2025年8月1日(金) 暑中お見舞い申し上げます
夏期講習真っ只中の今日
「中1生の学習集中力が一気に上がった」事や
「中2生の勉強に対する意識の質が格段に上がった」事や
「中3生の7月模擬平均偏差値が60を超えていた」事や
「内申点が9教科合計で10上がった中3生がいた」事など、
書くべきことは山ほどあるのです。しかれどもこの暑い中、先日のリクエストにお応えした以下のお話しでいかがでしょうか?
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2025年8月1日(金) 続グラスの向こう
先月ブログ「グラスの向こう」の続編です。8年前のブログに載せたものを、記憶を頼りに再現します。ただし自身の体験談なので、再現は容易なものです。これを今読んでいる皆さんと同じ、中学生だった時のお話し。五感が研ぎ澄まされて限界を走っていた頃の記憶の記録です。実際に書いたのは高校1年生の夏休み。長いけれど読み切れるかな?(たぶん無理~)
~プルシアンブルー~
いくつかのトンネルを抜け、列車は静かに到着した。太陽に照らされ、焼き付いたコンクリ―トの小さな無人のホームにゆっくりと降り立った。列車から降りたのは僕一人だった。海風が、微かな潮の香りを運んできた。この潮の香りは、いつか鮮明な記憶となって甦るのだろう。ホームから足に伝わる感触、線路の枕木の振動、走り去っていく列車、そしてそこにいた自分自身の姿をも。
初めて訪れた土地にもかかわらず、どこか懐かしさを感じさせる駅だった。ひっそりとした無人のホームを出ると、軽トラックが止まっていた。「待ってたよ。さあ、乗って。」
木造平屋の古めかしい一軒家の前にトラックは横づけされた。
おそるおそる降り立った。今日から4週間、ここが僕の家になる。離れの平屋を使うように案内された。部屋の端にはベッドが置かれ、壁際の棚には本が並んでいた。端から見ていくと、既に読んだ事がある本ばかりだ。
蝉しぐれに誘われ家の外へ出てみた。自由は制限の中に存在する。何も制限されない自由は、無意をも感じる。 雑草と砂利に占領された野道を、ひとり歩いた。しばらく上り坂を進むと、校庭に辿り着いた。中学校だろうか、夏休みの校庭には人影もなく、消えかけた白線の横で、サッカーゴールが日に照らされ光っていた。「開校40周年」の白い横断幕が、校舎の壁で夏風に揺れていた。40年前の生徒たちも、この校庭で走っていたのだろうか。
しばらくフェンス越しに校庭を眺めていると、突然声をかけられた。
「何してるの?休み中は学校入れないのよ。」振り向くと、大きな麦わら帽子から日焼けした笑顔が揺れていた。ビーチサンダルにマリンバッグを肩から斜めに掛けた出で立ちだ。 僕が黙っていると、こう続けた。「この土地の子じゃないよね。どこの子?何年生?」僕は、夏休みの4週間だけ来ている、中学2年生と答えた。そして、どうしてこの土地の子でないと思ったのかを尋ねた。
「そりゃ、まとってる空気感が違うもの。どこから来たの?」
ぼくが東京からと告げると、表情も言葉遣いも柔らかくなった。
「そうなんだ。私も小学校まで東京にいたんだよ。私は中学3年。
キミより1つだけお姉さんだ。」言いながら麦わら帽子を脱ぎ、笑いながら滑稽にお辞儀した。
「東京のどの辺に住んでるの?多摩地区?」
ぼくが最寄りの駅名を言うと、跳ね上がった声で 「あ~私が小学校まで住んでた所とすぐ近くだよ。西武線だよね?あのさ、駅から真っすぐに坂を下っていくと左側に神社があるよね?わかる?小学生の頃、あそこの境内でよく遊んだんだ。石の階段を登っていくと鎮守の森に囲まれてるの。今頃の季節には、蝉が大合唱してる。奥に大きな木があって、木漏れ日の中、大木が枝と葉をこすらせて、ざーさわさわさわって揺れるの。懐かしいなあ。」その神社なら僕も遊んだ記憶がある。荘厳な雰囲気などお構いなしの子供たちにとっては、絶好の遊び場だった。「本当?キミも遊んだことあるんだ?じゃあ小学生の頃そこで出会ってた可能性もあるよね。なんか運命の出会いだなあ。」
彼女は続けた。「隣の駅からのびる『富士見通り』からは、西に富士山がきれいに見えるよね。遠くから眺めるからこそ、美しさが際立って見えるんだよ。見に行ったことある?わたし、あそこから見える富士山の絵を、何度も描きに行ったことがあるんだ。絵は・・私の分身だから。瞳に映った色彩を、私なりに解釈して色づけしていくの。それから・・ん?ごめん、なんか自分の話しばっかりしてるよね。キミはさ、この土地にどうして来たの?」
僕はそれには答えず、海が見たいと伝えた。駅に降り立った時、潮の香りがした。でも、実際にそこから海は見えなかった。 「この坂道をずっと下っていくと、浜辺に出るよ。」そう教えてもらった僕は、こう尋ねた。「学校の裏のあの丘の上からは見えないかな?」「どうして?」「だって遠くから眺めるからこそ、美しさが際立って見えるんだよね。そこで海の絵を描いてみたくはない?」
暫くの沈黙と、初夏の香りの中で彼女は答えた。
「キミ、なかなか面白い。気に入った。絵心もある。今日は暮れ始めたから、明日のお昼にここで待ち合わせようよ。」
「わかった。あの丘の上から見る海は何色かな?」
「プルシアンブルー。」
「絵は自分の分身」と表現した、その心を問うてみた。
すると彼女はこう話した。「鏡を見たことあるよね。そこに映った自分は何を見ていると感じる?」僕は難解な質問に窮した。
「自分の本心の裏側かな」 「じゃあ、私があの丘の上から海の絵を描くとするよね。私はきっと丘の上で、しばらくの間、海をじっと眺めると思う。そして瞳を閉じて、その残像を焼き付ける。描く時には、実際には海を見ずに、その残像を再現していく。私が受け取ったイメージだよね。そして描き上げたときに考えるんだ。『現実の海』『私の瞳に焼き付いたイメージの中の海』『描き上げた絵の中の海』どれが本物なんだろうってね。キミはどう思う?」
わずかな期間であっても、深い問答は、人のものの考え方に少なからず影響を与える。僕は4週間の日々を、問答と思考と後悔と希望を繰り返しながら過ごした。2週目のある日、僕たちはようやく直接海を見に行った。
浜辺に降りていくまでの坂道を下りながら、いずれ戻るであろう東京の街を思った。そしてこの土地で感じた自分自身の姿を客観視した。
鏡の中の僕は、僕自身の本心を見透かし、冷静に見つめ返してきた。
彼女はサンダルを脱ぎ捨て、素足で砂浜を歩いて行った。そして、遠くに船のマストが白く揺れる海には背を向け、真っ白なキャンバスを広げ絵を描き始めた。 その意味を問うと、返事が返って来た。
「浜辺に降りてくるまでの下り坂を歩く、キミの心中を描くため。」「どんな風に見えたのか教えてもらってもいいかな。」
「臆病な自分自身と、正面から向かい合って戦おうとしている。」
最後の日、彼女は駅まで見送りに来てくれた。いつか富士見通りの富士山を描きに行きたいな。その時には一緒に行こうね。そう言いながら、土砂降りの空を見上げた。 列車を待つホームは、雨にかき消されて周囲の景色を遠くに退けた。やがて近づく列車の音に僕が立ち上がりかけると、彼女は言った。 「待って!待って!ギリギリまで隣に座っていてね」 その手には画材が握られていた。何を描くのかきくと、彼女は答えた。
「キミを乗せた汽車が走り去って、ひとり残されホームに漂う私自身」
~向日葵の返歌~
「ミズキちゃんは、向日葵(ひまわり)のようだね」
小さいころから、私は言われ続けてきた。いつでも笑顔、明るい方を向いて笑っている、そんな風に見えるらしい。確かに私は前向きで明るいと思う。よく笑っているというのも自覚している。向日葵なら、今の季節、大空へ顔を向け、声を上げて高らかに笑っているはずだ。でも今年の夏、私は少しだけ変わった。笑顔が減ったわけではない。大声を上げて笑うのではなく、静かに微笑むことが多くなった。
夏休みが始まったばかりの7月下旬、誰もいない校庭のそばを歩いていると、見かけない子を発見!早速笑顔で声をかけた。
「何してるの?休み中は学校入れないのよ」 だが振り向いた少年を見て、私は僅かに後ずさりした。 ガラスのような瞳がこちらを見返してきたからだ。でも話してみると意外と気さくな子だ。私より一つ年下の中学2年生で、夏休みの4週間だけこの街にたったひとりで来ている。その理由は聞きにくく、また彼もそこにだけは触れなかった。でも小学生まで私が住んでいた東京のはずれの同じ街に住んでいることで意気投合し、話は弾んだ。
私は、今暮らしている海沿いのこの街が好きだ。でも小学校6年生まで住んでいた東京の街並みも、最近やけに懐かしい。私があまり笑わなかった小学生だった頃の思い出も、中学生になると徐々に美化されてくる。そして私は今、向日葵だと思われている。あのころ自分で描いた数々の絵が、私の部屋には飾られている。私の心象風景だ。悲しかった時も、楽しかった時も、そして疎外感に悩んだときも、私は絵を描き続けてきた。私は自分が描いた絵と対話しながら小学校生活も中学生活も過ごしてきたのだ。この「私と絵の対話」の存在価値を他人に理解してもらうことは、なかなか困難だろうと思っていた。
だが夏休みに出会った年下の彼の言葉は、私の心の琴線に触れた。自分の描いた絵の中の世界とだけ会話してきた私にとって、初めて私の絵を飛び越して世界を語る心に触れた。そんな表現でしか今の心情を説明することが出来ない現状がもどかしい。 彼のリクエストに応え、学校の裏にある丘の上へ登り、そこから見えるプルシアンブルーの海を分かち合った。
彼は次々と言霊を発した。
「海は見えているのに、ここまでは潮の香りは届かないんだ」
「あの沖に浮かぶヨットの帆はどうして白だと思う?」
「誰もいない校庭って、もの悲しいよね」
「6年間の眠りから覚めた蝉は、鳴く時に力を惜しまないよね」
「阿吽の呼吸っていうけれど、言葉でないと伝わらない瞬間って存在すると思う?」
私が絵の中で自問自答していた世界を、彼は次々と言葉で投げかけてきた。年下の中学2年生とは思えない。そして彼はガラスの瞳に、生命力を湛えながらこう言った。
「生きている素晴らしさって、どうやったら表現できるのかな」
照れも躊躇いもなく発せられた言葉に私は驚き、彼の顔を正面から凝視した。
「それは、どうして生きているのか、生きている意味をきいてるのかな」
私が尋ねると、彼は答えた。「それも含めてきいてる。考えてもなかなか結論が出ないんだ。結論なんて初めから無いのかな」
しばらく考えた末、今の私が出来る精一杯の返答をした。それが真剣に何かと向きあっている人に対する礼儀だと思った。「難しくて、今直ぐには答えられないよ。キミがこの街にいる間に返事をしてもいい?」
その日の夕方、西日が差し込む自分の部屋の中で、私は考えた。
「生きている素晴らしさか・・。」
私は部屋の中に掛けられた絵を眺めながら考え続けていた。
私も同じ疑問をずっと持ち続け、でも誰にも相談することは無かった。できなかった。自分の絵と対話しながら考え続けてきたことなのだから。だからこそ、彼に対して真剣に答えなければならない。
「ミズキちゃんは向日葵のようだね」そういわれると、いつも嬉しかった。夏の太陽に向かって笑っている大輪は、生きていることの証だ。
でも彼が求めている答えは違うかもしれない。いやそれでもいい。私なりの純粋な答えを彼にぶつけてみよう。そんな自問自答をしながら夏の砂時計は時を刻んだ。
そして波間がキラキラと眩く揺れる日の午後、私たちは、初めて浜辺へ歩いて行った。浜辺までの坂道を下っていく途中、遠くの民家から微かな音楽が流れてきた。「カーペンターズかな」「Close to you」
音楽が遠ざかるにつれ、波の音が近づいてきた。
そして私たちは海に辿り着いた。潮風に吹かれて、私たちは砂浜を無言で歩いた。寄せては返す波が、水をはねた。砂は波と手を取り合って行き来していた。 月の引力は、水を引き寄せ、そして人と人の心をも引き寄せ合うのかもしれない。
ビーチサンダルを脱ぎ捨て、砂浜に腰かけ、私は彼の心中を表そうと絵を描き始めた。彼は黙って私の作業を見ていた。描きあげる前に私は言った。 「この前の返答なんだけど、まだ私の中で結論が出てないんだ。 言葉で表すのは難しい。今日の時点で言えることは、私たちは今とても大切な時間の中にいて、 確かに生きてるってことだと思う。」
「うん、思っていることを全部教えて」
「年上だからって、キミより何でも知ってるわけではないのよ。でも・・
東京の街の片隅に住んでいても、この海沿いの小さな街で暮らしていても変わらないことってあると思う」
ひと呼吸おいて私は続けた。
「13歳、14歳、15歳・・・私にとっては必要で大切な年齢だった。ちょっとだけ辛い時だってあったけれど、大切に時間を数えてきた。これからも意味のある年齢を重ねていくんだと思う。 大人には、まだなりたくないな。」
「うん、それから?」
「自分は何のために生まれてきたのか、今生きている意味とか、
私にはまだわからないよ。でも、その答えを探すために今生きてる、
それが今の私の答え」
すると彼は「ありがとう、充分に教えてもらった。
この夏、この街に来てミズキさんに会った意味がわかった。 向日葵みたいな人だ。」「初めてミズキさんって名前で呼んでくれたね。」
最後の日、私は彼を駅まで見送りに行った。キミが帰る街のけやき通りには、今日も幸せが溢れているのかな。となりの駅前からのびる富士見通りからは、遠くに富士山がみえるかな。またいつかあの神社で鎮守の森を描きに行きたいな。その時には一緒に行こうね。そう言いながら、どしゃ降りの雨空を見上げた。
列車を待つホームは、雨にかき消されて周囲の景色を遠くに退けた。
やがて近づく列車の音に彼は立ち上がりかけた。
「待って!待って!ギリギリまで隣に座っていてね」
列車は私の意に反して気ぜわしくホームに入って来た。
「私を表して向日葵みたいだって言ってくれたよね。どういう意味?」
「花びらを散らして明日を占うのにはふさわしくない花」 「え?」
まだ何か言い足りないことがあった。キミもまだ言いたいことがあるよね。でもキミが列車に乗り込むと、間髪入れずドアは閉まった。
ドアのガラスに手の平を押し当て、キミは「何か」をつぶやいた。
キミのガラスの瞳は潤み、もう一度何かをはっきりと言った。
聞こえない。
何?言いたいことは何? 待って!
無情にも列車は動き始めた。彼の言葉が蘇った。
「阿吽の呼吸っていうけれど、言葉でないと伝わらない瞬間って存在すると思う?」
「生きている素晴らしさって、どうやったら表現できるのかな」
待って!今ならもっと伝えられるのに。
キミが、たったひとりでこの街に来た、その理由を聞いてあげるべきだったのだ。私は・・・私は・・・。
彼が去ったホームで、私は向日葵の絵を一心不乱に描き続けた。