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2025年3月3日(月)  都立高校合格速報!!  

本日は都立高校一般入試の合格発表日でした。清瀬ゼミ生は、以下合格しました。
清瀬1教室のみ、2025年のみの完全単独合格速報です。



【2025都立高校入試】 都立高校入試に強い 

🌸 国立高校  合格!
🌸 国立高校  合格!
🌸 立川高校  合格!
🌸 立川高校  合格!
🌸 国分寺高校 合格!
🌸 国分寺高校 合格!
🌸 武蔵野北高校 合格!
🌸 文京高校 合格!
🌸 井草高校 合格!
🌸 小平高校 合格!
🌸 小平高校 合格!
🌸 小平高校(外)合格!
🌸 清瀬高校 合格!
🌸 清瀬高校 合格!
🌸 清瀬高校 合格!
🌸 保谷高校 合格!
🌸 保谷高校 合格!    以上。




【2025私立高校入試】  私立高校入試にも強い 

🌸栄東高校( 東・医/特待生)合格!
🌸 I C U 高校   合格!
🌸中央大学杉並高校 合格!
🌸星野高校(α)   合格!
🌸錦城高校(特進)合格!
🌸錦城高校(特進)合格!
🌸錦城高校(特進)合格!
🌸錦城高校(特進)合格!
🌸錦城高校(進学)合格!
🌸八王子学園八王子高校(文理特進)合格!
🌸拓殖大学第一高校(進学)合格!
🌸拓殖大学第一高校(進学)合格!
🌸狭山ヶ丘高校(Ⅱ) 合格!
🌸成立学園      合格!
🌸明法高校(特進)  合格!
🌸明法高校(進学)  合格!
🌸武蔵野大学高校(本科)合格!
🌸武蔵野大学高校(本科)合格!
🌸西武台高校(選Ⅰ) 合格!    以上。









2025年3月3日(月) 清瀬ゼミ中3生の皆さんへ 

この1年間、皆さんの心の振動が毎日毎日伝わってきました。冬期講習後には、数えないようにしていても、いつしか残り時間の砂時計をながめてしまう人もいたようです。受験勉強のテロメアの如く。

自分自身を客観的に分析したり、何かを捨てても尚残る自分の本心を信念と位置付けた人もいるかもしれません。

そうです、この1年間はかけがえのない時だったのです。今日ここに至るまでの自分の選択や足跡に、誇りを持ちましょう。

先週の解散式では、このメンバーでの最後の全員集合日でしたね。
皆さんひとりひとりの信念やひたむきさは、今後も永遠の財産となるはずです。

~追伸~
先週の解散式後に「削除した過去のブログ小説を読みたい!」との多数のリクエストがあったので、少しだけお応えします。本日のブログを一番下まで熟読せよ~!










2025年3月3日(月)   今年も出ません出しません

毎年この時期、入試を終えたゼミ中3生から「合格者体験談を書きます!」との申し出を受けます。本当にありがとう。でも「どこに出すの?」と聞くと、笑って納得してくれますね。

清瀬ゼミは宣伝ゼロの塾なので折り込みチラシなどは出しませんし、このブログもゼミ生に向けて書いています。つまり、
『清瀬ゼミは合格者体験談はどこにも出しません』


例えばこんな感じのことかな?

~〇〇高校合格!!〇〇中学校〇〇さんの体験談~

私は〇〇高校に合格しました。清瀬ゼミに○年生から通ったおかげです。清瀬ゼミは無敵最強です。〇〇先生、有難うございました!以下云々・・・


こんな感じですかね。
あははははははははははのはのはのはのののののは。
これを私たちが自分で発表するのですよね。まさかこの生徒が今年の代表になるのですかね?それは清瀬ゼミではありえない。それは清瀬ゼミでは絶対無理。清瀬ゼミ生に特定の代表なんていたことは1度もない。

勉強にゴールなど、はじめから無い。つまり結果がすべてではない。

特定のだれかが清瀬ゼミ代表ではありません。清瀬ゼミを卒業したひとりひとりが、「清瀬ゼミの皆さん全員」が、清瀬ゼミの誇らしい代表です。だから今年も合格者体験談は出ません出しません。

清瀬ゼミ卒業の皆さんひとりひとりこそが無敵最強。  


かも。ん?










2025年3月3日(月) 清瀬ゼミの7不思議

清瀬ゼミの7不思議について、ここだけの秘密としてご披露しよう。ブログで書いてしまっては、いったいどこが秘密なのかと問われたならば、まあ世の中には冗談という言葉が存在するという返答をもってご容赦頂きたく・・まあ、それはいいか。

ホワイトボードが見えない座席が各教室に存在することは、以前紹介したところである。それによって困った事は1度もなく、むしろ好んでその座席に着席する人が存在することも紹介した。
嗚呼、摩訶不思議。



ところで・・・ホワイトボードは大抵教室の前にあるのが常識である。だが清瀬ゼミの1番大きなホワイトボードは教室の「横」にある。3枚もある。 当然着席すると見えない。季節によって、様々な絵や吹き出しが描かれているだけのようにもみえる。その絵はガンダムであったり(厳密には高機動型ザクⅡ)、雪ちゃんであったり、清ゼミくん(仮)であったりする。

誰が描いているのか見た者はいない。だが、それを不思議に思うものも誰ひとりとして存在しない。嗚呼、それが最も摩訶不思議。








2025年3月3日(月) ゼロから始める

清瀬ゼミが激レアであることは間違いない。なぜそう言い切れるかというと、清瀬ゼミがそう言っているのだから間違いない。当人以外の口コミや情報・噂ほど不確かなものはない。


「教室も机も教材も、そして生徒さえもゼロの状態」から始めた清瀬ゼミだから断言できることがある。それは・・・

「自分で創った塾なのか」「他人が創った塾なのか」は、その覚悟に決定的な違いがあるということだ。勿論清瀬ゼミは前者だ。


逆に言えば「教室も机も教材も、そして生徒さえも既にある状態」から始めるのは、いとも簡単かもしれない。だってゼロから始めてないからね。

だからこそ、始まりの形や志や決意や覚悟って大切。始まりの形は何年たっても、後からは変えようがない事実だからね。その差は大きいし埋められない。


かも。ん?










2025年3月3日(月)新年度授業スタート!

2025年度の新年度授業は3月6日(木)から開始します。
学年クラスによっては3月7日(金)が初日となります。

多分こんな感じの授業だろうな~と想像している人もいるかもしれません。でも、もしかしたら予想しているものと違った授業なのかもしれません。慣れてくるとわかりにくいものですが、清瀬ゼミはかなり激レアさんだと思う。

ですから「先入観を持たずゼロの状態から参加してみること」も、時には必要かもしれませんね。物事に向かい合う時、理屈で考えるよりも、直感や心のありようで接していくこともまた時によっては必要ですからね。







2025年3月3日(月) 蛇足  

本来なら上記までのブログ記事で完結でよかったのですが、先週の現中3生の解散式後に「なぜ昔のブログ小説を全削除してしまったのですか?読みたかった」との声をいくつか(いくつも)いただきました。「それってなんですか?」と。

頭の中になら残ってますよ。5年前の記事でも10年前の記事でもね。だって創作文ではなくて体験談だから。

40編~50編くらい書いた記憶がありますが、以下、最近のものを少しだけ思い出しながら書いてみます。当時とは若干異なる表現になってしまうけれど。




会話
私たちが通っていた塾って激レアさんなんでしょ。知ってる?受験説明会で使ってたマイク、持参のmyマイクだって。あと、車運転するとき毎回ハンドル消毒してるって。潔癖メーター振り切ってる。

知ってる知ってる、ゲームやったことないし、ブログ書いてるのに自分以外のブログ読んだ事ないってやつでしょ?高校生の時、2年間髪切らなかったらしいよ。確かに激レアさんだわ。

「あとテレビもネットも無関心、コンビニのサンドイッチ食べたことないらしいし、何年も電車とバスに乗ってないらしい。外食はしないらしい。」

「何それ!も~あんなに卒業パーティー頼んだのに、今年はしませんの一点張り。だめだありゃ。」

「最終授業って、普通もっと感動的なお話しするよね。ほら連ドラだって最終回拡大SPとかあるじゃん。なのに、なんかおしゃべりしてるだけじゃん。あと相変わらず宣伝とかもゼロだし、何あれ?期待外れ。」

「もう卒業した私たちの事なんて・・忘れちゃってるんだよ。
 仕方ないか、大人って・・・」

「でもさあ、もしかしたら・・・『蛇足』とかいって追加ブログありって可能性ない?1番伝えたかったことは・・ってやつだよ。私たちゼミ中3生へのメッセージあるんじゃない?可能性低いけど願いも込めて。考えすぎかな?」

ありえるかも!超激レアさんだしね。Bye!」






蛇足追加ブログ①  

~卒園式~
年長の途中から幼稚園に通いだしたぼくは、馴染めずに戸惑っていた。それまでは、みんなが幼稚園に行っている時間帯に、近所の公園を独占して遊んでいた。特にお気に入りだったのは「砂場」だ。直径4mほどの円形砂場の中に、シャベルで形を作っていった。山、谷、川、道・・・砂の町は自分の思い通りに出来上がっていく。お昼過ぎに近所の子達が幼稚園から帰ってくると、僕の作った町は壊される。

その日も幼稚園の送迎バスを待っていた。
待合場所は、小さく古い駄菓子屋さんの前だった。

ある日、店の奥からおばあさんがゆっくりと出て来て僕に話しかけた。
「あら、見ない顔だねえ。途中から幼稚園に入ったのかい?」
ぼくは、「うん」と1回頷いた。

次の日もバスを待っていると、おばあさんはゆっくりと出て来て、僕の前に屈みこみこう言った。
「お帽子のゴム紐は、お鼻でなくて顎にかけるんだよ。風でお帽子が飛んでいかないようにね。」
そういってぼくの顎に紐をかけ直し、おでこをちょんとしてくれた。

別の日には、店の棚から飲み物を持ってきて「飲むかい?」とほほ笑んだ。僕は「うんうん」と2回頷いた。ポン!と蓋をとり、飲み物のビンを差し出した。「あれまあ、当たりだよ!」おばあさんはそう言うと、「当たり」と書いてある蓋の裏を見せ「次に来るときは、この当たりの蓋を持っておいで。もう1本もらえるんだよ!」
そう言って、当たりの蓋を僕の胸のポケットに入れてくれた。
僕は嬉しくなって「うんうんうん」と3回頷いた。

僕達2人は、駄菓子屋の前に置かれた小さなベンチに並んで腰掛け、よくお話しをした。おばあさんは優しい声で言った。
「ほら、あのお空に虹がかかっているのが見えるかい?虹はどうして滑り台みたいになっているのか知っているかい?」
ぼくは首を2回横に振った。

「雲の上からね、いつもキミを見てるんだよ。良い子でいたかな、お友達と仲良くできたかなってね。もし寂しがっている子がいたら、隣の町にもキミに似た子がいるよって・・・滑り台を滑り降りて教えてくれる。」
僕は黙ってお話しを聞いていた。

ある日、バスの待合所へ行くと駄菓子屋さんはシャッターが閉まっていた。お休みなのかな。
次の日もその次の日もシャッターは閉まったままだった。
僕は小さくシャッターをノックしてみた。でも中は静かなままだった。
僕は幼稚園に行く意味が無くなってしまったように感じ、卒園式には行かなかった。だから・・・僕には卒園式の記憶は無い。

卒園式の日、ぼくは駄菓子屋さんの前でシャターを見上げていた。
ぼくはベンチの横の大きな木に話しかけてみた。
「駄菓子屋さんはお休みですか?」
すると大樹は驚いたように答えてくれた。
「そこには駄菓子屋さんなんて、はじめからなかったよ」

胸のポケットに手をいれると・・・そこにあるはずの蓋は入っていなかった。





蛇足追加ブログ② 

思い出は美化されるというけれど、それは人によりけりですね。
人は思い出を忘れていくからこそ、生きていけると言う人もいます。

私はとんでもなく記憶力が良い。私の記憶法は視覚と音楽を多用します。自分自身の子供の頃の記憶となると、これまた自ら絶句するほど色彩鮮明です。そしてその時々の感情も心の中に残っています。

幼稚園から大学までの記憶をブログにしたなら、1年365日毎日書いても何年もかかるでしょう。それだけ摩訶不思議で、聞いたことのないような体験の連続だったとも言えます。いくらでも無限に書けます。まあ、激レア伝説の原点です。

だからこそ子供の頃の体験ほど、純粋で貴重なものはないとも思っています。大人になってから何かの選択に迷いそうになった時、私は大抵「子供の頃の自分」に相談します。大人になってしまい邪念は入っていないか、損得で物事を判断していないか、そして「この選択は純粋かどうか」と。
子供の頃の自分は必ず誠実に答えてくれます。私はそこで判断に確信を持ちます。


卒園式の記憶が無いというお話しを書きました。
実は・・・・小学校も中学校も高校も、卒業式の記憶も入学式の記憶も全くありません。理由は個々様々なのですが、当時それを疑問に思ったことなど1度もないのです。

今回はその中でも小学校の卒業式のお話しをします。
涙の川を泳ぎ続けた中学生活、そして涙枯れ果ててしまった高校生活について書くと、もうリアル過ぎてドン引きされますから。

ところで、卒業式の記憶が無いなんて、なんて寂しいんだと思いましたか?でも大人になってから振り返ると、それもまた自分自身の財産になっていることに気づかされるものです。

もし、今あなたが自分の卒業に対して不完全燃焼を感じているなら、大人になってから、もう1度本当にそうだったのか振り返ってみてはいかがでしょうか?



~卒業式~
転校した経験がある人ならわかってくれるよね。
転校初日の緊張、不安、孤独、そしていくばくかの期待感。
でもぼくは、小学校から中学校までで6回の転校を経験したんだ。
これってなかなか無い事だよね。転校すると、その都度教科書が変わる。これは子供にとっては大きな負担だ。
ただ転校することによって、それ以上に酷なのは、思い出の共有が出来ないということだと思う。幼稚園から小学、中学と上がれば、普通は幼馴染みっているものだからね。

小学校6年生の転校についてお話しします。
引っ越したのは6年生の10月。転校初日の登校日は12月の末。この時間差の理由は察してほしい。でも6年生の12月ですよ。年が明けたらもう卒業のムードが盛り上がって来て、皆で記念に遊びに行ったり、卒業式の準備や練習に入ったりするんだよね。しかも卒業したら皆同じ中学に進学予定だけれど、ぼくだけは別の中学へ進学することになっていた。(まあ、その中学も入学して3か月で転校することになったんだけどね。)
ぼくは越境通学で自宅は遠方だったし、何といっても知り合いがいないので、ひとりで星の観察日記をつけたりしていた。慣れてくると苦痛でもなくなる。

それでも卒業式の練習が始まると・・・・。
「5年生で行った林間学校、楽しかった思い出です。」
なんてみんな声を合わせる練習がある。
どこに行ったかもぼくは知らない。
校長先生の名前も知らないし、知らない校歌の練習を連日続けた。

卒業式が迫ってくると、僕の心は雲に乗って遠くに飛んだ。
幼稚園のとき親切だった駄菓子屋のおばあさんに語りかけてみた。
「おばあちゃん、虹の向こうから友達は来なかったよ」

前の学校の友達は今頃どうしているんだろう。
その前の学校のクラスメイトも卒業式の練習をしているのかな。
その前の学校のあの子はどうしているだろう。



ぼくは・・今どこにいるんだろう?



卒業式の記憶は・・・全く無い。
残っている記憶は、式が終わった後から始まる。
思い出を語りながら、ひとりまたひとりと6年生たちは学校を後にしていった。校庭には最後にぼくひとりだけが残った。

校庭の隅にある桜の木の下へ歩み寄った。
確かな記憶は、薄紫の花びらたちが、
踊るようにひらひらと舞っていた光景と優しい風だ。
さよならと手を振っているのか。
卒業おめでとうと言っているのか。


でも・・どれも笑っていた。


ぼくは・・負けない。


大人になったら、自分の居場所を探している子供に出逢うかもしれない。そんな時、今度はぼくが・・あの桜のように笑顔を届けてあげたい。


春、花筏にのって人は遠ざり、まためぐり出会う。



ここでブログ・・・・封印となりましたとさ。チャンチャン!