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 [442] 父と私
 中学生になったころ  


ソリューション データ:
私は中学生になった頃から父が嫌いで、常に父の言うことに反発していた。父は昔からとても厳しい人で、私が何か提案するたびにそれを跳ね返し、それはだめ、これもだめという感じだったので、どうして私の人生なのに父に決められなければいけないのだろうという疑問を持った。また、私の行動1つ1つに何かしら注意をしてくるのにも腹が立った。そういったものが重なり私は父のことを恨むようになった。
私はそのうち、父を無視するようになった。反発したらさらに反発し返されるので、それならもうしゃべらないほうがいいと思ったからだ。最初の頃は、無視する行為を怒られ、殴られたりもしたが、「私は悪くない。父が私に対する態度を変えないからいけないのだ」と思って、少しも反省することなく、さらに無視し続けた。
私は第一子だ。母は「お父さんは貴女のこと、初めての子供だし、ましてや女の子だからどう接していいかわからないのよ」と言っていた。父もその頃には私にとっかかってくることもなく、むしろ腫物を扱うかのように私にあまり構わなくなっていた。そういう父の姿を見ると、母の言うこともその通りのような気がしてきた。
しかし5年近く無視をしていたので、父と私の間の溝は簡単に埋められるものではなかった。それに、私の中で父に改心してもらいたいという気持ちがあって、自分から謝るのは癪だと思っていたので、なかなか関係はよくならなかった。そんな時に間に入ってくれたのが母である。
母は私が高校3年生になると同時に仕事を辞めた。今までは父と私がぎくしゃくしていても、母も仕事で疲れて入れあまり関わってはくれなかったが、仕事を辞めたことで母にも余裕が生まれ、私と父の間に入ってお互いの気持ちを汲み取ってくれるようになったのだ。そのおかげで私たちは徐々に関係も良くなったと思う。今では、仲良しとまではいかないが、普通に会話する関係まで戻ることができた。
自分たちではどうしようもない問題も、他の人の助けによって解決できるのだと思った。これからは、5年間の溝を自分で埋めていけるように、父にやさしくしたいと思った。

 [440] 両親の離婚と自身の成長
   

ソリューション データ:
私が小学校5年生くらいの時、両親が離婚しました。小学生だったので親には離婚してもらいたくなく、兄弟3人どうなってしまうのか不安でした。ですが、離婚前に親が少しでも会うたびに険悪な空気になったり、会うたびに愚痴を言い合っているのを見てると本当に嫌になり早く解決してほしいと思うようになりました。両者が開いても悪い点を言うことは理解できますが、共感はできませんでした。どちらも親なのでどんな欠点があったとしても心の底から嫌いになることはできません。親同士は離婚すれば他人に戻れますが、血のつながりがある親と子の関係が崩れることはありません。だから、離婚するまでは、本当に家にいるのが嫌いでした。小学生の頃の私は、離婚することも嫌でしたが離婚が成立し、親同士が別れると険悪な雰囲気になることがなくなるのでとてもすっきりしました。その後私たち兄弟3人は母についていき、父とは月1回程度子供だけで会うという形になりました。父と会う日には、母は不機嫌になり私たちもいろいろ言われましたが、時間がたつにつれ減ってきました。最近なって聞きましたが、「自分が嫌いな相手でも子供にとったら唯一の父親なので仕方がないと思うようになってきた。」と言っていました。私たちも年を重ねていくうちにどうすれば喧嘩にならないのか、お互い気にしなくなるのか気にかけられるようになっていきました。両親の離婚は子供にとってはとても嫌でストレスを感じますが、自分が大きくなっていくにつれ深く考えず、受け止められるようになります。私も親も所詮人間だからいやいやずっと一緒にいれられるよりましで、仕方がないことだと思えるようになりました

 [439] かぞくとのかいわ
 高校3年  

親、自分


ソリューション データ:
私は小さいころから親にはっきり言いたいことが素直に言える性格ではなかった。たとえbあ、おもちゃがほしいと思って言ったとしても必要ないからといって買ってもらえなかったことなどの記憶が強く残り過ぎていて、大きくなってからもあまり自分の意見を口にすることはなかった。しかし、高校生になり進路について両親と話し合いをしなければならないときがきた。1,2年生のころは詳しいところまで話すことはあまりなかったが、3年生になるとそうはうまくいかなくなった。あるとき、進路について親に聞かれて答えた。否定をされたわけではないが、就職は大丈夫なのか、その大学にいって、その学問を学んで将来は大丈夫なのかと言われ、批判をされた気がした。その後は、やっとのことでやりたい方向性が決まり、試験まで頑張ることになった。しかし、試験直前、願書を提出することになったときに、自分が本当に行きたい大学はどこなのかということで言い合いになった。それまで私がはっきり自分の意見を言ってこなかったから親も私の考えが分からず、話し合いは悪化した。私も自分の行きたいところを言ったところで認めてもらえないと勝手に思い込んでいたからうまくいくわけはなかった。何時間も話した後、親に自分がやりたいことをはっきりと言いなさいと言われ、泣きながらやっとのことで話した。その後、落ち着いてから行きたい理由をしっかり考え、親に伝えることで承諾得た。どんな些細なことでもしっかいり言葉に出さないと伝わらないということが改めて分かった。いくら親でも、会話を怠ってはいけないのである。今後は自分の意見をしっかり言えるようにしたい。

 [435] 家族関係について
 高校受験の時  

母親


ソリューション データ:
高校受験の際、母親と衝突したことがある。私の成績が思うように上がらず、模試の結果が返ってくるたびに喧嘩になっていた。私はマイペースな性格なこともあり、受験日が近づくまであまり焦っていなかった。しかし、母はそんな私の態度を見ていっそう苛立っていたように思える。一度大きな喧嘩があったとき、それまではお互いすっきりしないまま引きずっていたが、その日は、どう考えているのか知りたいと母に言われた。私は少し戸惑ったが、その高校に行きたいと強く思っていること、やりたいことを我慢して自分なりに勉強を頑張っているつもりだということを伝えた。母は、私の態度を見ると、志望校を諦めて投げやりになっているように思えると言った。私はそこで、母にとても心配をさせていたということに気付いた。今までと同じように勉強しているのではダメだと思い、気持ちを入れ替えて勉強するようになった。その結果志望校に合格することができた。また、このことをきっかけに、ただの喧嘩で終わるのではなくきちんと話をするようになった。今まではお互いにイライラするだけで終わってしまっていたが、今何かあった時にはきちんと話し合うことで解決するようになった。

 [434] 家庭内の事情
 中学生  

家族


ソリューション データ:
私が中学校の時、父がうつ病になってから家庭内の仲が悪くなりました。母はそれまでは家庭内の仕事に専念していましたが、父が仕事をできなくなったためパートに出るようになってからストレスも多くなり家での言動が前とは変わったり、夫婦間の言い争いも増えたりしました。母は父が病気だと分かっていてもいらだつこともあっただろうし、父は病気で辛かったためぶつかるかることも多かったのだと思います。私たち子供たちも父は見た目ではどこが病気なのかわからないし、よくわからないことで父から怒られるため病気について理解できなかったため家庭内の環境は皆居づらい環境になりました。父の病気が治った後も関係は悪いままでした。しかし、それからしばらくして父がくも膜下出血で倒れました。それから母は父のことをよく考えるようになったし、私たちも母が病院に付きっきりのため自分たちで家庭のことをするようになり親に今までたくさんのことをしてもらっていたのだと理解しました。父が仕事をしていたから学校に行けた、帰ってくると母が食事を作り待っていてくれたという当たり前の環境が崩れそうになると知ったとき少し自分以外の家族をわかった気がします。私たちはどうしても自分のことが優先になってしまいますが、相手の辛いところや陰で支えてきてくれたことを知ることでやさしい気持ちになり関係も変わっていくなと感じました。相手に理解を示すことで人間関係は良くなると思います。

 [433] 家族との関係
 大学  

家族


ソリューション データ:
私の家族は両親と歳の離れた妹が1人の4人家族だ。基本的に仲はいいのだが、性格的に母と妹、私と父のように別れることが多かったと思う。母と妹は思ったことをすぐ言うタイプで気が強く、私と母は母と妹が気が済むまで意見を言ってから自分の意見を言うまたは黙っていることが多かった。それも母と妹は気が強く熱くなってしまいがちであるので話の腰を折ると話にならなかったりするからである。普段の会話ならそれも問題ないのだが、喧嘩をしている時や自分があまり触れてほしくないような話題の時は不満に思う。それでもすぐに反論すると逆に話が面倒くさくなってしまうのであまりすることはなかった。やはりそうするとストレスが溜まるのでよく父と愚痴を言い合ったりした。1人の時は好きな音楽を聴いたり、枕に向かって叫んだりしてストレスを発散させていたと思う。しかし一人暮らしを始めた今考えるとそんなことがある日常も大切だし、毎日誰かと喧嘩をしたり言い合いをすることも面白いのかもしれないと思う。

 [432] 家族の大切さ
 高校3年生  

自分


ソリューション データ:
高校三年生のころ、家庭内での態度が非常に悪く、母と仲が悪かった。大学受験を経験していあに母に口を挟まれることが気に入らず、何か言われる度にいつも不機嫌になったり、母に対して八つ当たりをした。無事に受験が終わり、大学生になった現在はそのようなことはなく仲良くしている。
この出来事を乗り越えられたのは自分勝手な私を大目に見てくれた母と気を使ってくれた家族のおかげだと思う。ここまでひどい態度をとり、好ましくない関係になっても何のためらいもなく元通りになれるのは家族だからだと思う。

 [431] 家族に対する発想の転換
   

ソリューション データ:
昨年、母が怪我をして家事全般ができなくなったとき、代わりに仕事を引き受けたのは私だった。そのときは、普段何もしていないくせにこういうときだけいい父親ぶってくる父や、自分だって怪我をして身の周りの世話をしてもらったことがあるのに、「何でもしてもらって当然だと思うな」と母に言った兄が、ひたすらウザくて仕方がなかったが、あるとき「どうせこいつらは母か私がいなかったら家のことは何も出来ない馬鹿なんだから」と思うことにしたら、少しはモヤモヤがなくなった。私はこうして発想の転換をすることで、母の怪我が治るまでの期間を乗り越えることができた

 [430] 大学受験と家族との関係
 高校生のとき  

ソリューション データ:
私は1年生のときから定期考査の勉強を前々からこつこつ行い、いい評定をもらえるように努力してきていた。
しかし、夏や秋はどれだけ勉強しても成績があがらず、自分に今の勉強法が合っているのかも自身がなく、大学生になった自分を想像することができなかった。そして、今まで志望校としていた大学をこのまま第一志望とするかも迷っていた。親に相談しても、「国公立ならどこでもいい」としか言ってもらえなかった。

私の姉が大学受験のときは、親がインターネットなどで大学について調べていたことを知っていたから、「どうして私のことはそんなに投げやりなんだろう」と思っていた。そして、友人に相談したところ、その友人たちの親は、一緒に大学を探してくれたり、悩んでくれたと言われた。そして私は、「やっぱり、私のことはどうだっていいんだな」と感じてしまった。

姉は、指定校推薦で私立の大学に進学していて、大学が決まったあとは全く勉強していなかった。そのことを思い出し、「高校生のとき、遊んでいて、定期考査でもあまりいい点数ではなかった時期があった姉のほうが、どうして先に大学が決まっていてダラダラしていたんだ」と、勉強のストレスとともに、もやもやした気持ちがあった。
そのせいで家にいても親との会話はなく、話しかけられても、無視をするか、「はい」か「いいえ」しか言っていなかった。家で勉強していても、全く配慮もしてくれない親にあきれていた。

でも、センター試験のあとの二次試験のときに、家族が全員一緒に大学まで来てくれたし、私が大学に合格したときは、泣いて喜んでくれた。それを見たり聞いたりして、今まで自分が家族に対して思っていたことは間違いだったのかなと思った。
それからは、今までの親に対する自分の態度について考えて、少し申し訳ない気持ちになった。また、受験期に会話がなかった分、合格が決まってから引っ越すまで、家族との時間をたくさんとるようにしたり、会話を大切にするようにした。

 [429] 反抗期の弟
 大学生  


ソリューション データ:
私には四つ下の弟がいる。中学三年の彼は現在反抗期の真最中だ。私が何か言えば「うるせぇなぁ、黙れ。」と暴言を吐き、暴力はしないものの毎日私に対する当たりがきつかった。母に愚痴をこぼしていたところ、母は「あなたが上から物ををいう態度が気に入らないみたいよ。」と教えてくれた。私にもかつて反抗期があり母を悩ませていたが、言われてみれば子ども扱いをされた時にイライラした時があったかもしれないなと思ったまた、私は小さいころから弟の面倒を見てきて、弟の悪いところを姉という立場から指導してきた。しかし弟も成長したので、そろそろ彼を自分の年下の家族として見るのではなく、一人の個人という面をより尊重することが必要とされる時期になったのだなと理解した。それからは彼のやることなすことにいちいち文句を言うのをやめて、弟というよりもむしろ友達のような同等な高さの目線で会話をするように心がけている。だがまだ上から目線で物を言う態度が完璧になくなったわけではないのでしばしば睨まれる時があるが、以前より仲のいい姉弟」に戻れたような気がする。


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