シェムリアップ 5泊6日

カナダから戻って来て以来、ずっと孫のお世話をしていました。保育園に迎えに行って、夕ご飯を食べさせてなど忙しい日々を過ごしていました。勿論、楽しくもありましたが、旅行に行って気分転換をしたいなぁって気持ちも芽生え始めていました。そんな中、娘一家が国内旅行に出掛けることになったので、10月10日から15日までカンボジアのシェムリアップに遊びに行くことにしました。シェムリアップでは、世界遺産であるアンコール・トム、タ・プローム、アンコール・ワットなどの観光をします。久々の海外旅行なので、新鮮な気持ちで楽しめそうです。飛行機とホテルは自分で手配を行い、現地での観光については、Veltraの現地ツアー(日本語ガイド付き)を利用しました。この旅行では、クルーズ船を利用していません。

1.旅行先

カンボジア/シェムリアップ

 

2.旅行時期及び期間

2024年10⽉10⽇(木)から2024年10⽉15⽇(火) 5泊6⽇  

 

3.福岡発・ベトナム/ハノイ経由・カンボジア/シェムリアップ着泊 1日目 10月10日

福岡国際空港で出国手続きを済ませてから、プライオリティーパスを使うためにKALのラウンジに行ったら、8時半から11時までは使えないと言われました。それで、最近出来たばかりの福岡ラウンジに行きました。福岡ラウンジは、一見とても綺麗で良さそうに見えるのですが、実際に中に入ってみると、料理がほとんどありませんでした。お客さんが多い上にビュッフェスタイルなので、あっという間に料理がなくなってしまうのですよね~。みんなから圧倒されてしまいました。

福岡空港国際線ターミナルに最近できた新しいラウンジ

新ラウンジは、広々としています。

利用者が多かったです。

やっと入手した食料

10時発のベトナム航空VN357便(ベトナムのハノイ空港行き)に搭乗しました。約4時間30分の飛行時間です。

VN357便の搭乗口

VN357便

ピーナツとオレンジジュース

飛行ルート

機内食(洋食)

機内食(和食)

ハノイ空港に到着したのは現地時間の12時です。そこでシェムリアップ行きの飛行機に乗るまでの約3時間半をプライオリティーパスを使ってラウンジで過ごしました。ここのラウンジはとても良くて、料理の品数も豊富だし、部屋も広くてきれいでした。トイレも衛生的で良かったです。

ハノイ空港のラウンジ入口

ラウンジ内の様子

ベトナム料理のフォーを作ってくれました。

食べ物、飲み物もいろいろあって、どれを食べようか迷ってしまいました。

シェムリアップ空港行VN837便の搭乗口

VN837便

15時25分発のVN837便でハノイ空港を出発しました。ハノイ空港からシャムリアップ空港までは近くて、飛行時間は1時間45分です。機内食として、簡単なサンドイッチみたいな料理がでました。で、あっと言う間に17時10分頃、無事到着。入国は、事前に在福岡カンボジア王国名誉領事館でビザを取っていたので、スムーズに入国できました。

空港の出口では、宿泊ホテル(Golden Temple Residence)のドライバーさんがネームプレートを掲げて迎えに来てくれていました。タクシーを拾って、連れて行って貰うのもいいけど、ホテルサービスの送迎車だと間違いない上に、迅速にホテルまで移動できるのでとても便利です。宿泊施設を選ぶ時に、空港送迎サービスのある施設を選ぶのもよろしいかと思います。余計な心配をしなくていいもんね。早速、迎えの乗ってホテルへ移動。結構遠くて、約1時間かかりました。

カンボジアのシェムリアップ空港

シェムリアップ空港

ドライバーさんと合流して車に乗りました。

道路脇の屋台

18時頃、4泊を予定しているGolden Temple Residenceに到着しました。チェックイン時にロビーでお茶のサービスがあって、ものものしい感じ。

Golden Temple Residence

ロビーでお茶のサービス

五つ星のホテルだけあって、部屋は広くて、エアコンもよく効いていて、掃除も行き届いていて快適です。ベッドには、花びらが飾ってありました。オシャレですね~。バス・トイレも良かったです。朝食4回・ランチ1回・全身マッサージ1回付きで、二人4泊で約5万円でした。今日は、ラウンジなどでかなり食べたので、夕食は持って来ている食品を適当に簡単に食べて済ませました。

リビング

ベッドルーム(花びらがベッド上に‼ 素敵ですね~❣)

洗面 & シャワー

トイレ

リビングのテーブルには、サービスの果物が置いてありました。

クメール王朝(首都アンコール)について:クメール王朝は9世紀から15世紀まで東南アジアに存在した王国で、現在のカンボジアの基礎を築きました。その王国の首都アンコールに由来して「アンコール王朝」とも呼ばれ、アンコール・ワットやアンコール・トムに代表される壮大な寺院を築きました。それらが、現在のカンボジアのシェムリアップ州の州都シェムリアップ近郊にある遺跡群です。

西暦900年頃のクメール王朝の版図(赤)

今回訪れたのは、アンコール・トム、タ・プローム、アンコール・ワットやヒンドゥー教のバンテアイ・スレイ寺院跡、仏教のベンメリア寺院跡、ヒンドゥー教のコ―・ケー寺院跡。それ以外に、カンボジア料理を食べながら、カンボジアの音楽と踊りを楽しんだアマゾン・アンコール・レストランがあります。更には、シェムリアップの南にあるカンボジアで最も大きな湖「トンレ・サップ湖」をボートで移動して行った水上レストラン&お土産品店もあります。それぞれの位置を下の地図に示しました。シェムリアップ周辺には、今回の旅行では行けなかった「アンコール王朝」時代の遺跡が、まだまだたくさんあります。シェムリアップの歴史の深さを感じた次第です。

今回の旅行で訪れた観光地の配置

4. カンボジア/シェムリアップ泊 2日目 10月11日

プール脇にあるレストランで朝食をいただきました。外の空気が爽やかで、落ち着いた雰囲気のレストラン。こんな素敵な場所で食事ができるのだから、当然、何を食べても美味しいよね‼

プール脇のレストラン

レストランの様子

お好みのオムレツのオーダー

サラダバー

本日の朝食

オレンジをカッティングしてくれました。オシャレ~!

シェムリアップ遺跡の観光は、専用車&ドライバー&日本語ガイドがセットになっています。本日の訪問先は、① アンコール・トム(見学)、② タ・プローム(見学)、③ アンコールクッキーショップ(見学&ショッピング)、④レストラン・クリスタルアンコール(伝統料理の昼食)、⑤ アンコール・ワット(見学&夕日鑑賞)となっています。ホテルは、シェムリアップのダウンタウン内にあり、近くに市場やレストランがあり、食事やお土産の買い物にとても便利な場所にあります。

朝食後の8時30分頃、ホテルロビーにガイドのブンさんが迎えにきました。遺跡を観るためには、チケットが必要なので、最初にアンコール遺跡群チケットセンターへ行きました。3日分のチケット62$(約9,500円)を購入しました。外国人観光客価格なのでかなりお高いけど、やむをえません。チケットを購入してアンコール・トムの南大門に向かいました。

シェムリアップの遺跡地図

アンコール遺跡群チケットセンター

チケット販売のアンコール社の看板

チケット購入窓口

3日券 62$

アンコール・トムは、12世紀後半にクメール王国の首都(約3㎞四方の城郭都市)として完成しました。同城郭都市には、合計5つの城門があります。全て同じ装飾で造られていますが、南大門が最も保存状態が良いそうです。南大門の手前に車を止めて、ブンさんからアンコール・トムの説明を聞きました。

アンコール・トムの平面図

南大門の標識

お濠上の南大門への通路(橋)

前方に見えるのが南大門です。

南大門への通路で記念写真

南大門への通路の両脇には、様々な表情の石像がありました。

どの石像も顔と表情が違うのですよ~!

南大門の上部の巨大な四面像は観音菩薩で、顔の大きさは約3メートルもあるそうです。

南大門と巨大な観音菩薩の顔

観音菩薩の顔を拡大

南大門を潜って城郭内に入り、城郭内から南大門を振返ってみました。

南大門を振返ってみたところです。

観音菩薩の顔

観音菩薩の顔

車に乗って、城郭の中央に建つバイヨン寺院跡に向かいました。バイヨン寺院は、12世紀当初は大乗仏教の寺院でした。しかし、後にアンコール王朝にヒンドゥー教が流入してからは、寺院全体がヒンドゥー化したそうです。

バイヨン寺院の標識

日本の基金によりバイヨン寺院の保存工事が行われている旨の表示がありました。

バイヨン寺院

バイヨン寺院を特徴付けているのは、中央祠堂を始め、塔の4面に彫られている人面像(バイヨンの四面像)です。人面像は、クメールの微笑みと呼ばれているそうです。人面像は、観世菩薩像を模していると一般的に言われていますが、人面像が戦士を表す葉飾り付きの冠を被っていることから、ジャヤーヴァルマン7世を神格化(偶像化)したものであるとの説もあります。また、21世紀に入ってからは、3次元CG化と解析によりヒンドゥー教の神々を表しているとの説も出てきています。

中央祠堂の人面像

バイヨン寺院には50近い塔があります。それぞれの塔の4面には人面像が彫られ、合わせて117個の人面像が残っているそうです。人面像の高さは、1.7~2.2メートル程度で、個々にばらつきがあるとのこと。

たくさんの塔からなるバイヨン寺院

バイヨン寺院の内部は、三層(地上3階)よりなるそうですが、今回は第一層のみを観ました。第一層には、東西南北全方向に門があります。さらに第一層には、第一回廊と第二回廊(外回廊)があり、それぞれ壁面にたくさんのレリーフが残っていますが、第一回廊は保存状態があまり良くないので、主に第二回廊(外回廊)を観て廻りました。チャンパとの戦争の様子やバイヨン建設当時の市場の様子や狩の様子などがレリーフに彫り込まれており、庶民の暮らしを窺い知ることのできる貴重な資料になっているそうです。

第一回廊のレリーフ

第一回廊のレリーフ

陸上での戦い

船での戦い

人々の暮らしの様子

人々の暮らしの様子

バイヨン寺院跡を観終えて、象のテラスへ歩いてきました。象のテラスは周囲より、5メートルくらい高い位置にあって、その壁面にたくさんの象を彫ったレリーフが飾ってありました。

象のテラス

象を彫ったレリーフ

象のテラスをさらに進むとテラスが出っ張ったところに来ました。出っ張ったテラスの先には、まっすぐ東の勝利の門に繋がる道がありました。反対側には王宮の門がありました。ガイドさんは、「戦いに勝利した戦士を王宮から王様が象のテラスの出っ張ったところに出て来て、歓迎したのだろう」と説明してくれました。

勝利の門に繋がる道

王宮の門

象のテラスを下りると、前方にライ王のテラスと彫像が見えました。

ライ王のテラス

ライ王の名称は、この場所で発見された15世紀の塑像(そぞう)に由来しています。片足を立てた坐像はヒンドゥーの死の神であるヤマ(閻魔)を表現しており、しかもこの像には手に指がなくライ病を連想させ、更には、ライ病を患ったとされる王の伝説もあったからです。しかし発掘が進み、現在は、この像はお尻に刻まれた文から、ヤマ大王(ダルマラーヤ  Dharmaraja)であったことが判明しています。

ライ王の彫像の標識

ライ王の彫像

アンコール・トムの観光を終え、車でタ・プロームに向かいました。タ・プロームは、12世紀末にクメール人のアンコール朝の王ジャヤーヴァルマン7世により創建され、大乗仏教の僧院でした。後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられています。

タ・プロームの標識

タ・プローム入口

入口を入った所の光景

建物の一部が崩壊していました。

木の根が元気です。

塀を乗り越えて生えている根

 

崩壊した建物に苔が生えていました。

苔の色が綺麗です。

不思議な形の根

崩壊した建物の上に木が生えています。

網の目のような形の根

アンコールでは、9世紀頃から数々の王国の建設が開始されました。これらの遺跡に特に大きく関わったとされるのは、アンコール・ワットのスーリヤヴァルマン2世(1113年-1145年)とアンコール・トムのジャヤーヴァルマン7世(1181年-1218年)だといわれています。しかし、ジャヤーヴァルマン7世が崩御した後のアンコールは、アユタヤ朝の進入を度々受けその存在を侵され始め、その後のポニャー・ヤット王はついにアンコールを放棄するに至りました。このためこれまで建設された王宮や寺院の廃墟化が進んでいます。タ・プロームでは、ガジュマルによる浸食が激しく、遺跡には、文字通り樹木が食い込んでいます。あまりの酷さにインド政府は、タ・プロームの修復計画を発表しました(インドはタ・プロームの修復を担当しています)。しかし、熱帯の巨大な樹木は遺跡を破壊しているのか、それとも今や遺跡を支えているのかという議論が発現し、この遺跡の保存方針をめぐって、ユネスコを中心とした活発な議論がされているそうです。

見学を終えてから、レストラン・クリスタルアンコールで昼食です。清潔感のあるお店でした。

レストラン・クリスタルアンコール

客席

昼食

昼食

昼食

昼食

食事の後は、夕日の沈むアンコール・ワットの観光となっています。しかし、時間的に少し早すぎるので、ガイドさんから「マッサージに行ってリフレッシュしてはどうか?」という提案がありました。折角なのでお願いすることにしました。足先をお湯の中でマッサージした後、1時間ほど念入りに全身をマッサージしてもらいました。施術は1人15$と安かったです。

マッサージ店

リフレッシュしてからアンコール・ワットに行きました。

アンコール・ワット概略図

アンコール・ワットの標識

環濠を渡る西参道

西塔門

西参道のかなたに祠堂(しどう)の塔が見えて来ました。

 

西参道にある経蔵(図書館)

祠堂(しどう)が近くなりました。

アンコール・ワットは、12世紀前半にクメール王朝のスーリヤヴァルマン2世が自身の葬祭殿として造営したヒンドゥー教寺院だそうです。ヒンドゥー教の神であるヴィシュヌ神に捧げられたものとのこと。前庭を越えると三重の回廊(第一回廊、第二回廊、第三回廊)に囲まれて、残存する5基の祠堂(しどう)がそびえています。祠堂は元々第二回廊と第三回廊のそれぞれの四角形の角に計8基と中央に最も高い1基の合計9基でしたが、第二回廊の4基が倒壊して、現在は残存する5基の祠堂だけになっているとのことです。第一回廊は東西200メートル、南北180メートルです。第一回廊と第二回廊の間には、南北に経蔵(図書館)があり、また中庭には雨水を湛え、参拝者はそこで身を清めたという沐浴の池跡がありました。

第一回廊への入口

沐浴の池跡

第一回廊の連子窓

ヴィシュヌ神を表現した立像

17世紀前半には朱印船貿易を通じて日本人にアンコール・ワットの存在が知られるようになりましたが、当時の日本人は、この寺院を釈迦が説法を行ったインドの祇園精舎と誤って認識していたそうです。その後も、通航の増大により、日本から巡礼客が多く訪れるようになり、日本人参拝客の墨書がアンコール・ワットの各所に残されているとのことでした。ガイドさんから、『1632年に、日本人の森本右近太夫一房が参拝した際に、壁面へ残した「御堂を志し数千里の海上を渡り」「ここに仏四体を奉るものなり」という墨書があります』と教えてもらいましたが、どこに何が書かれているのか全くわかりませんでした。

第一回廊の東・西・南・北の壁面には、それぞれテーマごとにレリーフがありました。すべてを観るには時間がかかり過ぎるので、レリーフを観ながら「乳海攪拌」と「天国と地獄」をガイドさんが説明してくれました。

東壁面のレリーフ:北側が「阿修羅に対するヴィシュヌ神の勝利」、南側が「乳海攪拌」
西壁面のレリーフ:北側が「ラーマーヤナ」、南側が「マハーバーラタ」
南壁面のレリーフ:東側が「天国と地獄」、西側が「偉大な王の歴史回廊」
北壁面のレリーフ:東側が「怪物バーナに対するクリシュナの勝利」、西側が「神々の戦い」

アンコール・ワットの建物配置と第一回廊のレリーフのテーマ

東壁面の南側の『乳海攪拌』は、大亀(ヴィシュヌ神の化身)の背に乗った大マンダラ山に大蛇を巻き付け、その左右両側から、神々の軍(右)と阿修羅の軍(左)が、大蛇の胴体を綱として引き合う「乳海攪拌」のクライマックスシーンが表現されているそうです。攪拌(かくはん)とは、かき混ぜるという意で、千年の歳月をかけて海をかき混ぜると、海は乳海となり、そこにラクシュミー神妃が誕生し、最後に妙薬アムリタ(甘露)が得られるという神話が「乳海攪拌」だそうです。右側の神々の最後尾で綱を引くのは、サルの将軍「ハヌマーン」で、左側の最後尾で大海をかき回しているのは、阿修羅とのことでした。

『乳海攪拌』のレリーフ(阿修羅の軍と神々の軍の綱引き)

南壁面の東側には、死後の世界を描いた『天国と地獄』のレリーフが66メートルに渡って描かれていました。閻魔(えんま)大王の裁きをうける現世の人々が並ぶ中段のレリーフを挟み、下段が地獄、上段が天国を表現しているとのこと。

『天国と地獄』のレリーフ(上段が天国、中段が現世、下段が地獄)

中段から下段へは、現世から地獄へ落される人たちを描いているそうです。地獄へ落される人は、何とかしがみつこうとしていますが、落とされていってしまう人々の様子が見えます。落とされた後には、たちまち地獄での厳しい処分が行われている様子が描かれていました。

『天国と地獄』のレリーフ(中段の現世から下段の地獄へ落される人々)

第二回廊は、東西115メートル南北100メートルで、石段を登って入ります。写真の石段は通行止めで第二回廊に行けず、別の通路から行きました。第二回廊には、レリーフなどはありませんでした。

第二回廊への通路と階段

第二回廊

第二回廊から更に内側に進むと、アンコール・ワットのシンボルである高さ65mの中央祠堂が現れました。中央祠堂は、ヒンドゥー教の宇宙観で、神々が降臨するとされる「須弥山(メール山)」を表しているそうです。
第三回廊は、一辺が60メートルの正方形で、回廊の四隅には4つの尖塔(副祠堂)があります。第二回廊より13メートル高い位置にあり、長い急な石段でかなり老朽化が進行していて、こちらも通行禁止になっていました。新たに設置された東側から第三回廊へ登る階段がありましたが、第三回廊は回廊だけで、中にはなにもないというガイドさんの説明だったので、敢えて登りませんでした。

第三回廊への通行禁止の老朽化した長い急な石段

新たに設置された東側から第三回廊へ登る階段

アンコール・ワットの内部の観光を終え、夕日に映えるアンコール・ワットの写真を撮りに正面に行きました。夕陽に照らされたアンコール・ワットが綺麗でした。

夕日に映えるアンコール・ワット

夕日に映えるアンコール・ワット

夕陽に照らされたアンコール・ワットの撮影を終え、ホテルに帰る途中にお土産屋に寄りました。たくさんのお土産が用意されていました。アンコールクッキーと孫たちに送る絵はがきを購入しました。

アンコールクッキーの店

アンコールチョコレートの店

ホテルに帰り、ひと休みして近くのレストランに夕食を食べに出かけました。夕食は、毎日近くのレストランを変えて味とサービスを比較しながら楽しんでいます。

5.カンボジア/シェムリアップ泊 3日目 10月12日

天気はまずまずなので、アンコール・ワットの朝陽を観に行きます。朝の3時40分に起床。朝4時50分にアンコール・ワットの朝日鑑賞でホテルのロビーに集合しました。予定では混載となってましたが、私たち2人だけの専用車になっていました。ガイドのブンさんとドライバーがホテルにピックアップに来てくれました。朝陽の撮影後はホテルに帰って朝食。その後ホテルで休憩をとり、ランチを食べた後、車で約1時間の「東のアンコール・ワット(アンコール・ワットのモデル)」と呼ばれ、しかも天空の城ラピュタに似た光景が観られるといわれているベンメリア遺跡に行きました。

西塔門からかなり離れたところで下車

暗い中、多くの人がアンコール・ワットへ

西塔門を過ぎてアンコール・ワットへ

南の聖池には既にたくさんのカメラマンが集まっていました。

5時54分(日の出時刻)の30分前に現地に到着。写真を撮るために30分間立ったままでずっと朝陽の状態を見守りました。雲がかかっているため、満足できる朝陽の写真は撮れませんでした。

 

 

 

明るくなってしまいました。

たくさんの人が撮影に来ていましたが期待した朝焼けの中のアンコール・ワットショット?

西塔門で朝陽のショットを撮りました。

綺麗な朝陽、朝焼けを背景にしたアンコール・ワットの写真を期待してましたが、撮れずに残念~。何度もチャレンジしないと達成できないのだと思いました。一回行っただけで、素敵な写真が撮れた人は超ラッキーなのでしょうね。悔しいなぁ~と思いますが、仕方ないですね。ブンさんが、これまで撮った綺麗な朝焼けの中のアンコール・ワットの写真をみせてくれました。

ブンさんが撮った綺麗な朝焼けの写真

ブンさんが撮った綺麗な朝焼けの写真

朝焼けとガイドのブンさん

さらに、ブンさんから、「春分の日と秋分の日には、西参道の延長線上にある最も高いアンコール・ワットのシンボルで、高さ65メートルの中央祠堂の真上から朝陽が昇るので、その様子をカメラに収めようとたくさんの人が参道に集まってきます。」と説明がありました。是非そのような写真を撮ってみたいなぁと思いました。アンコール・ワットの朝陽の写真撮影を終え、車でホテルに帰えり、朝食をいただきました。

送迎車

朝食

朝食後はホテルでゆっくりして、午後から東のアンコールといわれる「ベンメリア遺跡」の観光に行きました。昼近くなり、昼食を食べるために、ホテル近くのレストランに出かけました。庶民的なレストランがたくさんあります。食事は、私たちにはとても食べやすい味付けでした。

パブストリート

レストラン

ビールが安い!(グラス1杯で0.5US$)

ランチ

午後1時頃、ガイドのブンさんがホテルにピックアップに来ました。これから「ベンメリア遺跡」まで約1時間のドライブです。ベンメリア遺跡は、アンコール・ワットが建てられる前の11世紀末から12世紀初頭に建築されたそうです。ベンメリア遺跡は、アンコール・ワットと同じ様式・構造を持つため、「東のアンコール・ワット」とも呼ばれています。元々はヒンドゥー教のヴィシュヌ神を祀る寺院として建てられましたが、後に仏教寺院としても使用されたと考えられています。

東のアンコール/ベンメリアの建物配置

アンコール・ワットの環濠に囲まれた敷地の広さは、東西に約1,040メートル、南北に約820メートル。ベンメリア遺跡の環濠に囲まれた敷地の広さは、東西が約1,100メートル、南北が約800メートルで、アンコール・ワットとほぼ同じです。
建物も三重の回廊があり、建築様式や形はアンコール・ワットと同じだそうです。ただ大きさは異なり、アンコール・ワットの一番外側の第一回廊の東西のサイズが約200メートルであるのに対し、ベンメリア遺跡では約50メートルと四分の一になっています。

入場料は、アンコール遺跡群チケットセンターで購入したチケットに含まれていました。この遺跡は、周辺の自然に飲み込まれた神秘的な雰囲気が特徴です。

樹木に囲まれた長い西参道

両脇にアンコール・ワットより小さいコブラの石像

建物はかなり崩壊が進んでいました。

建物はかなり崩壊が進んでいました。

崩壊は、内戦や大木による浸食が原因で進んだだけでなく、アリが地下に大きな空洞を作ったことにより自重で崩壊したとも言われています。 遺跡はジャングルの中に手つかずのまま放置されていて、まるで数百年前から時が止まっているかのような印象を持ちました。

かなり崩壊が進んでいました。

崩壊したベンメリア遺跡

崩壊したベンメリア遺跡

崩壊したベンメリア遺跡

下の写真は、ブンさんが、「ここが、日本の有名なジブリ映画「天空の城ラピュタ」のモデルなのでは? と言われている所です。」と教えてくれた場所です。そう言われれば、アニメの中の「天空の城ラピュタ」に似ているようにも見えます。

「天空の城ラピュタ」に似ているといわれている遺跡

天空の城ラピュタ(アニメ)

かなり崩壊が進んでいました。

元の姿が想像できないほど崩壊してました。

崩壊している様子

崩壊している様子

ベンメリア遺跡は、全体の約75%位が崩れているため、欧米人はあまり観光に来ないそうです。日本人は天空の城ラピュタに似てると言うことでよく来るとのこと。荒廃状態は放置されていて、修復した跡が全くありませんでした。ここはまだ世界遺産になっていないということで、修復するとしたときにはカンボジア政府が全費用を負担しないといけないそうです。経済状態の悪いカンボジアでは、費用負担は非常に難しいので、ほったらかしにされている聞きました。

ベンメリア遺跡の観光を終え、ホテル近くの市場を覗きに行きました。お客さんも結構多くて、活気がありました。

露店のような店が並んでいます。

食料品店

サンダルの店

バッグやお菓子を売っていました。

果物屋

八百屋

お店で接客している女性はみんな、元気が良くて、笑顔が素敵でした。市場見学の後、ホテル近くのレストランで夕食を食べました。今日の夕食も美味しかったです。

春雨ヌードル

焼肉とフライドポテト

6.カンボジア/シェムリアップ泊 4日目 10月13日

午前中にアンコール・ワットの北東部に位置するバンテアイ・スレイ寺院遺跡に行きます。朝食を済ませ、ガイドのブンさんとドライバーがピックアップに来るのをホテルのロビーで待ちました。9時に合流して出発~。

朝食

ホテルロビー

バンテアイ・スレイはヒンドゥー教の寺院で、967年、ラージェンドラヴァルマン王が臨席する下で着工式が行われ、息子のジャヤーヴァルマン5世の代に完成したそうです。バンテアイは砦、スレイは女で、「女の砦」を意味するとのこと。東が正面になっていました。

バンテアイ・スレイ寺院跡の標識

バンテアイ・スレイ寺院跡入口に向かいます。

参道の地面が赤くて印象的でした。

東参道

寺院跡入口

寺院の建物は、大部分が赤い砂岩とラテライトにより建造されていて、規模は小さいのですが、精巧で深くほられた美しい彫刻が全面に施されていました。こうしたことから観光客に人気があり、「アンコール美術の至宝」などと賞賛されているそうです。中でもデヴァター(女神)の彫像は「東洋のモナリザ」とも呼ばれているとのことです。

入口の門

さらに東参道が続きます。

池の先に祠のようなものがたくさんありました。

池の水連

たくさんの祠(ほこら)の全面には、美しい彫刻が施されていました。

美しい彫刻の様子

美しい彫刻の様子

祠の入口の両脇には仏龕(ぶつがん)があり、その多くには女神の像が彫り込まれていました。

祠の入口

入口の右の彫像

別の祠の入口

入口の右の彫像

入口の左の彫像

男性の彫像もありました。

たくさんのデヴァター(女神)の彫像の写真を撮りましたが、「東洋のモナリザ」にふさわしいデヴァターの彫像写真をNHKが撮影していたので、それを掲載します。

女神デヴァター (NHKの映像)

出口から外に出ると、たくさんのお土産屋がありました。その中でカンボジアの涼しそうな服をお土産に買いました。

お土産の服を買いました。

次に、アキ・ラー地雷博物館に行きました。その原因となったカンボジアの内戦について説明します。970年3月17日、親米のロン・ノルがシハヌーク国王の中華人民共和国外遊中にクーデターを決行し、シハヌーク一派を追放、クメール共和国の樹立を宣言しました(10月9日)。一方、シハヌークは北京でカンプチア王国民族統一戦線を立ち上げ、反ロン・ノル諸派の共闘を呼びかけました。シハヌークを助け、共にカンボジア帰国を果たしたのは、毛沢東主義に心酔したポル・ポトらの指揮する共産主義勢力「クメール・ルージュ」でした。10月、ポル・ポトはシハヌーク政権を擁立して、ロン・ノル政権との間で内戦となりました。
同年3月29日、北ベトナムはカンボジア国内の混乱に乗じて、カンボジア侵攻を開始し、カンボジアの東部や北東部を占領しました。これに対し、親米のロン・ノル政権は、激しい反北ベトナムキャンペーンを行い、北ベトナム への支援が疑われるカンボジア在住のベトナム系住民を大量に迫害・虐殺しました。1971年1月、アメリカはロン・ノル政権支援のために南ベトナム派遣軍の一部をカンボジアへ侵攻させましたが、1973年3月29日アメリカがベトナムから完全撤退したため、ロン・ノルは強力な後ろ盾を失いました。このため1975年4月には、クメール・ルージュ(赤いクメール)のポル・ポト派が首都プノンペンを陥落させ、ロン・ノルは国外へ亡命しました。ポル・ポト派は、1976年1月に「カンボジア民主国憲法」を公布し、国名を民主カンプチアに改称しました。
クメール・ルージュのポル・ポト政権は、貨幣制度廃止、都市住民の農村入植と強制労働といった極端な原始共産制社会への回帰政策を実行しました。旧政権関係者、都市の富裕層や知識層、留学生、クメール・ルージュ内の親ベトナム派などは、すべて虐殺されました。反乱の疑いのあるものも政治犯収容所に収容され虐殺されました。1975~1979年のポル・ポト時代の4年間は、国民の約4分の1、約170~200万人が虐殺されました。他方、中国の毛沢東主義を奉じた極端な農本主義政策が採られ、非効率な施策は大干ばつをもたらし、出生率が異常に低下し、飢餓と虐殺、マラリアの蔓延などで大量の死者を出したといわれています。
内戦状態は続き、1978年には、ベトナム人民軍は、ポル・ポト打倒を掲げカンボジアに侵攻しました。1979年には、ベトナム軍がプノンペンを攻略、幽閉に近い状態にあったシハヌークは再び北京へ逃亡、クメール・ルージュはタイ国境近くまで駆逐され、親ベトナムのカンプチア人民共和国が樹立されましたが、この政権は、ベトナムの傀儡政権であるとして世界各国の承認を得られていません。その後もベトナムの関与した内戦状態が続きました。
1990年6月に「カンボジアに関する東京会議」が開催され、1991年10月の最終合意文章に「国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)」の設置などを含むカンボジア和平パリ協定が19か国により調印され、20年に及ぶカンボジア内戦が終結しました。さらに1993年5月には国民議会総選挙が行なわれ、立憲君主制が採択され、同年9月に制憲議会が新憲法を発布しました。9月24日シハヌークが国王に再即位、カンボジア王国が、およそ23年ぶりの統一政権として誕生しました。なお、ポル・ポトは1998年4月に山中で死亡し、同年12月にポル・ポト派幹部が国民へ謝罪しました。2001年には、ポル・ポト派幹部を裁くカンボジア特別法廷の設置が国際連合との間で取り決められました。こうしたカンボジアには、ベトナム戦争とその後約20年間続いた内戦中に、240万個以上の不発弾と、400万~600万個の地雷が残されたといわれています。今回、アキ・ラー地雷博物館にも立ち寄りました。「アキ・ラー」は、カンボジアの人の名前です。なんとこの人ひとりで5万個の地雷を処理し、その処理した地雷や不発弾を展示している博物館が、「アキ・ラー地雷博物館」です。

「アキ・ラー地雷博物館」入口

入場料とその用途

上記写真の翻訳・・・チケット料金は、大人5ドル(寄付金)です。その利用用途は、次の通りとなっています。1ドルは地雷除去に使用されます。1ドルは農村のプログラムを支援するために使用されます。3ドルは博物館で暮らす子どもたちの支援と職員への適正な給与の支払いに使用されます。

 

 

 

上記写真の翻訳・・・土地の浄化にご協力ください。オンラインで寄付をお願いします。カンボジアでは、地雷や不発弾によって何万人もの人が死亡または負傷しています。2008年に撮影されたこの写真は、博物館から 40km未満の道路を走行中に数人が死亡した対戦車地雷事故の残骸を示しています。この国には数百万個の地雷が残っており、同じ数の不発弾、大砲、銃弾が散乱しています。 これらの兵器がいつ設置されたかの記録はなく、地図 も作成されていません。残っているものをすべて除去するには何年もかかるでしょう。それら は、道路脇、村の真ん中、家屋の裏、警察署、そして全国の農地に散らばって発見されてい ます。

アキ・ラー地雷博物館に続いて、パーム砂糖製造店に行きました。パーム砂糖の作り方をガイドのブンさんが説明してくれました。

お店の近くのヤシの木

たくさんの筒

ヤシの木の蕾の先端を切り、筒に入れて滲出する樹液を集めます。

ヤシの木の蕾

樹液を集め、加熱して水分を除き、砂糖にします。

砂糖粒

粒度を揃えて瓶詰めにします。

パーム砂糖は、全ての行程が「手作り」なので、労力がかなりかかります。なので、日本のスーパーマーケット等で販売されている砂糖よりも、お値段は高かったです。甘さは日本の砂糖の方が強いのですが、ビタミンやミネラルなどを多く含むパーム砂糖の方が、健康には良いように思います。

小瓶の砂糖を買いました。

パーム砂糖製造店の近くの店では、スイカが売られていました。

綺麗に陳列されたスイカ

整然と並べられているところが凄いです‼

車に乗ってホテルに戻る途中に、食べ物を売っている屋台がずらりと並んでいる所がありました。揉豚の丸焼きや腸詰などを焼いています。こうした光景を見るにつれ、カンボジア庶民の食欲の凄まじさを感じました。

屋台がずらっと並んでいました。

パーム砂糖を売っているお店

肉や魚のバーベキュー

腸詰

子豚の丸焼き

屋台の一角に有名な高床住居がありました。1階は柱だけで、住居部分は2階にあります。2階は風通しが良いので、エアコンや扇風機がなくても涼しく過ごせるそうです。また、蚊や蠅などの害虫は、高い所まで飛んで来ないので、衛生的で良いとのことでした。

高床住居

午前中の観光を終えて、昼過ぎにホテルに帰りました。お腹が空いていたので、ホテルのレストランに行ってランチをいただきました。

プール脇のレストラン

アンコールビールとサラダ

 

タピオカのスープ

夕刻から、アマゾンアンコールで開催されるディナーショーに出掛ける予定です。それまで時間があるので、宿泊ホテルが行っている「ロータス・スパでの全身マッサージ」に行くことにしました。これは、今回の宿泊に付いている無料サービスです。ロータス・スパのフロアーに行くと、個室に案内され、お茶のサービスがありました。その後、足湯マッサージで足をほぐした後、約1時間の全身マッサージの施術を受けました。

ロータス・スパの個室

お茶のサービス

足湯マッサージ

マッサージでリフレッシュした後は、ディナーショーのピックアップタイムの午後6時半まで、休憩&洗濯を行って過ごしました。ディナーショーのお迎えは、トゥクトゥクでした。

トゥクトゥク

トゥクトゥク

ドライバーは、ヘルメットを着用します。

ネオンで飾られている夜の街

トゥクトゥクの後部の座席で爽やかな風を感じながら、シェムリアップの夜の街の景色を楽しみつつ移動。20分ぐらいでディナーショーの会場のアマゾンアンコールに到着しました。広い会場でしたが、ステージから2番目の指定席で、まずまずでした。夕食はビュッフェ形式で、たくさんのカンボジア料理が提供されていました。ショーが始まるまでの間、ステージの脇ではカンボジア音楽が演奏されていました。音楽を聴きながら夕食をいただきました。

アマゾンアンコールの入口

夕食

カンボジア音楽を演奏しています(ステージの脇)

食事を食べ終えた頃、ショー(カンボジア舞踊)が始まりました。カンボジアの伝統舞踊のアプサラダンスです。どうぞ動画をお楽しみください。

動画:カンボジア伝統舞踊のアプサラダンス

しなやかな手先の指や足の動きは、素晴らしかったです。賑やかな踊りも楽しかったです。約1時間半じっくりと拝見させていただきました。ディナーショーが終わって外に出たら、アマゾンアンコールの前でトゥクトゥクの運転手が私たちを待っていました。夜の屋台の綺麗な明かりを眺めながらホテルに戻りました。

トゥクトゥクに乗っていま~す。

屋台は夜遅くまで営業しているようです。

7.カンボジア/シェムリアップ発・ベトナム/ハノイ着 10月14日

今日の行程ですが、元々は、午前中トゥクトゥクに乗ってガイドのブンさんにトンレ・サップ湖へを連れて行って貰い、その後、ホテルに戻ってチェックアウトをし、ホテルの見送りサービスを利用してシェムリアップ空港へ連れて行って貰うようにしていました。このことをブンさんに話すと、ブンさんが「シェムリアップ空港発のフライトの時刻が遅い(20時45分発のベトナム航空VN842便)ので、空港の先にあるコー・ケー寺院遺跡を観光する時間は十分ありますよ。自分は、Grabタクシーの資格を持っているので車を使うことができます。観光が終わってから、シェムリアップ空港まで送り届けることは可能です。なので、コー・ケー寺院遺跡を観光しませんか?」と提案してきました。少しでも多く観光できるなら有難いと思い、ブンさんの提案を受けることにし、ホテルの見送りサービスををキャンセルしました。朝食を済ませ、8時に迎えに来たトゥクトゥクにブンさんと一緒に乗って、トンレ・サップ湖に向かいました。

朝食

20分くらいでトンレ・サップ湖につながるトンレ・サップ川沿いのフェリー乗り場に到着しました。

フェリー乗場

フェリー乗場

フェリー

トンレ・サップ川の様子

トンレ・サップ川の水深は、約3メートルでメコン川につながっています。この大きな湖があるので、魚が豊富に取れて豊かな暮らしができているそうです。それで、メコン川周辺で生活している人達は300万人もいるとのこと。生活をする上で水は不可欠です。多くの人が集まってくるのは当然ですね。フェリーに乗って約30分もすると、水上レストラン&土産物店に着きました。ここで、お土産を買いました。ここの店ではワニを飼育していました。結構大きなワニもいたのでビックリしました。

水上レストラン&土産物店

飼育しているワニ

水上レストラン&土産物店内の様子

水上レストラン&土産物店内の様子

木製パズル

ワニの頭蓋骨も売ってました。

クルージングが終わってからスーパーマーケットに連れて行って貰いました。品物は豊富でかなり近代的なスーパーマーケットでした。その辺の市場で売っているものに比べると値段は高いですが、清潔感があって良かったです。外国人向けのスーパーのような印象を受けました。ここで買ったのは、ベトナム料理フォーの乾麺とスープの素です。

スーパーマーケット内の様子

ヌードルコーナー

スーパーマーケット内の様子

アイスクリームも売ってました。

その後ホテルに戻り、1時間ほどシャワーを浴びたりして休憩を取り、11時40分頃にチェックアウトをしました。

お世話になったホテルスタッフとホテルロビーで記念撮影

12時にブンさんと合流して出発しました。1時間半くらい車で走ってから、「Romdoul Angkor Ⅱ」で昼食。昼食の料理は、アモックフィッシュとマンゴーシュリンプサラダとランチ3人前です。全部で33$でした。初めて食べる料理ばかりでしたが、とても美味しくて満足できました。

Romdoul Angkor Ⅱ

店内の様子

アンコールビール

手前が、マンゴーシュリンプサラダ

ランチ

落ち着いたレストランでランチをいただいた後、コー・ケー寺院遺跡に向かいました。コー・ケー寺院遺跡のチケット料金は、アンコール遺跡群のチケットとは別料金で、一人1日 15$でした。カンボジアのコーケー寺院遺跡は、2023年9月17日にユネスコ世界遺産に登録されました。これから2年後くらいから修理が始まるそうです。ユネスコからお金を貰って、先進国が技術支援もしてくれるとの話しでした。

一家でしょうか?4人も乗っていて逞しい!(車の窓から)

コー・ケー寺院遺跡は一人1日15$

コー・ケーの地が王都であった正式な期間は、928〜944年の17年間と言われています。ジャヤヴァルマン4世がコー・ケーの地に新都城を築きました。アンコール・ワットが建設されたよりも古い時代にあたります。ジャヤヴァルマン4世は、アンコール王朝第4代の王であるヤショーヴァルマン1世の妹の夫でもありました。元々は、ヤショーヴァルマン1世の二人の息子の摂政役を担っていたようです。正式に遷都が行われたのは928年ですが、921年頃から既にジャヤヴァルマン4世はコー・ケーに移り住み、都城造営に着手していました。921〜928年の間は、2つの政権が併立していたことになります。イーシャーナヴァルマン2世が逝去した後、ジャヤヴァルマン4世は王位を無理やり奪い、コー・ケーを正式な王都として定めました。ジャヤヴァルマン4世の死後、再びアンコールへ都が戻されたため、コー・ケーが王都であった期間は約17年間と短く、その後は長い間放置されてきた歴史があります。シェムリアップから100kmほど離れた奥地に位置するため、手つかずのまま残されている遺跡が多く、「幻の遺跡」と呼ばれる所以です。コー・ケー寺院遺跡は、約9km四方のエリアに30以上の遺跡が散在しています。まだ調査中や修復中の遺跡も残っているため、観光で訪れることのできる場所は20箇所程度だそうです。今回は、コー・ケー寺院遺跡の地図中の番号で、①プラサット・プラム、③プラサット・ドムレイ、⑦プラサット・トム/プラン を観光しました。

 

プラサット・トム/プランの拡大図

プラサット・プラム(Prasat Pram)
「プラサット(Prasat)」はクメール語で「寺院」や「宮殿」や「塔」のことで、「プラム(Pram)」は数字の「5」を意味します。小型の祠堂が5つ並んでいるため、現代ではこのように呼ばれるようになりました。

プラサット・プラム(Prasat Pram)

プラサット・プラム(Prasat Pram)

プラサット・ドムレイ(Prasat Damrei)
「ドムレイ(Damrei)」とはクメール語で「象」という意味です。シヴァ神に捧げられたこの祠堂は、聖域を守護している四隅の4頭の象の彫像にちなんで名付けられました。建物の崩壊が進んで、四隅の象の一基は崩落していました。

 

プラサット・トム(Prasat Thom)/プラン(Pran)の駐車場に車を停めました。周りには、たくさんのお土産屋がありました。訪れる観光客が多いのでしょう。

プラサット・トム(Prasat Thom)/プラン(Pran)の駐車場

プラサット・トム(Prasat Thom)/プラン(Pran)の駐車場付近のお土産屋

お土産屋からプラサット・クラハム(Prasat Krahom)までの両脇にも当時の建物が残っていました。

当時の建物跡

当時の建物跡

プラサット・クラハム(Prasat Krahom)
プラサット・トムの東塔門として、そびえ立っているのがプラサット・クラハムです。現代では、「赤い祠堂」という意味で呼ばれています。この祠堂は正方形設計で、東側と西側に出入り口があります。元々は独立した祠堂として建てられたようですが、後からプラサット・トムの第三周壁と合体させる形で連結されたと考えられています。

プラサット・クラハム(Prasat Krahom)

プラサット・クラハム(Prasat Krahom)

プラサット・トム(Prasat Thom)
プラサット・クラハムの前後には、かつての参道跡が残っています。等間隔に石柱が並んでおり、大半は倒壊していました。一つひとつの石のサイズが大きいのがコー・ケー寺院遺跡の特徴だそうです。

プラサット・トム(Prasat Thom)の参道

プラサット・トム(Prasat Thom)の参道

プラサット・トム(Prasat Thom)の様子

プラサット・トム(Prasat Thom)の様子

プラン(Pran)/ピラミッド型の寺院
コー・ケー寺院遺跡は、カンボジアの他の遺跡とは異なり、ピラミッド型の寺院が特徴です。特に「プラン(Pran)」は巨大で、7層建て高さ36メートル、第一基壇部は1辺62メートルの正方形のピラミッド型をしています。東側の正面には、かつて使われていた急峻な石階段が設置されていますが、現在は北側の木製の手すりが付いた階段で登ることができます。

プラサット・トム(Prasat Thom)から見えるピラミッド型の寺院のプラン(Pran)

ピラミッド型の寺院のプラン(Pran)

 

手すり付きの階段

 

160段の階段を上りました。

頂上に登ってみました。ここからは、地平線まで広がる密林の絶景を楽しむことができます。

地平線まで広がる密林の絶景(頂上からの眺望)

コー・ケー寺院遺跡の観光を終えてから、シェムリアップ空港へ移動しました。帰りのスケジュールは、20時45分発のベトナム航空VN842便でベトナムのハノイ空港に向かい、日付が変わって、翌日1時30分発のベトナム航空VN356便に乗継いで、福岡空港に帰るようになっています。

空港に到着し、チェックインと出国審査を済ませ、アンカーラウンジで今日の観光の疲れを癒やしました。残念だったのは、ここのラウンジは狭かったし、お料理も大した事がなかったこと。でも、イスに座ってゆっくり過ごすことはできました。

シェムリアップ空港ロビー

アンカーラウンジ

ベトナム航空VN842便

20時45分発のベトナム航空VN842便に搭乗して、ベトナムのハノイ空港に向かいました。ほぼ定刻の22時30分頃ハノイ空港に到着。乗継時間が約3時間あるので、プライオリティパスを使ってハノイのラウンジに入りました。ここは、シェムリアップに行く時にも使ったラウンジです。人がすごく多くて座る席を探すのが大変でした。飲み物と食べ物を貰って腹ごしらえをして、福岡空港行の搭乗を待ちました。

8.ベトナム/ハノイ発 福岡着 10月15日

日付が変わって、1時30分発のベトナム航空VN356便に搭乗しました。

機内食

予定通り、10月15日(火)の朝7時半に福岡空港に帰り着きました。たったの4時間で福岡空港着。あっという間でした。ハノイとシェムリアップ間は1時間半なので、カンボジアって思いのほか近い国なのです。今回の旅行では、往復ともにベトナム航空を使いましたが、機内食や座席シート等を体感した結果、ベトナム航空のレベルが国際水準に到達したなぁと痛感しました。最初に乗ったのは、約30年前。当時のCAは小柄で素朴な感じの方達でしたが、現在では、体格が良くてお化粧バッチリの美人が多いです。

福岡空港国際線ターミナル

シャトルバスで国際線から国内線のターミナルに移動

忙しい日常の隙間時間(6日間)を利用して、かねてより行きたいと思っていたシェムリアップに行くことができ、しかも多くの観光地を巡ることができたので、気持ちが爽やかになりました。遺跡は、修復されている所もあれば、手つかずのままの所もありました。これから少しづつ修復されていくのだろうと思いますが、荒れ果てた状態の遺跡を観ることができたのは、ある意味ラッキーだったのかもしれませんね。次に訪れる時に、同じ光景を見ることができないかもしれないと思うので。それから、パーム砂糖なるものを知って、ちょっとだけ賢くなったような気がしています。砂糖の原料は、サトウキビとてん菜(てんさい)とメイプル(さとうかえで)だけと今までずっと思っていました。ところが、椰子の木からも砂糖が採れるのですね。知りませんでした~。椰子の木からは、デーツ(果実)、ココナッツウォーター、ココナッツミルク、パーム油が採れるし、建築材料にもなるし、活性炭の材料にもなります。私達の生活面でかなり活躍しています。その上に、砂糖も採れるなんて‼ 椰子の木が凄く有用な植物だと改めて知りました。最後に、アプサラダンスの素晴らしさに感動したことも付け加えさせていただきます。手の甲や指のしなり方は勿論ですが、足や腰など体の動かし方は、かなり鍛錬を積まないと出来ない技ですよね。子どもの時から練習に励んでいる映像をテレビで見たことがあります。そうでしょうね、私達にはとても真似のできない年季の入ったダンスだと思いました。このたびの旅行では、多くのことを知ることができて、とても面白くて楽して満足のいく内容でした。

 

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