エ イ サ ー

 この夏のことです。
 ええ、正確にいえば、八月二十四日の夜、私は一人で車を運転して沖縄市まで出かけました。首里の私の家からです。
 沖縄市は今では那覇につぐ県内で第二の都市になりました。人口も十万を超すでしょう。
 でも、わざわざこんなことを申し上げるのは、他でもありません。沖縄生れの私は、新しい名前にはやはり馴染めないものを感ずるからなのです。行政区として、首里は那覇市の一部なのですが、首里の人間は自分たちが那覇に生きているとは考えません。首里は首里なのです。同じように、コザの人たちは沖縄市の中に生きていても、コザの人間であることに誇りを持っています。
 内地の方でも、沖縄に少し関心がおありなら、コザといった方が耳なれて聞えるんじゃないでしょうか。そうです。あの米軍の大基地がある嘉手納町に隣り合わせていて、なにかと話題になったあのコザです。
…………

 表通りは十万都市であっても、やはり那覇とは違います。ひと並びのビルの後ろは、すぐ平屋か精々二階建の住宅地になって、道も曲りくねって細くなります。
 首里ほどではないのですが、園田も結構坂の多い町なのです。先の見えない路地から路地へと、上り下りしながら、私は歩き続けました。奥へ入って行くにつれて、街灯の数も少くなり、暗さが増します。
 やはり心細くもなります。頼りは歩く人の数と、自分の耳だけです。新里君もそういってくれました。
 「人の流れを見つけて、その後について行くこと、耳をすますこと」
 でも、その、人の動きが、殆ど見つからないのです。よほど、諦めようか、それとも、表通りに戻って、電話帳で新里君の家を探して、今から来てくれるように頼もうかと思いました。 
 その時です。遠く、太鼓の音が鳴るのが聞えました。空耳かと疑うほどでした。しかし、間違いありません。私は足を早めました。新里君のいった通り、音が私を呼び寄せてくれます。呼ばれるままに、いくつかの角を曲りました。確かに人が集って来ています。
 車一台通過するのも無理ではないかと思うほどの道に出た途端です。チラと眼に赤いものが映りました。
 「エイサー、エイサー、スリ、スリ」
 闇の奥から、鳴り響く太鼓の音に敗けないほどの、声が聞えて来ました。男の声は野太く、女の声は甲高く。どちらも、あたりの空気を裂いてつき通るほどの若さに充ちていました。
 私は急ぎ足になり、向うからは一団が近づいて来ます。赤く見えたのは、真紅の漆で塗りこめた太鼓の胴でした。普通なら台に載せて打ち鳴らす、あの大太鼓のやや小振りなものです。
 四人の青年がそれを赤い幅広な紐で肩から脇の下にまわし、胸の前で赤白のダンダラな布を巻いた撥で打ち鳴らすのです。四人の衣裳は上下白、足に白黒の縞の脚絆を巻き、頭をすっぽりくるんだ真赤な布を背中の腰の辺まで垂らしています。そして、白い衣裳の上に、黒の縁どりをした青の袖なしの絆天を着こみ、橙色の帯が前で結んでありました。
 派手というのか、いなせというのか。それは惚れ惚れとするほどの若衆ぶりなのです。
 四人の後には、頭にかぶる布が紺色に変っただけで左手に締太鼓を握りしめ、それを高くかざし、また低く構えて叩き続ける十人ほどの若者が続いておりました。
 陽気だというのではありません。活気にみちみちているというのも違います。あれは、一体、なんと形容したら良いのでしょうか。両種の太鼓が呼び合い答え合い、はじけるほどの若さを、あたり一帯に振り撒きながら近づいて来るのです。
 「エイサー、エイサー、スリ、スリ」
 という掛声が、合いの手のようにその後から追って来ます。その主はまだ闇の奥から姿を見せません。
 私は圧倒されたまま、そこに立ちつくしておりました。実は、沖縄に生れ育った身ですから、知ってはおりました。知ってはおりましたが、エイサーを見るのは、それが初めてのことだったのです。 
…………

 締太鼓の後からは、声をかけながら踊る男たちと女たちの一隊が続いて来ました。男の衣裳は太鼓を打つ人たちと殆ど変りません。でも、紫の鉢巻を締め、紫の帯を結んだ、娘たちの着ているものが素敵なんです。
 大きな模様を白く織り出した琉球絣でした。それを膝頭が僅かに出たり隠れたりする短さに仕立ててあるのです。高校生くらいの年齢でしょうか。叫ぶ時に、ムキになったように顎を上げる様が、どうしようもないほど可愛いのです。
 「見つけましたね、上手いこと」
 耳もとでそういわれました。はっと振り向くと、いつ来たのか、新里君が私のすぐ後ろに立っていました。
 「迷っていやしないかと、心配になって見に来たんですよ。お邪魔でしたか」
 「いえ、有難う。こんなに良いもんだとは思わなかったわ」
 「そうでしょう」
 「あなたは仲間に入らなかったの」
 「いえ、さんざやりました。年のせいで追い出されてしまっただけのことです。あ、仲嶺さん、来たついでです。勝連町に全く別なエイサーがありますから、見に行きませんか。案内しますから」
 本当は一人で見ていたかったのです。でも、新里君のいう全く別な形にも興味がありました。


 連れて行かれたのは平敷屋という集落でした。あの石油基地のある島と半島を、海中道路で結んでしまったあのあたりです。
 平敷屋のエイサーは園田のように町を流してはいませんでした。今年亡くなった老人があったといわれるお宅の庭に入り込んでいて……。あれは、どうしてあんなに見事に形が変るのか、男の子たちが円を描いていたと思うと、次の瞬間には縦二列になっているという、なにか魔法でも見せられるような思いのするものでした。
 園田のエイサーが動きの烈しさで見せるものなら、平敷屋の方は、内に秘めたものを大事に大事に抱えているような踊りでした。衣裳がまた素晴しいのです。白の襦袢とステテコの上に麻の着物を羽織り、裾を高くからげ、両袖は裏側から通した白いタオルで背中に結んであります。そして、頭には平敷屋青年会と染め出したタオルを巻いて額の前で結び、昔の武士たちが剃っていた月代の部分にだけ、真っ黒な髪が見えていました。
 揃っているのはそのタオルだけ。着物も帯も、総じて黒ければ良いという感じで、各々が勝手なものを着込んでいるのです。ええ、ですから、園田に較べれば、ずっと素朴なのです。
 パーランクーというのだそうですが、丁度タンバリンの鈴だけを外してしまったような小型の太鼓を、篠竹で鳴らします。それが下で打ち、上で鳴らされ、また、顔の前で打ち鳴らすと同時に、左手でヒラリと裏返して頭上にかざすというように、全く油断のならない動きをします。
 なぜか、大袈裟な動きはせずに、ひょいと片足を上げ、もう一方の膝を折り加減にして軽く腰を沈めます。ここでは三味線が加わり、脇に控えた娘たちも男踊りを助けるように、
 「エイサー、エイサー、スリ、スリ」
 と声を合わせます。その動きと声のかけ合いの鮮やかさに、私は胸がつまって来ました。
 エイサーは元々お盆で家に帰って来た先祖の霊を楽しませようという行事なのです。ですから、彼等が踊りに没入しているというよりも、なにか、こうひた向きなものが、しみ入るように胸に迫って来ます。
 若いってことは、こんなに美しいものなのか
 そう思った途端、不覚にも、どっと涙が湧き上って来ました。
…………

 パーランクーの音が胸に響いて来ます。
 園田のエイサーのように、見ている側の上体がのけぞるほどの、エネルギーの爆発はありません。しかし、じわじわと胸にしみ入って来ます。なんというのでしょうか、こう、……そうですね、染め上げられて来るといったら、一番当っているかも知れません。
 足もとから寒さがのぼって来る。沖縄にはないことですが、本土のあの冬の感覚に似ておりました。のぼって来た寒さが、全身をじんわりと包みこんで、次第に身動きもしにくくなる。あの感じを思い出しておりました。
 私は胸の前に両手を組み合わせていたのですが、その手が慄えて来るのです。それぞれの手の爪が、指のつけ根に食いこんで来るほど、強く握りしめておりました。
 どういう約束になっているのか、間もなく休んでいた娘たちが立ち上りました。これがまた可愛いのです。洋服では、どうしたって、こんな味は出ません。なにか、もうひとつ、身にまとうものを忘れたとでもいうのか。ええ、ストッキングをはかない女の脚が、妙に生々しく見えることがありますでしょう。あれに近い雰囲気なのです。普段は人に見せないところを人眼にさらすとでもいったら良いのでしょうか。
 黄色の帯を左前に結び、同じく幅の狭い黄色い鉢巻を額の上に蝶結びにしておりました。全員髪を高く結い上げ、多分、あれは鬘かつけ髪なのでしょうが、髪が波打って頭をとりまくように結ってありました。男たちのように道具は持ちません。しかし、中学の上級生から高校生までくらいでしょう。女がまだ女の体になりきっていないあの際どいふくよかさ、そのかぐわしいものを、遠慮会釈なしに周囲に撒き散らすような踊りでした。
…………

 「エイサー、エイサー、スリ、スリ」
 相変らず声は続いております。私は身動きもならず、そこに立っておりました。

高橋治『星の衣』(講談社1995)より