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 [345] 夫婦問題
   


ソリューション データ:
夫婦で共働き家庭です。私は朝4時に起きて家族の弁当作り、洗濯朝食作り、子どもさ学校に送り出し、夕飯の下準備…。仕事もフルタイムで
夜帰ってきてから慌ただしく夕飯、片付け…と毎日クタクタです。
夫は朝も毎日ゆっくり起きて自分の身仕度だけ。夜も夕飯を
好きな時間に食べて、テレビ見ながらゴロゴロ…。あまりにも家事の負担が違いすぎるのでイライラしていつもケンカになっていました。
夫に手伝ってくれるように頼んでもなかなか実現しないことに
またイライラ、ある時夫への伝み方を少し変えてみました。
手伝って欲しいことリスト@〜Bで書いてテーブルに置いておいたり、
少し手を加えあとはちょっと完成させるだけの形にしておいて
頼むと快く手伝ってくれるようになりました。
少しずつですが、家族分担してもらえた気持ちになれて少し
イライラがへりました。目に見える形で具体的に頼むとよいようです。

 [344] 家族との対話
   

ソリューション データ:
私の家族構成は,父母私の三人です。
大学生になって,バイトを初めたり課題のために帰宅が遅くなることが多くなりました。
家から大学まで距離があるので朝は早くに家を出ます。
するとだんだん良心と話す機械が減り,私は家庭を省みることを殆ど知らなくなりました。
興味も失いました。
夜遅く帰って,母が話しかけても,だんだん私に対しても注意や起こることが植えてきて,疲れて帰ってきたのに怒られることが嫌で,私は母を避けるようになりました。
こんな生活が続きましたが,休みの日には家族3人で外に食事に行きました。すると,普段あまり喋らなかった母とも昔のように会話が出来ました。
何時もと違う環境が,母と会話をはじめるきっかけになりました。
今でも平日はあまり会話をしませんが,休みの日にはなるべく家族で出かける機会を作っています。

 [343] 客観的事実の大事さ
   

ソリューション データ:
私が高校1年生の頃、父が、40歳で昇進して本社にうつることになりました。そして、しばらくしてから父の様子がおかしくなってきました。しきりに自分がくさくないかと聞いてくるようになったのです。次第に電車でくさいと言われるなどの被害妄想も増え、会社に行くことが困難になった時期がありました。実際にくさいかと言われると正直そこまでにおわないので、本当にどうしたものかと悩みました。姉や母も父の異変に気付き、タバコをやめさせてみたり、歯磨き粉を変えてみたリと、気休め程度ですが悪臭対策に協力しました。それでも治らず、私たちがいくらくさくないと言っても聞きません。すると母が父を口臭外科へ連れて行きました。そして人並みのにおいであると数値化された客観的事実を知り、父の被害妄想も減っていきました。それからは母が気晴らしに父の趣味にとことん付き合い、今ではすっかり元気になって会社にもしっかり通えるようになりました。

 [342] 利用
   

親戚のおばさん


ソリューション データ:
親戚に、精神的に不安定なおばさんがいて、今までは家も遠かったため関わりがなかったが、最近、近所に引っ越してきた。その場所は、周りも親戚だらけで、みんなおばさんのことで悩んでいた。すぐに怒るし、TVを見ているとTVは消されるし、自分お勤めのチラシをポストに入れまくるし・・・でもある時、おばさんの子供(他県に住んでいる)をちょこっと褒めたところ、怒るどころか、ミカンや野菜をくれるようになり、今では助かっている。おばさんもニコニコしている。

 [341] 「ありがとう」「お願いします」
   

家族


ソリューション データ:
身近な人ほど「ありがとう」「お願いします」がなかなか言えていないなと思う時がありました。
私は,帰るのが夜遅くになってしまうと何時も駅まで親が迎えに来てくれます。
有る駅で,何分に電車が発車したかを伝えるというのが何時ものパターンになっていました。
ある日,友達と話しながら「0分~駅発です。」というメールをしました。
すると後で少し怒られてしまいました。
迎えに来てくれるのが当たり前になっていて,「お願いします」「何時もありがとう」の言葉が抜け落ちていたのです。
時間と労力を捧げてくれている親に,甘えていたなと感じました。
それからは必ずメールの最後に一言付け加えるようになりました。
大切なことを教えられました。

 [340] 親切な姉
 中学〜高校  

両親


ソリューション データ:
私は、中学生の時に既に「看護師になりたい」という意志が固まっていました。しかし、親は大反対しました。いとこにナースやドクターが多かったが、皆大変そうで、それを親も知っていたので、「この子にこの仕事ができるのだろうか…」という心配や不安から反対したようです。それでも、私はナースに成りたかったので、毎日毎日親に熱意を伝えました。ですが、親に反対されて私は泣き続けていました。本当に辛かったです。とりあえず、友達・学校の先生・姉2人に相談しました。思っていることを全て話しました。そうしているうちに、約4年間反対し続けた親が、「自分の行きたい道に行きなさい。後悔しないように。応援はする。その代わり、意志は絶対に貫け。」と言ってくれるようになりまなりました。嬉しすぎて泣きました。実は、私の思いを聞いた姉達が、私の知らない所で、親を説得してくれていたのです。約1年後、第1志望大学の看護学科に合格した時にそれを知りました。家族の素晴らしさを知りました。「家族の期待は裏切れない」、これこそが今の私の原動力です。

 [339] 時間や成長
   


ソリューション データ:
私には年の離れた弟がいます。
彼にはわがままなところがあり,私には我慢することが多々ありました。
何度か,内容は忘れてしまいましたが,すごく「なんで弟だけ?」と思うことがあり,キレてしまいました。
今でもそう思うことはたまにありますが,お互い我慢できるようになってきたなあと思います。
この様に何かがきっかけで解決できたというわけでもなく,時間や成長で解決できることもあるのだなぁと思いました。

 [338] シェアリング
 現在  

親族


ソリューション データ:
数か月前まで、園も在宅介護をしていました。もともと祖母は性格に難ありで、さらにアルツハイマー病ということで、私たち家族は祖母にふりまわされる日々でした。特に母は常に祖母と一緒に手、ノイローゼ気味になっていました。食欲をなくし、痩せて行くのが目に見えるようでした。そんな中、知り合いに親がアルツハイマー病の人がいて、母は相談したり、アドバイスをもらったりしていました。何より、同じ境遇の人がいるということが母にとって励みになったのだと思います。祖母は今は老人ホームで暮らしており、母もすっかり元気になりました。やはりどんなことでも、苦しみやつらさを共有し合える人がいることは大切であると思いました。

 [337] 長いものには巻かれろ
   

ソリューション データ:
義母とは育ち方も習慣も考え方も尽く違い衝突することも度々。ある日娘から一言。「お母さんの言い方が悪いかも。」あっそうか、ついつい反抗的というかきつい言い方だったかもと反省。「〇〇◯は今のこれを終わらせてからします。」「ありがとう」「そうですね」と言い方を変えて関係は良くなりました。

 [335] 私の祖父母
   

祖父母


ソリューション データ:
私の両親と祖父母はあまり仲が良くなかった。
両親が友働きで祖父母と過ごしている時間が多かったからか、小さい頃からよく祖父母が言う悪口をきかされていた。
そのせいか、私はいつからか祖父母があまり好きではなくなった。
「祖父母がいなければ、平和に暮らせるのに」と思ったこともあった。
そんな私の重いが一気に急変したのは去年、祖父が脳梗塞になったときだった。
母から祖父が入院したことをきいた時、どうしようって思った。
祖父にも祖母にも何もできていないと思った。
嫌な思い出もあったけど、それ以上に大切に可愛がられて育ってもらったことに気づかされた。
祖父や祖母だけでなく、家族全員に対して感謝の気持ちを忘れないように生活していきたいと思うようになった。

キーワード:
祖父母


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