[299] 心理レポート
ソリューション データ: 私が小学校の頃に仲の良い4人組でいつも一緒にいました。ある日その中の一人の子がAさんの事をむかつくから無視しようと言い始めました。その時に簡単にいいよ、と返事をしてしまい3人でAさんをいじめることになりました。話しかけても無視したり、Aさんに聞こえるような場所で悪口を言ったりしていました。関係が良くない、と思って思い切ってAさんに話しかけてみました。最初は私の言うことにうなずいて話を合わせてるような感じだったのですが、私が毎日のように話しかけるにつれてAさんもいろいろと話してくれるようになって、二人で遊びに行ったりもできるようになりました。。私が私が話しかけているのを見ていじめていた他の二人もAさんと話すようになり、関係はよくなっていきました。そして今でも4人で遊びに行ったりできるような大親友になることができました。私はこの件からどんなに仲の悪い子でも自分がその関係を改善しようと心がけることが必要だと感じました
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[298] 勇気を出すこととは
ソリューション データ: 次のエピソードは友達がいじめにあった時のことである。中学1年の時に通っていた塾での話だ。塾のクラスのメンバーはみんなで仲が良かった。しかし、ある日突然一人の子に対する悪口が始まった。悪口の対象となった子は私の小学校のときからの友達であるAちゃんであった。いつも元気で男子とも女子とも仲が良かったAちゃんが、塾の誰ともしゃべらなくなった。私はひとつ前のエピソードで書いたこともあったため、いじめに加担するのが絶対に嫌だった。しかし、クラスの空気に飲まれて、Aちゃんと話すことができなくなった。私はAちゃんをいじめていた中心的存在のYちゃんにAちゃんのキーホルダーを投げあてるよう言われた。周りは盛り上がったが、私は無視をした。自分がいじめられるのは怖かったけど、だからと言ってAちゃんを傷つけることはもっと辛いことだと思った。一度勇気を出すと、いじめてる側の人間が幼稚に思えて、自分はAちゃんと仲良くする方が楽しいと思った。その日を境に、私は塾でAちゃんと一緒にいるようになった。私が行動を起こすと、ほかにも何人か私たちのところへやってきて仲良くし始めた。彼女らも、いじめは嫌だと思っていたが空気にのまれて行動できなかったのであろう。いじめが起こっている場合、嫌悪感を抱いてる人は必ず周りにいるはずだ。勇気を出してアクションを起こせば力を貸してくれる人が出てくるものだということを学んだ。 私が、いじめられる側、いじめる側、いじめ傍観者の3つの立場を体験して感じたことは、気持ちに正直になり、行動を起こすことがとても大切だということである。自分の気持ちに素直に我慢せず行動することが、自分を救うことになるだろう。自分次第で状況を変えることができる場合もあると、忘れずに生きていきたい。
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[296] 嫉妬
高校生
同じ部活の同級生
ソリューション データ: 高校1年生のとき同じ部活だった子に女子の嫉妬ではぶかれたことがありました。「私の親友とそんな仲良くしないでよ」と思ったみたいで裏でたくさん言われたり、ネットなどに明らか私だと分かるような書き込みをされました。その後、話し合いをして解決できました。
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[294] 物を使ったいじめ
小学生
クラスメイト
ソリューション データ: 小学校のころよく物を隠されていて、ふでばこがほこりだらけのストーブのうしろから出てきたり、上履きが花壇の下から土だらけになってでてきた
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[293] いぢめ
不明
不登校な子
ソリューション データ: 友人たち数人の中からひとり不登校の子が出た(その中に私はいません。)。 グループ中でシカトとかいづられがおきたようで、加害者の子がいじめられ た子の家へ行ったり、グループのメンバーに先生が話を聞いたりして解決し ようとしていた。時間はかかっていたが、不登校の子といじめた子は和解して 今も仲良くしている。
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[290] 小学校の時に悪口を言われた時の話
小学校の時
小学校の時一緒だったクラスメイトのリーダー格
ソリューション データ: 小学校の5.6年のときにリーダー格の男子から悪口を言われ、 それがまんえんし、ほかの男子から周りの殆どの女子から同じ様な 事を言われたり、避けられたりした。その時は、優しい一部の男子と本を相手に過ごしたので一度も学校を休まなかったが、他の ならい事とかに行くのは恐かった。(行ったけど)小学校の最後 の方は話してくれる女子もできた。その女子が少し変なあだなをつけてくれたのでだんだんと他の子も話しかけてくれて、状況はよくなった。 中学に上がるとき、メンバーは殆ど変らなかったが、 原因の一人が居なくなり、もう一人が3年間全く別のクラスになったので全く何も無くなり、むしろ前より自分が凄く明るくなり、 いじめられる側の気持ちも分かるようになったので、今思えば人生が広がった。
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[288] 小学校時代の虐め〜因果応報編〜
小学校
友人
ソリューション データ: 小学校六年生の時、私は同じクラスの友達Aちゃんとよく遊んでいた。Aちゃんとは家が近かったので毎日のように遊びにいったり来たりしていた。また、Aちゃんだけではなく隣のクラスのBちゃんと三人で遊ぶこともよくあった。ところがある日Bちゃんは私に「今日からAちゃんのことを無視しよう」と言ってきた。私は、ここでもし断ったら私が無視されてしまうと思ったので、いいよと言ってしまった。次の日の朝から私はAちゃんが話しかけてきても無視して隣のクラスのBちゃんといるようになった。Aちゃんは私とBちゃんの態度に気づき私たちから離れていき、同じクラスのほかの子といるようになった。それから二週間ほどたちBちゃんは満足したのか、私に「もう無視はやめよう」といってきた。理由はよくわからなかったが私はその子に従うしかないと思い次の日からはAちゃんに「今まで無視してごめんね」と誤り、Aちゃんも許してくれた。しかしその傳井の学校行くと今度は私が無視される標的にされた。Aちゃんが無視されたときAちゃんには一緒にいてくれる友達がいたが私にはいなかったので本当につらくて十分の休み時間がとても長く感じた。でも二週間くらいでまた元に戻れると信じていたので家族の誰にも言わずに毎日苦しみに耐えていた。しかし二週間たっても私に対する無視は続き耐えられなくなった私は同じクラスのほかのグループの子達に一緒にいてもらうようになった。六年の最後までその状態は続いたが中学に進学すると自然と私に対する無視は無くなっていたが、今でもAちゃんとBちゃんとは表面上の会話しかしない。
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[286] あえて我慢すること
ソリューション データ: 小学校の頃、少し遠い学童に通って。保育園で0歳のころから一緒だった友達二人と言一緒に通っていた。一人は活発で目立つのが大好きなAちゃん、もう一人はおとなしいBちゃんだった。AちゃんとBちゃんは今考えればウマが合わない二人だったのかもしれないが、当時は幼いころからの付き合いというのと親がみんな働いて仲良かったこともあって、学童から帰っても家で一緒に過ごしていた。 Bちゃんは私とAちゃんほど運動が得意ではなかった。私はBちゃんが悲しんだり嫌がったりしているのを感じつつもAちゃんに言われるがまま、走ってBちゃんを置いて行ったり仲間外れにしたりしていた。学年が上がるにつれて、AちゃんとBちゃんは別行動をとるようになり、私はBちゃんともう一人の子、Cちゃんと一緒にいるようになった。 きっかけはよくわからないが、Aちゃんは子分のような存在がいればそれでよかったのではないかと思う。 BちゃんはきっとAちゃんと一緒にいなければならない家の事情なども分かって我慢していたのだろう。 彼女の我慢強さは尊敬する。そしてAちゃんに何も言えなかった当時の自分が申しわけない。 ちなみにBちゃんとCちゃんとは一緒にご飯を食べたり遊びに行ったりするほど仲がいい。 我慢し続けることが必ずしもいいことではないけど、Bちゃんがあのころを堪えて今一緒に笑っていられることに感謝したい。
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[284] 手紙の内容
小学生
友人
ソリューション データ: 小学生三年生の時、当時仲の良かった他クラスの女子二人がニヤニヤ笑いながら、私に手紙を渡してきた。 「中身は見ないように」と言われたが、なんとなく嫌な予感がしたので中身を確認すると2通とも、「私は○○(私の名前)の事嫌いだったんだよね」といった内容が書かれた手紙であった。2人のうち1人は保育園の頃から仲良くしていた子だったのでとてもショックだった。 ただ、2人からは「見るな」といわれていたので、その後も私は何もなかったかのように振る舞った。3人で登校する時も私を仲間はずれにする・・・まではいかないかもしれないが、待ち合わせしていても隠れたり、私が会話に入りづらい空気を形成したりしていた。 それで私がないもない風を装っていると、2人とも諦めたのか以前の関係に戻った。 のちに保育園の頃から仲良くしていた子のほうに、「実はあの時に手紙見ちゃったんだ」と言って、なぜあんなことをしたのか聞いてみると、「もう1人の子がやろうといったからで、○○には悪い事をした」と言われた。大学生になった今でもたまに彼女と話す機会があるが、この事件(?)以来、私は彼女が信用出来なくなった。
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[283] 我慢すること、助けを求めること
ソリューション データ: 私の通っていた小学校は五、六年生のクラス替えがなかった。そのため、卒業までの二年間は同じクラスで過ごすころになる。私は、この二年間の間にいじめとまではいかないかもしれないが、いつも何かおかしいなと思っていたことがある。掃除当番のときは夏はまだしも冬でも雑巾絞りをやらされていた。本当は法規とか塵取りのほうをやりたかったのに、必ず雑巾絞りなのだ。夏はぬるいし、冬はすごく冷たくて、手の感覚がなくなりそうだった。でも雑巾絞りが嫌だとは言えなかった。それはクラスの女子のリーダー的存在に目をつけられハブにされることが怖かったからだ。自分だけがハブにされ、クラスから除外されるのではないかといつもおびえていた記憶がある。クラスの中には、仲のいい友達がいなかったわけでもないが、結局はみんなそのリーダーの子を中心にしていたのだ。掃除以外にも、休み時間にドッジボールをする時もほとんどが嫌だった。この外野を決めるもの、じゃんけんのときもあったが、多くはその場の雰囲気や視線で私が外野になることが多かった。あだ名も女の子だから「〜ちゃん」とかで呼ばれたかったが、「〜次郎」となぜか男の子の名前に付けるようなあだ名で呼ばれていた。これも本当に嫌だったが、断ったり、否定したりすることで関係が悪くなり、仕舞には無視されるのではないかと考え、これも受容していた。 当時は保健室自体がすごく苦手で、誰かに相談することはできなかったが、親に話を聞いてもらうことで、負担を減らすことができた。 この時は自分が仲間はずれにされないように、我慢に我慢を重ねて耐えていった。そのかいもあり、仲間は亜ずれにされることはなかったが、我慢することのほうがつらかったので、ちゃんと誰かにSOSを出せていればよかったなと今は思う。
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