[110] 家族
ソリューション データ: 私は高校生くらいの時から、なんとなくお父さんをさけていて、話す機会も少なくなっていました。 お父さんのことを嫌いになった訳ではなかったのですが、何となく話すことも面どうだと思っていました。
そんなある日、お父さんの友人の家族と一緒に遊ぶことになりました。 向こうの家族の中に、中学生の男の子がいました。私のお父さんと向こうのお父さんと中学生の男の子は野球観戦にいきました。 その時に向こうの家族のお母さんが言っていたのですが、 「あなたのお父さんは、いつもうちの子供に優しくしてくれるのよね。 子供も野球を見ながら いろいろ教えてくれるあなたのお父さんが大好きだって言いってるんだよ。」 私はそのこと聞いて、いつものお父さんとは何か違った一面だなと感じました。 ちょっと良いお父さんなんだよなって思いました。それからは少しですが、また普通に話せるようになりました。
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[108] 姉との関係の修復
姉が専門学生の三年間
姉
ソリューション データ: 自分が高校生、姉が専門生の頃の三年間ほど、お互い口も聞かない程仲が悪かった。 同じ家に住んでいても必要最低限のことしか話さず、挨拶さえしなかった。私は姉が嫌いだった。 しかし、自分が大学入学、姉は社会人になった頃、父親が倒れて入院することになった。それまで バラバラだった家族が「さすがにまずい」と感じたのか、私と姉は今後のことについて話し合いをするようになった。 はじめは少しずつ嫌々であったが、姉が姉として自分をひっぱっていこうとしているのを感じた。 そこから私は姉の良い点は認めることが出来たり、お互い一緒に出かけたり、共通の悩み(家庭の)をもつものとして同志に近い存在になった。 父親が倒れたことは、とても大変だったが、結果的にプラスの影響も与えられたと感じる。
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[105] 親。
ソリューション データ: 誰かに対してムカついているときは、 ついその人の悪い面ばかりに目を向けてしまいがちです。 母が父ンい対して怒ってしまい、家庭内の空気が悪くなっていたとき、 姉と私のフォローでなんとか母の怒りをおさめることができた 経験があります。 そのときは母に、父の良いところや弁護できるところを伝えました。 そうしたらやっと母も、父について客観的に見ることが できるようになったみたいでした。
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[104] 嘘も方便
妹 親
ソリューション データ: 私が高校生の時、親と妹が喧嘩して結構長い間家出をしていた。 その時、妹は親のケータイを拒否していたので、私が親と妹のかけ橋の役割をしていた。 その時、本当は親が言っていなかったけど、「お母さんが○○の事を〜って言ってたよ」と嘘をついて妹を褒めるようなこととか、すごく心配しているような内容の事をメールで送っていたら、妹が「親に悪いことをした」といって、帰ってきました。
キーワード: 妹 親 嘘
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[103] 母親
ソリューション データ: 家族について、 私の幼いころから母は精神的弱い面があり、身心と連結している ようで、少しでも体調が悪化 ヒストリー起こし、弱い立場の者(祖母)などに あたっていた。また逆も黙りで、心に何か悩みや迷いある時は体の不具合を 訴っていた。私はこんな母に常に軽べつなまなざしが消えずにいたが ふっと、よく話をきいてあげることをした。また母の良いところ、悪いところを含め、 私が指摘するのではなく、母自身にしてもらったら母は身心ともに安定し、バランスをとれるようになった。
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[101] 妹との関係
小学校〜高校
妹
ソリューション データ: 2歳年下の妹と小学校〜高校まで同じ部屋だった。年が近いせいか、洋服の貸し借りなどができ仲が良いときはとても仲が良かったが、思春期なのもあって、少しでも意見が食い違うとすさまじいケンカとなっていた。しかし、大学生の時、兄が家を出て行ったためその部屋を引きつぎ、私と妹は別々の部屋になった。すると、妹とだんだん仲良くなったのである。元々生活のスタイルが違うため、家で顔を合わせることが少なくなってきていた。そのため妹は少なからず淋しくなったのか、帰ってくると必ず私の部屋のドアを開け「ただいま」を言い、何をするわけでもなく無駄に私の部屋に居座っていた。今となってはまわりにも「妹とは仲が良い」と言えるくらい良好な関係が続いている。
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[100] 両親の中の橋渡し
両親の不和があった時期
両親
ソリューション データ: 両親の不和があった時期に、 三兄妹の中で私だけが両親から相談を受けていた。 父も母も互いの悪い所や具体的にあった出来事を 私に伝えていた。
数カ月は過ぎた頃、 私は両社が本当は直接に言いたいけど、 言えないから私に言っているようであり、 私から相手の感情を聞きたいと思っていることに 私は気づいた。
自分の怒りをぶつけ、それに対して 友論して欲しいようであったが、 そこで私が互いに愚痴を伝えたところで さらに怒りが増すだけであると考え、 あえて互いが言っていた事を美化して、 まるでよく言っていたかのように伝えてみた。
たとえば父が母のこと 「あいつはまた帰ってこないみたいだな」 と言っていた事を
私は母に、 「お父さんが、お母さんのことを心配してたよ。 身体のこととか」 と伝えた。
このように繰り返していくうちに、 二者の印象は勝手に良くなっていき、 10年以上別居以来、口を聞いていなかった二人が、 1回だけ飲みに行ったようである。
キーワード: 両親 不仲 仲裁
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[99] 父との関係
ソリューション データ: 私は、あまり父とのコミュニケーションが得意ではありませんでした。幼い頃は父になついていたものの、物心がつき、中学生位の時期から(現在もですが)ほとんど必要最低限しか口をききません。それでも特に日常生活で不都合を感じることは今までにありませんでした、だから余計な衝突も殆どありませんでした。 しかし、中高生の頃に何度か争ったことがあります。始まりは些細なことなのですが、かなり深く突っ込んだところまで話すことになりました。結論から言うと私は父が私をどのように思っているのか解らなくて怖かったのです。そしてあまり自分自身に自信と呼べるものがなくて、どのように見られているかが不安だったのです。曲がりなりにもこうした何度かの衝突が、父との関連性の一端を担うこととなり、それが家族関係の進展に繋がったように思います。
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[98] 祖母の死から学んだこと
ソリューション データ: 私は、約2年前に亡くなった祖母の死によって、自分の「家族に対する気持ち」に変化が生じた。 祖母の死は突然でした。それだけに家族は動揺し、悲しみを大きかったです。親の仕事が忙しく、祖母にはすごくお世話になった私にとって、その出来事は、ショック以外の何物でもありませんでした。 小さい頃はずっとそばにいてもらったのに、学校やバイト、交友関係に夢中になって、なかなか祖母のことまで気にかけられなかった時に起こったので、後悔ばかり込み上げてきました。 その時学びました。「今素直になろう」ということを。その時期、祖母に対してだけでなく、他の家族に関しても、気に留めるどころか、「私のことは放っておいて」という状態でした。 でも、感謝の気持ちは、今できるうちにしよう!!と思ったのです。 今できることを後でやること程、無駄な事はないと思っています。 今は、少し前に比べたら、親や兄弟に対して、素直に自分をぶつけられている気がします。
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[97] 母親が更年期障害です
家族に対して怒鳴ることが増えた時期
母親
ソリューション データ: 母親が更年期障害になり、家族に対して怒鳴ることが増えた時期があった。 特に長女の私に対してが一番ひどく、ちょっとしたことで怒っていた母親に対し私もつい反抗してしまい言い合いがたえなくなっていた。 私も「なんで自分にばかり・・・」という気持ちがあったし、学校へ行きバイトをして疲れて帰宅したとたんに怒鳴られることに耐えられなくて、母親に対してあまりいい感情を抱けなくなっていた時、友達に「ウチも最近までそうだったよ」と言われた。その友人宅でも母親が更年期になり子供たちにキツクくあたっていた時期があったようだ。「すごくつらいよね。別人みたいだもね。でもウチは姉妹で支え合って、お母さんには反抗するのをやめてそこでたまったストレスは姉妹間でグチを話すことによってによって解消するようにしたら、かなり気持ちが楽になったよ」とアドバイスをもらった。自分の気持ちを分かってくれる人がいるというのも嬉しかったし、そのアドバイスを実行するために母親のことを弟に相談し私たちの家でもその作戦に出ることにしたら、その後母親が怒鳴りちらしてもイライラすることが少なくなった。気持ちに余裕ができたのかもしれない。更年期障害はまだ続いているが、これなら乗り切れそうな気がしている。
キーワード: 更年期障害
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