1.概要

中学の修学旅行で東大寺大仏殿や法隆寺に行ったような気がするのですが、残念ながらハッキリ覚えていません。なんせ、半世紀前の出来事なので。このたび、東大寺大仏殿や法隆寺などの世界遺産と吉野千本桜(桜の名所)を見に行くツアーがあったので、参加することにしました。このツアーには、[寅年に御開帳する信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)の『奥秘仏 毘沙門天王像』の拝観]と[奈良大和四寺(長谷寺、室生寺、岡寺、安倍文殊院)の巡礼]が組み込まれていました。これらの四寺は、いずれも1,200年以上の歴史を誇り、そのご本尊及び中尊は、 すべて国宝・重要文化財に指定されている貴重な建築物だそうです。滅多に行くことができないお寺を巡るのも面白そうな感じ。旅行会社は阪急交通社で、旅行期間は、2022年4月10日から12日までの2泊3日です。

2.博多駅、東大寺、春日大社、ダイワロイネットホテル奈良 泊(1日目/4月10日)

朝8時45分にJR博多駅2階の「ひかり広場」に集合するよう指示されていたので、8時前に自宅を出発。8時半頃に到着したら、既に受付は始まっていて、かなりの人が集まっていました。全員集合してから乗員さんから座席番号札を受け取り、皆と一緒に新幹線乗場へ行って、のぞみ16号(博多駅9時15分発)に乗車しました。

13番乗場の様子

自席に着席して、新大阪に到着するまでの約2時間半をネットで遊んだり昼食を取ったりして過ごしました。

ホームに入ってきたのぞみ16号

手弁当です。駅弁買うより量もタップリあって、自分で作ったお弁当の方が美味しい気がします。

定刻通り11時43分に新大阪駅に到着しました。列車を降りてから添乗員さんに従って、新幹線団体出口から外に出ると、バスガイドさんが待ってくれていて、バスガイドさんの案内で観光バスの駐車場まで移動して、バスに乗りました。本日の観光のスタートは、奈良公園に隣接する東大寺の大仏殿からです。その後、東大寺二月堂、春日大社と続きます。

奈良公園ですが、660ヘクタールの広大な地域にまたがっていて、約1100頭もの鹿が生息しています。これらの鹿たちは春日大社の神使であるとされ、国の天然記念物にも指定されています。「大仏と緑と鹿」で代表される奈良公園は、古都・奈良の顔ともいえます。

奈良公園の鹿(鹿は神の使いだそうです。)

鹿がウヨウヨしてて、鹿煎餅を貰おうと思って寄ってきます。コロナで観光客が減ったため、鹿煎餅を食べる量が減って、鹿の体調が良くなったと聞きました。下痢をしなくなったそうです。黒いツブツブは鹿の糞で、正常なんだそうです。踏まないように気を付けて歩かなきゃ‼

木陰で寛いでいる鹿

奈良公園内を通って、世界遺産に登録されている東大寺南大門~東大寺中門と続いて、やっとこさ大仏殿に辿り着きます。

東大寺南大門

東大寺南大門には、鎌倉彫刻の代表作である金剛力士像が立っていました。向かって左側の口を開いているのが金剛力士阿形(あぎょう)で、口を閉じているのが金剛力士吽形(うんぎょう)です。見るからにコワイ感じがします。

東大寺南大門の金剛力士像阿形(あぎょう)

東大寺南大門の金剛力士像吽形(うんぎょう)

東大寺中門

東大寺大仏殿

東大寺大仏殿は、世界最大級の木造建築物で、中に『奈良の大仏』様が鎮座しておられます。高さ約15m、顔の幅約3.2m、手の大きさ約2.5m。聖武天皇の願いで制作が始まり、752年に完成しています。制作にあたっては、山口県美祢市にある長登銅山の銅が使われているんですよー。昨年(2021年)12月18日に山口県美祢市にある長登銅山文化交流館で知ったこと(←紫文字部分をクリックすると長登銅山文化交流館に繋がります。)なので、奈良の大仏がとても身近に感じられました。

奈良の大仏(周りに飾ってあるお花は、ぜんぶ生花です‼)

意外にも虚空菩薩などの仏様が安置されていました。

東大寺大仏殿のお庭はとっても綺麗!手入れがバッチリ行き届いているのがよく分かります。

大仏殿の庭

大仏様を見学してから、国宝・二月堂に行きました。二月堂には、何人も見ることを許されない絶対秘仏である2体の十一面観音像が祀られているそうです。誰も見たことがないのが本当なら、本当は、無いのかもしれませんね~。二月堂に向かう途中、土塀の傍に桜が咲いていました。綺麗やったよ~!

土塀の傍に咲いていた桜

土塀の先に二月堂があります。

二月堂

二月堂は高い所にあるので、そこから遠くまで見ることができます。奈良市内も見えました。

二月堂から見た奈良市内の光景

二月堂の本堂でお参りをしてから、次の春日大社に歩いて行きました。

二月堂の本堂

東大寺には、正倉院もあります。今回は、正倉院には行きませんでしたが、二月堂から春日大社に向かう途中、あちこちに高床式の校倉造(あぜくらづくり)の建物が建っていました。中には何が入っているのかな? 美術工芸品? 掃除道具等??

高床式の校倉造(あぜくらづくり)の建物

「春日大社」の正面玄関『南門』に着きました。この門は、神額が無いことで知られています。最初は、「鹿嶋大明神」の神額が掲げられていたそうですが、落雷によりその額が砕け落ちたとか。3度神額を掲げても落雷で落ちるので、掲げるのを止めたと聞きました。「春日大社」は、創建約1250年の歴史ある神社で、『古都奈良の文化財』として世界遺産に登録されており、全国に約1000社ある春日神社の総本社だそうです。世界遺産だけあって、「さすが!」です。

「春日大社」の正面玄関『南門』

春日大社は、燈籠の数、日本一! 石灯籠や釣灯籠が3,000基もあり、2月の節分の日に行われる世界遺産・春日大社の「節分万燈籠(せつぶんまんとうろう)」では、3,000基もの燈籠に火が灯る様子と、とても神秘的で、厳かな雰囲気に包まれるそうです。

石灯籠

釣灯籠です。約1000基あるそうで、圧巻でした。縁結びに効くパワースポットとして人気です。

藤の名所と言われるだけあって、大きな藤棚がありました。

ご神木(若宮大楠、奈良県で一位or二位を争う巨樹)

春日大社を見てから、隣接するレストラン神仙境に食事をするために行きました。お店に入ったら、1階の客席の窓から西洋つつじ(アザレア)が鮮やかに咲いていて、目を引きました。

客席から見える西洋つつじ(アザレア)

西洋つつじ(アザレア)は見事でした!

夕食

ド派手のトラピックスバス‼

食事が終わってから、再びバスに乗り、JR奈良駅西口より徒歩3分の好立地に在るホテル『ダイワロイネットホテル奈良』にチェックインしました。

ダイワロイネットホテル奈良

部屋

ユニットバス

既に食事は済んでいるので、お風呂に入って眠ることだけです。今日は、朝早く起床して観光もたっぷり行ったので、直ぐ眠たくなってしまいました。

今日のガイドさんのお話で面白かったことは、「目から鼻へ抜ける」という言葉の成り立ちです。良の大仏さんと関係があります。「目から鼻へ抜ける」の意味は、「とても利口で賢いこと、物事の判断が素早く、抜け目がないこと」です。

・・・奈良の大仏を建造中、完成までもう一息のところで大仏の片目を入れ忘れていたことに気が付き、さぁどうしたものかと悩んでいると、一人の職人さんが片目を持って足場を伝い、大仏の目を入れに行ったそうです。彼は、空洞になっている大仏の目の中に入っていき、うまく目玉をはめ込みました。しかし、そこでさらに困ったことが発覚したのです!彼は、目の中に入って目玉をはめ込んだので、目の中に閉じ込められてしまったのです‼仲間の職人さんたちが心配していると、彼は、大仏の目から鼻に移動して鼻の穴から出てきたそうです。それを見ていた仲間の職人さんたちは大喝采‼彼は、機転をきかせて無事に脱出することができたそうです。・・・

鼻の穴が人が通れるくらい大きかったから良かったものの、通れなかったらどうなったのでしょうか?

3.信貴山朝護孫子寺、法隆寺、室生寺、長谷寺、THE KASHIHARA 泊(2日目/4月11日)

 出発時間は、8時です。そのため、朝食は6時半からでした。いつもより早く起きないといけませんが、旅行中は、難なく頑張れるんですよ。

ビュッフェの朝食

ホテルを出発してから、先ずは、信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)に向かいました。着いたら、今年(2022年)の干支である虎が出迎えてくれました。

張子風のデカイ虎のお出迎え!

おチビちゃんの虎もお出迎えしてくれました。

ポストまでありました~。ユニークですね‼

境内の中を進んで行くと、本殿に辿り着きました。境内が広くて迷路のようになっているので、行き道が分かり難かったです。本殿で参拝した後、12年に一度だけ、寅年に御開帳する『奥秘仏 毘沙門天王像』を拝観しました。

信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)の本殿(石段の上にあります。)

寅年に御開帳する『奥秘仏 毘沙門天王像』

その後、宝物館に行きました。宝物館では、有名な信貴山縁起絵巻が展示されていて、約800年前の平安後期の作品「国宝・飛倉の巻」を鑑賞することができました。高校時代に日本史で学んだ信貴山縁起絵巻を目の前にして、本で見た写真と同じ漫画チックな絵が巻物に書かれていたので感動しました~‼ 筆のタッチは繊細だし、墨も鮮やか。とても800年前の絵とは思えません。

霊宝館(宝物館)

展示室

国宝・飛倉の巻

また、樹齢1,500年という御神木(榧の木)がありました。大きさも然ることながら、夢物語のようなお話が面白かったです。

樹齢1,500年という御神木(榧木)

御神木(榧の木)の説明(写真をクリックすると、拡大します。)

次は、法隆寺に行きました。法隆寺は、日本初の世界遺産としても有名で、奈良斑鳩町(いかるがちょう)にあります。607年に聖徳太子と推古天皇により創建されたと伝えられる歴史ある寺院です。190点以上もの国宝・重要文化財を擁しており、境内の広さは約18万7千㎡もあります。聖徳太子の父である用明天皇が、自らの病気平癒のために発願した事が法隆寺の始まりでした。しかし、用明天皇は崩御され、その後、聖徳太子と推古天皇が法隆寺を完成させ、日本に仏教を広める礎となりました。法隆寺のシンボルの五重塔をはじめ、国宝建築物が建ち並んでいますが、これらは現存する世界最古の木造建築群として往時の姿を現在に伝えています。

法隆寺の参道(聖徳太子は、松が好きだったそうです。)

法隆寺石碑

法隆寺中門

中門には、向かって右側に金剛力士像阿形(あぎょう)、向かって左側に金剛力士像吽形(うんぎょう)が立っていました。迫力満点ですね!

金剛力士像阿形(あぎょう)

金剛力士像吽形(うんぎょう)

中門の横から西院伽藍に入ると、金堂と五重塔が目の前に現れました。ずっしりとした形状で荘厳な雰囲気に溢れています。とても1,400年以上も昔の飛鳥時代に創建された建築物とは思えないほど、現在の私達にも通じる美しさがありました。五重塔の真ん中にある心柱の下には心礎(しんそ/仏塔の中心の柱を受ける礎石)といわれる場所があり、そこにはお釈迦様の骨が納められているそうです。金堂には、法隆寺の本尊である釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来が安置されているとのことですが、暗くてよく見えませんでした。

世界遺産の「法隆寺」の金堂(左)と五重塔(右)です。

大講堂にも行ってみました。大講堂は、比較的新しく、西院伽藍で最も大きな建造物になります。中は明るいので、仏像を見ることができました。

大講堂

大講堂内の仏像

次に、夢殿のある東院伽藍に移動しました。ここは、聖徳太子の住居であった斑鳩(いかるが)の宮の跡で、太子供養のために建てられたお堂です。夢殿では、ちょうど救世観音菩薩(飛鳥時代、国宝)の特別開帳中でした。中には入れないので外から覗いてみたのですが、真っ暗で見えませんでした~。

夢殿

救世観音菩薩(見えませんでした~。)

続いて、法隆寺に伝来する数々の名宝が安置されている大宝蔵院に行きました。目を引いたのは、一万円札の顔だった聖徳太子の肖像画です。この肖像画は、中学の社会科の教科書でも見たことがあります。

大宝蔵院入口

聖徳太子の肖像画

聖徳太子ですが、娘から「聖徳太子って言わない。厩戸皇子(うまやどのおうじ)って言う」と教えられたことがあります。最近になって一万円札の御方の氏名が変わるなんてひどい話。更に、「厩戸皇子(うまやどのおうじ)という人物がいたのは確かだが、憲法十七条や冠位十二階などに関与していたという証拠はない。なので、“聖徳太子はいなかった”とする見方が現実味を帯びている」といった話が聞こえてきます。何が本当のことかよく分かりません。日本史の学者先生、しっかり研究してください‼

玉虫厨子(たまむしのずし)もありました。装飾に玉虫の羽を使用していて美しいそうですが、どの角度から見ても黒々としていて、年季が入った物にしか見えませんでした。

玉虫厨子

最も美しかったのは、百済観音像です。写真写りがキレイで、素晴らしさが伝わってきました。と言うのも、2年前にガラス展示ケースを新調したそうです。高透過ガラスに特殊な加工を施し、透明度が高く、かつ、反射を抑えるような仕上げになっているので、バッチリです! 展示ケースのガラスを全部新調して欲しいと思いました。

百済観音像

大宝蔵院を後にして出口の方に向かう時に、鏡池のそばで正岡子規の句碑を見つけました。「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という有名な句です。正岡子規の句碑を見かけることは多いですが、彼はここにも来てたんですね~。

正岡子規の句碑

法隆寺を出てから、約1時間ほど自由時間になりました。それで、参道のそばにあるお店で、お昼ご飯をいただきました。法隆寺は柿で有名です。近くのお店では、柿を練りこんだ「柿うどん」と「柿の葉寿司」ばかりが売られていました。それで、チャレンジしてみました。色は良いけど柿の味は感じませんでしたね~。それで、柿入りのソフトクリームにもチャレンジしましたが、これも同じく柿らしい味はしませんでした。

「柿うどん」と「柿の葉寿司」

柿入りのソフトクリーム

昼食と休憩の後、奈良大和 四寺巡礼の最初のお寺「室生寺(むろおじ)」に行きました。「室生寺」は、別名「女人高野」として知られる古刹(こさつ/由緒ある古い寺)です。女人禁制の高野山金剛峰寺に対し、高野山と同じ真言宗に属していますが、女性の参詣を認めていたことから、「女人高野」との別名を持っているとのこと。奥深い山と渓谷に囲まれた原生林の中に国宝の金堂、本堂、五重塔などが散在し、特にシャクナゲや紅葉の時期は素晴らしい景観が楽しめれるそうです。

仁王門

最初に、慶雲殿に通されて、僧侶のお話を聞きました。内容は、奈良大和 四寺巡礼の目的や「室生寺」の概要です。その時に、お土産用として巡礼衣をいただきました。奈良大和四寺(長谷寺、室生寺、岡寺、安倍文殊院)を巡礼する時に着用するそうです。

慶雲殿

僧侶のお話し

巡礼衣(一度も着用しませんでした。)

僧侶のお話が終わってから、外に出て、僧侶の案内に従って参拝して回りました。

鎧坂

鎧坂を登りきった所に、平安時代前期(9世紀後半)に建立されたこけら葺きの金堂(国宝)がありました。

金堂(国宝)

金堂からさらに石段を登ると本堂がありました。1308年の建立だそうです。

本堂(国宝)で参拝

さらに石段を登って行くと、五重塔がありました。平安初期(西暦800年頃)に建てられ、高さ16.1mと、日本一小さい五重塔で、室生寺山中の最古の建築物です。平成10年の台風で大きな破損を受けましたが、平成12年に修復が完成し、現在に至っているとのことでした。

五重塔

室生寺を出て、室生川の橋の上に立つと高見山が見えました。所々に桜が咲いていて、ピンク色が素敵やった~!

高見山

本日最後の観光先は、四寺巡礼2番目のお寺「長谷寺(はせでら)」です。長谷寺は、西暦686年に天武天皇の御願により創建され、真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の総本山です。「源氏物語」や「枕草子」などの古典の中でも記されている歴史あるお寺で、一年を通してさまざまな花が咲き誇るため「花の御寺(みてら)」とも呼ばれています。本尊の十一面観世音菩薩立像は、約10メートルもの高さを誇る日本最大の木造観音像です。

私達が到着したら、僧侶が出迎えてくれ、本堂まで案内してくれました。

案内してくださった僧侶

入口の仁王門から本堂までは399段の屋根付きの階段がありました。参拝のために階段を上らないといけないなんて、しんどいです。高齢者で足腰が弱ってくると、参拝が難しくなるのにね。

屋根付き階段

階段は上になるほど段差が大きくなっていました。

399段を登りきって、やっと本堂に到着しました。

本堂(国宝)

本尊の十一面観世音菩薩立像に参拝しました。

本尊(十一面観世音菩薩立像)

長谷寺にも五重塔がありました。室生寺の五重塔に次いで、日本で二番目に小さいと聞きました。

長谷寺の五重塔

「花の御寺(みてら)」と言われるだけあって、境内の桜がとても綺麗でした。

長谷寺の桜

長谷寺の桜

これで、本日の観光は終了です。橿原市にある『THE KASHIHARA』へと行きました。18時前にチェックインしました。部屋ですが、ダイワ・ロイヤル・ホテルの系列なので、同じような造りになっていました。

洋室の部屋

ユニットバス

夕食は、遅めの18時45分からでした。たまたま同席したUご夫妻と話をしたら、ご近所さんだということが分かってビックリしました。ご縁があるんですね! 町内会や公民館活動などの話で盛り上がって、楽しいひと時を過ごすことができました。ありがとうございました。

Uご夫妻と一緒に記念写真

夕食は、次の通りです。

メニュー表

和食のセット料理でした。

デザート(目玉焼きではありません。ココナッツミルクを使ったスイーツです。)

今日は、かなりあちこちの観光をしました。面白かったのですが、新しいことを沢山見聞きしたので、少し疲れた感じです。

4.吉野千本桜、岡寺、安倍文殊院、新大阪駅から博多駅へ(3日目/4月12日)

レストランが7時にオープンするので、7時ちょうどに行くと既にお客さんが何人もずらーっと並んでいました。朝は、荷物をまとめたりチェックアウトで精算したりしないといけないので、皆さん早め早めに行動しているようです。

ビュッフェの朝食

ホテル出発は、8時20分でした。昨日は夕暮れの中、ホテルに到着したので、今朝改めてホテルをじっくり見ました。玄関の横に大きな窓を備えたチャペルがありました。ちょっとイイ感じ。

『THE KASHIHARA』

今日は、まず初めに日本さくら名所の吉野千本桜に行きます。吉野千本桜は、「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として2004年に世界文化遺産に登録されています。吉野山には古来桜が多く、シロヤマザクラを中心に約200種3万本の桜が密集しているそうです。シロヤマザクラは下・中・上・奥の4箇所に密集しており、”一目に千本見える豪華さ”という意味で「一目千本」とも言われます。例年4月初旬から末にかけて、下→中→上→奥千本と、山下から山上へ順に開花していくため、長く見頃が楽しめるとのことです。今回の旅行の目的の一つに吉野千本桜の鑑賞が入っています。なので、期待しています!

バスを駐車場に停めて、下千本から中千本に向かってメイン通りを歩きました。途中、目印になる黒門や銅の鳥居を通過して約20分くらい歩くと中千本にある金峯山寺に到着。上り坂をずっと歩かないといけなかったので、ちょっときつかったです。帰りは、下り坂になるから楽チンでいいけど。

黒門

銅の鳥居(東大寺の大仏を制作する時に一緒に作られたそうです。)

山の方に目をやると、なるほど、周辺の山々がピンク色に染まっていて凄く綺麗です!こんな景色を見たのは初めて。

吉野千本桜の光景です。山がピンクに染まっていて綺麗でした。

吉野千本桜の光景

中千本にある世界遺産の吉水神社に行きました。もとは金峯山寺の格式高い僧坊でしたが、明治の神仏分離によって神社となりました。源義経が弁慶らと身を隠したこと、後醍醐天皇の行宮であったこと、豊臣秀吉が花見の本陣とした等の歴史的逸話で知られています。

吉水神社

吉水神社の展望所から見た吉野千本桜

吉水神社の境内の様子

境内には、弁慶の力釘がありました。この弁慶の力釘については、次のようなエピソードがあります。・・・源義経が吉水神社の僧坊にかくまってもらっていると知った兄・頼朝の追手はわめきました。「ここに義経が隠れているであろう。出てまいれ!️」 それを聞いた弁慶は顔を真っ赤にして、そばにあった釘を二本抜き、やにわに表に飛び出すと大声で叫びました。「やぁやぁ、我こそは弁慶なり。力自慢をいたそうぞ!」 そして、追手達の真ん中にあった岩に全身全霊の力を込めて、親指で釘二本を打ちこみました。弁慶のその形相と火事場の馬鹿力ともいえる怪力を目の当たりにした追手達は、蜘蛛の子を散らしたように逃げ去ったそうです。後に、豊臣秀吉も吉野の花見の際に、この弁慶力釘に「力をもらいたい・・力を‼️」と言って触れた、と伝えられています。・・・

弁慶の力釘

メイン通りを歩いていると、たまたま吉野山花供会式(はなくえしき)での大名行列を観ることができました。山伏のホラ貝に合わせて、奴さんが踊る場面もありました。花供会式は、1300年も続く由緒正しい伝統行事だそうです。

花供会式(はなくえしき)での大名行列

動画:奴さんの踊り

時間になったのでバス駐車場に戻り、再びバスに乗って次の昼食会場(明日香村にある「あすか野」)に行きました。この昼食は、ツアーに付いていたものです。

「あすか野」での昼食

食事が終わってから、近くに蘇我馬子の墓と考えられている「石舞台古墳(特別史跡)」があるので、見に行きました。受付のそばに造り方を書いた看板がありました。巨石を積み上げて造った古墳は、初めて見るものです。迫力があります! エジプトのピラミッドみたいに、時代の権力者じゃないと造れないと思います。明日香村には、面白そうな史跡や考古学博物館があるので、改めて訪れたいと思いました。

石舞台古墳の造り方(写真をクリックすると、拡大します。)

石舞台古墳(特別史跡)

石舞台古墳の入口方面

入口

中の様子[ここに石棺(次の写真)が置かれていたと推測されています。]

石棺

続いて、同じ明日香村にある「岡寺」(四寺巡礼3番目のお寺)に行きました。正式名称は「龍蓋寺」ですが、飛鳥の岡にあるお寺とのことから「岡寺」の名で広く親しまれています。天智天皇の勅願により、663年に義淵僧正が建立しました。ご本尊の如意輪観音菩薩は、像高さ約4.6mのわが国で最も大きな塑像(粘土で造られた像)で、古くから厄除け観音として信仰を集めています。奈良の大仏長谷寺 の十一面観世音菩薩岡寺の如意輪観音菩薩は、日本三大仏にもあげられています。

岡寺の門

本堂(四国八十八カ所霊場よりも古い日本最古の霊場と言われています。)

ご本尊の如意輪観音菩薩

本堂で僧侶のお話を聞き、その後、参拝をしました。それから自由行動となったので、境内のお花を見てまわりました。

岡寺の桜

シャクナゲの木がたくさんありました。

シャガ

続いて、四寺巡礼の最後のお寺「安倍文殊院」に行きました。「安倍文殊院」は、ことわざ「三人寄れば文殊の智恵」で有名な文殊菩薩をご本尊としています。快慶作の文殊菩薩は日本最大の大きさ約7㍍で国宝に指定されています。大化改新時に左大臣となった安倍倉梯麻呂が、安倍一族の氏寺としてこのお寺を創建しました。阿倍仲麻呂、安倍清明の出生の寺とも言われています。

「安倍文殊院」の門

門をくぐると、近代的な施設「吉祥閣」に通されました。そして、僧侶のお話の概要は、「このお寺には檀家はなく、祈禱だけで成り立っている。なので、困った人の救済をするために開門や閉門は行っていない。24時間オープンにしている。困ったことがある時は、いつでもうちに来て欲しい。」と言ったことでした。お話を聞く間、薄茶(抹茶)と落雁をご馳走してくれました。疲れていたので、美味しかった~!

吉祥閣(立派な建物です。儲かってるんやねー!)

右側の部屋でお話を聞きました。

落雁

僧侶のお話の後は、境内を散策しました。

本堂

境内には、文殊院西古墳(特別史跡)がありました。飛鳥時代に造られたもので、内部は西暦645年当時のままの状態で保存されているそうです。大化の改新の時に左大臣として登用された安倍倉梯麻呂の墓と考えられています。

西古墳の入口

古墳の中の様子

「阿倍仲麻呂の望郷の桜」もありました。阿倍仲麻呂は、717年に遣唐留学生として唐に渡りました。大学に学び、科挙試験に合格し、唐朝の官職を歴任しています。超エリートだったと言うことです。753年に許されて、遣唐使一行と帰途につきましたが、途中暴風のため難破し、ベトナムに漂着。唐に戻ることになり、日本への帰国を果たせず、770年に唐で73歳の生涯を閉じています。彼の「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」の歌は有名です。で、2018年10月7日に中国・西安市の興慶宮(こうけいきゅう/唐の長安城の一部)を訪れた時に、阿倍仲麻呂記念碑を観光しました。阿倍仲麻呂は、中国でも有名人だそうです。

阿倍仲麻呂の望郷の桜(安倍文殊院)

中国・西安市の興慶宮を訪問(2018年10月7日)

阿倍仲麻呂記念碑

記念碑の説明(勿論、中国語!)

記念碑の裏に、「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」の歌が中国語で書いてありました。

「安倍文殊院」をもって、このたびのツアーは終りです。バスに乗って、新大阪駅へ行き、19時2分発のぞみ49号に乗車して、博多駅に戻りました。

今回のツアーでは、奈良の大仏や法隆寺を50年ぶりに観光することができたし、最大の目的だった吉野千本桜(桜の名所)も鑑賞することができました。吉野千本桜については、1週間早ければもっと良かったのかもしれませんが、イメージを掴むことができたし、それなりに楽しめて満足です。それから、国宝の信貴山縁起絵巻を見ることができたのも感動でした。高校時代を思い出しましたよ。明日香村の「石舞台古墳(特別史跡)」も良かったです。明日香村には、もう一度訪れてみたいですね。奈良大和四寺巡礼については、興味はなかったのですが、結構面白くて楽しくもありました。行ったことのない所を訪問し、初めて見聞きすることばかりが続く旅行は、やっぱりイイものです‼

 

2022年旅行一覧に戻る

このページの一番上に戻る