[145] 母の優しさ
自分 家族
ソリューション データ: 家族のことですが、私が大学入学で上京する前、まだ家族で一緒に住んでいた頃(父・母・私・妹) 私は母と妹とはうまが合わなくて、家がものすごく居心地悪い場所でした。 (母気分屋でよくどなったり、手を上げたりする人なので) しかし、私が家を出てからは、よく心配のメールくれたり、たまに帰ると優しく接してくれたりと、一緒に住んでる時にはほとんど見えなかった優しい部分が見え、今では実家に帰るのがとても 楽しみだしとても居心地よく見えるようになりました。 また合えばケンカだった妹とも何故か仲良くなり、今では二人で一緒に行動することなんてまずなかったのに今ではちょくちょく一緒に買い物に行ったりしています。
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[144] 父の言葉
小学6年生〜中学入学
父親
ソリューション データ: 両親の離婚を小学6年生の時に体験し、以前からの両親の不和も影響してか不登校になっていた弟と、母に引き取られ、中学入学と同時に東京に出てきた。 両親の離婚がもたらした心理的な不安定の中で父が言った言葉が今に至るまでずっと残っている。それは「世の中で一番不幸だと思うな」である。 今考えると、私の心理的な不安定の要因は父でもあるため、そんなことを言える立場ではないと思ってしまうが、私は幾度もその些細な言葉に助けられた。 そして、様々な人に出会う中で、幾度も考えさせられた。 もしかすると、父の父親らしい言葉だったのかもしれない。どんな状況でも子供の上に立とうとするその姿勢で、私は様々な困難から抜け出せたのかもしれないと感じている。
キーワード: 離婚 父親
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[143] 心の距離と時間
母親
ソリューション データ: 児童虐待をしてしまっている母親に対し、゛もっと愛情を与えなさい″などの言葉を言ってはいけない。それは母親が子供に対して罪悪感がアップしてしまい、今よりも悪い状況を作り出してしまうからである。 事例では、日常の些細なことから、2・3時間にも及ぶ長い喧嘩があり、母親が手を挙げると自分にも叩かせろなどと言って親を叩くこともあった。この事例の時に2時間続くときと、30分で終わる時があるということをもとに、30分で終わらせることを目標にしていく。その目標がクリアできるとまた次の「例外」を見つけ目標を立てていくようにした。
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[141] 育児ノイローゼ
姉
ソリューション データ: 姉が子供を産み家事もやってくれていました。 でも家に自分と子供だけで毎日同じことの繰り返しのためか 育児ノイローゼぎみになってしまいました。 母やだんなさんとも話し、帰ってきたら『自分の事』 ではなく子供や家事の手伝いをして姉の時間もつくると いうことに決まりやってみたところ良い方向に進みました。
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[140] 父の話で仲直り。
ソリューション データ: 母と買い物に行った時、仲がいい友達から電話があった。話している最中、携帯の電源が切れちゃったから、母の携帯を借りて向こうにかけた。話がもり上がって、30分間以上も話していた。母がちょっと怒って大声で「もういいよ、どのぐらい話し続ける気?早く切って!」と言った。この話が、電話の向こう側の友達に聞かれて「あっ、ごめん、切るよ。」って言って切った。大事な友達だから、つい母に怒った。「なんだよ、けち!」って叫んで、母の携帯を地面に投げて帰っちゃった。二人とも家に帰ると、何も話さなかった。状況を知らない父が家に帰って、今日のおもしろいことを話し始めた。あまりおもしろくて、思わず私も母も笑っちゃった。冷たい空気が偶然に温かくなった。私も母も今回の出来事について何も言わず、自然に仲直りした。
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[139] 親戚の力はつよし!
家族 父親
ソリューション データ: A子の受験を遠かく地で行う時、手違いで申し込みの〆切を間違えていて、 その前日にA子のかぞくが気づいて大問題となった。「今までこのために 色々勉強してきたのに・・・」とA子は泣き出し、父親をひなんするしまつ。 そこで父親は思いついた。偶然その受験校の近くに住んでいた 父親の妹でA子のおばB子。父親はB子に連絡し、受験票 の書き込みから申し込みまでやってもらった。郵便では100パーセント まにあわなかっただろう。親戚の力は強し!!
キーワード: 受験
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[138] 反抗期
高校時代
母
ソリューション データ: 私が高校生のとき、とにかく口を聞きたくない時期がありました。 反抗期でもあり、専業主婦としての母をどこかで低く見ていたと思います。 帰宅時刻も告げず遊び、当然母は心配していました。 なんと言われても、私は口を聞かないので、ある時、母から手紙をもらいました。 母の正直な気持ちが書いてありました。 それを読み、私はただ単に自分のモヤモヤした感情をぶつけて甘えていた事を思い知らされました。 また、「たとえ、家族であろうと言葉に出してくれなければ分からない」とありました。 自分が勝手に母はこう思ってるであろうと思っていた事、 母は私の事を分かっているであろうと思っていたことにはギャップがあることが分かり、 その後、2人で正直な気持ちをぶつけ合うことができました。 その時以来、私は母と自分の母としてすごく素直に受け入れることができるようになったと思います。
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[136] 失って気付くこと
祖父母
ソリューション データ: 私は3つ年上の姉と二人姉妹です。2世帯同居の家でした。私たち姉妹が思春期になったころ、いろいろと世話をやく祖父母がうるさく感じて、暴言を吐いたりしている状況で した。しかし数年後に祖父が亡くなりました。 それによって、姉はすごくやさしく祖母に接するようになりました。私たちは、祖父の死によってとても大きなことを学びとったと思っています。 今も、祖母は元気で相変わらず世話をやきますが、おだやかな気持ちで接することができています。
キーワード: 祖母 祖父 姉妹
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[135] 家族問題
ソリューション データ: 私が小学3年生くらいの時の話です 私が小3の時親が離婚して母と弟と私だけの生活になりました 途中までは父がいなくても生活できていました ですが母がさぼるようになり勤めていた会社も辞め生活が苦しくなってしまいました 収入源がなくなってしまったため水が止まったりガスが止まったり苦しい生活を していました水と電気が止まった時は天国が見えた気さえします お腹は空くに暗くて怖いしすごく辛く母と父を恨みました 当時私には5歳の弟がいたのですがあなたは姉なんだからしっかりしなさい と母に言われその時は分らなかったストレスを感じていました そんな生活にいやになり家出する事も多々ありましたがいまでは祖母の家に住まわせてもらって母も仕事をするようになりそれなりに生活しています 現在弟は中2でサッカー部をやっており高2の私は身長を抜かれました 今となっては笑い話にできるほどです
キーワード: 父 母 離婚
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[133] 私の家族・友人との付き合い方
現在に至るまで
家族 友人
ソリューション データ: まず家族との関係において工夫や努力していることは、互いに言いたいことを述べる機会を作ることである。 ”家族だから何も口にしなくても解り合えている”というのは大きな間違いである。 言いたいことや思ったことは口にしないと伝わらない。それは家族に対しても同じことで、 しかも、一緒に暮らしている場合は特に、相手に伝わるように配慮しないと不満はどんどん大きくなっていくのである。 自分は何か伝えたいことがあったら家族に必ず自分の口から告げるようにしている。 もちろん、それで衝突も時には生じる。しかし、結果的に今まで解り合えてこれた。 そのおかげで自分はほかの一般的な家庭よりも親子の間で気軽に話せていると自負できるし、よくそう言われる。 それが工夫や努力をしている点です。 次に、友人に関しては、深く付き合っていきたいと思う人に対しては何でも話せるような環境作りを心掛けています。 例えば自分の場合は、相手に自分の抱えている悩みを真剣に語る機会を作ります。 そうすると、自然と相手も心を許し、こちらに何らかのメッセージをくれるのです。 今、大学で付き合っている友達は皆そういう人ばかりです。今思うことは”思い切って話してよかった”ということです。
キーワード: 家族との向き合い方 友達との付き合い方 前向き
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