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トニーの特発性大腿骨頭壊死症への挑戦


平成17年1月末に右股関節に違和感を感じ、平成18年8月に特発性大腿骨頭壊死症と診断され、回転骨切り手術を勧められるが、加圧リハビリで骨頭の再生を目指す。

現在の診断所見
 右 タイプC−2 ステージ2
 左 タイプC−1 ステージ2




 加圧リハビリの経過 平成18年(2006年)




○平成17年1月末初めての痛み
 25歳から14年間続けたウェイトトレーニングを39歳のとき止めたため、筋力が低下して体重が増加、平成14年7月、41歳のとき腰痛がひどくなり、突然立つことも座ることも出来なくなり、救急車で病院に運ばれた。
 搬送された病院で脊髄にブロック注射を施したが一向に痛みが引かないため、5日後、別の病院に転院となった。

 転院となった病院でレントゲンとMRI検査を受けるが椎間板に異常は見られないため、炎症を起こしているからだろうということで、硬膜外カテーテル留置ステーションという治療を2週間続けた。
 脊髄に管を通し、24時間かけて薬を注入する治療法である。
 管は、背中から出たところをテープで固定し、腹の前に持ってきて、首から下げた薬の入った瓶と管をつなぎ、24時間かけて少しずつ脊髄に薬を注入するのだ。
 この治療で手術なしで歩けるようになり、20日ほどで退院した。(平成14年8月)

 そしてウォーキングに専念し、体力の回復を図り、平成16年4月からウェイトとレーニングを再開した。

 ところが平成17年1月末のある日、スクワット(バーベルを担いでしゃがむ)の最中に右股関節の外側のスジに「ピキッ」とする痛みを感じ、スクワットが出来なくなったのである。
 そのときは、「ちょっとスジを痛めたかな」と思ったが、トレーニングを一ヶ月中断しても中々治らず、心配になって近所の整形外科で診察した。
 しかし、お医者さんに「骨は綺麗だし、全く異常なし。中殿筋を痛めたね。この筋肉は片足で立つときに使うから、治るのに時間がかかるよ。」と言われ、安心してリハビリがてらジョギングしたり、ウォーキングで回復を図ろうとしたが、段々と痛みは悪化していった。

 治ったと思い、スクワットをやるとまた痛み出す。1年以上、こんなことを繰り返しているうち、遂に平成18年7月ころから、痛みが増し、ビッコを引くようになってしまった。




○平成18年8月 運命の日
 8月に入るとさらに股関節の痛みが増し、歩くのは当然、椅子に座ってもアグラをかいても鈍痛が続き、右足に力が入らず階段の昇り降りもつらくなってきた。
 これは尋常ではないと思い、以前、腰痛症で入院した整形外科に行くが、最初、女医さんの見立てで、痛みは腰からきているのではないかと腰のレントゲンを撮ったものの、異常が見られないため、腰のMRIの予約を入れて帰宅した。
 この病院では、MRIを撮ると、画像が直ぐに出来上がるのでその場で診察となるが、MRI撮影時の診察医師は、前回の女医さんではなく、別の男医だった。
 MRIを見た医師は「全く以上ないなぁ」と首を傾げたが、股関節が痛いこと、片足立ちが出来ないことなど詳しく痛みの程度を教えると「念のため、股関節のレントゲンを撮っておくか」と言い出した。
 そして股関節のレントゲンが貼られた診察室に入り、自分の股関節の画像を眺めていると、他の患者を見終わった先ほどの医師が小走りに飛んできて、
   「ステロイド治療受けたことない?」
と唐突に聞いてきた。
 トニーは、腰でこの病院に入院したときしかないと答えると
   「大酒のみかい? 晩酌程度じゃなく、例えば毎晩、ボトル1本空けるとか?」
と聞かれ、晩酌はするがビール1〜2本程度と答えると、A4の半分くらいのメモ用紙に
    大腿骨頭壊死症
と殴り書きした。
 そのメモをトニーに渡しながら、「股関節専門のドクター○○に診てもらって、早く、手術の段取りを取った方がいいよ。」とあっさり言うので、あっけにとられ
   「先生、それって薬か何かで治るんですよね。」
と聞くと、
   「国指定の難病だから手術しかない。」
   「でもお金は一切かからないから安心しなさい。」
と、いとも簡単に他人事みたいに言われた。
 
 自宅に帰り、ネットで調べて、また、ビックリ。
 どれもこれも、大腿骨の骨をぶった切って金具で繋ぎ止めたり、大腿骨の中をくり抜いて人工骨を入れたり・・・。  嘘だろ、おい、それじゃ身体障害者じゃん・・・。
 しばし呆然。
 ショックのあまり、一週間仕事を休んだ。
 8月15日ドクター○○のところへ行き「CT」を撮ったところ、
   「大腿骨頭壊死にほぼ間違いないでしょう。」
   「今の状態なら回転骨切り術が可能ですが骨頭が潰れると人工骨頭になりますよ。」
と宣告された。
 
 さらにネットで調べ続け、この病気に罹るのは宝くじに当たるような確率だと知った。
 細木数子の占いでは、水星人マイナスの俺は、この年、絶対に宝くじが当たる12年ぶりの幸運気だとテレビでやっていたが、宝くじはいくら買っても当たらず、国指定の難病が当たってしまった。



○加圧に賭けるまで
 この難病をネット調べてみたところ、国立の東京医科歯科大学病院の
      高気圧酸素療法・・・・・骨への酸素供給を促進して壊死の修復を図る
という治療法や九州大学の「ラットの実験で高脂血しょうの薬と血液が凝固しない薬を投与したところ壊死が完治した」と発表していたが、どれも治療法として確立されていないことを知った。

 そして、この病気の治療法には、経過観察か手術の2通りしかなく、手術以外で完治する方法はないことも知った。
 その手術には
    @ 骨頭を温存する回転骨切り術
    A 人工物に置き換える人工骨頭
の2つしか選択肢はなく、人工にはいつでも出来るが、骨が圧潰する前に回転骨切り術が成功すれば
    一生、自骨で生活できる
というメリットがあることも知った

 医師は、回転骨切りを勧める理由として「成功すれば、二度と手術しないで済む」という。
 しかし、それは成功して壊死が進行しなければの話である。
 骨切り後に骨頭が圧潰し、人口骨頭に入れ替えている例が結構あることも知った。




○大和田整形外科病院との出会い

 インターネットで加圧トレを知ったが、最初に目に入ったのは、神奈川県川崎市にある「小田切病院」である。
 自宅から川崎まで3時間。
 それでも、藁をも掴む気持ちで電話し、院長先生と会う段取りを取った。
 とりあえず、1ヶ月仕事を休んで入院し、加圧トレーニングを体験してから、あとのことは考えようと思った。
 
 ところが、加圧のサイトを探していると、自宅近くに「大和田整形外科」というきちんとした病院があるのを発見。
 早速、小田切病院には断りの電話を入れ、大和田整形外科に院長先生の在宅日を確認して
      平成18年9月2日
に院長先生の診察を受けた。
 
 診察は、レントゲンを撮り、院長が「大腿骨頭壊死だね。」と診断。
 加圧をしたい旨告げるが、通っている病院を聞かれ
    「骨切りを勧められているなら、私もその方がいいと思うよ。」
と忠告を受けた。
 それでも、
     @自分が骨切りを考えていないこと
    Aダメだったら人工骨頭にすると腹を決めていること
を話すと
    「それじゃ、加圧で頑張ってみよう。私も出来るだけのことをする。」
と快く了解してくれた。
 
 その後、9月7日に手術を勧める○○病院でMRIを撮るが結果は前と同じで
    「手術する気になりましたか」
と言われた。
 
 しかし、既に加圧に賭けると腹を決めたあとなので
    「ダメになったら人工骨頭にする」
と断わった。


加圧1ヶ月目 平成18年9月中
 加圧は、水曜の午後7時最終と土曜日の週2回実施することにした。
 水曜は、仕事を早引きさせてもらい、なるべく残業を避け、骨頭を休めることを最優先とした。
 今までと違い、仕事は二の次。
 土日の仕事は余程のことがない限り断った。

 加圧初日は、圧が「150」からスタートした。
 ところが、やり始めから足の調子が下降気味になり、それまで杖は余程でないと使っていなかった杖が手放せなくなってしまったのだ。

 こんな不安を感じながらも、加圧で良くなった人達の話を思い返し加圧を続けた。
 このころのトニーは、半信半疑という言葉がピッタリだった。

 それでも9月下旬ころになると太ももやふくらはぎが太くなりだし、次第に調子が上がってきた。



〇加圧2ヶ月目 平成18年10月中
 
 10月に入ると、圧が「200」に上がり、足の調子が良くなり、杖をあまり使わなくなる。
 この頃から、風呂上りに股関節のストレッチをするようになる。
 
 10月27日、手術を勧める○○病院で診察後、保健所に寄り、特定疾患の申請書類を受領し、再度、○○病院に行き、臨床調査個人票を渡して医師の記入を依頼する。(医師が後日記入後、1週間ほどで自宅に郵送とのことで金は一銭もかからず)

 壊死が発覚した8月ころは痛みがピークで椅子に座っていても車の運転時も鈍痛が続き、ジッと座っていることが出来なかった。
 そればかりか、車の運転時にアクセルからブレーキに右足を移すのにも激痛のため、右手で、ヒザの右脇を掴んで右足を持ち上げてブレーキを踏まなければならない程であった。
 当然、急ブレーキなどかけられない。

 それが10月下旬ころに車の運転時の鈍痛が気にならなくなった。

 10月下旬ころには、圧を「280」までに上げてリハビリをしていた。
 この間も、足の具合は波があり、調子の悪い週、調子の良い週を繰り返すが、悪い時期の痛みの程度がそれほど下がらなくなる。

 ちょうど階段に例えるなら、2段登って、1段降りて、また、2段登って、1段降りる状態であった。




〇加圧3ヶ月目 平成18年11月中

 11月に入ると圧が「310」に上がり、骨頭の尻側に疲労感を強く感じるようになる。

※おそらく圧が上がって強度が高まったためと思われる。

 手術を勧める○○病院に依頼した「臨床調査個人票」が1週間も経たないうちに自宅に郵送される。
 11月10日、特定疾患の書類が揃ったので保健所に申請書類を提出した。
 
 11月下旬には圧が330に上がる。



〇加圧4ヶ月目 平成18年12月中

 圧が「330」になったあたりから階段の登りが楽になる。
 
 12月上旬に手術を勧める○○病院でレントゲン撮影で経過を見た結果、骨頭は潰れていないが2ヶ月に1度は来院するように頼まれる。

 12月13日、筋力アップクン「スタンダードモデル」が手元に届く。
 12月22日、特定疾患医療受給者証を受領する。
 平成18年の締めくくりは圧が「340」で終る。