  はやし唄に、「女美人はむらずみ山の見ゆる所に出来やせぬ」などとあるのを、いや美人がいないわけじゃない、とにかく食うがせいいっぱいで、やつす余裕がなかったのだ、と弁護するむきもあるが、あるいはそういうこともあるかもしれない。
  こうたどってみると、封建時代の士族の妻たちが持っていた、質実厳格、義理堅い気質と共に、過去の長い間の貧しさが育てたつましさ、忍耐強さが、今もここの女たちの中に絶えることなく流れつづけていると言えるのではないか。そして今もなお流れつづけているというそのことが問題なのではないだろうか。それは女たちの気質以上に、この岡崎という土地柄を如実に物語っているように思われる。
  一口にいえば岡崎は古風な町なのである。名にし負う国道一号線のあのすさまじいほこりと熱気もこの町の中までははいってこない。再建された城を中心に、丘あり川あり緑あり、だれしも認める美しい町だが、その小じんまりした穏やかな風情は、昔の城下町の素朴な落着きをまだ失わずにいる。八百屋、魚屋などもまじった目抜きの商店街には、よそものの銀行等の近代的な建物がむしろ場違いという感じだ。


  国鉄岡崎駅が町の中心から三キロも離れたはずれにあって、いかにもぽつんとわびしげなのには、その昔はじめて東海道を汽車が走った時、町なかを通すのを地元が大反対したからという有名ないきさつがあるが、一事が万事、こういう所なのである。
  しかしもちろん今では事情もかなり変わった。交通の発達や他県からの工場、会社の進出などで人の交流もはげしくなってきた。忍従と質実を美徳としてきた女たちの間に新しいものの考え方、人間としての自覚が遅まきながら起ってきたのは自然だろう。身近な子供の問題や暮しの設計などを語合う小さなグループづきあいもできてくる。
  「話し合う会」は、地元の主婦たちから盛り上がった、その中でも一ばん大きなグループで、発足後十年をかぞえる。教育問題、婦人問題の研究、読書会など幅広く活躍している。この会の中心である杉浦松代さんは、長らくこの地に住んでさまざまな問題にぶつかり、いかにここの封建的気風が根強いかを痛感してきたという。彼女は言う、「とにかくもっと腹を立てることです」と。確かに岡崎の女は今まで余りに腹を立てなさすぎたといえるかも知れない。
  こういう所だから古くから傑出した女性というのは数える程もいない。唯一の女性の名誉市民である故白井こうさん、昨年藍綬褒章をうけられた篠崎美津さんらが、共に教育者として功績のあった人としてわずかにあげられるのみである。もっとも、残念ながら二人とも岡崎の生まれではないが。
  恐らく岡崎の女性はこれからなのだろう。彼女らの目ざめは遅すぎたかも知れないが、私はこの遅すぎたことにむしろ希望をもつべきかも知れない。新しがりの流行や、頭でっかちの女権思想は岡崎の女たちのものではない。彼女らは容易に変らないだろう。古い新しいを越えた本当の女らしさ、大都会の女たちがすでに反故にしてしまったそんな女らしさを、いつのまにかみがきあげ、自分のものにしながら。

(『朝日新聞』66年7月29日)