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 [428] 家族との思い
 大学受験を勉強しているとき  

両親


ソリューション データ:
私が大学受験の勉強を一生懸命頑張っていた高校3年生の夏休みに、いきなりと言っていいほど突然に、両親の仲が悪くなった。両親は普段暇さえあればよく二人で話しているし、頻繁に2人きりで出かけるほど仲が良かった。そんな二人が突然家で話さなくなっときは驚いだった。
何かが2人に起きたのか、不思議でたまらなかった。だが、どっちかの見方をしてしまうとどっちかを敵に回す事が嫌だった私と弟は、二人の仲が悪くなった理由を聞き出せないままでいた。その状態は一週間たっても二週間たっても変わらなかった。
夏休みも終盤に帰化付き、夏休み明けの模試試験に向けて勉強も追い込みの時期に差し掛かったこと、塾にいても勉強ばかりえ落ち着かず、せめて家でくらいはくつろいぎたいと思ってもそうはいかないという状況に置かれた私は、ついに爆発した。
両親に自分の思っていることのすべてを泣きながら話した。「自分のことばかりじゃなくて少しは私のことも考えて」「そんな二人の姿は見たくない」ということ、「こんあ落着けない家にいたくもない」ということも、
ありのままうちあけた。そうすると、弟も私に続いて思いのうちを話し始めた。弟も私と同じ事を抱いていたようだ。
私たちと弟の言葉を聞いて、両親は二人そろって驚いた顔をしていた。
その夜、父と母は二人で話し合ったようで、次の朝には二人が喧嘩する前の明るい二人に戻っていた。
その時、久しぶりに父と母が話しているところを見た。
それだけで私は嬉しかった。あの時思い切って思いを打ち明けていなかったらその後どうなっていたかは分からない。思いは言葉にしないと相手には届かなくて、それは家族だからって変わることはないという事に私は気が付いた。

 [427] 両親と家族の関係
 私たちの両親の中が悪かったころ  

両親


ソリューション データ:
 私の両親は仲が悪い。どちらかが口を開けばどちからが気に障ることをいいはじめ、いつの間にか家の空気は悪くなる。が二人いるのだが、私と弟たちはどうしたら二人が喧嘩しないでいられるか、いつも気を遣っている状態である。できれば二人が家に揃わないでほしいと思ってしまうこともあった。私が、中学生くらいまでそこまで仲が悪いということはなかったのだが、高校生になったあたりから二人の仲が悪くなった。父親の仕事場が変わってしまった事が原因ではないかと思う。自分の好きな仕事ができなくなってしまったことがストレスになり、家でそのストレスを発散することが母親にとっては気に障り、共働きあるがゆえに家の仕事がどちらの仕事なのかと言い合いになる。私は家事は手伝うはもちろん、父親にできるだけ楽しい話をしようと心がけたり、母親とは買い物に出かけようと声をかけたり、弟たちも弟たちなりに父親とスポーツをしようと声かけしてストレスを忘れてもらおうとしている。しかし、このように頑張って空気を取り持とうとしているのは正しいことではないと思う。皆が自然にいられることが一番いい状態なのである。
 私は、言い合いになる一つの理由に、両親が仕事と家以外に趣味や生きがいを持てていないことがあると考えた。そこで考えたのが釣りに行くということであった。父親も母親もアクティブ派なので、外にでてやる釣りは家族全員の興味を惹いた。この趣味、楽しみを見つけた私たちは、家でも楽しい話題が増え、明るい空気を作ることが出来る様になった。趣味や生きがいを見つけつことはとても大切なことである。家や家事以外にもまた違う仲間と知り合えるような趣味を見つけつことが出来ると、より家族関係も良好になるようなことがあるのではないかと思っている。

 [426] お父さんとお母さんが不仲
 高3の夏  

両親


ソリューション データ:
私は大学受験の勉強を死ぬ気で頑張らなきゃいけない高3の夏休みにお父さんとお母さんがすごく仲わるくて、仲の良いお父さんとお母さんが好きだった私は家に帰りたくありませんでした。二人が言い合ったり無視しあったりしているのを見るのが嫌で、家に帰っても自分の部屋にばかり居ました。受験勉強がつらくて、塾にいて「もう帰りたい」って思っても二人がケンカしてると思うと帰れなかったり、お母さんとかに「今日の模試の結果よかったんだよ!」って報告したくてもお母さんは機嫌がわるいしっていうのがつづいて、夜もねれないくらいうつみたいになりました。そんなのがたまりにたまって「もうやめて。こんなんじゃ家でもおちつけやしないっ」って泣きながらうったえたらはなしあってくれたみたいで、次の朝二人で「ごめんね」って言ってくれました。今は家族みんな仲良しです。

 [425] アイス喧嘩事件
 高校2年の夏  

2歳年上の姉


ソリューション データ:
高校2年の夏4歳年上の姉と、大喧嘩しました。きっかけは本当にくだらないこと。一緒にテレビを見るという約束をしていたのに私がアイスを食べていたことでした。しかもまずかったのが、それが姉のアイスだったことです。
でも、私はアイスを食べながらテレビを見ようと思っていました。
だからなんでそんなに怒らなきゃいけないのかと思い、つい言い返してしまいました。今考えればすぐ謝っちゃえば良かったのですが、遅れてきたプチ反抗期真っ最中だったのでそうもいかず。ついムキになってしまいました。しかしさらに問題なのが、私たちが似たもの姉妹なこと。
お互いに謝らず、初めはお互いブツブツ文句を言い合っていたの筈がいつの間にか大声で口喧嘩を始めていました。ちなみに我が家のルールとして、「手をだした者は父からの制裁」というものがあったので、絶対に手をだすことはなかったのですが、それでも口と口の戦いは数時間に及びました。
 喧嘩開始からしばらく経ったころ、今まで出かけていた2歳上の兄が帰ってきました。そして私と姉が喧嘩しているのを見て心底飽きれた顔をして後、静かに家を出ていきました。「くだらない」という捨て台詞を残して。
その言葉を聞いて私たちはなんだか急にどっと疲れ、喧嘩をやめました。なんだかアホらしくなったのです。そしてまた2人でテレビを見始めました。少しするとさっき出ていった兄が返ってきました。兄は私が食べてしまった姉のアイスと同じものを買ってきてくれました。しかも3個。そして「くだらない喧嘩するなよ。エネルギーの無駄遣い。暑いんだからさ、クールにいこうぜ」と言い残し自分の分のアイスをもって部屋に入っていきました。その時の兄のセリフが今でも忘れられません。あれから2年経ちますが、この喧嘩は今でも時々思い出して笑ってしまうで出来事です。本当にくだらないですが、私たち兄弟にとってはいい思い出です。

 [424] 家族の血
 高2  

家族


ソリューション データ:
高2の春、自分に異母兄弟の兄と姉がいたことを知った。衝撃的だった。
彼らとは自分が小さいころから幾度か顔を合わせていたのだが、彼らにとって私は父親を奪った子なのだと気づいてからは彼らの笑顔もなんだか恐ろしくなり、彼らから父親を奪った自分の存在に罪悪感を抱いた。
さらに父は小さな店を経営していて、その異母兄弟の兄が店長として主に業務をこなしていたが、売り上げは減少し続け店をたたまねばならなくなった。
店の弁護士や税理士は兄の用意した人たちで、明らかに私の家族にとっては不当な条件だったが、実子と争うことや面倒事を父が嫌ったためにそのままハサンの手続きを進めた。結局は三次に裁判のお金を残していたことなどから一家離散や心中は免れたので強く恨んだりはしなかったが、後に姉が父に電話で「破産に追い込めば離婚して、父が私たちのところへ戻ってくると思っていた」と話しているのを聞いた時は自分の中に流れる血を全て抜き取ってしまいたいと思ってしまった。そしてこの状況でも競馬や浮気を続ける父に激しく失望し、嫌悪を感じ、私にはもう彼を父とおもえなくなってしまった。父や兄、姉の血が流れている自分自身さえも憎かった、その後、時がたっても経済状況も家庭も好転はしなかったが、小学生の弟のためにも家族がかけることはなく、時間の経過が私たちの感情を沈めてくれたので、今はこの生活や自分のあり方を受け入れることが出来ている。断続的に訪れる絶望感も特定の出来事による悲しみも、時がたち過ぎ去るか感情が収まるまで待つことが一番の解決法なのだ。

 [422] 一人暮らしが自分を成長させる
 中学〜高校  

父親


ソリューション データ:
私は中学、高校のころから、父とは必要最低限のこと以外は全然話をしませんでした。父のことはきらいという訳ではなかったのですが、なにを話していいのかも分からず話したとしても素気のない態度をとってしまいます。
普通に話したいのに素直になれないのが高校生ぐらいの娘の悩みです私は大学に通うため、一人暮らしをすることになり地元を離れるというにも関わらずこれといったことは話さず地元を離れました。何ヶ月かして両親が遊びに来ることになり一緒に三人で旅行に行きました。その時には不思議なことに普通に話すことができました。私は一人暮らしが自分を成長させてくれたのだと思い一人暮らしをしてよかったなと感じることができました。

 [421] 誤解から始まってしまったこと
   

ソリューション データ:
七年前に突然、祖母が心不全で朝起きたら亡くなっていた。その亡くなる前、鬱症状が出現し、遺書を書いて川に飛び込むなどの行為が見られた。
そのため心療内科に受信し、抗鬱薬も服用していた。
祖母の死去当日、亡くなったことを知った親族が慌てて実家にやってきて祖母に合うと同時に、親族が祖母の遺品を片付けつついろいろ見ていた。
その中で昔から長年書き続けていた日記があり、昔を懐かしみつつもみんなで読んでいたが、その日記の中で当然、心療内科に通院したことや心療内科に関連したことを決行固化幕記載されていた。そして自殺未遂に至るまでも心理的なことなどの言動も記載されており、中でも具体的に父や母の名前を明記して、私をいじめた、私を責めた、怒鳴られた。とネガティブな事を次から次へと記載されていた。
時には父も母も一生懸命になりすぎて強いことを言ったこともあったが、私から見ても、日記のようなことはなく、また祖母を心配して一緒に病院に行くこともあった。
しかし親族はその経緯を知らず、また日記の内容を誤解してしまったため、葬儀の前に非常にもめて口論になってしまった。父母は祖母に見られていたうつ病についての説明や、祖母に対して一生懸命対応したことを私から見た限り細かく説明したが、親族は日記を信じて父母を信じられず、結局葬儀後に仲が悪くなりl以後親族は家には来なくなってしまった。そして父はこれ以上ないというほど祖母能勢派をしたのに情けないとか、怒りを感じつとともに母と泣き崩れたり、長い間食欲がなくなったり、自責感を強く感じていた。
自分も親族と特に仲が良いわけではないが、夏の花火大会だけは必ず行ったし、自分も親族と縁を切りたくなかったため、毎年訪問してバーベキューを楽しんでいた。
祖母が亡くなった翌年は、自分の携帯にバーベキューのお誘いがあり、そのことに対して父母はなぜ家の電話を使わず隠れた形で私だけに伝えるのか、と。また怒りや寂しさを言っていた。その後はその雰囲気のままで終わったが、昨年、自分が受けた電話を母に何気なく渡したところ、初めは表情が硬かったが、次第に表情が柔らかくなり、父にもそのことを伝えたところ、原因はわからないが仲良くなり、交流も持てるようになった。

 [420] 小さな発言者
   

自分・夫


ソリューション データ:
私の娘が生後一年の時です。夜中娘を寝かしつけていた時に娘がぴくぴくし始めました。最初は軽く考え、娘のいたずらと思い笑っていました。何回か後にまさか、と思い娘の蒲団をめくったところ全身で痙攣をおこしていました。発熱もしておらず、脳裏にはてんかん・・・との思いがよぎりました。翌朝小児科を受信し、検査をした結果は「てんかんではないと思いますが、長い経過を見ないと分かりません」そしてさらに先生から言われたのが「お父さんとお母さんが喧嘩していませんか? そういったことで起こることもあります」と。はっと思い当たることがありました。結婚してから喧嘩ばかりで、娘が出生後も悪化するばかりでした。夫の母親との関係もうまくいかず、夫の顔を見れば愚痴ばかり言っていたため、夫の帰宅時間も遅くなっていました。自分自身も実家から離れ知り合いのいない環境での孤独と育児に夫の母親の関係でうつ状態になっており、ふと「娘と死のうか」と思う自分を抑えていました。このような状況を生後一年の娘が気づき、全身でけいれんというかたちで私自身に気づかせてくれました。この気づきと同時に私自身が娘を守らなければと思い離婚を決意し、別居を開始しました。夫の理解が得られず、ストーカー状態の嫌がらせが続き、パトカー二台もの警察のお世話になる状態もありました。弁護士介入し調停そして審判まであがり、約三年の時間をかけ離婚成立しました。娘の痙攣は夫と離れ生活環境が変わり、私の気持ちが変化したためか出現しなくなりました。あの時に娘が気づかせてくれていなかったら、小児科の先生の助言がなければと考え、今でも娘に感謝の気持ちでいっぱいになります。私自身は離婚という形となりましたが、決して離婚に賛成ではなく出来る限り離婚しない方向での解決策を見つけ出すべきだと思っています。

 [419] 私の小さな反抗で収まった家族内別居
 中学生  

両親


ソリューション データ:
私の家族は父・母・兄・私の四人家族です。私が中学生の頃、父と母の家庭内別居でした。原因は母が言うには父の浮気問題というのです。私は高校受験を控えていて、両親の問題には無関心を装っていたのですが、日ごとにお皿が割れる、フライパンが飛ぶ、窓ガラスが割れることが起きました。兄は高校生で下宿していたので、この問題についてもほとんど知らなかったと思います。友達になんて相談できませんでした。私はそれまでいわゆるいい子で育ってきました。感情をあらわにすることもありませんでした。さすがに両親の不和には悲しくなり、私が何か問題を起こしたら私の気持ちに気づいてくれるのではないかと思い、置手紙に「旅に出ます。さようなら」と書いて県外の祖父母の家に行きました。両親は血相を変えて探したようですが、夏休みだったのですぐ居場所は分かってしまったのです。今までこんな大それたことをしたことがない私だったので、両親は考え直してくれました。両親から誤ってくれました。今では定年を迎え、二人で旅行に行っている仲です。子供だましのようですが、その時はいかにびっくりさせてしまおうかと真剣に考えた行動でした。

 [418] 母と祖母の関係
 毎日  

母と祖母


ソリューション データ:
私は六人家族だ。父、母、祖母、姉、私、弟である。祖母は父の母で私の母とは嫁姑関係なので何かと問題が多い。私の祖母は七十歳くらいまで働いていたのだが怪我をしたのをきっかけに退職し今は一日中家にいる。祖母には趣味がないのでほとんど毎日テレビを見て過ごしている。家族の中で誰よりも時間がるしさらに今では怪我も治ってびっくりするぐらいの健康体で特に病気がある訳でもない。それはとてもいいことなのだが、掃除洗濯食事などの一切の家事を毎日仕事で疲れて帰ってくる母にまかせっきりで祖母は全く手伝わないのだ。やればできるのに手伝等ともしない祖母に対し母はいつもイライラしている。母は日頃のイライラが募ってつい祖母にきつく当たってしまうのだが、父にとって祖母は自分の母であり日頃の母の気持ちも知らないので母が祖母に対してきつい態度で接していると「もっと優しくしてあげて」というのだ。だから母はいつも日頃のイライラを私たち子供三人に愚痴ってストレス解消をしている。母は姉と私に「将来結婚したら旦那さんのお母さんとは絶対同居しない方がいいよ」と言い、弟には「お互いに気を遣うからあんたが結婚しても絶対同居はしない」と言っている。


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