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THE SEVENTH EMIGRANT |
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沖縄を考える 沖縄で考える |
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沖縄自立経済・再考2006.10 畑中文治(沖縄文化講座) ……では近代における琉球・沖縄の社会は社会構成体としてどのように評価され、その歴史はどう考えられなければならないか? だが、この設問それ自体が、自明のものではない。すなわち「島津の琉球征服という、『琉球王国』の日本社会への政治的包摂は、実質的な経済的包摂を徳川期に必然化し、これを基盤に、『琉球処分』は琉球の全面的な日本国家・社会への政治的・文化的包摂を上から他律的=強圧的に完了したのである。二段階的包摂とみなす所以である。」(安良城盛昭『天皇・天皇制・百姓・沖縄』p209)とする見解が依然として一定の影響力をもって存在しているからである。この見解にしたがえば、近代以降の琉球・沖縄を日本国家とことさら区別して、固有の社会構成体として分析しなければならない理由は無くなる。 安良城その人はすでに物故しているが、その系譜に連なると見られる高良倉吉はたとえば次のように述べている。「琉球王国は、全体としては幕藩制国家の体制的規定下におかれるようになり、その直接的な管理責任者として薩摩が介在していた」(『琉球王国』p73)。「沖縄は、日本の国家体制とは別枠で自前の『王国』を生み出し、その『王国』が時間をかけながら日本社会の一員として編成されるという歴史過程をたどった。したがって、沖縄の前近代史の目標は、この『王国』の形成過程や内容、あるいは変容を解明することであり、近代史の目標は『王国』がどのように崩壊し、『王国』をもった地域がどう日本社会の中に編成されたかを究明することである。」(『同上』p33)沖縄の「異国性」把握にこめられたニュアンスは感得されるものの、基本的には、安良城の学説のパラフレーズである。「沖縄イニシアティブ」をめぐる同化主義的発言の理論的思想的背景がここにある。 他方、安良城の激しい批判を受け、この論争を受けてたったのは西里喜行であった。西里の論旨の大宗は以下のようなものである。「日清『両属』下の270年間に琉球経済が日本経済に従属的に『包摂』され、『日本』と『琉球』の経済的『一体化』が進行したにもかかわらず、廃琉置県を契機として琉球民族の内部から自主的・主体的に『日本民族への転化』を促進する動きは表面化せず、むしろ逆に強烈な琉球意識をベースにした救国運動が展開されたことを、どのように理解すべきであろうか。いわゆる『琉球民族体の日本民族への転化』が『完了』したといえるのかどうかが当面の問題である。」「廃琉置県すなわち琉球王国の滅亡には二つの側面がある。第一には『日本』と『琉球』の『統合』を促進し、両者の『一体化』の客観的基礎を強化する契機となったこと、第二に琉球の民意を配慮しない強権的措置が採られたことによって、『日本』と『琉球』の双方に歴史的に存在してきた自他意識を定着させたこと」。(「琉球=沖縄史における『民族』の問題」/『新しい琉球史像』所収p194・195) まずは、この安良城・西里論争から一定の整理をつけておかなければならない。論争の意味を少し敷衍すれば上記紹介のとおりであるが、係争点は、実は極めて具体的である。つまるところ、琉球処分前後から、1880年代にかけての日清両国による琉球併合、分割策動に対する、「脱清人」=清に亡命した琉球士族などによる「救国」運動についての歴史的、階級的評価いかんである。安良城は言う。「冗談ではない。明治政府が認めている現在の『非常特別の優待』=『寄生的な特権』が一時的なものであって、遅かれ早かれ壊滅することを『脱清士族』は知っていたが故にこそ、彼らの『寄生的な特権』を永続的に保障する『琉球王国』の恢復を願う階級的運動に駆り立てた」。(『前掲』p221)旧慣温存期の旧支配階級の一部による行動を「救国運動」と形容すること自体が、逆鱗に触れたことを察せられて余りある。経済的一体化が直ちに民族的差異を無視してよいとするスターリニスト特有の極め付けが、近代化論と寸分違わない実質を示す好例である。安良城没後の西里による「論点がかみ合っていない」という述懐も肯ける。 しかし問題は、西里も前掲の論文冒頭で藤間生大の「二段階民族統一説」に触れて「民族体と民族の関係をより柔軟に捉えることはできないであろうか」と言うように、民族問題の理解にかかっている。マルクス主義にあっては、依然としてこれは未決の問題である。とはいえ安良城―西里論争の背景には、琉球・沖縄民族の存在を否定するのか肯定するのかという、対蹠的な立場があったと理解するほかない。したがって「民族概念の定義はさておき」として議論を進めるわけには行かないのである。 周知のように民族概念にはスターリンによる悪名高い定式がある。「民族とは、言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態、の共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された、人々の堅固な共同体である」(『マルクス主義と民族問題』)という特徴列挙式の定義であり、また次のように整理される発展段階論的定義である。「社会的共同体は、種族共同体から民族体(ナロードノスチ)、民族体から民族(ナーツィヤ)へと発展してきた。一つの共同体から他の共同体への移行は、大体において、生産様式の発展に照応した。すなわち民族体は原始共産制から奴隷制ないしは封建制、すなわち、前資本主義的生産様式への移行の過程で形成され、民族は奴隷制ないし封建制から資本主義ないし社会主義への移行の過程で形成される。」(寺本光朗『アジア・アフリカ講座』第3巻―湯浅赳男『天皇制の比較史的研究』より重引) 「日琉同祖論」が支配的なメンタリティとして存在し、加えるに安良城流の「経済的一体化」の実証を行ったとすれば、スターリン的民族概念の定義では、西里のいう民族の自他意識などが入り込む余地が無い。まして旧支配階級による「救国運動」などはもってのほかであろう。しかし、この点にかぎっていえば、すでに紹介した、梶村さんの「東アジアにおける帝国主義体制への移行」の論点の一つから、次のような歴史認識が得られる。「往々にして、『民族的危機意識』に駆られた旧社会の中間層ないし支配層内反対派から変革主体が析出する」(a/p65)。「上からの変革主体として同列視しうる洋務派、尊攘派、開化派」(a/p72)。そして、これに続く人民闘争は、太平天国、甲午農民軍、そしてわが国の自由民権運動も含めて、「上からの」変革の時期から、若干のタイムラグをおいて登場するのが通例であった。したがって、旧支配階級の運動の意味が、その階級的利害の貫徹にのみ限定されるというのは歴史的にみて、必ずしも妥当ではない。 それにしても問題は、民族概念である。これについて中村丈夫さんは81年の「自立構想シンポジウム」で次のように述べた。「民族問題は、もはや民族概念の定義から出発して論じうるような静態的なものではなくなっている」。「古来から存続しているものが時に応じて姿を現すのではなく、その都度の社会的あるいは権力的な関係の変動のなかで、民族問題も民族も再構成される」。「たとえば、資本主義的生産関係の拡大、資本主義の空間構造の再編成のなかで、過疎化、格差拡大などからアイデンティティーが問われ、自覚されてくる。」/「(スターリンの民族定義)は俗流社会学の見本のような静態的、形式的なものでした。」「世界構造の変動から、または世界変革の主体形成から生きた民族問題を考えようとすれば…民族の定義などは一度思いきって政治的にくくって、『世界的にはプロレタリア的な地位におかれ、反資本主義的な抵抗や自立を志向する、非階級的ないし趙階級的な社会集団』とでもさしあたり考えておけばよいのではないか、とさえ考えています。」「要は、世界的な反動とたたかうために、旧い共同体が新しい利害や意識の連帯をつうじて抵抗共同体に転生し、再建されることです。それにもとづく民族概念の拡張はまた、生産手段の非私有化とか経済の計画化とかといった手段の目的化の逆立ちではなく、労働の主体的な自己決定にもとづく新しい人間共同体、真の人間的自由を中心とする社会主義概念の変革と結びつく、と考えているわけです。」 近代世界における民族の実在性と虚構性とを踏まえ、さらに次の歴史的ステージにあって、人民的共同性のあり方を考える基礎となる。(ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』) |
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(参考文献)安良城盛昭『天皇・天皇制・百姓・沖縄』(吉川弘文館1989年4月)より 西里喜行「琉球=沖縄史における『民族』の問題―琉球意識の形成・拡大・持続について―」(『新しい琉球史像』榕樹社1996.10) |
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◆既視の風景に針の一刺し 仲里 効 …… 復帰後反復された構図と既視の選挙風景に、一瞬の裂け目を入れたのは琉球独立党の介入であった。人々は「独立して基地全面撤去を!独自経済こそ自立への道!」を掲げ、沖縄内での具体的活動の実績がなく、落下傘のように降りてきて、これまでの選挙力学を異化するような小集団をいぶかり、冷笑し、好奇の眼差(まなざ)しをむけた。とはいえ、心のどこかでかすかに風が立つのを覚えた人も少なくなかったはずである。 得票率はわずか1%、泡沫(ほうまつ)であった。だが、数字には表れなかった背後には重層化された意志の存在があった。「沖縄のことは沖縄が決める」と「独立」の間には、無告のマスの裏道があったことを忘れてはならない。今回の知事選を読む第二のキーワードは、この不可視の道への注目度といってもいい。1%が針の一刺しにならないと誰がいえようか。 |
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若い県民は他の年齢層に比べて「日本志向」が強いことが、琉球大学の林泉忠(リム・チュアン・ティオン)助教授らの「沖縄住民のアイデンティティー調査2006」で分かった。十八歳から二十四歳までの県民の78%が「独立すべきでない」と回答し、全年齢(65%)を10ポイント以上、上回った。 昨年から三年計画で本格的に始まった同調査は、今年も今月実施された。台湾、香港、マカオを含めた四地域の十八歳以上の住民各千人以上から回答を得た。 県内の調査で、十八歳から二十四歳までの県民にアイデンティティーを聞いたところ、57%が「沖縄人で日本人」と答え、全年齢の40%を大幅に上回った。逆に「沖縄人」と答えたのは20%で、全体の30%を下回った。 林助教授は「若い県民は複合的なアイデンティティーを持つ。沖縄人と日本人の概念が矛盾しないと考えている」と分析した。 独立の是非についての全体の回答は、「独立すべき」24%、「すべきでない」65%。独立賛成の最大の理由は「沖縄の政治的、経済的、社会的状況や歴史的経験が日本本土と同じではないから」、反対は「沖縄住民は自立する能力を持っていないから」だった。 スポーツの試合で地元チームと国のチームが対戦する場合を想定した質問で、沖縄は「地元を応援」が94%と圧倒的。他地域で同様の回答は台湾90%、香港68%、マカオ47%だった。 |
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琉球人よ、目を覚ませ 「基地−開発−観光」の連鎖を断ち切る方途はあるのか? 松 島 泰 勝 「琉球弧の経済学」の必要 いま、琉球は危機的状況におかれている。「日本復帰」後、琉球の全域を対象にした労働、土地、貨幣の市場化が怒涛のように推し進められてきた。膨大な補助金が投下されたが、共同体が衰退し、環境が破壊され、島の商品化が進み、失業率も高いままである。経済自立はいつまでたっても達成できない。 琉球を日米政府に依存させることを目的にカネが投じられてきたのだ。日本政府による支配・管理体制が強化されたのであり、琉球を支配するための開発であった。琉球弧で近代化、開発をこれ以上推し進めたらどうなるのだろうか。日本政府による琉球の経済振興策を検証し、琉球開発を後押ししてきた経済学を批判し、新しい「琉球弧の経済学」を提示する時期にきている。 基地と補助金との連鎖を断ち切る 琉球では活発な基地反対運動がみられる。しかし、日米両政府による振興策、経済的妥協策が反対運動を沈静化させてきたのも事実である。琉球人自身が経済振興と引き換えに、基地の存続を許し、開発を求めてきた。われわれ琉球を食い物にしてきたという、自己批判が求められている。 われわれ自身が変わらなければ基地はなくならない。自分たち(琉球)は善であるが、他者(日本や米国)は悪であると訴えただけでは、琉球の問題は解決されない。開発、近代化の意味を問い直し、「本当の豊かさ」について考え、これまでの生き方を改め、自らの力で外部からの誘惑を跳ね返し、基地と補助金との連鎖を断ち切らないと、基地はいつまでも琉球の地に存在し続けるだろう。軍事基地とともに近代化のあり方をも再検討することで、「琉球の平和」を実現する可能性がみえてこよう。 植民地状況から脱する 太平洋戦争において琉球は「本土防衛」のための捨石となった。戦後、日本は琉球を切り捨て、米軍による基地拡大を認めることで、自国の経済成長を達成しようとした。琉球の犠牲の上に日本の経済成長があった。 現在、日本国民である琉球人が、基地によって日常的に心身の被害をうけているにもかかわらず、日本政府は日米同盟の強化に邁進している。大半の日本国民は、琉球人の生活や生命を脅かす米軍基地や日米地位協定を認める政党を投票によって支持している。琉球の米軍基地は振興開発と交換される形で維持されてきた。つまり日本国民の税金によって基地が維持され、開発が行われているのである。 琉球の基地・開発問題は、日本、日本人の関与を前提としている。日本人、米国人等の非琉球人が自らだけの生存、経済的繁栄、軍事戦略のために、琉球を「捨石」にし続けることは、植民地としての処遇であるといえる。琉球は植民地状況から脱しなければならない。 琉球人よ、目を覚ませ 本書の自治論は、琉球のさらなる開発を志向する自治・独立論とは異なる位置に立つ。市場原理主義を掲げ、琉球の完全な市場化を目指し、米軍基地を押し付ける日本の国家体制から自立する必要がある。 奄美諸島から先島諸島までの島々は一体の存在であり、独自な歴史、文化、政治経済体制、生活様式等を有する地域であることを明示するために、本書では「琉球、琉球弧、琉球人」という言葉をあえて使うことにした。 本書によって、米軍基地を琉球に押し付け、開発しようとする日米両政府、日本企業、日本人、また近代化や開発に期待する琉球の行政機関、琉球人に対して問題提起をし、特に琉球人の目を覚まさせたい。 |
沖縄は「合意」の暴力を拒絶する− 日本という「国家」からの離脱に向けて 新城郁夫 1合意という暴力 去る4月7日の夜、沖縄県北部・辺野古岬の陸上・海上を埋め立てて、そこにV字型の二つの滑走路を持つ巨大な米軍新基地を建設していくという新沿岸案について、額賀防衛庁長官と島袋名護市長が「合意」したというニュースが大きく報道された。沖縄に生きる人々をその合意形成の場から排除しつつ、抜き打ち的な政治的野合によって合意なき合意が謀られることについて、私自身はどこか既視感すら感じていて、ひどく驚くということはなかった。また闘いの練り直しが始まると、そう漠然と感じたのが正直なところである。 奇妙な誤解が広がっているようだが、沖縄に生きる圧倒的多数の人々の意志が、「県内基地移設」拒否であることはこの10年揺らいでいない(4月14日付「琉球新報」最新世論調査に拠れば、今度の「新合意」反対は70・8%、県内基地移設反対は77・6%に及ぶ。また特に重要なのは、新沿岸案の「地元」名護市での拒否が県内で最も高率ということで、名護市での「新沿岸案」反対は80%以上である。)沖縄においては未だ嘗て一度たりとも合意などあったことはないし、逆に、沖縄は明確に基地を拒絶している。不思議なのは、そうした沖縄からの政治的意志の発信が日本社会に届いていないと見えることである。むしろ、日本社会は知らないふりをしてはいないか。 そもそも、「戦後」の沖縄において、沖縄に関わる根本的な政治的決断が、沖縄に生きる人々の選択や合意によって為されたことなど一度たりともない。27年間にわたる過酷な米軍沖縄占領は、米軍に占領継続を願い出た裕仁の「天皇メッセージ」(1947年)を含め、日米両政府の野合的合意によって決まったのであり、沖縄を含めた旧植民地の全ての切り捨てを見返りに、日本国家が国際社会に復帰していくサンフランシスコ条約(1952年)もまた沖縄の排除によって成立した「合意」であった。そして、いわゆる「日本復帰」(1972年)もまた、沖縄からの「核抜き本土並み」という要求の一切を圧殺しつつ為された、日米軍事同盟に基づく政治的野合であったことは、今さら言うまでもない。 こうした政治的暴力として沖縄を制圧する「合意」は、とくに、この十年ほどの間、なりふりかまわぬ様相を呈しており、破壊的と言っていいような政治の行使となって、沖縄の人々に極めて差別的な暴力を及ぼしている。1995年の米兵3人による少女レイプ事件をきっかけにして、沖縄で大きな政治的うねりとなった反基地闘争と日米地位協定改定の要求を、普天間基地の県内移設という不条理なSACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意によって押さえ込み、島田懇談会(沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会)をはじめとする振興策資金がばらまかれたのは周知の事実である。だが、言うまでもなく、この10年、どのような形であれ、それらの資本の投下で米軍基地の存在する名護市をはじめとする沖縄県北部地域の経済が活性化したということは全くない。むしろ、持続的に起きているのは、経済基盤と地域社会の破壊である。この間、県知事の基地代理署名拒否裁判を通して、日本政府は裁判係争中に、沖縄のみに適用される特措法成立を強行し、法による法秩序の破壊という「例外状態」化(ジョルジョ・アガンベン)を進行させながら、あたかも、辺野古沖への米軍基地建設案が沖縄の人々の「合意」に拠って成ったかの如き虚偽を政治的に演出してきた。 こうした沖縄の「例外状態」化を、日米政府は一貫して政治的隠蔽によって不可視化してきた。だが、2004年8月10日、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件によって、沖縄においては日本国憲法をはじめいかなる法も機能してなどおらず、そこでは米軍によるやりたい放題の法の停止=戒厳令的占領が日常化されているということが露呈されたのであった。あの日、現場に駆け付けて見た光景のなかに、「合意」という暴力の最も先鋭化された危機が生起していたことを、私はいま痛みをもって想起することができる。この時の、武装米兵による燃え焦げている沖縄国際大学とその周辺一帯の鎮圧と封鎖を、川口外相(当時)は国会答弁において「日米地位協定上、妥当」と発言している。 その意味で、米軍による民間地占拠が、何らの法的制限を受けることなく、むしろ日本国家によって積極的に承認される、そのような暴力の行使される場として沖縄があるという事実に、沖国大米軍ヘリ事件は私たちを直面させたと言えるだろう。そこで私たちが見出したのは、あらゆる法権利の外部に投げ出され、あらゆる意味で無防備な形で軍事政治的脅威に曝されている、沖縄に生きる者全ての危機的な生のありようであった。またそこには、日米安全保障条約という軍事同盟そのものによって、ありとあらゆる「安全保障」から疎外され軍事的脅威の暴力に曝されている沖縄の姿があったと、そう言うべきである。 この沖国大ヘリ墜落事件を機に、辺野古への米軍新基地建設反対の声が、圧倒的な県民世論の流れとなって今に続いているのは、沖縄に生きる人々が、等しく自らの生存権の再――獲得の必要を自覚し、そして、その生存権そのものを奪おうとする暴力の起源的な場にいかなる装置が作動しているのかを感知し、これに根底的に抗していく必要を痛感しているからと言えるだろう。だからこそ、辺野古での徹底した非暴力の反基地運動は県民そして県民の枠を遥かに越えた大きな支持を獲得し、その反対運動によって、事実上SACO合意を破綻させることができたのである。「合意」の暴力への、極めて敏感な拒否反応と強固な拒絶意志が、沖縄の人々のなかに培われてきていることを、国は知るべきである。いかに政治的野合を介して、地域首長を籠絡し「合意」を繕ったとしても、その合意にいかなる政治的正当性も無いことを、沖縄に生きるほとんどの人々が感知している。 いかに政府が名護市長を脅し丸め込んで「合意」に漕ぎ着けたとしても、それがSACO合意同様あるいはそれ以上の激しい拒否に直面することは必定であるし、沖縄という地域全体の拒否を受けてなお、新基地が建設されるという実現性があるとは到底思えない。既にして、合意なき合意は、沖縄においては極めて強い拒否によって突き返されている。「合意」という意志形成そのものへの不信と警戒において、沖縄の人々の選択は、新たな政治の模索を始めているのだ。 「合意してないプロジェクト」をはじめとする、非組織的、非系統的な人々のおよそ無条件な連帯が、「合意」への拒否において、政治的意志を集約するという新しい運動を作り出しているのである。むろんそこには、辺野古での座り込みに見られる柔軟にして粘り強い反基地運動への限りない共感があることは言うまでもない。その意味で言えば、沖縄では、いまや、「合意」という言葉は、常に不当性とともに想起され、その不当性とともに失墜しつつある概念(空手形)であって、その言葉からは政治的実効性が剥ぎ取られていると考えていいだろう。 2不安のなかの日本 そうした沖縄での「合意」への冷ややかな反応と強固な拒否のありようと比較して見るに、いわゆる本土大手メディアの興奮と動揺ぶりは滑稽ですらある。むしろ、今度の「新合意」で驚かされたのは、「讀賣新聞」「毎日新聞」「朝日新聞」「産經新聞」といった国民的新聞のはしゃぎぶりであり、NHKをはじめとするテレビメディアの高揚した喧噪ぶりであった。これまで、沖縄に関わる困難な政治問題へのほとんど鉄壁の無関心に自らの政治的信念を賭けていることさえ見えていた主要メディアが、「新合意」の翌日には、この日を待っていたと言わんばかりの勢いで「合意」の言葉を連呼しているさまは、これを沖縄という場から見るとき、端的に言って異常であった。私が感じた異常な感じは、敢えて言うならば、今この日本という国を覆っているある病理を見出した感覚に近い。 沖縄に関わる時、日本という国家そして国民は、自らが抱える奇態な不安に曝されている。その病根を、主要メディアの報道のなかに見出すことができるように思う。何が何でも、沖縄からの「合意」をとりつけなければならないという焦慮と不安。「合意」を取り付けたのにもかかわらず、その実「合意」に実効性や正当性が無いことに気づいているがゆえに、いかにしてその「合意」に変わる代案を提示したら良いのか、その事を知り得ぬ恐れ。そうした不安や恐れのなかに、この国が、いま、沖縄という他者と相対することによって、自己像の破綻に直面しつつある危機が露呈している。 たとえば、次のような言説はどうだろうか。「讀賣新聞」4月8日の社説「早期移設へ着実に作業を進めよ」は次のように書いてある。 |
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中国の軍事力増強などで、地域の安全保障環境は不透明さを増している。在日米軍の再編は、北東アジアから中東に至る「不安定の孤」を視野に入れたものだ。こうした情勢の下で、沖縄の基地の重要性は一層高まっている。使用期限「15年」という制約があっては、安保情勢の変化に対応出来なくなる恐れがある。日本全体の平和と安全に関わる問題だ。普天間飛行場移設の地元合意は、在沖縄の米海兵隊約8000人のグアム移転の前提であった。海兵隊のグアム移転は沖縄県の負担軽減となる。稲嶺知事にとっても望ましいことではないか。(略)日本や地域の平和のために日米同盟を強化する上でも、政府は、責任を持って問題解決を急がねばならない。 |
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「讀賣」お馴染みの恫喝的言辞に溢れた陳腐な文章だが、このなかで注目したいのは、安全保障において「不安定さを増している」場所を、「地域」という極めて曖昧な言葉でしか示し得ない、その認識の限界である。「日本や地域の平和のために日米同盟を強化する上でも」、政府は、沖縄の反対運動を鎮圧し早急に辺野古に基地を作れ、というのがこの社説の趣旨である。だが、「日本や地域」という言葉の哀れなまでの「不安定さ」もさることながら、その日米同盟によって守られるべき「地域」がいったいどこなのか、この社説はそこを書けていない。 だが、それは当然である。米軍再編は、特定の「地域」など想定していない、なんでもありの対テロ戦争を名乗る無限定な国家テロ謀略なのであって、この米軍再編において自衛隊の全てを米軍の統合下に置くことを昨年10月の「日米同盟――未来のための変革と再編」で「合意」した日本国家は、それこそ世界中の全「地域」における米軍の戦争に巻き込まれざるをえない事態にまで陥っているのである。 だからこそ、「使用期限『15年』という制約があっては、安保情勢の変化に対応できなくなる恐れがある」という極めて率直な不安が露呈されてくるのであって、もはや、どの国が敵でありどこが戦地でありどこが安全地帯なのか、分明なことは何一つないことを、この「社説」は明らかにしているのだ。この不可知な「安保情勢の変化」を、せめても想像的に固定せんがために、中国の脅威が募られその防御として沖縄が差し出されているに過ぎない。佐藤学がすでに指摘しているように「沖縄の米軍基地は、もし中国脅威論が現実化したら使い物にならない」(「日米「合意」と沖縄自治の危機」『インパクション150号』)以上、「沖縄の基地の重要性」を地政学的な視点から語ること自体が、そもそも不可能なのである。 たとえば、沖縄の海兵隊が8000人グアムに移転されるかもしれないということをして、米軍の譲歩や日本政府の交渉成果あるいは「沖縄の負担軽減」などと喧伝されているが、これなど論理の転倒の最たる例である。米軍総司令官は、在沖海兵隊の存在理由を問われて「駐留事実が存在の理由」(「琉球新報」2005年11月8日)と答えているが、これは海兵隊の沖縄駐留に根拠などないことを米軍首脳が認めていることの証左である。そもそも存在の必然などない海兵隊のその一部分が沖縄から移転することを、「沖縄の負担軽減」などと恩着がせがましく呼ぶこと自体が詐術的レトリックに他ならない。むしろ、海兵隊に在沖してほしいのは、日本国家なのではないか。 その点、国家を代弁としているのかの如きこの「讀賣」社説に溢れている「恐れ」は、むしろ正直である。この社説自体が、自ら言うところの「日本全体の平和と安全に関わる問題」を沖縄に限定的に背負わせようとし、この国が米軍再編によって「平和と安全」の危機に巻き込まれていく事実から逃避しようとする不安に貫かれていることがよく分かる。この記事の背後から、自ら招来しそして自らが曝されている軍事的脅威を、沖縄との捏造された合意のなかに押し隠し、その現実から逃避しようともがく、日本という国家の悲鳴が聞こえてくるようである。 こうした隠された不安は、たとえば、「毎日新聞」4月9日の社説「名護市の決断を重く受け止めよ」のなかにも容易に見出すことが可能である。 |
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政府案に合意したことへの風当たりが強いかもしれないが、島袋市長は修正案移設に合意した以上、地元に丁寧に説明し、反対派住民の説得に全力を挙げてもらいたい。 |
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いかなる立場を代表したら、こうした摩訶不思議な要求が提示できるのか、まったく理解し難いが、少なくとも、この「社説」が、黙って合意を呑んでくれ、と、沖縄に懇願し沖縄を脅していることだけは分かる。ここで重要なのは、沖縄でなんらの合意も得ていない名護市長の公約違反である決定を「合意」として強調し、それを既定事実化しようとして焦慮するこれらの言葉のなかに、沖縄の合意無しには、自らの安全が何一つ保障されていない不安に曝されている者の、反転された暴力の作動を見出すことである。 このとき私たちは、「合意」という言葉に隠されている、根源的暴力を見定めることができる。強制された合意に関わる暴力の痕跡を今回の「新合意」に見出し、更には、沖縄と日本の関係の根幹に作動し続けている合意の暴力を明確に見定めていくことが、いま求められている。 3沖縄の日本国家からの離脱にむけて 「新沿岸案」に対する島袋名護市長の、公約違反の政治的正当性を完全に欠如した「合意」に、政府やメディアあるいは国民がある種の称賛と承認を寄せているありようの裏面に、実は、己が沖縄から見棄てられるという国家・国民の隠された不安があるのではないか。そうした思いに私はふとかけられる。「合意」を完全に拒否され、米軍新基地が沖縄で建設されることは不可能かもしれないという、極めて現実性の高い予想を前にして、むしろ、この国は、沖縄という「地域」が、日本の一地域であることから離脱し、自らの政治的意志の結集によって国家暴力に根源的な拒絶を突き返してくるのではないか、と、そのことをこそ恐れているように思えるのである。沖縄が拒否を貫く時、日米安保条約というそれ自体危機的なシステムに大きな亀裂が生じ、更には国家という制度そのものに危機が生じる、そうした当然の不安に苛まれるがゆえに、合意なき合意を躍起になって言い立てているのが日本という国家なのではないかと、私はそう思う。 むろんのこと、こうした国家の不安と対応するように、国家から棄てられるかも知れぬという、これまた現実的不安を沖縄の少なからぬ人々が持っていることも確かだろう。だが、いうまでもなく、近代以降、沖縄は繰り返し何度も日本国家から耐え難い暴力を被り、そして棄てられてきた植民地的歴史を持っている。こうした沖縄と日本の互いへの不信と恐れのなかで、「合意」は、むしろ共依存的に作動してきたとも考え得るかもしれない。 こうした沖縄と日本国家の共依存的関係を、たとえば、ドメスティック・バイオレンス的暴力の構図として捉えることも、いっけん可能なように思われなくもない。暴力「主体」と暴力被害者の馴れ合いのなかで、暴力は反復強化され、加害者と被害者、双方ともが暴力の誘惑に呪縛されてしまう。そのような関係の類似性のなかに沖縄と日本を見出すあり方は、だが、沖縄に関わる暴力を、ドメスティックDomesticな関係、つまり<家庭=国家>的な関係の中に回収してしまい、その暴力の基底にある、国家そして国家間の軍事覇権を不問にしてしまう危険をはらんでいる。むしろ、沖縄に関わる植民地主義的暴力は、ドメスティックな関係のなかに回収され得ない、国家間合意=同盟的暴力の地平において批判的に思考されなければならないはずである。 そしてこの合意の暴力は、少なくとも、沖縄――日本――アメリカという三項の力関係のなかで、沖縄を取り込みつつ同時に排除する力そのものによって日本とアメリカの軍事同盟が維持強化されていくという、国家と国家の間のホモソーシャルな男性中心主義的絆(セジウィック『男同士の絆』)をめぐって作動している。だからこそ、沖縄から為されるべき抵抗は、国内問題に収斂され得ない、「同盟」という男性中心主義的国家間の合意形成そのものの解体へと向かう実践である必要がある。日本という国家への拒否は、日米軍事同盟への拒否とともに開示されなければならず、そして日米軍事同盟への拒否は、アメリカという軍事覇権国家への拒否とともに表明されなければならないはずである。沖縄という例外状態的領土を戦場化することによって、国家的同一性を維持し続ける日本とアメリカ双方の国家暴力を批判していかなければならない。 日本という国家が、米軍という無限定な暴力装置を介して、沖縄を支配し蹂躙しその自主的政治の可能性を奪い取ろうとする限り、沖縄はその国家間同盟の暴力に対して徹底的な抵抗を実践する権利を有し、国家からの離脱を含めた一定の政治的意志を示す必要があるのではないか。たとえば、それこそ、憲法九条の定めるところによって、在沖縄米軍の完全撤去と、強化されるばかりの国軍たる在沖縄自衛隊の全ての撤去を沖縄の名において命じ、もしその正当性が国家によって退けられるような場合、沖縄は、憲法九条の理念そのものにおいて、日本という国家の違憲性を指弾し、この死に体同然の国家から離脱するという選択を政治的に具体化していくことを考える必要があると、そう考える。 しかも、そうした実践は、沖縄独立あるいは別の国家の建設といった形とは全く違う、反国家的社会の形成という方向への模索であるべきであり、沖縄人対日本人という民族的・人種的カテゴリーの焼き直しなどといった短絡的思考への回帰などであってはならないはずである。なぜなら、それが対抗的主体である限り「沖縄人」はついに「日本人」という基準から逃れられぬ反動に過ぎなくなるし、更に言えば、沖縄人対日本人という分かりやすい分断的対抗性を必要としているのは常に国家であると、そう考えるからである。この手の分断や不均衡への不満を利用しつつ自らの同一性を制度化し、そして自らの周縁部の抗争を恒常的に再生産しつつ、そうした抗争への介入を通じて自らの延命と拡大を図っていくのが国家とは言えまいか。 その意味で、このところ良く目にする、基地の平等負担という要求における日本人と沖縄人の対立の先鋭化の主張(野村浩也『無意識の植民地主義』、知念ウシ「なぜ基地の平等負担ができないのか」本誌1月号、桃原一彦「『察しのよい無関心』と日本人/沖縄人」本誌4月号など)は、機会や権利の要求ではなく基地負担の平等要求という、日米安保そして米軍そのものを不問に付す方向性において、現在進行しているネオリベラル的制覇に棹さす退行的議論に陥りかねず、それが日本社会の沖縄に対する構造的差別への批判として、切迫した位置から提出された思いであることを鑑みても、その差別を「日本人」という極めて不確かな一般性の心性の問題に回収することで、日米双方に関わる国家暴力そのものへの批判を回避してしまっていると言わざるを得ない。 むしろ、こうした議論の基盤にある、日本と沖縄の関係を、国家と地方、あるいは全体と部分という相補的関係のなかに回収していくような認識そのものを根底から刷新し、沖縄の日本国家からの離脱を通じて、今現在日本国家の構成員である沖縄に生きる私たち自身を含めた「日本人」を、その制度的解体へむけて導いていくシフトにこそ思考と実践の重点を置き直すべきではないか。 その時、沖縄から日本にむけてなさるべきことの中心に、ともに国家を廃棄していく協同作業への呼びかけが再発見され得るように思える。この点において、1970年前後に沖縄から提示された多くの反復帰論・反国家論の学び直しと再評価は、緊急の課題だと思われる。 沖縄に見捨てられ、そして自ら日本国憲法を捨て去ろうとしている日本国家によって、そこに生きる、国民に限られない多くの人が政治難民化する時が近づいているのかもしれない。その難民たちをこそ歓待し、国家に拠らない社会を共に作る作業を通じて、沖縄を生きる私たちもまた、制度的「合意」から離れた新しい政治の繋がりのなかに自らを見出していくことができるだろう。その意味で、強制された「合意」を、沖縄と日本と双方向からの応答的連携によって破砕していくことは、いままさに、緊急の課題と言わねばならないはずである。 |
3.5県民大会の現場でC 抵抗の質 問い直す時/潜在意識動かす想像力を/風に翻る「琉球独立」の旗 仲里 効 3万5千人と発表された大会参加者数に、主権者は胸をなでおろした、と翌日の新聞は伝えていたことからすれば、この数字は主催者の予想を越えていたということだろう。累積され、潜流する沖縄の人々の怒りを軽くみてはいけない、ということを教えたということでもある。 だが、そうたびたびあるわけでもない規模の人が集まったにしても、そこで行われている要請や抗議や?弾のスタイルは、私にとつては既視の風景を出るものではなかった。沖縄の戦後は、群策が己を未知に向かって解き放っていく幾つかの印象に残る広場の記憶をもつてはいたが、このところ未知を垣間見る瞬間に立ち会うことがほとんどなくなった。 何かが違うのである。もうそろそろ抵抗のあり方や政治的想像力そのものを問い直していく時ではないかという思いを、この種の大会に足を運ぶ度に強くさせられた。とりわけ「米軍再編」がアジア・太平洋における軍事的・政治的枠組みを大きく変えるものであり、何よりも沖縄社会の分断と再編成であるだけに、その思いをいつそう強く抱かされた。今切実に問われているのは、抵抗の質であり、政治的想像力そのものである。 ステージから人の密度がグラデーションを描くように散らばった後方の教会の一角に、決して大きくはないが、さざ波が立っていたことに気づいただろうか。むろんそれは、大会の輪に対して例外的存在ということではなく、3万5千の「群集の中で/と共にある」ということに変わりはないのだが、少なくともそこには異風が流れていたことはたしかである。黒い横断幕と黒い傘に主張を書き込んだ黒い衣装のカマドゥ小たちの集いは、強い喚起力で基地の葬式を表象していたし、ひと張りのテントのまわりでは、脱中心的に縫いぐるみの獅子やレゲエやラップなどで踊るレジスタンスを試みていた。 そしてひときわイフーな声と視線を持ち込んだ小さな一団があった。「琉球処分に抗し、自己決定権をわれらに!」の横断幕に「琉球共和連邦」と「琉球独立」の藍色の旗を掲げ、「南洋浜千鳥」「だんじゅかりゆし」「ウチナーグチインターナショナル」の音楽を流しながら、ゆるゆると境界域に参入する。大衆運動の面前に、「琉球共和連邦」とか「独立」を掲げて昂然と登場したはじめての光景であった。そして二種類のビラが撒かれた。「紙ハブ」といえばちょっとオーバーに聞こえるかもしれないが、たしかに手にとった者の歴史意識を攪拌し、ドキッとさせるには十分チョウハツ的な内容であったはずである。 紙ハブの一つは「琉球の独立を!」の文字が踊り、「私たちは日本とは別な道を進もう/自己決定権をわれらの手に!」と呼びかけるもので、裏には中国語と英語で翻訳されていた。もう一つは「琉球タイムス」の号外を仮想して「独立を問う県民投票で75%・圧倒的支持/琉球の独立決定」「すべての軍事基地撤去へ/暫定政府樹立・中国歓迎・日本政府は衝撃」の見出しで、3月4日に実施された「独立を問う県民投票」が圧倒的な支持を得て、沖縄県が「琉球」として独立することを宣言したことと、その結果に対する日本、中国、アメリカなどの衝撃の大きさを政府高官のコメントで伝えるバーチャル新聞である。 風刺と異化と仮想によって広場に参入し、想像力によって未来を騙りとり、現実を問う、あえていえば歴史を逆なでする游撃的な方法でもあった。これまで夢のまた夢として、だが沖縄民衆の潜在意識の暗がりで決して見果てることのない、夜にしか咲かなかった夢を、白昼の光の中に投げ込んだ。このスペクタクルな行為は、現実とイリュージョンの境目に身を置くことによって自らを試し、他者をも試すものであった。 風に翻る「琉球共和連邦」と「琉球独立」旗に、見てはいけないものを見てしまったかのように顔をそむけ足早に通りすぎていったネーネー、「ウチナーグチインター」を聴いて不意を衝かれたように思わずカタクチワライをしてしまった中年の男、二種類の紙ハブを見てあからさまに不快感と敵意の目を剥いた公務員風な人、などなど。そう、藍色の旗と島唄と紙ハブ、そして小さな渦巻き風をつくる人の塊は、攪乱し、呼びかけ、問いを発しながら、広場と群衆の潜在意識と夢分析のメディアでもあったのだ、と思う。 「琉球共和連邦」の旗を巡り、ひときわ澄んだ女性のボーカルが、「アネ、チジュヤーよー、浜うてぃチューイチューイなー」と広場を渡る。渡海と旅宿の南洋浜千鳥は、蒼空の彼方から「シタイヒャー!」と鳴いたか、それとも「ウァーバーグトゥシチ」と鳴いたのだろうか。 広場の境界あたり、歴史を逆なでするつむじ風の中にいて、私は〈反復帰・反国家〉が未完であること、そして復帰後の時空に放った「琉球共和社会(国)憲法」の想像力とアクチュアリティを、沖縄の〈いま〉に転生させ、未来に差し向ける道筋を痛感させられた。 |
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(「沖縄タイムス」06.03.14) |
いきなりだが、ウシという名を持つ女のサンパチロク(琉歌)から一つ。その女とは、世替わりの世情を風刺を込めて歌いあげた名曲「時代の流れ」で知られる風狂の唄者・嘉手苅林昌の母嘉手苅ウシのことである。こんな琉歌を残していた。 |
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「あたら我が沖縄 品物の例い/取たい取らったい 上にまかち/下ぬあてぃん上ん 成り立ちゅるたみし/下ぬねん上ぬ ぬ役立ちゅが」 |
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何てことだ、大事なわが沖縄は、まるで品物のようだ。取ったり取られたり、上(国家)のやつらの勝手にされて。下々の民があってはじめて、お上(国家)は成り立つのであって、民意を無視するお上が、いかほどの役に立とうか、という意味のこの歌は、第三の琉球処分といわれた一九七二年「復帰」の際に詠んだといわれるが、なかなかに辛らつである。「沖縄物象化論」ともいえる見事な時評といえまいか。 ウシ−林昌母子によって歌い継いがれたのは、世替わりに翻弄されてきた沖縄と、だが、それでも庶民に信を寄せた揺るぎない草莽の身体感度であるといえよう。……〔以下略〕 |
……それは10月30日、映画『Marines Go Home』を見て雨の県民総決起大会に参加した後のこと。それぞれに憤懣やる方ない思いを抱いて集まった私たちは決起盛ん意気軒昂。鼻息も荒く誰かが言い出した。何かやらないと。しかし、日米政府による暴力的『合意』を拒否するため、私たちに何ができるのだろうか。 | |
こうした書き出しで、阿部小涼さんの「情況に立ち向かうため 始動・合意していないプロジェクト」(琉球新報05.11.17)は始まった。多くの人が目にした記事であろうが、やはり、風游子としては何としても、ここに再録しておきたいと思った。辺野古ボーリング調査阻止の実力闘争以来の運動圏(こうした生硬な言い方を許して貰いたいが)とは別の領域では、「沖縄自治研」の展開に次ぐ新鮮でかつ衝撃的な「始動」だった。筆者の阿部さんは「合意していないプロジェクト」の企みを「想像力でつながる」として、次のように書き続けている。 | |
……コンセプトは次のようなものだ。@今、可能なゼネスト。あるいはゼネストに向かうための思考を鍛える場をA完成された企画でなくてもよい、まず第一弾という気楽さB非系統的、非中心的、非組織的な実践を、抵抗運動の再創造にC想像力でつながる。政治的意識の高まりは、見えにくいかもしれないけれど充満している。それが政治的アクションにつながっていく、そのような新しい運動のかたちを模索しよう、その点での合意を頼りに動いてみようと考えた。 | |
説明するまでもないだろうが、以降の動きのめざましさ、素晴らしさは、合意していないプロジェクトのHPを是非覗いてみてほしい。 そして、この「合意していないプロジェクト」のもう一人の「仕掛け人」と目されている新城郁夫さんが同年12月10日の琉球新報で、「『合意していない』シンポジウムに向けて」という副題で「国家暴力拒否という選択」を掲載。 |
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……沖縄のどこかにまた米軍ヘリが落ちて誰が死のうと、そしてこの沖縄の基地から飛び立っていく米軍という殺戮集団が、世界中のどこで誰を殺そうとも、それは国益に叶う、だから沖縄の人々は黙って被害に耐え続けろ、そういう恫喝を日本というこの野蛮な国は、国の名において沖縄に命じている。かかる時、沖縄に生きる私たちに、いかなる選択が残されているだろうか。黙って国家暴力の犠牲となる以外に、私たちに可能な生の選択はないのだろうか。 | |
そして、新城さんは「ある、と私は考える。」と断言する。さらに「国家暴力を拒否するという選択肢が、私たちにはある。端的にしかも徹底して拒むこと、それは私たちの犯されざる権利であり責任である、と私はそう考える。」 「暴力」一般ではなく、「国家暴力」(そこでは米帝と日帝=ヤマトがターゲットだ)と言い切るだけでなく、それを拒否することを自らが引き受けようとする清潔さが、この文章の白眉であろう。「国家暴力を拒絶し、ゼネストを構想する」とする、お二人とも38歳と聞く。そして2.5琉大での「映画とトーク」での若々しいスタッフと参加者に圧倒され…… |
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