1.概要

『日本三名泉』で有名な岐阜県の下呂温泉に一度は行ってみたいと思っていたところ、手ごろなツアーがあったので、参加することにしました。このツアーでは、今迄に行ったことがない『恵那峡(えなきょう)』『馬籠宿(まごめじゅく)』『名もなき池(モネの池)』の観光もするようになっており、それも魅力でした。旅行期間は、5月15日から16日までの1泊2日です。

2.中部国際空港、恵那峡、馬籠宿、下呂温泉 オテル・ド・マロニエ 泊(1日目/5月15日)

中部国際空港行きの飛行機ANA434の出発時間が8時55分だったので、福岡空港のツアーデスクへの集合時間は、7時55分になっていました。7時50分頃ツアーデスクに行くと、4つのツアーを同時に受け付けているため、ツアー参加者でごった返していました。こんな光景を見たのは初めてです。長い間旅行に行けなかった人達が自由に旅行できるようになって、一斉にツアーに参加するようになったみたい。あまりの凄さにビックリ!

ツアーデスクでは、100人くらいが並んでいました。

 搭乗ゲート

飛行機は、定刻通り10時10分に中部国際空港に到着しました。荷物を受け取ってから、到着ロビーを出て、添乗員さんと合流しました。参加者が多くて、今回は二台のバスに別れて観光するそうです。私達は、1号車に乗ることになりました。44人乗りのバスに35人くらいが乗ります。後方の席が空いていたので、そちらに座らせていただきました。    

中部国際空港の到着ロビーで添乗員さんと合流

二台の観光バス(1号車は右側)

本日のルートですが、最初に『恵那峡』に行き、昼食をとってから恵那峡クルーズを楽しみます。次に、『馬籠宿』を観光して、18時頃、本日の宿『オテル・ド・マロニエ』にチェックインします。中部国際空港から 『恵那峡』まで、約1時間半かかりました。着いた時は、正午頃でした。自由行動をする人達を駐車場で降ろして、私達はそのままバスに乗って、オプションについていた「飛騨牛のすき焼き膳」を食べるために、レストラン山菜園に向かいました。山菜園には、ツアー客がたくさん来ていました。肝心要の「飛騨牛のすき焼き膳」は、味はまぁまぁでしたが、牛肉の量が少なかったですね。牛肉の価格が高いのは分かるけど、あんまり少ないと食べた気がしません。

飛騨牛のすき焼き膳1,870円

食事を済ませてから、『恵那峡』に引き返しました。岐阜県恵那市にある『恵那峡』は、約80年前に木曽川を堰き止めて造られた大井ダムによってできた人造湖です。大井ダムの湖景と一帯に見られる奇岩の調和が称えられ、1920年に地理学者によって「恵那峡」と命名されたそうです。ダムの開発により、自然景観が損なわれたケースは多いのですが、この恵那峡は反対に、自然の造形と人工物の融合により誕生した景勝地とも言われています。『恵那峡』では、恵那峡クルーズに参加しました。12時半の臨時便に乗船して、両岸にある奇岩・怪石を観てきました。ダム建設で出来た湖の中で奇岩・怪石が見れる湖って、奇特な存在です。

クルーズ船

恵那峡クルーズ

金床岩と獅子岩

軍艦岩

屏風岩

『恵那峡』に続いて、『馬籠宿(まごめじゅく)』に行きました。戸時代の参勤交代で多くの人が行き交った『馬籠宿』は、中山道43番目の宿場で、木曽11宿の一番南の宿場町です。石畳の坂の街道は、今も江戸時代の面影が残っています。ここには、文豪・島崎藤村(代表作「夜明け前」)の生家跡(本陣)があります。明治と大正の2度の火災により、石畳と枡形以外の古い町並みは、すべて消失してしまったそうですが、その後復元され、現在の姿となっています。馬籠峠を越えた信州側の「妻籠宿」と並んで人気があり、多くの観光客が訪れているそうです。

この坂を登って道なりに行くと、次の「妻籠宿」に着くそうです。

坂を登って行くと展望台がありました。見晴らしの良い所で、恵那山が綺麗に見えました。また、『馬籠宿』は、島崎藤村の生誕地なので、島崎藤村の石碑もありました。書いてあるのは、ニーチェの言葉の「心を起さうと思はゞ先づ身を起こせ」でした。

中央の山が恵那山

島崎藤村の石碑

展望台を『馬籠宿』の方面に向かって下って行きました。『馬籠宿』は、石畳の坂に沿ってできています。下って行くのは良しとしても、登って行くのはキツソー‼

『馬籠宿』の石畳

石畳を歩いて下っていると、五平餅のお店がありました。五平餅は、『飛騨高山』や『白川郷』などで超有名です。ご飯を餅のように潰し、それにタレ(くるみ・ごま・落花生・砂糖・醤油)を塗って炙ります。焼いている時の匂いが香ばしくて大好き。で、食べたら美味しいよ~❣

五平餅のお店「かなめや」(お客さんが5~6人並んでいました!)

香ばしくて美味しい五平餅

五平餅を食べてから更に歩いて行くと、「藤村記念館」がありました。島崎藤村の生家は、江戸時代、本陣と庄屋と問屋をかねた名家でした。島崎藤村は、裕福な家のお坊ちゃまだったのですね。昔の文豪だと言われる人は、皆さんお金持ちの御子息のようです。そりゃそうだ。文書が書けるってことは、ちゃんとした教育を受けていると言うことだし、働かなくても良い身分だと言うことだもんね。普通の人は、子どもの時から丁稚奉公に出て働いていたんだから。

島崎藤村記念館(生家跡)

有名なフォトスポット(馬籠宿を流れる水路の水で回る水車)

『馬籠宿』の観光を終えたので、日本三名泉(下呂、有馬、草津)のひとつの下呂温泉内にある「オテル・ド・マロニエ」に向かいました。宿には、18時頃到着しました。部屋に入ってから、30分後に夕食です。

「オテル・ド・マロニエ下呂温泉」

宿は、飛騨川を眼下に眺める高台にありました。

部屋は和室

下呂温泉の泉質はアルカリ性単純泉、無色透明、ほのかな香りでとてもまろやかなお湯とのこと。少しとろっとしたお湯がお肌に優しくからんで、絹のようにスベスベにしてくれると言う専らの噂。美肌効果が高く、特に女性には「美人の湯」として も人気があるそうです。実際に温泉に浸かってみると、お湯が柔らかくてヌルュとします。アルカリ性が高いのでしょう。美肌効果については、一日滞在したくらいでは、分からないと思います。1週間くらい毎日温泉に浸かれば、少しは美肌になったと実感するかも⁉

ホテルの貸切風呂

夕食は、2階のレストランで、会席スタイルでした。夕食の売りは、「飛騨牛(約60㌘)御膳」。感想ですが、美味しかったのですが、肉の量がたったの60㌘だなんて、少な過ぎ! 物足りなかったです。昼食に食べた「飛騨牛のすき焼き膳」も牛肉が少なかった。せめて150gは食べさせて欲しいで~す。

夕食

夕食

3.飛騨高山、白川郷、モネの池、中部国際空港から福岡へ(2日目/5月16日)

朝食は6時45分からで、定食形式でした。これだと、座ればすぐに食べることができるので、食事時間が短くて済むメリットがあります。朝早く出発するツアーの時は、定食形式がありがたい。

朝食

朝7時40分にホテルを出発しました。今日は、『飛騨高山』『白川郷』『名もなき池(モネの池)』の観光を行って、中部国際空港から19時発の福岡空港行きANA447便に搭乗する予定になっています。朝早くから駆り出されて、弾丸ツアーみたいな感じ。

『飛騨高山』には、8時50分頃到着しました。『飛騨高山』は、江戸時代以来の建築物が数多く残る飛騨の小京都と呼ばれている所です。添乗員さんから「1時間後にバスに集合してください」と言われ、自由行動となりました。早速、古い町並みを保存している「恵比寿台組町並保存区域」と「三町伝統的建造物群保存地区」を見に行きます。これらの保存地区は、電線をすべて軒下配線にするなど、徹底した保護が続けられていることにより、懐かしい町並みが保たれていました。住人の方達も町並みの美化に協力しようと、鉢植えの花などを飾って、通りを美しくしていました。

恵比寿台組町並保存区域

玄関先に芍薬が咲いている家がありました。

高山市内の古い町並み(三町伝統的建造物群保存地区)

伝統的建造物群保存地区を見てから、宮川の朝市へ行きました。朝早いからか、お客さんはまばらです。露店も少ないようです。

『飛騨高山』で有名な宮川朝市の光景

宮川朝市の次は、「高山陣屋」です。「高山陣屋」は、元禄5年(1692年)に徳川幕府が飛騨を幕府直轄領にして以降、明治維新に至るまでの間、幕府直轄領の行政・財政・警察などの政務を執り行った所です。御役所・郡代役宅・御蔵等を含めて『高山陣屋』と称しています。中に入ってみたところ、座敷部屋がたくさんあって、かなり広い建物になっていました。最も印象深かったのは、「吟味所・御白洲」です。刑事事件の取り調べを行った部屋です。責台(三角形の木を並べた台)も抱石(膝の上に乗せる重たい石)も、よーく見たら拷問道具です。残酷やね~!昔は、こんな物を使っていたんですね。こんな道具を使って白状させたからって言っても、真実かどうか甚だ疑問。冤罪の始まりだと思いました。

高山陣屋全体図(絵をクリックすると、大きくなります。)

「高山陣屋」の玄関

吟味所・御白洲

御役所(地位の高い役人が執務を行う部屋)

土間

台所

中庭は美しかった。

時間いっぱい「高山陣屋」を見た後、バスに乗って、次の『白川郷』に向かいました。『白川郷』には1時間もかからずに到着。岐阜県飛騨地方にある『白川郷』は、1976年に国の重要伝統的建造物群保存地区として認定され、1995年には世界遺産に登録されています。建物は、昔ながらの叉首構(さすこうぞう)造の茅葺屋根(合掌造り)です。屋根が急勾配になっているのは、雪深い地域の飛騨高山にあって、厳しい豪雪に耐えるための雪下ろしの作業軽減や、多雨地帯でもあるので、水はけを考慮したものだそうです。日本の農村の原風景を感じることができる懐かしさいっぱいの集落でした。ここでも自由行動になりました。80分間です。今までに4回ほど来たことがあるので、今回は、展望台から『白川郷』を眺めてみようと思いました。早速、荻町城跡展望台に行くシャトルバスの乗場に行きました。10分ほど待つとシャトルバスが来たので、乗車。7~8分であっという間に荻町城跡展望台に着きました。ここの展望台から撮影した白川郷の写真は、よく見かけますね。ライトアップされた雪景色の写真が頭に浮かんできます。

ライトアップされた雪景色の『白川郷』(よく見かける写真です。)

荻町城跡展望台から『白川郷』を撮影(雪を被っている山は、白山です。)

なかなか良い雰囲気の写真が撮れたので満足。写真を撮ってから、シャトルバスに乗って『白川郷』に戻りました。まだ時間に余裕があったので、散策することにしました。合掌造りの家は、遠くから見ても近くから見ても、素敵です。屋根の茅葺の材料は、ススキだそうです。竪穴式住居とほとんど同じ造りなんですね。合掌造りの家の中は、4階建てくらいになっていて、人は1階に住んで、2階以上は農機具倉庫等として、昔は養蚕の作業場として使っていたそうです。

合掌造りの家

お土産屋さん

散策していると、五平餅を売っているお店があったので、焼いていただくことにしました。ついでに、栃の実餅も焼いていただきました。お店の奥さんの話しでは、栃の実餅を作るには、とても手がかかるんだそうです。①秋になったら山に入って栃の実を拾ってくる、②それを流水に約2週間浸す、③外側の硬い皮が柔らかくなったら、皮を剥く、④実だけになっものを、流水に更に2週間ほど晒す ⑤モチ米などに晒した栃の実を混ぜ、餅にする。いつまで晒したら良いかは、天候加減によって異なるので、自分の経験で判断するしかないとのこと。昔は、食べ物がなかったので、栃の実を雑穀に混ぜて餅を作っていたそうです。そんな話を聞きながら、焼いて貰った餅を食べてみました。栃の実の独特な味でしょうか、渋みのある不思議な味です。美味しい食べ物とは言えませんが、ほのぼのとした味わいの食べ物でした。

左が栃の実餅、右が五平餅

続いて、『名もなき池(モネの池)』に行きました。元々、農業用ため池だったものが、5年前にSNSで話題になったことで一躍有名になり、今や観光地になっています。錦鯉は、近所に住んでいる人が池に捨てたもの。クロード・モネの名画「睡蓮」にそっくりとのことから「モネの池」と呼ばれるようになったそうです。近くに花屋があって、お店の中に「モネの池」の一年を通じて撮った綺麗な写真が飾ってありました。ホント、綺麗で素敵です。

田舎の細い道を歩いて「モネの池」へ。すぐ近くにあります。

「モネの池」

「モネの池」の綺麗なところを撮影

花屋に飾ってあった写真

「モネの池」の傍にあった看板(写真がとっても綺麗ですね!)

『名もなき池(モネの池)』を見終えてから、バスは、中部国際空港へまっしぐらに進みました。ドライバーさんが、びゅんびゅん飛ばしてくださったお蔭で、フライト出発時間よりも2時間も早い17時に到着しました。時間に余裕がある方が、ハラハラドキドキしなくて良いので、助かります。4階のレストラン街で夕食を済ませてから、ゲートに進みました。中部国際空港の国内線を利用したのは初めて。ここは、普通の国内線と造りが違います。まるで、国際線かと錯覚するような造りになっています。カッコイイですね!

中部国際空港の国内線チェックインカウンターの様子

国内線のゲートに繋がる通路

8番ゲート

ANA447便は、定刻の19時に出発し、福岡空港に20時25分に着きました。名古屋はあっという間。遠いようで、近いんですね~。本日のバス走行距離は、約280㎞で、昨日は約150㎞でした。観光地は岐阜県内ばかりだったので5ケ所も観光する弾丸ツアー並でしたが、距離的にはそれほどではありませんでした。私共は、岐阜県が日本のどの辺りにあるのかよく知らなかったのですが、地図を見ながら行ったので、ちょっとは分かるようになりました。で、よく分かったことは、岐阜県は、古き良き日本を大切に守っている地域だと言うこと。”きらびやかさ”や”華やかさ”はないけど、”落ち着いた雰囲気”と”懐かしさ”みたいなものがありました。

 

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