サバニ
[2003.9.3]
南山舎発行の八重山タウン誌の『情報やいま』9月号に、「37キロの大航海−島をつなぎ 海を漕ぎ渡る」と題して、石垣島から西表島まで2艘のサバニによる8時間にわたる大航海の記事が掲載されていました。途中、竹富島で神司から安全祈願を受け、小浜島の途中では干潮のためにサバニを担いで運んだりしながら、西表島の仲間港に到着。新城島の近くから南風にのって帆で入港する予定でしたが天候が崩れ風向きが変わり、伴走船に引かれるアクシデントもあったそうです。ちなみに、この2艘のサバニは↓舟大工・新城康弘さん建造のもの。1艘は竹富島教育委員会所有。ユニマット問題もその精神で対処して欲しいものですが。
[2003.8.28]
「風游プレ2号」は頓挫(一応ご報告まで…)
八重山の出版社である南山舎(月刊「情報やいま」の発行元。風游子も定期購読中)から『潮を開く舟 サバニ−舟大工・新城康弘の世界』が出版された。1650円。
宮古島の隣・池間島の海人である新城康弘さんの聞き書きを元に、安本千夏さんが執筆。第一章は「池間島の海と暮らし」、第二章は「舟大工・新城康弘のサバニ」。とりわけ、第二章は昔ながらの製法でのサバニ作成を、材料・道具・工程と、サバニの構造と名称を書き加えながら、丹念に紹介。
「手作りサバニで風游」なんていったら、怒られそうだ。白川さんの1/5モデルですら大変な熱意と労力が必要だったろうが、体力・知力に欠ける風游ごときが「手作り!」なんぞ、夢のまた夢。
ともあれ、筆者の「あとがきにかえて」での熱い思いの一端でも共有できれば……。ちなみに安本さんはカヤックのベテランで、「カヤックというシンプルな手漕ぎの舟に導かれて、南の島暮らし」をはじめた人です。でも巻末の参考文献がまたすごい、伊波普猷・喜舎場永cから始まって「池間嶋史誌」「糸満市史」まで。
ちなみに、「信天翁24はサバニ船型採用した」という青木ヨット株式会社のサイトを見つけました。「信天翁24は中高年者のために開発した、特別のシングルハンド・外洋艇である。他と競争するためではなく、あなたのパートナーとして人生を楽しくするために、信天翁24は存在する。」なんていうコメント付きですが、4,700,000円です。もちろんこれは標準装備の値段で、これに諸々の付属品やらエンジンやら搭載したら500万円以上!ですよ。
[2002.11.22]
「風游プレ1号」から「プレ2号」へと進みます。仲々「黄ボール」はいい。もっとも、「小学生の夏休みの宿題ね」という「憫笑」を買っているようです。ペイントもチョコレート色になってしまった「プレ1号」です。「プレ2号」は1/10スケールということで、一応全長70センチを考えましたが、実際に作成する(?)「風游号」は5メートル程度を考えているので、全長50センチにしようか、と迷っています。そして、「のんびり風游」とすれば、アウトリガー付きとか、二艘並べたタカマランとか、もいいなぁー。
[2002.10.8]
池川ヨット工房のHPの中に「24 サバニについて」という頁を見つけました。さすが「船大工」でもあり、ヨットマンでもある人のコラムです。ネットサーフィンをしていると、結構「サバニ」愛好者は多いのtがわかります。今度、県知事選に立候補した吉元政矩さんも「公約」の中で、「海洋民族のために、サバニを学校教育に取り入れよう!」なんて言ってもらいたかったな。宮古島での「海の学校」(宮古伊良部分校 体験教室の概要)では「サバニ教室」(制作から操船まで)があるんだし、「国際空手道大学の創設」なんかよりもインパクトがあると思うのだが。
[2002.10.6]
まず「黄ボール(紙)」を買ってきました。机を傷つけてはいけないので、ちょっと大き目のカッティングマットも購入。大型カッターも。白川さんの本を頼りに、まず紙模型でも作ろうと思っています。一応1/20のスケールですので全長約35cm。名前は「風游プレ1号」です。
[2002.8.30]
「週刊朝日」8月30号の中ほどのグラビアに、なんと、「琉球からの風を現代にはこぶ−帆かけ舟・サバニ」がカラー3頁にわたって紹介されているではありませんか。レースということでハーリー顔負けの写真がメインでしたが、なんとなく、のんびりと、「帆は風まかせ」とばかりに紺碧の海に漂うように感じられる帆掛サバニの姿もありました。
閑話休題/同じ「週刊朝日」の巻末近くに「美ちゅら海と出会う」という沖縄でのマリンスポーツを楽しむページに、これまたなんと、風游子がこの間、沖縄に行くたびに寄る、大城美佐子御大のお店「島思い(うむい)」が、載っているではありませんか。店の名前も、大城美佐子さんの名前もありません。「民謡居酒屋の楽しみは……」というキャプションだけしか付いていませんでしたが、津波博之さんと堀内加奈子嬢がバッチリ写っていました。
[2002.7.14]
石垣島で海人たちがはじめた「サバニ クルーズ」のホームぺージを見つけました。「〜石垣島エコツアー 海人体験〜」です。風游子も、今度、是非参加しようと思っています。帆掛サバニにも乗りたいなぁ。
[2002.7.5]
復活した「帆掛けサバニ」による帆走レースも、もう第三回目を迎えた。主催は同実行委員会と帆かけサバニ保存会、共催は那覇市、座間味村。6月30日、座間味島から那覇市間の46キロのレースである。
古座間味ビーチを08:15にスタート、中城村浜漁港チームの「55船(ささぶね)」が約5時間かけて波の上ビーチに1位で到着。22チームがゴールにたどり着いたそうだ。
※詳しくは、沖縄タイムス02.7.1「県内外から“海人”集結/座間味―那覇でサバニレース」、琉球新報02.7.1「帆いっぱいに風/第3回サバニレース」をどうぞ。
今回は座間味中学校の生徒が練習を重ねて参加し6位に入賞したそうですが、いいですねぇ。風游子としては、体育の授業に組み込むのは無理だとしても、クラブ活動などに、サバニ・帆掛けサバニを取り入れたら面白いのにと常々思っています。
Captain Mac of Lequiosこと真久田正さん(「うるまネシア」=21世紀同人にして、新沖縄文学賞受賞作家にして、元○○○の○○○○○○○○○)のIndependentMLの書き込み、かってに転載させていただきました。真久田さんゴメンナサイ!
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■先日のメール(うるまネシア脱稿)の翌日(土)、「第25回座間味ヨットレース」、その翌日(日)は「第3回サバニ帆走レース」があり、どたばたでした。
■座間味レースは25年目(四半世紀)になりますが、自分は第2回からずっと出場しています。もう恒例になりましたが、当日の夜はヨットレースの表彰式とサバニレースの前夜祭が合同であり、500名以上の人が参加しました。
■サバニレースでは自分はレース委員長のような役割をしています。ワールドカップ決勝戦とかち合ったため、あまり大きくは報道されませんでしたが、今年は35艇という数のサバニがエントリーしました。中には本土からこのために自費で船を建造して参加した人や、八重山から最高齢者73歳でまだ木造サバニを造っている新城さん、読谷村役場の小橋川さんら、伊平屋の海の学校の今井さんら、座間味の中学生チーム、女性だけのチーム、日本のアメリカズカップ参加チームのメンバーらといった多彩な人たちが参加し、盛り上がりました。
まあ、そんなことは皆さんにはどうでもいいことでしょうが、本メールリングリストの皆さん方にぜひお話したいのは、このサバニレースでは「ルールづくり」を色々試行錯誤しながらやっているという話です。
その議論の過程で、自分が今ひしひしと感じているのは「伝統」とか「古い文化」を継承しながら、新しい時代にマッチしたルール(法律)をどうやってつくっていくか、しかもそれを外部からの圧力や権威等と一切関係なく、自分たちの主体的な判断と徹底した話し合いだけによって決めていくこと、そして、それを厳格に実行し、せこい違反者に対しては厳正に対処していくこと、などがいかに難しいかということです。
みなさん、この話、何かに似ていると思いませんか? そうなんです。自分は沖縄が独立するとき(したとき)のシュミレーションとしてこれをやってみているのです。
現実社会のなかでは、那覇市長が会長、座間味村長が副会長、オメガ社がスポンサー、海上保安庁の許可が必要なことなど、色々ややこしいこともありますが、自分はその中でうまく立ち回りながら、当面できるだけ多くの人に参加してもらうよう心がけています。そして、このレースを運営している実行委員会の主要なメンバーらに対しては(もうみんな長いつき合いですから、わかりきってはいるんですが)、自分は政治的には「独立派」であることを公言し、そのためにこそ自分はヨットやこのサバニレースを頑張っているんだと、はっきりと表明しています。ただし、そのことをストレートに表彰式、パーティなどでいちいち言うことはありません。しかし、参加者達(特に若い人たち)はこのような我々のやり方をみているうちに、段々と沖縄の伝統とか海洋文化とかに目覚め、そしていつか、これと同じように沖縄の独立というのも面白そうだということを感じ取ってくれるのではないかと期待しています。
そういう時代はいつやってくるか、あるいはホントにそういう時代はやってくるのか、もちろんわかりませんが、ともかく、こういうことを続けていけば、いつか独立運動に積極的に賛成はしないけれども、少なくとも反対はしない人たち、あるいは、表面上は自民党支持でも住民投票のときは独立賛成に投票してぺろっと舌を出すような人たちが増えてくるのではないかと夢想しています。
■先日のマルタ共和国の元大統領ブレーンだった方の講演会で感じたのも似たような話でした。マルタではかなり事情が違うようでしたが、いずれにせよ、人口の過半数以上の人々が「別に独立してもいいんじゃない」とか「その方が面白そうさ」という気分になるようにすることが先決だと思いました。
■ややこしい政治論争や反対運動や、きつい抵抗運動など(もちろんそれも必要でしょうが)、それよりも、多くの人々が自分たちの主体的な判断によって物事を決めていくことができる面白さ、楽しさを知り、実体験し、そして、それに誇りを感じるようになること、そのような状況を作り出すことが大事ではないかと思います。
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[2002.6.15]
八重山の海で游ぶなら、サバニである。
“「サバニ」の語源については、セブニ(瀬舟)、スブニ(素舟)、サブニ(小舟)など、「サバニ」が使われた水域、形、大きさなどから訛ったものであるという説と、糸満では鱶をサバといい、鯖漁に使う舟だから「サバブニ」それが「サバニ」となったという説とがありますが確証はありません。(白川勝彦『サバニ』より/上の写真は白川氏が古来の方法で作成した1/5モデル、下のイラストとも)”
6〜7メートルのやけに細長い漁船であるが、県立博物館ではじめて見た時はミクロネシアやポリネシアのカヌーを思い浮かべた。もっとも帆掛(ふうかき)サバニという名称を知ったのはつい近年の事である。
フーザン(竹製の帆の桟)の付いた「ジャンク」のような形のサバニが復活し、レースまで挙行された事を「琉球新報」↓で知った時、イスパニアまでは無理だとしてもルソン・アンナン・カンボジアまで出かけていったレキオたちに思いを馳せた。エンジンに頼らず(でも、やっぱり小型船舶4級免許はとっておこう(笑))、島から島へ游び歩く。おだやかなサンゴ礁の海の上で、波にゆられながら、「島々かいしゃ」でも口ずさむ。晩のおかずにねと釣り糸をたれ、泡盛をちびちび。雲が出てきた。釣り糸にひっかかるような間抜けな魚は今日もいないが、まずは退散。これですよ、これ。
さて、そのサバニだが、ヨットと較べると細長い美しいシルエットにまず眼を奪われる。丸木舟(マルキンニ)から発展したからであろうが、安定性を犠牲にしてもスピードを求めたのであろうか。だとすると、ポリネシアやミクロネシアで使われているカヌーのようにアウトリガー(舟と平行して作られる支木)がないのはどうしてだろう。
またまた白川さんのお説を拝聴する。
“「サバニ」はアウトリガーがなく単舟です。したがって風や浪のため転覆する場合が多いのですが、たとえ転覆しても南の海は水温が高く、鮫の危険はあったとしても、船底部がくりぶねの構造なので重くなっており復原が比較的容易にできます。”
そして、高橋治の小説『漁火』(イヂャイビ)に描かれてあったように水舟(浸水したままの状態の舟)にして嵐をやり過ごすのでしょう。
閑話休題: 『漁火』楽しみにしていた新聞小説でしたが、作者が途中で体調を崩し、竜頭蛇尾というか尻切れトンボというか、不完全燃焼のまま終ってしまいました。もっとも高橋治の「老い」を感じさせる蘊蓄には若干辟易しましたが。高橋治には沖縄を舞台にした小説も結構あり、白山麓の別荘(?)には古謝美佐子を招待してミニライブをやっているそうです。この『漁火』の中でも、「二見情話」と「五木の子守唄」をシンクロさせたシーンを書いています。このヒントは佐原一哉が教えたんでしょうかね。それとも高橋治が佐原・古謝さんに教えて、ライブにかけるようになったんですかね。
[2002.6.9]
サバニ。ここで小噺。/「沖縄に移住して、サバニでも作ろうかって思ってるんですよね」「そう、あれは美味しいわね」(ホントにあった話です)
「海洋民族が云々」というより、島嶼民(誰が?)の生活として、「海に親しみ・楽しみ・使いこなす」、そんな風に考えています。八重山高校の郷土芸能部の素晴らしさと同様に、すべての小中学校にサバニ・ハーリー・ヨット・カヌー部なんか出来ればいいのに、と思ってしまいます。
さて、本題(笑)。
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★座間味―那覇サバニ帆走レースにMJCマリン賞[琉球新報 2002年2月6日の記事より]
座間味島の古座間味浜から那覇市の波の上ビーチまでの約46キロを、帆掛けサバニで競い合う「サバニ帆走レース」の主催者・帆掛け(ふうかき)サバニ保存会(会長・翁長雄志那覇市長)が2002年のMJCマリン賞(マリンジャーナリスト会議主催)を受賞する。8日に開幕する東京国際ボートショーで表彰式が行われる。同賞は、マリンスポーツやレジャー分野で活動し顕著な実績を残した個人、団体に贈られるもので、昨年開かれたマリンジャーナリスト会議で同賞の文化・環境部門に選ばれた。
サバニ帆走レースは、近年ほとんど見られなくなった沖縄伝統の「帆掛けサバニ」を復元し、若者たちに伝統的技術を継承しようというもので、2年前から開催。世界に誇るべき日本の海洋文化、ウミンチュ(漁民)の伝統を復活させようとする努力が認められた。
同保存会は、古いサバニを整備し、電柱の廃材などをマストに利用、セール(帆)も製作した。昨年のレースには、座間味島や阿嘉島の小学生グループから社会人まで18チーム、約180人が参加。美しいサンゴとマリンブルーの座間味海峡を帆走した。
保存会長の翁長那覇市長は「交易を通じて各国との懸け橋となってきた海洋国家、琉球王国の先人の偉業と知恵が今あらためて認められたと思っている。今後もレース開催や普及に努めていきたい」と受賞を喜ぶ。第三回「サバニ帆走レース」は6月30日に開催される。参加受け付けは3月1日から。
問い合わせは・同レース実行委員会098(863)6902/メールsouthern@orange.ocn.ne.jp
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★サバニで「川下り」/干立子ども会が浦内川で歓声[八重山毎日02.5.8]
西表島西部の各地区でゴールデンウイークの期間中、5月5日のこどもの日にちなんでさまざまなイベントが催された。
このうち干立子ども会はサバニによる川下りを行った。
たくましく育つようにという願いをこめて毎年行っているこの行事には、干立子ども会と帰省していた干立出身者の子どもたちが参加。浦内川上流の軍艦石から浦内橋近くまでの約8キロメートルをサバニを漕いで下った。
お年寄りなど多数の地域住民も応援に駆けつけ、伴走船から盛大な声援を送って激励。子どもたちもこれにこたえて、一度も交代することなく完漕した。
このあと、公民館にて学事奨励会を行ない、バーベキューや配られたお菓子に子どもたちも楽しそうに過ごしていた。(長澤孝道西表西部通信員)
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★体験航海に挑戦/中学生35人参加/サバニで石垣−竹富間を往復[八重山毎日02.5.13]
サバニをこいで石垣−竹富間を往復する「漕(こ)ぎだせ 海原へ」(石垣少年自然の家主催)が12日、行われ、市内の3中学校から合わせて35人が参加した。生徒たちは、サンゴ礁の海を楽しみながら、往復1時間半余りの航海を漕ぎきった。
体を鍛えながら、八重山の海の素晴らしさや雄大さを体験することを目的に92年度から毎年実施されている恒例行事。
今回は石垣中生徒会と石垣第二中ハンドボール部、白保中バレーボール部の3チームが参加。生徒たちは11日にサバニをこぐ練習をしてから、12日の航海に臨んだ。
保護者らの見送りを受けて、浜崎町船着き場を出発した生徒たちは、先を争いながら快調に飛ばした。往路の海は穏やかで、天候もまずまずだった。午後の復路は、波が出てきたものの、海底に広がるサンゴ礁を眺める余裕も出て、生徒たちは楽しみながらサバニをこいだ。
石垣第二中ハンドボール部の西里幸朗(たかとし)主将(14)=3年=は「みんなで協力しながら、こぎきることができた。波が穏やかで、海底のサンゴ礁がきれいだった」と感想を話した。3年の南武志君(14)は「良いトレーニングになった」、1年の具志直樹君(12)は「みんなで最後まで頑張ることができ、楽しかった」と話していた。
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