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フクギ

[2003.12.24] フクギ
<あるメーリングリストでの話題です。勝手に抜粋。・写真は友人のカズオさん提供の「備瀬のフクギ」です。>
本部・備瀬のフクギ
★フクギの防風林はなんで減ってしまったのですか?
 都市内では生息できない木なのでしょうか?
 この前、連れて行ってもらった本部のフクギ並木がとてもよかったので、なんであちこちに植えないのか不思議に思いました。

☆昨日、実家に子供を遊びに連れて行ったら、同じようなことを親父から言われました。
 親父はある人から、言われたそうです。
 「沖縄のまち並みとか、まちづくりとか、言う場合に、防風林、防砂林、防潮林が、非常に重要になる。昔の沖縄は、何千年にわたる苦労と英知の結晶で、どんなに大きい台風がきてもそれなりに耐えられる、人の暮らしを守ってくれる、まちなみや、田畑の防備を林で、築きあげてきた。それを取っ払ったからこそ、こんな大きな被害が出るようになってしまったんだ。」
 私の予想、ふくぎは、実がよく実るが、落ちるとハエがたかって面倒。しかも、豚も人も、ふくぎの実は食えない。ほっとくわけにもいかず、片づけないといけない。さらに、植物なので、のばし放題のばさせるのではなく、定期的に刈りあげをしないといけない。つまり、風や潮を防ぐ壁でありながら、生き物でもあるので、ほったらかしは不可能で、それなりの面倒をみないといけないわけです。これは、農地を囲んだ林にも言えることで、農地も人が育てた林で守られていたのです。
 林の面倒は、それなりの、労働集約的(人での多くいる)、そして、ボランティアあるいは地域協働・相互扶助つまり、無償でお互いに助け合うという、公共性の第一の領域だと思います。青年団を中心に、林の管理は可能だったのでしょう。農村社会でさえ、急速に都市化し、あるいは青年人口が減少し、多くの労働集約型、地域協働・相互扶助の公共的な仕事は、市町村がとって代ってやってくれるようになりました。しかし、防風・防砂・防潮のための林の維持管理は、「国の補助金がない」だとか、「市町村の仕事でない」とか、そういう理由で、市町村がまったくやろうとしなかったわけですね。
 で、地域任せ、部落任せ、で、ほったらかし。で、林をどうにか維持しようと思っていても、都市化や凝集性を喪失した青年団や部落活動あるいは、地主、家主個人任せでは、到底、維持不可能で、つぎつぎと林は、破壊されていったのでしょう。(私の仮説です。誰か、興味のある方は立証してみませんか?)

★フクギについて教えて頂き、ありがとうございました。実が落ちて臭い、ということで、すぐに公孫樹のことを思い出しました。なんで公孫樹は東京都のシンボルマークになるほど大事にされているのに、フクギは嫌われてしまったのか。
 要するに、フクギの実の利用法を発明できれば、一石三鳥位の効果がもたらされるのではないかということです。銀杏も、物凄く臭いのだけど、殻を腐らせて中身を出すと美味しく頂けるので、フクギの実もなんとか使う方途はないものでしょうか。
 土地の植生に合った木が、本当は一番良いはずです。研究室がお隣の博物学の先生は、琉球松は放っておくとなくなるものだから、なくなるままにしておけば良いと言われます。街路樹の専門家のご意見をお待ちします。

◆防風林の話題には入れませんでしたが、街路樹となると話は別で〜す。
 私はシマーの木が大好きです。その中でもアカギとクルチ(黒木)が大好き。次にクワディーサーとガジュマルです。いずれも台風に強いし、シマーなので沖縄の気候風土に適しています。それなのに街路樹としての人気はいまひとつです。クルチを市町村木としているところは多いですが、南風原町も街路樹として植えている所は少ないのが現状です。
 成長が遅い、あるいは花が咲かないので面白くない、などなどクルチを利用しない理由はいろいろあります。しかし50年単位で見るとクルチは素晴らしい街路樹になります。アカギもそうです。クワディーサーなどは公園に最適です。シマーの街路樹を再認識すべきです。
 県内でもシマーの街路樹を植えているところがあります。いずれも素晴らしい街路樹になっています。沖縄らしいなぁ、って感じます。ホッとするんですよね。

☆防風林の話は、やっぱり、市町村の行政職員として、興味がないって、ことかな。話題には入れないというのは、行政ではどうしようもないってこと?街路樹には、関われるけれども?それとも、行政マンという現実を離れて、街路樹に興味があるってことかな?
 街路樹に関しても、伝統的な沖縄の林に関する価値、役割の点から、見直した方が良いと思います。
 本部町備瀬のふくぎ並木は、屋敷の防風林であると同時に、今風の言葉で言えば、街路樹でもあります。
 また、宰相、祭温が、主要街道に整備した、琉球松の並木も、なにかしら、琉球松であらねばならない、理由があったと思われます。なにせ祭温は、そのころの植林に関しては、日本一は当然(祭温の書いた林学の本は、日本全体の教科書だっと聞いた)、おそらく世界的にももっと優れた学者でもあったわけですから。
 街路樹の役割に、見栄えが良いというだけではなく、また、管理のしやすさという点でもなく、防風、防砂、防潮の林、つまり、地域全体の環境保全の役割を再検討してみては、どうでしょうか。

◇専門家ではないですが、景観に関わっている者として一言だけ。
 街路樹の選定については、ほとんどの自治体で予算の都合や前例、担当者の好みで決められているのが現状だと思います。また、安価で管理コストがかからないような樹種の選定になるので、必然的に流行のように同じ樹木が県内で流行ったりします。街の景観や通りの特色を考えずに植えられた樹木は街の雰囲気を壊していることを案外住んでいる人たちは気が付かないのです。車社会で歩道を歩くことが少ない県民には関心がないのは仕方がないのかもしれません。
 今、南風原町では町並みのデザインを住民主体で進めようと取り組んでいますが、街路樹の選定にあたっては美人コンテストにならないように、親から子へ子から孫へ語り継いでいけるような時間の蓄積と共に活きてくる通り、持続可能な町並みデザインになるように進めています。各地で同様の取り組ができればいいなあと思っています。ちなみに私は鮮やかな赤色に染まるホウオウボク(南洋桜)が好きです。
※緑陰道路ブロジェクト(国交省)http://www.mlit.go.jp/road/road/century/koubo.html
※持続可能とは1)耐久性が高い。2)時間の経過と共に場所の価値が高まる。3)環境への負荷が低い。4)飽きがこず、愛着が持てる。(永住意識、コミュニティー形成)

■自分もホウオウボク好きです。パレット前では、でっかい枝豆のような実がついてますが、通るたびに「これ、食えないのか?」と気になります(笑)。後は、トックリキワタも好きですね〜。県警前から楚辺に向けての通りや与儀小学校の通りに咲き誇るトックリキワタを見に、チャリンコこいで行くくらいですから。

□あらら、フクギがかわいそう。 フクギは、那覇市の市木なのです。
 人間国宝・首里織の宮平初子さんは、フクギで染めた糸をお使いになると聞いています。
 樹皮が染料になるのですが、美しい黄色、昔、最高位にあるもの以外、着用を許されなかったという色です。
 フクギは、幸福や繁栄をもたらすとされる常緑の高木で、「福木」とも表記します。
 那覇市の緑のスペシャリストに、フクギと那覇市内の街路樹についてききました。以下、彼の答えです。
1 街路樹がフクギ、という市内のポイントは、
 (1)西町、ロワジールホテル周辺の港湾道路、
 (2)曙、簡易レクセンター周辺
 (3)市役所本庁付近、
 (4)真和志支所から三原を抜けて松川に至る通り
 (5)市立体育館から真地市営住宅へ向かう通り など、
2 フクギは、生育に時間がかかる。上記は、いずれも20年以上前に植えられたもの。
3 フクギを植えた頃、街路樹は、ほかに、ホルトノキ、イヌマキが主流であった。
4 その後、花が咲く樹が好まれるようになり、今では、ホウオウボク、ピンクテコマ、モモイロノーゼンといった木が植えられる。(ちなみに、ホウオウボクは、那覇市の市花木です。)
5 街路樹の選定は、「適材適所」。風の強い、海の近くなどには、フクギ、市街地の中心には、美しい花の咲く木を選ぶ。
とのことでした。
 本部の備瀬部落のフクギを、今から30年ほど前に見ました。素晴らしく美しいフクギ並木。フクギは、生育に時間がかかる、ということですから、備瀬のフクギは、相当の樹齢を有しているのではないでしょうか。

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