1.概要

鹿児島県沖の東シナ海に浮かぶ甑島(こしきしま)には、離島医療を描いた人気コミック『Dr.コトー診療所』(山田貴敏・作)のモデルになった瀬戸上健二郎医師が実在していました。テレビドラマにもなったのですが、どのような島なのか、診療所は今もあるのかなど興味があって、一度は行ってみたいと思っていました。そんな時に、知人から、「中甑島と下甑島を結ぶ ”甑大橋” が最近開通して、上甑島、中甑島、下甑島の3つの島を車でドライブすることができるようになったそうよ。最近行ってきた友達が、景色が綺麗で良かったと話していたよ。」と聞いたので、行ってみたいと強く思うようになりました。折しも、鹿児島県薩摩川内市観光物産協会が「こしき旅 フリーチョイス プラン」( 船 + 宿 + 体験を自由に組み合わて、値引き価格で甑島旅行ができるプラン)を行っていて、更には、九州ブロック割も使えるようになったことから、この機会を捉えて甑島旅行を実施することにしました。旅行期間は、2022年7月26日(火)から8月2日(火)までの7泊8日です。

2.熊本県田ノ浦町、鹿児島県出水市、さつま町、さつまリゾートホテル 泊(1日目/7月26日)

フェリーに乗って車ごと甑島に渡るためには、鹿児島県の串木野新港から乗船しないといけません。出航時間は、午前は11時20分、午後は16時40分です。午前11時20分のフェリーに乗りたかったので、串木野新港から遠くないホテルに前泊することにしました。で、折角、薩摩川内市まで行くので、「出水麓(いずみふもと)歴史館 」と「出水麓(いずみふもと)武家屋敷群」にも立ち寄ることにしました。昼食については、「出水麓歴史館」近くにお蕎麦屋さんがあったので、そこで食べようと思って電話をしたら、「夏休み中です。9月から再開します」とのつれない返事。「出水麓歴史館」の近くに食事ができる適当なお店がないことから、熊本県の田ノ浦インター近くの「道の駅たのうら」で食べることに決定。名産物の太刀魚を使った丼料理が美味しいので、それを食べます。

「道の駅たのうら」

お食事処

太刀魚丼

食事を済ませて、「出水麓(いずみふもと)歴史館」に向かいました。2年前に訪れた時は、コロナのために閉館中。二度目の訪問で、ようやく入館できました。入館料は、竹添邸と税所邸と共通で510円です。年内なら何回でも入館できるとのことで、証明となる缶バッジをいただきました。

「出水麓歴史館」(島津斉彬の像)

「出水麓(いずみふもと)歴史館」には、歴史資料の展示のみならず、映像やVRがありました。周辺には、出水麓武家屋敷群が広がっています。そこに竹添邸と税所邸があります。で、出水麓をはじめとする薩摩藩の武家屋敷群(麓)は、2019年度の日本遺産に認定されています。

出水麓武家屋敷の復元模型

展示の中で興味深かったのは、伏せの状態で前進しながら敵に向けて弓を射ようとしている人形です。人形の顔があまりにも凛々しくて、臨場感に満ち溢れていたのが強烈な印象でした。薩摩日置流腰矢指矢(さつまへきりゅうこしやさしや)の射法を行っているところだそうです。どんな射法なのかYouTubeで調べたら、出てきました~。気合の入ったオジサマ達の機敏に弓を射る姿が、凄く良かった。感動‼ 薩摩藩士の勇敢な姿を見せていただいた気分です。YouTubeで「薩摩日置流腰矢指矢」を検索すると出てきます。

薩摩日置流腰矢指矢(さつまへきりゅうこしやさしや)で伏せの姿勢をとっている薩摩藩士

日置流秘伝について

VRにチャレンジしてみました。出水の観光地を居ながらにして見ることができるという内容でしたが、だんだん気分が悪くなってきて、吐き気がしてきたので途中で中止。映像の内容にもよりますが、動きの大きいVRは苦手。

VR(黒いイスに座ってゴーグルをつけて行います。)

歴史館を出てから、竹添邸と税所邸を見学しました。先ずは、竹添邸から。

武家屋敷通り

竹添邸の門

広間

座敷と次之間

次之間と奥座敷

土間

屋敷の庭に大刀洗がありました。太刀洗とは、戦国時代の昔、血刀を洗うための大きな石作りの盥(たらい)のことです。この大型の石盥の周りにあった小型の水溜め用と思われる石の桶や、刀を立てかける為の石等は、野田町の本田家のお屋敷跡から移築したものだそうです。

大刀洗

竹添邸の次は、税所邸です。

税所邸の門

次の間と上座敷

上座敷

奥座敷

居間

竹添邸も税所邸も武家屋敷が昔のままの姿で残っていて、当時の武士の生活ぶりが手に取るように分かり、面白かったです。ただ欠点があって、それは、エアコン等の真夏の暑さ対策が全くできておらず、風通しも悪いため、見学するだけで汗グッショリになってしまうこと。ゆっくり楽しもうとか、そんな気持ちにはなれません。

出水麓武家屋敷群を見てから、本日の宿の「さつまリゾートホテル」に行きました。竹添邸と税所邸で汗まみれになったため、ホテルのレストランで元気を取り戻すために、早速、かき氷を食べました。

「さつまリゾートホテル」

部屋

バス・トイレ

洗面所

元気の源

ホテルでの夕食は、次の通りです。

前菜

薩摩黒豚しゃぶしゃぶ

ご飯と味噌汁

デザート

冷房が効いていたら、薩摩黒豚しゃぶしゃぶは美味しいです。

3.串木野、上甑島、手打、宿屋●▲■ 泊(2日目/7月27日)

今日は、串木野新港から甑島里港行きのフェリーに乗ります。里港に着いたら、甑島で有名な「鹿島断崖」を始め、巨岩や奇岩を見せてくれる「観光船かのこ断崖クルージング」に参加。その後、下甑島の南端に位置する「宿屋●▲■」に行きます。

朝食

11時20分串木野新港発のフェリーに乗るために、ホテルを9時前に出発しましたが、思いのほか時間がかかってしまい、10時20分頃、ようやく串木野新港に到着しました。乗船手続きを行った際に、戻りの7月30日の便を、午後便から始発便(7時45分発)に変更しました。理由は、7月30日夕方に台風5号が接近するとの天気予報があっているため。7月30日には確実に串木野新港に戻っていたいのです。

串木野新港旅客待合所

フェリーニューこしき

フェリー内の様子

フェリーは定刻に出航し、1時間15分後の12時35分に里港に着きました。ちょうど昼食の時間だったため、14時からの「観光船かのこ断崖クルージング」に参加する前にお昼ご飯を食べることにしました。

フェリーニューこしきは里港に到着しました。

「観光船かのこ」が発着する中甑漁港には、レストラン・コシキテラスがあります。そこで食事をしようと思ったので行ってみたら、何とまぁ定休日。近くの喫茶店も定休日でした。他に食事ができるようなお店がないので、近くのスーパーでパンと牛乳を買ってきて、空腹を満たしました。美味しいものを食べるつもりだったのに、ガッカリです(涙)

コシキテラス

「観光船かのこ断崖クルージング」は、約1時間のコースです。どんな景色を見せてくれるのか、期待しています。

観光船かのこ

お客さんは、11人でした。

最初に連れて行ってくれたのは、「鹿島断崖」です。高さ約200㍍で、ほぼ切り立った状態なので迫力満点でした。下から、「わーっ‼」と喚声を上げながら見上げるほど。甑島の地層は、恐竜やアンモナイトが生きていた白亜紀後半(約8,000万年前)のものだそうで、実際に肉食恐竜の化石が甑島から発見されています。甑島には、「鹿島断崖」以外にも数多くの奇岩があり、観光船かのこは、一つひとつ紹介しながらクルージングしてくれました。

鹿島断崖

鶴穴

凱旋門

クジラ岩

双子岩

甑大橋の下も通過してくれました。

クルージングが終わってから、真っ直ぐ宿に向かうことにしました。初めて通る所なので周辺の景色が気になり、眼はキョロキョロ。天気が良かったこともあって、海の青さと樹木の緑がとても新鮮でした。で、最初の頃は道幅が広くて快適だったのですが、甑大橋を通り過ぎて下甑島に入ると、道幅が狭くなってしまいました。その状態が長い時間続いたので、やっぱり不便なんだねと思ってしまいました。でも、周囲をよく見ると、隣接する山ではトンネル工事が行われている様子。もしかしたら、道幅の狭さは、近いうちに解消されるのかもしれません。

「甑大明神橋」通過中 の景色

「鹿の子大橋」は、工事中でした。

甑大橋は、橋の形が美しくて、景色も素晴らしかった!

約1時間かかって、「宿屋●▲■」に無事到着。「宿屋●▲■」は、民宿です。しかし、普通の民宿(風呂やトイレが共同)と違って、専用の風呂やトイレが付いています。2DKのコーポの一室なのです。バストイレ以外に、エアコン・冷蔵庫・洗濯機など生活に必要な電気製品も揃っていて、その気になれば自炊も可能。3泊したのですが、民宿もこんな感じだったら、また泊まりに来ても良いね。料金は、1泊2食付きで一人1万円です。ブロック割5,000円+「甑島フリーチョイス」2500円、合計7,500円割引していただいたので、自己負担額は2,500円。しかも、「今こそ鹿児島クーポン券」が2,000円貰えたため、実質500円で泊まっているようなものでした。コストパフォーマンスは最高❣

「宿屋●▲■」(コーポタイプで、2DKが6室ありました。)

お向かいの建物の2階が食事会場です。

6畳の洋間

6畳の洋間

ダイニングキッチン

キッチンでは、調理器具が揃っていました。

風呂

トイレ

夕食まで時間があったので、手打海岸を散歩し、その後、近くのスーパーマーケットにビールを買いに行きました。宿の夕食では、自分の飲む物(アルコール類を含む)については、自分で持ち込むことになっていたので。それから、スーパーマーケットの値段ですが、商品の運搬賃が嵩むため本土に比べて割高かなと思っていたのですが、差はほとんどありませんでした。都会でも田舎の交通不便地でも商品の値段に差がないってことは、凄いことだと思います。

手打海岸

宿から歩いて2分の所にあるスーパーマーケット

夕食は19時からでした。魚がウリだけあって、夕食のお刺身はデカ盛り‼ それに、「白身魚のあら炊き」と「カメノテの塩茹」「ワカメときゅうりの酢の物」「サラダ」がありました。ボリューム満点で、美味しかったです。

刺身の盛り合わせ、カメノテの塩茹、ワカメときゅうりの酢の物、サラダ

「白身魚のあら炊き」

ごはんと味噌汁

食事を済ませてから部屋に戻り、洗濯をしました。部屋の中に洗濯機があるので、自宅で洗濯する時と変化なし。洗濯機もエアコンもちゃんと使えるので、快適に過ごすことができます。。

4.甑島全域を周遊、宿屋●▲■泊(3日目/7月28日)

8時に朝食をいただきました。塩サバが大きかった~。こんなに大きな塩サバって、最近見かけません。勿論、味もバッチリ‼

朝食

今日は、上甑島と中甑島の観光ポイントを車で回ります。上甑島では「里麓武家屋敷跡」「長目の浜展望所」「鍬崎展望所(ふれあいパーク鍬崎)」「甑大明神橋」。中甑島では「鹿の子大橋展望所」「甑大橋」「鳥ノ巣山展望所」「夜萩円山公園」「甑󠄀ミュージアム恐竜化石等準備室」です。下甑島に戻ってから、宿の近くにある「吉永酒造」でお土産用の焼酎を買います。夕食は、近くの「焼肉吉兵衛」で焼肉をいただく予定です。

9時に宿を出発して、「里麓武家屋敷跡」に行きました。江戸時代、幕府は一国一城制をとっていました。そのため、薩摩藩では、鶴丸城を本城とし、藩の防衛を強化するために11の「麓(ふもと):武家屋敷群」を外城として置いていました。甑島には、2つの「麓」があります。上甑の「里麓」と下甑の「手打麓」です。当時の交通路は、陸路より航路がメインで、甑島自体が交通の要衝でした。なので、「麓」が2か所も置かれていたのです。

薩摩藩の麓(ふもと)一覧

「里麓跡」

石垣に咲くカノコユリのピンクが可愛い!

「里麓」の周囲をぐるりと散策しました。石垣で囲った宅地は、昔は200坪余りの規模だったそうですが、今では、石垣だけが残されていて、昔の屋敷らしき建物は見当たりませんでした。玉石積みの石垣と垣根が、遠い昔を偲ばせてくれただけでした。

次は、甑島のビュースポット「長目の浜展望所」です。「長目の浜展望所」からは、長目の浜(幅50㍍、長さ約4㎞にわたって続く砂州)が見えました。とっても綺麗な景色です。で、長めの浜は、3つの池〔なまこ池、貝池、鍬崎池(くわざきいけ)〕と海とを仕切っていました。この3つの池は隣接しているのですが、不思議なことに、湖面の水位、塩分濃度、透明度、更には生息している魚族や生物までもが異なっているそうです。鍬崎池(くわざきいけ)には、15㎏もある大鰻が生息しているとか。因みに長目の浜の名前の由来ですが、藩政時代に島津光久公が巡視の際に「眺めの浜」と命名したことに由るそうです。

「長目の浜展望所」から望む長目の浜(砂州)

「長目の浜展望所」の近くに「鍬崎展望所(ふれあいパーク鍬崎)」があったので、そこからも長目の浜を展望してみました。ここからだと鍬崎池は見えません。なまこ池と貝池が大きく見えるだけでした。また、東方面では、はるか遠くに天草が見えていました。

「鍬崎展望所(ふれあいパーク鍬崎)」

なまこ池と貝池

遠くに天草が見えます。

お昼ご飯を食べようと、里にある「こしきの漁師家 海聖丸」(魚が美味しいと評判のイイ店)に行ったら、「ツアー客で満席です」とあっさり断られました。ブロック割が再開したので、ツアーも復活した様子。食事を楽しみにしていただけに無念です。今回は、お昼ご飯のことで3回もフラれちゃった~。それで、昨日定休日だったコシキテラスに行って、チキン南蛮定食をいただきました。

チキン南蛮定食

昼食の次は、「甑大明神橋」です。甑大明神橋は、上甑島と中甑島の間の『ヘタノ串海峡』に架かる全長420メートルの斜張橋で、平成5年3月に完成しています。甑(せいろ:米などを蒸すための土器)の形に似た奇岩の大岩がそびえ、この奇岩そのものが甑大明神という御神体を形成し、神殿はなく岩そのものを神として拝しています。甑島の名の発祥地としても伝えられています。

「甑大明神橋」

甑大明神

続いて、「鹿の子大橋」です。この橋は、中甑島と中島を結ぶ全長240㍍の橋で、橋周辺がカノコユリの自生地となっていることから「鹿の子大橋」と名付けられたとのことです。橋を渡り切った所にある「鹿の子大橋展望所」から写真を撮りました。構造は、めがね橋でした。ローマの水道橋を連想します。

「鹿の子大橋」

次は、「甑大橋」です。中甑島と下甑島を繋ぐ橋です。従来から上甑島〜中甑島は「甑大明神橋」と「鹿の子大橋」でつながっていましたが、中甑島と下甑島は繋がっていませんでした。島に住んでいる人達は、船を使って島を行き来するしかなかったのです。そのような中で、事業着手から15年もかかって、ようやく2020年8月29日に開通し、3島が橋でつながったのです。

「甑大橋」流線型でユニークな形

「甑大橋」の下の海域は、流れが速くて魚の宝庫だそうです。透明度が高く、海底まで見えます。漁師さんが、素潜り漁を行っていました。何を捕っているのかまでは、分かりません。

漁師さんが、素潜り漁を行っている様子

「甑大橋」の全景を捉えるために、「鳥ノ巣山展望所」に行き、そこから写真を撮影しました。手前の花は、カノコユリです。カノコユリは、今を盛りに咲き乱れています。海の色がとってもキレイ!カノコユリの色を引き立てています。

「鳥ノ巣山展望所」から見た「甑大橋」

カノコユリ

甑島の景勝地の一つに「夜萩円山公園(よはぎまるやまこうえん)」があります。ここから、昨日の断崖クルージングで見た「鹿島断崖」(高さ約200㍍)を間近に見ることができます。「鹿島断崖」には、白亜紀頃に形成されたといわれる地層が残っているそうです。海上から見上げた時も圧倒されましたが、横から見ても大きくて迫力がありました。

「夜萩円山公園(よはぎまるやまこうえん)」からの「鹿島断崖」

最後に、「甑󠄀ミュージアム恐竜化石等準備室」に行きました。甑島には、白亜紀後半の地層が分布しています。この地層からアンモナイトや魚類などの化石に加え、恐竜やワニ、カメ、植物などの化石がたくさん見つかるとのことですが、実際、2008年には、甑島で恐竜の化石が発見され、2016年には、ハドロサウルス類の大腿骨も見つかっています。こうしたことから、薩摩川内市では、「恐竜化石ミュージアム構想」が持ち上がっているそうです。いつオープンするかは分かりませんが、準備室が、鹿島市民サービスセンター内に設置されていました。展示されているものは、全部レプリカとのことですが、幾種類もの骨格標本や様々な化石が展示されていて、見応えは十分ありました。

マラウィサウルスの骨格標本

展示室の様子

ハドロサウルスの大腿骨

なぜか北海道夕張産のアンモナイトが展示されていました。

「甑󠄀ミュージアム恐竜化石等準備室」から宿に戻り、焼酎のお土産を購入するために「吉永酒造」に行きました。ここの焼酎は、伝統を大切にした昔ながらの製法で醸し続けており、全銘柄とも”かめ壷仕込み”だそうです。代表銘柄である芋焼酎「五郎」は、初代吉永五郎が造った焼酎で、島民から「五郎焼酎」と呼ばれて親しまれてきたものだそうです。また、「その名はは甑州」は、甑島全体を甑州と言うことから名付けられたと聞きました。

吉永酒造

お土産の「初代5郎」と「その名は甑州」。紙袋はおかみさんの手作り品。

18時に「焼肉吉兵衛」に行きました。お店の構えは普通の民家で、自宅の一角がお店になっていました。お客さんは、地元の方ばかりで、旅行者は私達二人だけでした。店主と話しをしていて「なるほど、離島の暮らしは大変なんだなぁ」と思ったことがありました。それは、”島立ち”。甑島には高校がないので、子供は中学校を卒業したら、家業を次いで甑島に残るか、本土鹿児島に渡って高校に通うかになり、最近は高校に行く子がほとんどだそうです。それで、子供が本土鹿児島に渡ることを”島立ち”と言うそうです。子供が”島立ち”すると、仕送りをしないといけないので経済的に大変。子供一人につき少なくても一月の仕送り額は、10万円くらいは必要だそうです。そして、高校を卒業しても甑島には就職口がないので、みんな本土で就職し、結果的には島に帰ってこない。そのため、島は高齢化する一方で、悪循環に陥っているとぼやいていました。

「焼肉吉兵衛」

焼肉

イカ焼き

車で観光ポイントを見て回っての感想ですが、奇岩など面白いものはたくさんあるし、海の色はすご~くキレイだし、景色は良いしで良かったのですが、道幅が狭いことだけは困りもの。ネクネしているのもちょっと困るね。メインストリートはOKですが、観光地に行くためには山の中を通らないといけません。しかも、山の中に入ると直ぐに携帯電話は「圏外」になります。事故を起こしたって警察も救急車も呼べないんですよ。誰かが来るのをじっと待つしかないんです。これって、超不便です。

5.下甑島を中心に瀬々野浦・長浜・手打など、宿屋●▲■泊(4日目/7月29日)

今朝は、宿提供の朝食はありません。お休みだそうです。それで、昨日、スーパーで買っておいたパンと牛乳を食べて朝食にしました。今日は、下甑島の観光をします。天気の良い午前中に、車でないと行けないような所に行き、午後からは、車を宿に置いて徒歩で手打周辺を観光します。宿を9時に出発して、先ずは「瀬尾観音三滝」から。「瀬尾観音三滝」一帯は、キャンプ場になっていて、家族連れで楽しめるエリアになっていました。「瀬尾観音三滝」の水は瀬尾川上流から流れ、高さ55㍍もあって、三段になって落ちているそうです。全体の姿を見たかったのですが、樹木に遮られていて、一番上と一番下だけしか見ることができませんでした。

滝つぼ周辺は、水しぶきが上がっていて涼しかったです。

一番上の滝

続いて、「前の平展望所」に行って、ナポレオン岩とローソク岩を見ます。「前の平展望所」に行くためには、下甑島の東側から西側へ山を越えて行く必要があります。距離は16㎞ですが、クネクネと曲がった細い道を35分間も車で走らないといけないので、気疲れします。歩けば最短で2時間15分もかかります。「前の平展望所」の近くには住居が広がっていて、郵便局も民宿もスナックもあるんですよ。”孤島の、陸の孤島”に住んでいる人達ってどんな暮らしぶりをしているのか、とても気になりました。

「前の平展望所」

「前の平展望所」に到着して、そこから見ると、高さ127㍍の奇岩のナポレオン岩が綺麗に見えました。ナポレオン岩の名前は、岩がナポレオンの横顔に似ているからだそうです。ということは、岩のてっぺんの緑は髪の毛かな?? 海はべた凪で美しいブルー。ため息が出るほどの素晴らしい景色でした。

ナポレオン岩

奇岩のローソク岩も見えました。中央部にある3本の岩がそうです。写真の左側には、住居が広がっていました。 

ローソク岩

来た道を引き返して、「前の平展望所」から長浜港へ戻りました。ここで、昼食タイムです。長浜港ターミナル内のお店「喫茶くるみ」が美味しいとの評判だったので、シーフードミックス定食をいただきました。

喫茶くるみ

メニュー

休憩をとってから、下甑島最南端にある「釣掛崎灯台」に行きました。この辺りは、地理的に中国や韓国に近いことから、徳川鎖国時代には、異国船監視の拠点としての役割を果たしており、遠見番所が置かれていました。村の郷士が交代で異国船の監視をしていたそうです。で、明治時代に入ると、日本から台湾に至る南方航路整備のための重要な灯台としても機能するようになったそうです。確かに見晴らしがとてもよくて、遠くまで見渡すことができます。灯台の周辺には、カノコユリや黄色いユリのハマカンゾウが沢山咲いていて、風に揺られて目に鮮やかな景色を見せてくれました。

「釣掛崎灯台」

ハマカンゾウ

今からは、車を宿に置いて、手打地区を歩いて観光します。手打地区で歴史的に有名なのは、手打地区のほぼ中央にある約700㍍の「手打麓(てうちふもと)武家屋敷通り」です。甑島の2つの麓の一つがここです。「里麓」と同じ状況で、石垣だけが残っていて、建物は残っていませんでした。

「手打麓跡」

石垣が壊れかけている部分もありました。

次に、「おふくろさん歌碑」です。森進一の歌「おふくろさん」の歌碑が、下甑の手打にあります。森進一のお母さんは、手打の出身。お母さんの両親(森進一の祖父母)は、天草の人だったのですが、手打の沖合の赤珊瑚を採取するために、天草から引っ越してきたそうです。下甑郷土館の館長さんの話によると、甑島は薩摩藩に属していましたが、昔の交通路は航路がメイン(五島⇔天草⇔甑島)で、鹿児島本土からの船便はなかったそうです。手打の沖合で赤珊瑚が採れることが分かって以来、五島や天草から多くの人達が入って来たので、手打は今でこそ過疎地ですが、昔は栄えていたそうです。

歌碑の前に立つと曲が流れると書いてありましたが、流れませんでした〜!

手打の赤珊瑚(下甑郷土資料館の展示品)

続いて、最も興味を持っていた「下甑手打診療所」です。探しながら歩いて行ったのですが、高台の分かり難い場所にあったため、行き着くまでが大変でした。到着した時は、汗びっしょり‼ 「下甑手打診療所」は、約40年もの間、島の医療を守り続けてきた瀬戸上健二郎医師[人気コミック『Dr.コトー診療所』(山田貴敏・作)のモデルとなった医師]が活躍されていた診療所です。こんな交通不便な離島で、一人で診察から全身麻酔手術までされていたそうで、心から尊敬する立派な医師です。で、今も「下甑手打診療所」は存在して、二人の医師が常駐されていました。瀬戸上健二郎医師の意思は、後継者にきちんと受け継がれているんだと頼もしく思いました。待合室に飾ってあったイラストは、作者の山田貴敏さんの直筆の作品。表札「Dr.コトー」は、下駄箱の上に置いてあったものです。私の娘も医師として働いています。瀬戸上健二郎医師のような仕事をして欲しいと願っているところです。

「下甑手打診療所」

待合室に飾ってあった山田貴敏氏の直筆イラスト

 表札「Dr.コトー」

今日の最後の観光先は、「下甑郷土館」です。この郷土館は、昭和57年に、武家屋敷通りの中間地点に建設されました。展示室には、昔の生活用具や農林漁業の作業用具、古美術など1200点余りが展示されていました。館長さんが分かり易く説明してくださいました。展示の中で、凄いなぁと思ったのは、ビーダナシです。フヨウの幹の皮を糸にして織った衣服(ビーダナシ)が日本で唯一確認されているのは、下甑島の瀬々野浦だけです。フヨウを表す言葉「ビー」と、袖・袂付き長着を表す言葉「タナシ」を組み合わせて「ビーダナシ」と呼び、軽くて涼しいので重宝がられ、裕福な家庭で晴れ着として着用していました。現存するビーダナシは、「下甑郷土館」に展示されている4着のみで、いずれも江戸時代か明治時代に織られたもの。明治の頃までは瀬々野浦一帯で織られていたようで、中村悦子さんが研究していましたが亡くなったため、今では製法を伝承する人がいなくなったとのお話しでした。沖縄の芭蕉布には伝承者がいるからいいですよね。

「下甑郷土館」

世界で4着しかないビーダナシ

中村悦子さんの研究について(クリックすれば拡大します。)

展示室の様子

「下甑郷土館」を見終えてから、宿に戻りました。今夜の夕食は、次の通りです。

相変わらずお刺身は大盛です!

白身魚の煮付け  

ご飯と澄まし汁

西瓜

明日の午後、台風5号が最接近するとの天気予報が出ていて、それを裏付けるかのように夕方から雨が降りだし、強風も吹き出しました。鹿児島本土の串木野新港に行くフェリーが出航するかどうか、ハラハラしていたら、民宿の女将が、「高速艇は欠航になる可能性は高いけど、フェリーの場合、今までの経験からして早朝の第一便だったら大丈夫よ。」と励ましてくれました。その言葉を信じて、明日は早起きして、長浜港から第一便に乗船します。

6.長浜、串木野、吹上、ホテルアクシアくしきの 泊(5日目/7月30日)

朝5時に起床して、朝食もそこそこに長浜港に行きました。昨夜は、風雨が強くて台風接近の前触れを感じたのですが、今朝は静かです。青空が見えるほどの天気です。嵐の前の静けさかもしれませんが、この様子だとフェリーは出航するでしょう。とにかく少しでも早く甑島から脱出しなくちゃ!串木野新港に着いたら何とでもなるから。

長浜港の受付に行くと、出航1時間前なのに既に満車で、予約をしていない人は乗船できない状態になっていて、受付の人から断られていました。皆さん考えることは同じのようです。私は、3日前に予約を変更していて良かった~。

乗船の順番待ちをしています。

フェリーは定刻通り7時45分に出航しました。長浜港から鹿島港に寄って、更に里港にも寄ってから串木野新港に向かい、10時45分には、無事に鹿児島本土の土を踏むことができました。

今夜は、串木野のホテル「ホテルアクシアくしきの」に泊まりますが、時間があるので、「万世(ばんせい )特攻平和祈念館」と「吹上浜海浜公園」に行くことにしました。その前に腹ごしらえ。昼食は「味処正ちゃん」で、定食とサラダバーをいただきます。

「味処正ちゃん」

サラダバー

昼食(ハンバーグ定食+サラダバーの副菜)

食事が終わって、一息ついてから「万世(ばんせい )特攻平和祈念館」に行きました。「万世特攻平和祈念館」は、昭和18年夏から19年末にかけて吹上浜に建設された陸軍最後の特攻基地跡に、恒久の平和を祈念するために建てられました。特攻基地の飛行場はわずか4ヶ月しか使われませんでしたが、17歳の少年飛行兵を含め200人近い特攻隊員が“祖国のため”を合言葉に、ここから沖縄の空へと飛び立っています。館内には、吹上浜沖から引き揚げられた、日本にただ一機の「零式水上偵察機」や、死を間近に控えた隊員たちが肉親・愛する人達へ宛てた最期のメッセージを始め、遺品、遺影などが展示されていました。近くの知覧にも同じような施設「知覧特攻平和会館」があります。

「万世(ばんせい )特攻平和祈念館」

記念碑

碑文

碑文昭和19年太平洋戦争の戦局はとみに悪化し、既に決定的段階を迎えんとしていた。ここ加世田市吹上浜の地に、戦勢転換の神機を期すべく、地元民学徒ら軍民一致の協力によって、本土防衛沖縄決戦の基地 萬世飛行場が建設された。昭和20年3月28日より終戦に至るまで、陸軍特別攻撃隊振武隊の諸隊、飛行第66戦隊、飛行第55戦隊の若き勇士たちは、祖国護持の礎たらんと、この地より雲表の彼方へと飛び立った。一機また一機と。征きて帰らざる者あまた。或いは空中に散華。或いは自爆。壮絶にして悲絶。その殉国の至誠は鬼神もこれに哭するであろう。終戦以来幾星霜、ここに祖国は、その輝かしき復興をとげた。われら生き残りたる者と心ある人々は、英霊の魂魄を鎮め、その偉勲を讃えんがために、ここにこれを建立する。昭和47年5月29日

碑文を読めば読むほど、心が痛みます。高校生くらいの若者ですよね。まだまだ子供じゃないですか。可哀そうで堪りません。

吹上浜沖から引き揚げられた「零式水上偵察機」

次に、「吹上浜海浜公園」に行きました。公園の中心部に砂像が置いてありました。

砂像

砂像

毎年、ゴールデンウィークにここで「吹上浜 砂の祭典」が行われています。私達が2013年に訪れた時は、かなり大規模に行われていました。その時の写真を載せておきます。素晴らしい作品がありましたよ。砂像制作の際、風雨から砂像を守るために表面をコーティング剤で固めていると聞きました。そうじゃないと、すぐ壊れちゃいます。でも凄いよね。砂が粘土みたいになるんだもん。

2013年「吹上浜 砂の祭典」の想い出

2013年「吹上浜 砂の祭典」の想い出

2013年「吹上浜 砂の祭典」の想い出

2013年「吹上浜 砂の祭典」の想い出

2013年「吹上浜 砂の祭典」の想い出

2013年「吹上浜 砂の祭典」の想い出

2013年「吹上浜 砂の祭典」の想い出

2013年「吹上浜 砂の祭典」の想い出

2013年「吹上浜 砂の祭典」の想い出

「吹上浜海浜公園」を散策してから、串木野方面に引き返して「ホテルアクシアくしきの」に入りました。

「ホテルアクシアくしきの」

部屋

洗い場付きのお風呂でした。

夕食は、串揚げがたくさん出てきました。久々だったので、美味しかったです。

前菜

刺身

串揚げ

スープと串揚げ

串揚げ

串揚げ

ご飯と清汁

デザート

夜20時に近くの海岸で花火大会が開催されるとのことだったので、ベランダから眺めて楽しみました。

花火大会

甑島に行ったついでと言ったらなんですが、明日から、鹿児島県の南側を観光します。

7.南さつま市、南九州市、いせえび荘 泊(6日目/7月31日)  

南さつま市の「南さつま海道八景」の景色が美しいと聞いていたことから、行ってみることにしました。「南さつま海道八景」とは、国道226号線沿から眺望できる雄大な自然景観や文化遺産など、南さつま市の代表的な八つの景観のことです。今日は、台風5号が過ぎ去った直後なので、空は曇っているし、風も強い。美しい景色を見ることは無理でしょうけど、行くだけ行ってみようと思います。「南さつま海道八景」に続いて「釜蓋神社」と「タツノオトシゴハウス」にも行きます。宿は、以前から泊まりたいと思っていた”いせえびを食べさせてくれる宿「いせえび荘」”にしました。

朝食

宿を9時半に出発して、国道226号沿線に入り、地図に従って「南さつま海道八景」をひとつひとつ探訪しながらドライブしました。展望所名は8か所になります。

「南さつま海道八景」のルート(クリックすれば拡大します。)

 ①高崎山展望所

  高崎山展望所からは、薩摩半島と崎ノ山一帯を一望することができます。昔から眺めの良いところであったため、江戸時代には、出入りする船を見張る役人がいた番所があったそうです。

目の前の小島は神ノ島、隣は崎ノ山、後方は薩摩半島の南さつま市です。

 ②谷山展望所

  江戸時代後半、近隣の町や村から移住した人々が、耕地面積の少ない土地の開墾を進めようと山の斜面を切り開き、掘り出した石を積み上げていった結果、城壁を彷彿させる段々畑が生まれたそうです。先人達の知恵がつくりだした風景です。

段々畑

 ③後浜展望所

  ここから眺める夕陽は絶景で、沈む夕陽が海を黄金色に染めていく様子は、感動を与えてくれるそうです。夕陽を見に来ないといけませんね。波しぶきが勢い良くて、力強さを感じました。

野間池の屏風岩(立神)

 ④笠沙美術館展望所

  ここから、海に浮かぶ”沖秋目島”を間近に眺めることができました。この島は、映画『007は二度死ぬ』のロケ地としても有名で、怪獣が横たわっているかのような雄大な姿が印象的だそうです。

目の前の島が沖秋目島です。

 ⑤落水展望所

  この展望所から、標高387㍍の亀ヶ丘(亀の形に見える)の山頂を眺めることができます。「南さつま海道八景」のなかでは珍しい“山”の展望。

亀ヶ丘の山頂が見えました。

 ⑥丸木崎展望所

  丸木崎展望所からは、リアス式海岸の自然美が見えて、なかなかいい感じでした。眼下のサークルは、養殖魚の生簀だそうです。

丸木崎展望所からの景色

 ⑦輝津館(きしんかん)展望所

  ここの見どころは、天に向かって剣のようにそびえ立つ双剣石です。穏やかな波間に対峙するようにそそり立つ姿は、安藤広重の画題にもなるほど。双剣石一帯はその景観に加え、歴史・文化的背景が評価され、国の名勝「坊津」として指定されています。

中央の岩が双剣石です。

 ⑧耳取峠展望所

  この展望所から、開聞岳と大隅半島と枕崎市街地を見ることができるそうですが、雲がかかっていたために開聞岳は見えませんでした。「南さつま海道八景」の中では、代表的な朝日の絶景ポイントで、開聞岳から昇る朝日の光景は、幻想的で筆舌し難いものだそうです。朝日も見に来ないといけませんね~。

耳取峠展望所からの景色

「南さつま海道八景」を見て回っての感想:③後浜展望所と⑥丸木崎展望所からの景色は、まずまずでした。それ以外は、台風の余波を受けていたので、出直す必要があると思いました。晴れた波の穏やかな日なら、きっと素晴らしい景色を見せてくれると思います。

「南さつま海道八景」を見終えてから、南九州市頴娃(えい)町の「釜蓋神社」に行きました。途中、お腹が空いたので、枕崎市のラーメン店「麺遊記」でランチタイムを取りました。

ラーメン店「麺遊記」

炒飯とラーメン【炭水化物の重ね食い】

「釜蓋神社」には、15時頃到着しました。ここは、鹿児島県の南端で、開聞岳が見える景色の美しい所です。「釜蓋神社」の由来ですが、はるか昔の飛鳥時代に、天智天皇とお妃の大宮姫が大勢のお供を連れて、頴娃(えい)に住む安東実重中将を訪ねた時のこと。接待のために何十石もの米を大きな釜で蒸していると突風が吹き、大きな釜の蓋が天高く吹き飛ばされ、風に運ばれ、大川浦(今の釜蓋神社のある場所)に落ちたそうです。驚いた大川浦の人々はこの釜蓋を拾い、神として祀り、「釜蓋大明神」と呼ぶようになりました。これに、スサノオノミコトを配祀して、現在の「釜蓋神社(射楯兵主神社)」となったとのことでした。

「釜蓋神社」は、海沿いの溶岩の上に建てられていました。

海の向こうに開聞岳が見えます!

「釜蓋神社」

ここには、面白い願掛けがあります。釜蓋を頭の上に乗せて、手を使わずに鳥居から賽銭箱前まで歩き、うまくできたら「厄除け・開運」だそうです。この日は、台風の影響で風が強く、参拝客のお嬢さん達は全員できませんでした~。

かまふた願掛けかぶりについて

願掛けかぶりにチャレンジしているお嬢さん達

「釜蓋神社」で楽しんだ後、「タツノオトシゴハウス」に行きました。タツノオトシゴは、白身魚で、寿命は5年くらい。周辺の環境に合わせて、体の色を目立たない色に変化させる特技があります。また、出産はオスが行います。メスから卵を受け取るために育児のうを膨らませて、メスにアピールするそうで、大きければ大きいほどイケてる男の証だとか。メスは、気に入ったオスの育児のうに卵を移します。(ヒトのオスがお腹を膨らませているのは、メスから卵を貰おうと、メスにアピールしているから⁇)

「タツノオトシゴハウス」は2階にありました。

タツノオトシゴ

育児のうを膨らませて、メスにアピールしているオス

「タツノオトシゴハウス」で今日の観光は終了。宿の「いせえび荘」に入ることになりました。やっと、伊勢海老にありつける~❣

「いせえび荘」

部屋

部屋

風呂と洗面所

ベランダから開聞岳が見えます。

夕食は、夕食会場で、伊勢海老のコース料理がでました。美味しくて、量もあって、満足しました‼

夕食会場

動画:伊勢海老の活き造り

前菜

ステーキ

黒豚軟骨煮

葱味噌焼き

味噌汁、セイロ飯

漬物

デザート(頴娃茶のゼリー)

8.南九州市、宮崎県都城市、 鹿児島県曽於市、霧島温泉 霧島国際ホテル 泊(7日目/8月1日)

今日は、南九州市頴娃(えい)町から宮崎県都城市まで移動します。まずは、指宿スカイラインを通り、次に、九州自動車道に入って、霧島市内を通過してから宮崎県都城市に行きます。ここで、「関之尾の滝(せきのおのたき)」と「甌穴群(おうけつぐん)」を見て、続いて、鹿児島県と宮崎県の県境にある「溝ノ口洞穴(みぞのくちどうけつ)」を見て、最後に霧島温泉内にある本日の宿「霧島国際ホテル」に入ります。

朝は、いつもと同じ時間に朝食をいただきました。

朝食

9:30に宿を出発しました。頴娃(えい)料金所から指宿スカイラインに入るまでの間、一面ずっとお茶畑が広がっていました。南九州市は、お茶の一大生産地。知覧だけではなくて、頴娃(えい)も有名なんですよ。頴娃(えい)茶は美味しいです‼

頴娃(えい)のお茶畑

見渡す限りお茶畑でした。

指宿スカイラインの地図

指宿スカイラインの中央辺りに「錦江台展望公園」があるので、そこで錦江湾を展望しました。眼下には、喜入原油備蓄基地が見えます。桜島はもっと北の方にあるので、ここからは見えませんでした。

「錦江台展望公園」から錦江湾を望む

指宿スカイラインから九州自動車道に入ったところで、桜島を間近かに眺めたくて「桜島サービスエリア」で下車し、桜島を探しました。残念なことに、完全と言っていいほどに雲隠れしており、裾野の一部がちょっと見えただけ。ここのところ、噴火の勢いが酷くなってからは、雲隠ればかりで、あまり姿を見せてくれません。

「桜島サービスエリア」

桜島は雲隠れ!

途中で食事をして、ゆっくり都城市内にある関之尾公園に向かったので、到着したのは13時半頃になりました。関之尾公園には、関之尾の滝(せきのおのたき)と甌穴群(おうけつぐん)があります。

関之尾公園案内図(クリックすれば拡大します。)

関之尾の滝(せきのおのたき)は、高さ18㍍、幅40㍍の規模を誇り、1990年には日本の滝100選に選ばれています。関之尾の滝の上流には、長さ600㍍、最大幅80㍍にわたって甌穴群(おうけつぐん)が広がっていて、1928年に国の天然記念物に指定されています。甌穴(おうけつ)とは、岩盤のくぼみや割れ目が、水の流れに浸食され成長した穴のこと。一帯には数千個の穴が散在しており、現在も進行中です。ここは、世界有数の甌穴群として高く評価されています。今回は水量が多くて、浸食された穴の状態が分かり難かったので、9年前に訪れた時に撮った写真をお示しします。滝は、珍しいものではありませんが、甌穴群は非常に珍しいと思います。

甌穴群(国指定天然記念物)

関之尾の滝(日本の滝100選に選ばれています。)

次に、国指定天然記念物の「溝ノ口洞穴(みぞのくちどうけつ)」に行きました。宮崎県との境界にある鹿児島県曽於市にあります。分かり難い場所だったため、探すのに時間がかかってしまいました。で、離合が難しい細い道を通ってようやく到着。毎年4月8日のお釈迦様の誕生日に近い日曜日に、「溝ノ口岩穴祭り」が開催され、奴踊り・刀踊り・棒踊りが奉納されるそうです。賑やかなイメージがありますが、実際は、山の中の人気(ひとけ)のない寂しい所にありました。最近は、パワースポットとして若い女性に人気があるそうです。

鳥居の先に「溝ノ口洞穴」がありました。

「溝ノ口洞穴」は、霧島山系の湧き水が侵食し、数千年の長い年月をかけて作られたものと言われています。横14.6㍍、高さ最大6.4㍍あり、全長209.5㍍まで確認されているそうです。天井には、”吹き抜けパイプ”と呼ばれる、ガスや水蒸気が上方に抜けていった穴がありました。気持ちが悪くて、中に入るのには勇気が要りますね。

「溝ノ口洞穴」

穴の中から撮った写真

”吹き抜けパイプ”・・天井に丸い穴があるって、不思議です。

観光客が数人来ていましたが、寂し気で気持ちの悪い場所だったため、早々と切り上げて、「霧島国際ホテル」に向かいました。「霧島国際ホテル」は、50 年の歴史を持つ⽼舗温泉旅館でしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で利用者が減少し、更には施設の老朽化などの理由により、2021年 5 月をもって営業を終了することになっていました。ところが、マイステイズ・ホテル・グループが運営を受託することが決まり、再開されることになりました。良かったですね。

部屋

夕食は、ビュッフェでした。

9.霧島温泉から福岡へ帰宅(8日目/8月2日)

今日は、福岡に帰る日です。もう少し旅行を続けたい気もしますが、孫が明日から我が家に遊びに来るので、帰らなくちゃ!

ビュッフェの朝食

ベランダから海の向こうに桜島がハッキリが見えました。今日は、天気が良いので綺麗な景色です。今日も一日暑くなりそう!

噴煙を出している桜島

10:00 前にホテルをチェックアウトして、真っ直ぐ帰宅しました。甑島旅行のついでに、鹿児島県内で行きたいと思っていた所にも行くことができたので満足しています。台風5号の影響を大きく受けることもなくて、まずまずでした。

 

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