1.概要

中学時代の修学旅行で京都を観光したことがありますが、それ以来、仕事で行ったことはあっても観光目的で行ったことはありません。5月末の時点で、「観光旅行目的の外国人を6月中旬から一日に2万人、7月には3万人入国させる」との報道があっています。外国人が、日本国内で最も観光したい所は「京都」だそうです。COVID-19が流行り出してから日本は鎖国状態に入ったうえ、日本人も観光旅行を敬遠するようになったため、京都の観光地はどこもガラガラだと聞きました。外国人観光客が入ってくる前の、また、梅雨の大雨で動きがとれなくなる前の「今がチャンス!」ばかりに京都観光に行ってきました。旅行期間は、6月3日から5日までの2泊3日です。

2.金閣寺、龍安寺、仁和寺、元離宮二条城、東横INN京都五条烏丸 泊(1日目/6月3日)

博多駅8時15分発、新大阪駅10時43分着の「 のぞみ12号」の乗車券を【JR西日本のおでかけネット】で購入しました。通常の料金よりかなり安く買うことができたのですが、買った後になって、旅友のY夫妻のジュンさんから、それよりお得な”西日本グリーンきっぷ”のことを聞きました。”西日本グリーンきっぷ”は、グリーン車が利用できるし、値段も3日間で2万3千円と割安です。聞いたのが直前だったので、取り直しもできなくて、ガックリ。でもまぁ、2022年9月30日まで利用できるので、次に新大阪方面に行く時は、使ってみようかなと思っています。購入した乗車券は新大阪駅までだったのですが、そのまま乗って京都で下車しました。特急料金と運賃とで二人で2,800円くらい払いました。お陰で楽に京都駅まで行くことができたし、30分の時間の余裕ができました。京都駅に着いた時、高校生が修学旅行で押し寄せて来ていたので、ちょっとショック。「外国人観光客が増える前に」なんて、考えが甘過ぎだと反省しました。修学旅行生が大挙してくる前に京都に行くべきでしたね~。

修学旅行生

先ずは、荷物を預けるために東横INN京都五条烏丸に行きました。京都駅から地下鉄烏丸線で五条駅に行き、そこから歩いて6分のところにありました。まぁまぁ交通の便の良いところですね。チェックインは15時からなので、取り敢えず荷物だけ預けて、観光にスタートです。その前に、腹ごしらえをしなくちゃ!

地下鉄

五条駅で下車して、地下道から地上に出た所

東横INN京都五条烏丸

地下鉄に乗るために四条駅の方に歩いている時に、「ちゃんぽん亭」を見つけました。ちゃんぽんならきっと美味しいだろうと思い、店に入って、ちゃんぽんランチを食べました。ちゃんぽんの良いところは、野菜がたくさん入っていることと当たり外れが少ないこと。唐揚げと春巻きは余分かなぁと思いましたが、出されたものは全部食べるの精神で、完食です!

ちゃんぽん亭(お客さんは多かった。)

ちゃんぽんランチ

今日は、世界遺産に登録されている『金閣寺』『龍安寺(りょうあんじ)』『仁和寺(にんなじ)』『元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)』に行きます。地下鉄にも路線バスにも乗るので、「地下鉄・バス1日券」を買いました。1,100円でしたが、路線バスに1回乗車したら230円なので、5回乗れば元は取れます。しかも、地下鉄にも乗車するので、この一日券がお得。京都市内を移動するには、地下鉄やバスを使うのが最も便利だと思います。

地下鉄・バス1日券

また、観光地に行くには、どのような交通手段で行くと早く行けるかや、乗場までの道案内もしてくれる「スマホのGoogle mapのナビ機能」がとても便利でした。これがあれば、鬼に金棒だと思います。

Google mapのナビ(ピンク丸の部分をタッチすると徒歩ルートの地図が出ます。)

Google mapのナビのお陰で、スムースに『金閣寺』に到着しました。『金閣寺』は、舎利殿「金閣」が特に有名なため、一般的に『金閣寺』と呼ばれていますが、正式名称は、鹿苑寺(ろくおんじ)と言います。臨済宗相国寺派の禅宗寺院です。かつてこの地は西園寺家の別荘でしたが、1397年に足利三代将軍「義満」が譲り受け、舎利殿「金閣」を中心とした「北山殿」を造りました。創建当時、「北山殿」は政治・文化の中心であり、天皇や中国(明)からの使者を迎える場として使用されていましたが、義満の死後、遺言により寺院となりました。国の特別史跡・特別名勝に指定された鹿苑寺の庭園は、当時の面影を現在に伝えており、平成6年(1994年)に世界文化遺産として登録されています。拝観料は、500円でした。

総門

世界遺産・鹿苑寺の舎利殿(金閣)

舎利殿(金閣)を背景に記念写真

白蛇の塚(五輪の石塔)

龍門滝

朱印所と不動堂

『金閣寺』の次は、『龍安寺(りょうあんじ)』です。バスに乗ると、直ぐに到着しました。

路線バス

『龍安寺』は、室町幕府の有力者であった細川勝元が1450年に創建した禅寺です。今では枯山水の石庭で世界的に知られていますが、ここまで有名になったのは1975年にエリザベス2世が龍安寺を公式訪問して石庭を称賛したことがきっかけだそうです。当時の禅ブームの後押しもあって、世界的にブレイクしたとか。平成6年(1994年)に世界文化遺産として登録されています。

『龍安寺』の山門

山門をくぐって真っ直ぐ行くと、石庭(方丈庭園)のある建物「方丈」に行き着きました。

方丈入口

そこで、拝観料500円を払って、建物内に靴を脱いで上がりました。進んでくと、石庭(方丈庭園)がありました。30人くらいの人が廊下に座って、石庭をじっと見ていました。幅25㍍、奥行き10㍍、約75坪の枯山水庭園には一面に白砂が敷かれており、その上に大小15個の石が配されているのが特徴です。この様子は、虎が子供を連れているように見えることから「虎の子渡しの庭」とも言われています。また石庭の正確な築造時期や作者、意図などは定かでないため、謎深き庭として様々な憶測をよんでいるそうです。

世界遺産・龍安寺の石庭(方丈庭園)

廊下を挟んで石庭の反対側は、広い畳の部屋になっていました。そして、襖には、墨で龍の絵が描いてありました。説明文をよく読むと、元首相の細川護熙(もりひろ)氏が描いて奉納した「襖絵雲龍図32面」でした。江戸時代の絵かと思っていたら、ご本人が描かれて、今年5月に龍安寺に奉納されたそうです。細川元首相は、墨絵画家でもあるんですね‼ 多才な人なんだと驚きました。公開は、令和4年5月14日から令和5年3月31日までです。

細川護熙氏が描いた襖絵

細川護熙氏が描いた襖絵

細川護熙氏が描いた襖絵

建物の裏側に、流れる水を受けるための蹲踞(つくばい)がありました。石庭と肩を並べるほど有名だそうです。中央の四角い水穴を「口」という字に見立てて周囲の文字と共用し「吾唯足知(われただたるをしる)」と読むという、謎解き風に図案化された興味深い造りです。この言葉は、人間の欲を戒める言葉として禅宗のお寺などでよく引用される言葉だそうです。

蹲踞(つくばい)

「方丈」を出てから、鏡容池(きょうようち)の方に向かって回遊式庭園を歩きました。新緑が美しい気持ちの良い庭園でした。

回遊式庭園

境内にある「西源院」では、日本庭園を眺めながら精進料理や湯豆腐を食べさせてくれるそうです。

「西源院」

鏡容池(きょうようち)とは、境内の南側半分を占めるほどの巨大な池のことで、平安時代の頃は、貴族が舟を浮かべて歌や踊りを楽しんだと言われています。年間を通して美しい草花が楽しめるそうですが、この日は、蓮の花が少し咲いている程度でした。

鏡容池(きょうようち)

『龍安寺(りょうあんじ)』の次は、『仁和寺(にんなじ)』です。バスを使って移動しました。『仁和寺』は、888年に創建された真言宗御室派の総本山です。鎌倉時代に隆盛した後、応仁の乱でほとんどが焼失しましたが、1634年に徳川将軍家光の支援により再興され、境内には五重塔や二王門など、江戸時代に建立された歴史的な建造物が立ち並んでいます。平成6年(1994年)に世界文化遺産として登録されています。

京都三大門の一つであり、重要文化財でもある二王門

二王門には、左右一対、計二体の金剛力士像が設置されていました。右の「阿形」は怒りの感情を顕にした表情を、左の「吽形」は怒りを内に秘めた表情をしているとのことです。

右の「阿形」

左の「吽形」

二王門をくぐると、受付があって、そこで拝観料を払いました。800円と少し高かったです。そこから、中門を通って、五重塔に行きました。

中門

中門から二王門を望む

五重塔は、1644年に建立され、重要文化財に認定されている総高36.18㍍にも及ぶ巨大な塔です。上層から下層にかけて、各層の幅にあまり差が見られない姿は、江戸時代の建造物の特徴だそうです。

仁和寺の五重塔

『仁和寺(にんなじ)』の五重塔を観てから、『元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)』へ行くのですが、バスで移動するとしたら乗り換えないといけないし、歩くとしたら1時間もかかるので、タクシーで移動することにしました。タクシー代は、1,300円でした。タクシーの運転手さんが、「コロナで観光客が減って、仕事がなくなり困りました。コロナ前は、外国人観光客が多くて、仕事も忙しかったですね。早く元に戻って欲しいです」と言ってました。15分程度で到着しました。早く移動できて良かった~。

二条城 東大手門(二条城の正門で、1662年頃の建築)

観覧料は、1,300円と超高値。仕方ない。二条城は慶長8年(1603年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするために築城したものです。平成6年(1994年)に世界文化遺産として登録されています。二の丸御殿観覧の受付時間が16時10分までだったので、急いで二の丸御殿に入りました。

二条城唐門(二の丸御殿の正門)

二の丸御殿(国宝)

部屋数33室、800畳余りもある二の丸御殿の内部は、代表的な「松鷹図」を始め、将軍の威厳を示す虎や豹、桜や四季折々の花を描いた狩野派の障壁画で装飾されていました。ここを訪れたのは、中学時代の修学旅行以来50年ぶりです。廊下を歩くと、鳥の鳴き声のような音がする「鶯(うぐいす)張り」があって、50年前と少しも変わっていませんでした。懐かしかったですね~。また、ここの大広間では、慶応3年(1867年)10月14日に、江戸幕府15代将軍徳川慶喜が在京していた40藩の重臣を集めて意見を聞き、政権を朝廷に返上する「大政奉還」の意思表明をしています。このことは、あまりにも有名ですね。二の丸御殿内の写真・ビデオの撮影が禁止されていたため、記念となる写真が無いのは残念。

『元離宮二条城』のマップ

二の丸御殿を出てから、二の丸庭園を観ました。立派な日本庭園で、人手もかなり掛かっているのが伺えました。

二の丸庭園

本丸御殿は改修工事中で、観ることができませんでした。本丸庭園の一角に天守閣跡があります。天守閣跡からは内堀も見えて、日本のお城らしさがよく分かって、とても良かったです。

改修工事中の本丸御殿

天守閣跡

天守閣跡から見た内堀

西橋から天守閣跡と石垣と中堀を見て、北中仕切門を抜けて清流園に出ました。この辺りは、静かで綺麗なところです。桜や紅葉のシーズンになると美しいだろうなぁと容易に想像できました。

西橋から天守閣跡を望む

北中仕切門

清流園

清流園

最後に、観光の疲れを癒すために、休憩所でソフトクリームを食べました。

ソフトクリーム

二条城を出てから、地下鉄で東横INN京都五条烏丸に向かいました。近くのお店で買い物をして、17時半頃チェックイン。部屋の面積は18㎡で、140cmと110cmのベッドがあって広々しています。空調はよく効くし、wifiも良好です。簡単な朝食が付いている割に値段が安いので、気に入ってます。ようちゃんが、着替えの下着を忘れて来ていたので、直ぐ洗濯したところ、1時間半後には乾き事なきを得ました。こんなことができるのは、東横INNならではのことだと思います。

部屋

 今日歩いた距離は、11.17㎞で16,224歩でした。運動量としては普段と同じくらいですね。運動を兼ねて観光できるって、効率的で良いですね‼

3.東寺、三十三間堂、清水寺、京都霊山護国神社、東横INN京都五条烏丸 泊(2日目/6月4日)

今日は、朝9時にホテルを出発して、『東寺(とうじ)』『泉涌寺(せんにゅうじ)』『三十三間堂』『清水寺』『京都霊山護国神社』『霊山歴史館』『八坂神社』に行きます。そのため、7時半に朝食をいただきました。

東横INNの朝食

移動の交通手段を考えて、バス一日券を購入することにしました。地下鉄の駅でも販売しているので、五条駅の改札窓口で購入しました。で、地下鉄で九条駅まで行き、九条駅からは、バスに乗りました。

バス1日券

『東寺(とうじ)』の五重塔は、JR京都駅から何度か見たことがあります。以前からこの五重塔が気になっていて、一度は行ってみたいなぁと思っていました。『東寺』の東門から入って、五重塔の方に進んで行くと受付があって、拝観料500円を徴収されました。『東寺』は、平安京からの歴史を持っており、その上、日本一高い木造建築物(高さ約55㍍)である五重塔を有しているので、いつも多くの観光客で賑わっているそうです。ここも世界遺産に登録されています。

『東寺』の東門

受付 

受付を通過して中に入ると、大きな桜の木がありました。「不二桜」という名前の樹齢120年の紅枝垂れ桜です。毎年、4月中旬頃に見事な桜を咲かせるそうです。

不二桜(樹齢120年の紅枝垂れ桜)

敷地の奥の隅っこに五重塔がありました。周りに樹木は茂っているし、逆光方向でしか写真が撮れないため、良い写真は撮れませんでした。ちょっと残念。五重塔ですが、空海が建立に着手したそうです。着手した当時、費用も人手も不足していたため、826年に朝廷に材木運搬の協力を願い出たとか。そして、努力の末にやっと完成した五重塔は、落雷などで合計4回焼失。その都度、空海同様多くの僧が奔走して再建を果たしてきたそうです。現在の五重塔は、1644年に再建され、5代目になります。普段は非公開の初層内部については、時期によっては特別公開されることがあるらしく、どうなっているのか、中を見てみたいです。

五重塔

 

『東寺(とうじ)』には、五重塔以外にも重要文化財があり、それらも観てきました。

『東寺』境内の中心に位置している「講堂」(重要文化財)

立体曼荼羅

『東寺』の本堂である「金堂」

御本尊である「薬師如来」

『東寺』の次は、『泉涌寺(せんにゅうじ)』です。バスに乗って移動しました。最寄りの駅から『泉涌寺(せんにゅうじ)』まで、長い坂道を登って行きました。着いた時には、汗タラタラ。ここには、唐の皇帝玄宗(げんそう)の妃・楊貴妃の観音像が安置されている楊貴妃観音堂があります。建長7年(1255年)に、中国に渡った湛海が持ち帰り、『泉涌寺』に安置したそうです。X線で調べたら体内に五輪塔があったとのことで、中国で作られたときに入れられたものだと聞きました。楊貴妃観音堂と宝物館の拝観料は500円でした。

『泉涌寺(せんにゅうじ)』総門

楊貴妃観音堂

楊貴妃観音像は、絶世の美女に相応しい美しい顔をしていましたよー。普通の観音様とは一味も二味も違っていました‼

楊貴妃観音像

宝物館

折角来たので、楊貴妃観音堂と宝物館だけではなく、仏殿(重要文化財)も観てきました。創建当初の仏殿は、応仁の乱の兵火で焼失したため、寛文8年(1668年)に徳川家綱によって再建されています。本尊は、運慶作と伝わる釈迦・阿弥陀・弥勒の三世仏です。

仏殿

 

本尊(運慶作と伝わる釈迦・阿弥陀・弥勒の三世仏)

『泉涌寺(せんにゅうじ)』を観てからバス停まで歩いて、次の『三十三間堂』行きのバスに乗りました。『三十三間堂』の正式名は、「蓮華王院」で、その本堂を通称で『三十三間堂』と言っています。これは、南北に延びるお堂内陣の柱間が33もあるからです。『三十三間堂』は、平安後期、約30年の間、院政を行った後白河上皇が、自身の職住兼備の「法住寺殿・ほうじゅうじどの」と呼ぶ院御所内に、当時権勢を誇った平清盛の資財協力によって創建したものです。ところが、そのお堂は建長元年(1249年)に市中からの火災により焼失してしまいました。現存するものは、鎌倉期・文永3年(1266年)に再建されたのものです。地上16㍍、奥行き22㍍、南北120㍍の長大なお堂となっています。拝観料は600円でした。

『三十三間堂』の本堂

『三十三間堂』の入口・玄関部分は、新しくなっていて、下駄箱など充実していました。修学旅行生がたくさん来ていました。奥に入ると、昔のままの状態で薄暗かったのですが、1001体もの十一面千手千眼観世音像は迫力満点で素晴らしかったです。見応えありました~❣

玄関部分

1001体もの十一面千手千眼観世音(ポスター写真より)

建物を出てから、池泉回遊式庭園を散策しました。

散策路

現在地

池の周囲の光景

散策路から見た本堂は、こんなにも長~いのです。   

太閤塀(太閤秀吉によって寄進された築地塀)

『三十三間堂』を出てから、道路を挟んで反対側にある「国立京都博物館」に行こうと思い、受付に行ってみると、「現在、展示は行っていません。庭ならお見せできます」と言われました。そのため、見送ることにしました。次回、見に行きたいと思います。

「国立京都博物館」は残念でした~。

続いて、『清水寺』です。最寄りの駅まで、バスで移動しました。長い坂道を登って行くと『清水寺』に到達します。坂道には、茶わん坂と五条坂があります。今回は、茶わん坂を登って行きました。坂道を登って行く時、気温は27℃もあって、暑かった~。坂の途中に、うどん屋さんがあったので、そこでお昼の食事をすることにしました。

茶わん坂(人通りの少ない静かな坂道)

ようちゃんが食べた「ニシンそば」

まゆちゃんが食べた「カレーうどん」

『清水寺』は、約1200年の歴史を誇り、世界遺産にも認定された由緒正しい寺院です。 境内には「清水の舞台から飛び降りる」の語源となった本堂や、 三重塔などの国宝、重要文化財が立ち並んでいます。茶わん坂と五条坂とが合流する所に出てから、先ず、仁王門を通過しました。その後、三重塔の横を通りました。

茶わん坂と五条坂とが合流する所(五条坂は人気ルートみたい。すごい人出でした。)

仁王門

三重塔(高さ約31㍍と国内最大級)

三重塔の横を通って進んで行くと、轟門に着きます。この門をくぐると本堂に着くことができました。ここで、拝観料400円を払います。

轟門

本堂

本堂の前面にせり出す舞台は、410枚ほどの檜板が使用され、芸能などが奉納されることから、一世一代の晴れ舞台を意味する「檜舞台」の語源になったと言われています。

「清水の舞台」(高さ約13㍍、床面積約190㎡)、奥は阿弥陀堂

「清水の舞台」の構造(釘は1本も使用されていないそうです。)

「清水の舞台」から下を見た時の光景

本堂から阿弥陀堂へ移動し、阿弥陀堂から本堂を眺めると、本堂の構造が少し分かってきました。

阿弥陀堂

阿弥陀堂から本堂を望む

阿弥陀堂から下ると「音羽の滝」に行き着きました。「音羽の滝」は、お寺の名前の由来ともなった“清らかな水”が流れ落ちる滝で、約4㍍の高さから落ちてくる水を長い柄杓で汲み、願い事をしながら一口いただけば、願いが叶うとのことでした。

音羽の滝

「音羽の滝」の先に、「清水の舞台」の構造がよく分かる場所があったので、そこから写真を撮りました。

「清水の舞台」の構造がよく分かる写真

観光客の中には、着物を着た人がかなりいました。女性のみならず、男性もです。で、面白いなぁと思ったのは、履物です。草履など和服用の履物ではなく、ブーツやパンプスを履いているのです。明治・大正時代、ブーツに着物がファッションだったのだから可笑しくはないのですが、普段から見慣れてないので、違和感がありましたね。(もう若くないから、今のファッションセンスについていけないのかも⁉)

ブーツ&パンプス

『清水寺』には、修学旅行生が多くて、ごった返していました。あまりにも人が多いので、さっさと引きあげることにしました。五条坂を下っている時に、冷たいものが食べたくなったので、マロンソフトクリームを食べて元気を復活!

五条坂は、人でいっぱい!

マロンソフトクリーム

『清水寺』の次は、『京都霊山護国神社』です。歩く以外の方法がなかったので、歩いて行きました。ここには、幕末の動乱期に活躍した維新の志士たちが祀られています。境内には坂本龍馬、高杉晋作、久坂玄瑞を始めとする志士たちのお墓がありました。明治元年5月10日創立とのこと。ようちゃんの好きな高杉晋作のお墓があるとのことで探しました。場所が分かり難くて苦労した~。

『京都霊山護国神社』の入口

『京都霊山護国神社』

社務所を通らないとお墓のある境内へは行けません。で、社務所を通る時に拝観料300円を徴収されました。境内に入ると、地図があって、それに従って進んで行くとお墓に着きました。山の中って感じの所です。こんなところに、坂本龍馬や高杉晋作、久坂玄瑞が眠っているなんて、今まで知らんやった~。

坂本龍馬(左)と中岡慎太郎(右)の像

坂本龍馬(左)と中岡慎太郎(右)のお墓

高杉晋作(右端)と久坂玄瑞(右から3番目)のお墓

木戸孝允(桂小五郎)のお墓もありました。

維新の志士たちのお墓を参ってから、幕末維新ミュージアム『霊山資料館』に入ることにしました。入館料は900円です。倒幕・佐幕両派がともに活躍したここ京都で、幕末維新史を双方の視点から捉えた資料が展示してありました。興味を引いたのは、坂本龍馬が暗殺された近江屋事件の具体的な事柄についてです。普通の刀だと長いので振り回し難いため、脇差の達人が暗殺者として駆り出されたこと、どの部屋にいて、どのような形で切りつけられたか、など。暗殺って、入念な作戦があるからこそ成功するものなんですね(当たり前のことですが)。

『霊山資料館』

『霊山資料館』を出てから、本日最後の観光地『八坂神社』まで歩いて行きました。四条通の東の起点に鎮座する「八坂神社」は、全国にある八坂神社や素戔嗚尊(すさのをのみこと)を祀る約2,300の神社の総本社です。京都の「祇園さん」の呼び名でも親しまれており、全国各地から多くの参拝者が訪れるそうです。ここでは、参拝料は要りませんでした。

正門の南楼門と石鳥居

八坂神社の本殿(現在の建物は承応3年[1654年]年に徳川四代将軍家綱が再建したもの)

舞殿(2月の節分祭の舞踊奉納では舞妓・芸妓が華やかに舞うそうです。)

お祭りでもないのに露店がでていました。

西楼門(着物姿の若い男女が記念写真を撮っていました。)

西楼門を出てから、アーケード街を散策しました。で、休憩を兼ねて宇治金時を食べました。八ッ橋のお菓子付きで美味しかったのですが、お値段も素晴らしくて、一人前が1,250円もしました。福岡では、800円以上のかき氷など見たことないのに。

宇治金時

かき氷を食べてから、バスに乗って東横INNに戻りました。今日はかなり多くの観光地を巡りました。歩いた距離は15.08㎞で、歩数は21,644歩です。いつもの1.5倍くらいの運動量でした。よく歩いたので、満足。

今日、食べた物

左上は夕食、右上は昼食のカレーうどん、右中央はおやつのソフトクリーム、右下は朝食、左下はおやつの宇治金時・・・いずれも美味しかったです。

4.六波羅蜜寺、平安神宮、南禅寺順正、南禅寺、自宅に戻る(3日目/6月5日)

今日は、新大阪17時38分発のぞみ43号に乗って福岡に帰ります。そのため、『六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)』『八坂庚申堂(やさかこうしんどう)』『平安神宮』『南禅寺順正』『南禅寺』に行き、15時頃には切り上げる予定です。昼食は、『南禅寺順正』で、湯豆腐のコースを食べようと思っています。今日は、歩いて移動することが多いので、一日交通券は買いませんでした。

朝食のカレーライス

9時半に東横INNをチェックアウトし、スーツケースなどの大きな荷物を預けました。そして、『六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)』まで歩いて行きました。 途中、鴨川に架かる松原橋を通りました。この辺りは、昔ながらの街並みで、表通りとは違って古びた質素な雰囲気の場所でした。歩くと、街の表も裏も見えて、人々の暮らしも見えるようで面白いです。 

松原橋

鴨川

15分くらいで到着しました。『六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)』の創建年は定かではありませんが、踊り念仏で知られる市聖空也(いちのひじり くうや)が平安時代中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来しているようです。空也は疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったそうです。空也上人による十一面観音像(国宝)と、念仏を唱える口から六体の阿弥陀仏が現れたという伝承を表した空也上人立像が必見だとのこと。これらの像は、令和館に展示されています。拝観料は600円。  

『六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)』

令和館(左奥が入口)

令和館には、空也上人立像(念仏を唱える口から六体の阿弥陀仏が現れている様子)の他にも、運慶像・湛慶像や平清盛像、弘法大師像などがありました。彼ら有名人の像を見て、「へ~!こんな顔をしてたんだ‼」と驚きました。

空也上人立像(口からサナダムシが出ているかと思いました~。気持ちワル!)

『六波羅蜜寺』の次は、『八坂庚申堂(やさかこうしんどう)』です。歩いて10分くらいの所にありました。『八坂庚申堂(やさかこうしんどう)』の正式名は「金剛寺庚申堂」で、日本三庚申の一つに数えられています。境内で目を引くのがカラフルな布地の「くくり猿」です。「くくり猿」とは、手足をくくられて動けなくなった猿の姿のお守りです。欲望のままに行動する猿を動けない姿にすることで、欲に走らないようにと戒めを意味しているそうです。病気平癒のコンニャク封じが有名で、腰痛、頭痛、神経痛等にご利益があるとされています。「三猿」を祀っていることでも有名。ここは、無料でした。

『八坂庚申堂(やさかこうしんどう)』の様子

『八坂庚申堂(やさかこうしんどう)』の様子

 「くくり猿」1個500円也

カラフルな「くくり猿」に願い事を書いて吊るすと、「一つ欲を我慢すると願い事が一つ叶う」そうです。「くくり猿」が山のように飾られていて、その量に圧倒されました。新婚さんも祈願に来られていましたよー。結婚の場合、「一つのガマンで願いが一つ叶う」は、チト甘いんじゃないかな?? 二つも三つもガマンして、やっと願いが一つ叶えば御の字だと思いますけど。

祈願に来ていた新婚さん

『八坂庚申堂(やさかこうしんどう)』の隣に五重塔がありました。法観寺の「八坂の塔」です。「京都には五重塔がいっぱいあるね」と思い、「400円も払うくらいなら外観写真だけでイイや」とのことで、写真だけ撮らせていただきました。

看板

法観寺 八坂の塔

続いて、バスに乗って『平安神宮』に行きました。最寄りのバス停から少し歩いたお陰で、平安神宮大鳥居や京都国立近代美術館、岡崎公園でのフリーマーケットを見ることができて楽しかったです。京都国立近代美術館では、「没後50年 鏑木清方展」が開催されおり、時間に余裕がなかったために行けなかったこと・・・このことが心残り。

平安神宮大鳥居

京都国立近代美術館

鏑木清方展のポスター

岡崎公園でのフリーマーケット

平安神宮は、明治28年(1895年)に平安遷都1100年を記念して、第50代桓武(かんむ)天皇をご祭神として創建されています。当時の京都は、幕末の戦乱で市街地は荒廃し、明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことなどで、衰退していたそうです。そのような状況下、京都復興への市民の「情熱」と全国の人々の京都に対する「思い入れ」により町おこし事業が展開され、平安神宮が創建されたと聞きました。

平安神宮

巫女さんの赤い袴が可愛いね!

「花菖蒲祭り」が行われていたので、お庭を観に行こうとしたら、神苑拝観料は600円と言われました。宮地嶽神社の「菖蒲祭り」は無料だったんですけど…。お金を払ってから、南神苑に入ると、オンボロ電車が置いてありました。明治28年に日本最初の交通運送業電車として、京都市で運行したものだそうです。平安神宮創建と深い関係があることから、記念として保存しているとのことでした。

日本最初の交通運送業の電車

西神苑、中神苑と進むにつれて、咲いている花菖蒲が増えてきました。中神苑が一番きれいに咲いていました。

西神苑の花菖蒲

中神苑の花菖蒲(蓮の花も咲いていました。)

黄色の蓮の花も咲いていました。

平安神宮で結婚式を挙げるカップルが多いようで、3組も見かけました。

前撮り写真の撮影中??

人間の結婚式もですが、マガモも結婚式シーズンのようでした。庭園を散策している時に、大きな鳥の鳴き声が聞こえてきたので見ると、マガモの雄二羽が雌を巡って激しく競い合っていました。で、三羽とも飛んでいきました。マガモって飛ぶんですね! 知りませんでした。

マガモ

『平安神宮』の次は、湯豆腐で有名な『南禅寺順正』です。どうやって行こうかとGoogle mapのナビで調べてみたら、歩いて行くのが一番早いことが分かりました。それで、ナビに従って歩いたのですが、あっという間に到着しました。

『南禅寺順正』の入口

日本庭園(手入れが行き届いた庭)

お料理は、湯豆腐を中心にしたコース料理です。折角ここまで来たのだからと言うことで、一番高い(と言っても一人前が5千円)コース「雪」を注文しました。

メニュー表

湯豆腐

豆乳

湯豆腐、季節の前菜、旬のお造り

野菜天ぷら

京生麩田楽

ゆばの陶板焼き

ご飯、香の物

デザート

湯豆腐は、10㌢*10㌢の角豆腐を8つに切ってあり、それが一人前のようでした。量がかなりありました。豆腐の匂いがしない、癖がない、柔らかくて口当たりが良い、これらにより結構食べれましたが、湯豆腐でお腹いっぱいになった感じです。豆腐以外のお料理は、普通かな。食事を終えてから、歩いて『南禅寺』に向かいました。中門まで5分もかからずに到着。『南禅寺』は、710年前の1291年に、亀山法皇が無関普門禅師を開山に迎えて開創しています。臨済宗南禅寺派の総本山です。境内全体が国の史跡に指定されているのが特徴となっています。

南禅寺中門

中門を通ってまっすぐ進んで行くと、高さ22㍍を誇る「三門」の前に出ました。この「三門」は、歌舞伎の中で、石川五右衛門が満開の桜を眺め「絶景かな、絶景かな」と見得を切る場面で有名だそうです。実際、桜が満開の時は、とっても美しいと聞きました。

南禅寺の「三門」

「三門」をさらに進むと、「法堂」に行き当たりました。「法堂」は、法式行事や公式の法要が行われる場所であり、南禅寺の中心となる建物です。

「法堂」

「法堂」の右側をよく見ると、水道橋がありました。お寺の敷地内なのに、何故水道橋があるのか不思議。近くに説明用の看板があって、よく読むと、「明治時代に、京都近代化政策の一つ【琵琶湖疏水計画】によって、水力発電の増強と水道用水確保のため造られた」と書いてありました。今でも、上水道の水源として利用されているとか。凄いね‼

南禅寺にある「水路閣」

「水路閣」を観てから「方丈庭園」に向かいました。「南禅寺方丈庭園」は、小堀遠州作と伝えられ、江戸時代初期の代表的枯山水庭園です。拝観料は、600円でした。

「南禅寺方丈庭園」(枯山水)

「南禅寺方丈庭園」(六道庭)

南禅寺方丈庭園(六道庭)

『南禅寺』を見終えてから、地下鉄の蹴上駅まで歩き、烏丸御池で乗り換えて4条駅に行きました。そこから東横INN京都五条烏丸へ行って、預けていた荷物を引き取りました。新大阪駅には、JRの快速を使って京都駅から移動しました。で、新大阪17時38分発のぞみ43号に乗車し、福岡へ無事戻りました。今日一日歩いた距離は14.07㎞で、歩数は20,410歩でした。今日もしっかり歩けたので満足です。

感想:三日間で回れるだけ回って観光してきましたが、まだまだ行ってみたい観光地が沢山あることに気付きました。例えば、京都御所、桂離宮、修学院離宮、など。機会を捉えて、再度、京都を訪問しようと思っています。それと、今回は天気に恵まれ、計画通りに観光することができてラッキーでした。お陰で楽しく過ごせて良かったです。それから、観光するにあたって、1日交通券を買えば、交通費はそれ以上かからないので問題ないのですが、観光地(寺院)については、行けば行くほど拝観料と称する入場料を払わないといけません。これが結構負担になるんですよー。寺院の場合、拝観料には課税されないと聞いています。また、固定資産税も免除されているはず。かなり儲かっている様子の寺院もあるようなので、観光客のために拝観料をもう少し安くしていただきたいものです。

 

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