[274] 母の病で
子どもの頃
両親
ソリューション データ: 私の両親は子どもの前で殴りあいは大声での、ののしりあいはしないものの仲があまりよくありませんでした。 私が小学校くらいの頃からひんぱんに相手への悪口やそれと共に「お前たちが成人するまでは離婚しないよ、子どもたち3人とも成人したら離婚してやる」とお互いから聞かされていました。 両親とも飲酒はしないし、問題はお互いの性格や、仕事などによる疲れが原因だったのかも知れません。このような家庭内での生活は息苦しいものがありました。 この状態が良くなったきっかけは母が体調を壊したことによります。 重い病気のおそれがあると入退院、検査の日々が続きました。3交代勤務の父ですが、母を気遣い、私たち子どもに対しても前より一層気にかけてくれるようになりました。 検査の結果、母は大きな病ではなく無事に家に戻ってくることができました。 この時以来、父と母のけんかは少なくなり、今までは考えられなかったような2人で外出したりなどするようになりました。加え家族のまとまりも強くなり、とてもよい家庭であると思います。 きっかけは母の病という良くない出来事でしたが、このような普段とは違う出来事は日常を変える力を持っていると学びました。
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[273] 整理する時間
中学三年生
弟
ソリューション データ: 私の弟は中学三年生の時とても荒れていました。高校受験だというのに勉強もしない。だからと言って就職もしたくない。というような感じで、私や母は特に色々せかしていました。しかし、反発ばかりでした。ちちもそのやりとりに我慢できなくなり弟に怒鳴りました。しかし、あるちきに私たちも精神的にまいってしまって口に出すのをやめました。結果として当初の予定よりレベルを下げましたが、高校は無事に合格しました。今では、ギクシャクもほとんどなくなり、弟自身も依然と比べて穏やかになりました。今考えてみると、お互いに意地を張りすぎた部分も多く、また、一般的な話を押し付けすぎて、知らず知らずのうちに、本人にとっては虐待のような感じだったのかなと思います。もちろん、ほめる部分はほめていましたが、さらに頑張ろうという言葉は逆効果でした。もともとはとてもきちっとしている弟でしたので、もともとの性格を信じて、ほっておくことも必要だったのかなと思います。
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[272] 良いところ悪いところ
両親の喧嘩中
母親
ソリューション データ: 誰かに対してむかついているときは、ついその人の悪い面ばかりに目を向けてしまいがちです。母が父に対して怒ってしまい、家族内の空気が悪くなっていたとき、姉と私の必死のフォローでなんとか母の怒りをおさめることができた経験があります。そのときは母に、父の良いところや、弁護できるところを伝えました。そうしたらやっと母も、父について客観的に見ることが出来るようになったみたいでした
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[271] 更年期障害
母親
ソリューション データ: 母親が更年期障害になり、家族に対して怒鳴ることが増えた時期があった。 特に長女の私に対してが一番ひどく、ちょっとしたことで怒っていた母親に対し、私もつい反抗してしまい言い合いがたえなくなっていた。 私も「何で自分ばかり…」という気持ちがあったし、学校へ行きバイトをして疲れて帰宅したとたんに怒鳴られることに耐えられなくて、母親に対してあまりいい感情を抱けなくなっていた時、友人に 「ウチも最近までそうだったよ」言われた。 その友人宅でも母親が更年期になり子供たちにキツくあたっていた時期があったようだ。 「すごくつらいよね。別人みたいだもんね。でもウチは姉妹で支え合って、お母さんには反抗するのをやめて、そこでたまったストレスは姉妹間でグチを話すことによって解消するようにしたら、かなり気持ちが楽になったよ」とアドバイスを、もらった。 自分の気持ちを分かってくれる人がいるということもうれしかったし、そのアドバイスを実行するために母親のことを弟に相談し、私たちの家でもその作戦に出ることにしたら、その後母親が怒鳴りちらしてもイライラすることが少なくなった。 気持ちに余裕ができたのかもしれない。 更年期障害はまだ続いているが、これなら乗り切れそうな気がしている。
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[270] やさしい嘘
妹
ソリューション データ: 私が高校生の時、親と妹がケンカして、けっこう長いあいだ家出をしていた。 そのとき妹は、親のケータイを着信拒否していたので、私が親と妹のかけはしの役割をしていた。
その時、本当は親は言っていなかったけど、 「お母さんがあんたのこと○○って言ってたよ」と嘘をついて、妹をほめるようなこととか、 すごく心配しているような内容のことをメールで送っていたら、 妹が「親に悪いことをした」と言って、帰ってきました。
キーワード: 家出
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[269] 苦手な父
中高生のとき
父
ソリューション データ: 私は、あまり父とのコミュニケーションが得意ではありませんでした。幼い頃は父に懐いていたものの、物心がつき、中学生くらいの時期からほとんど必要最低限しか口をききません。それでも、特に日常生活で不都合を感じることは今までありませんでした。だから余計な衝突もほとんどありませんでした。 しかし中高生の頃に何度か争ったことがあります。始まりはささいなことなのですがかなり深くまでつっこんだところまで、結局は話すことになりました。 結論から言うと、私は父が私をどのように思っているのかわからなくて怖かったのです。そして自分自身に自信と呼べるものがなくて、どのようにみられているのかが不安だったのです。 曲がりなりにもこうした何度かの衝突が、父との関係性の一端を担うこととなり、それが家族問題の進転に撃ったように思います
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[268] 絆
高校生
家族
ソリューション データ: 自分が高校生、姉が専門生の頃の三年間ほど、お互い口も開かないほど仲が悪かった。同じ家に住んでいても必要最低限のことしか話さず、挨拶さえしなかった私は姉が嫌いだった。しかし、自分が大学入学、姉は社会人になった頃、父親が倒れて入院することになった。それまでバラバラだった家族が「さすがにまずい」と感じたのか、私と姉は今後について話し合うようになった。はじめは嫌々であった。姉が自分を引っ張っていこうとしているのを感じた。そこから私は姉の良い点は認めることが出来たり、お互い一緒に出かけたり、共通の悩みを持つものとして同志に近い存在になった。父親が倒れたことは、とても大変であったが、結果的にはプラスの影響も与えたと感じる。
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[267] 本音を言い合う
両親が不仲の時
両親
ソリューション データ: 両親の仲が最近よくなくて、離婚までは発展しないけれど、お互いが、互いの悪口を言っている状況がありました。しかし、私から両親に対する今までの思いを本音で手紙につづったり、母から父へちょっとしたプレゼントと本音の手紙を書くことによって、夫婦間の緊張が解けました。
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[266] 妹と同じ部屋
学生時代
妹
ソリューション データ: 2歳年下の妹と小学校〜高校まで同じ部屋だった。年が近いせいか、洋服の貸し借りなどができ仲が良いときはとても仲が良かったが、思春期なのもあって、少しでも意見が食い違うとすさまじい喧嘩になっていた。 しかし大学生の時、兄が家を出て行ったためその部屋を引き継ぎ私と妹は別々の部屋になった。 すると、妹とだんだん仲良くなったのである。 元々生活のスタイルが違うため、家で顔を合わせることが少なくなってきていた。 そのため妹は少なからず淋しかったのか、帰ってくると必ず私の部屋のドアを開け「ただいま」を言い、何をするわけでもなく無駄に私の部屋に居座っていた。 今となってはまわりにも「妹とは仲が良い」といえるくらい良好な関係が続いている
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[265] 距離を置くことも大切
中学二年生のころ
父親
ソリューション データ: 中学二年生の頃、両親の中が悪く離婚するなどと言っていたが、父親が単身赴任で岩手に引っ越し月に1度か2か月に1度しか家に帰ってこなくなったら距離を置けたのか前よりいざこざは起きなくなった。離婚の話も流れたらしく今のところはまだ夫婦でいる。父は東京勤務でなくなってから仕事のストレスが減ったのか、性格も変わった。一緒に住んでいた頃は毎日恐ろしかったが今では普通に会って話せるし、特に怖いとも感じなくなった。
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