高橋 治 『漁火 いじゃいび』 <1>うりずん 乳白色、水浅葱、縹色、空色、紺青、藍色と、ここが区切りと思える境もないままに、沖合いへ海の色が深まって行く。それでいて、色のつなぎ目は、いわゆるぼかしではない。 段階があり、深化して行く階層があり、しかも、各色が相互に階調を保っている。未知代はその色の響き合いに酔った。 ………… 「でも、なにが違うんだろう」 「季節……若夏だからね」 若夏。なんと良い言葉だろうと思った。 ………… 「若夏……ね。こういうことかしら、夏に入ることは入ったけど、まだ若い……」 「そう」 貞子は誇らしげにうなずいた。 「夏が若くて、力に充ちているせいで、眼に入って来る緑が、みんな輝いて、さあ、これから自分たちの季節だ、そういっているように見えるのね」 ………… 「良い時に来たのね、私」 「うん、そう思う。この島に生まれて育った人間でも、この季節はね、まあ、特別だと思うからね」 「そうなの」 「八重山に、こんな歌があるさ」 貞子は運ばれて来て、飲みかけていたコーヒーの茶碗をソーサーに戻した。 若夏の訪れ、さーいやさかほ 南風かおる稲田に さーいやさかほ 豊かなる 黄金の 波の踊るよ <2>島々かいしゃ 沖縄本島の形は、どういったら良いか。ありふれた形の珊瑚の枝を海上に浮かべたようである。島の東西に張り出している半島がいくつかあって、その形も、張り出し方も珊瑚を思わせる。 沖縄では中部と呼ばれるところが、東に金武湾を抱えていて、ほぼ真直に南に下っている南部と、北東方向に曲がっている北部とを分けている。曲がり方は、ゆるいく≠フ字の形になっていると思えば、大体間違いない。 北部では、北に行くに従って山が深くなる。そして、海岸ぎりぎりまで山地が追って来て、勾配がきつくなっている。その裾から山あいにかけて、民家が這いのぼる形を見せる。山との調和点を見出して、人間が住んでいるといっても良いだろう。 それが山原である。 北部と中部との間には、北西に大きく張り出した、本部半島がある。そしてそこから北は、陸地沿いに珊瑚礁が長くのび、うっそうと繁る木々におおわれた山地の間に、僅かな平地が残されている。 ………… 山原では、海も違う。陸地とのせめぎ合いに勝った海は、いくつかの入り江となって、砂地をそこここに見せてくれる。そして、そうした場所には、陸からの反撃の尖兵として、マングローブが生存域をひろげて来ている。 本来、陸と海とはこうして入り組み、融合して人間を含む動物の住み易い環境を造り上げたのではないか。そう考えさせてくれるものを、山原は現在も持ち続けている。 そして、海に眼を転ずると、澄明の度合いが一段と深まっていることに気づく。礁湖の中の無色な澄明さ、海底に敷きつめられた珊瑚の黄色い砂をうつす海の色、更に、珊瑚礁のふちに砕ける波と、その外側に、様々な段階で紺青の深さを加えて行く外洋の色、対照は信じ難いほど多様で、しかも複雑である。ひと口に黒潮と呼ぶ音をたてて流れる沖合の湖流にも、山原では千変万化する独特のものがある。 島々清(かい)しゃや 城(ぐしゅく)に御願所(うがんじょ)よ 前の田圃によ 夕陽赤く燃えてよ 畑(はる)で草焼く 白い煙の 煙の清しゃよ 白浜清しゃや 朝凪(あさどぅり)夕凪よ 潮は満ち潮よ 磯で千鳥鳴いてよ 帰るサバニを 招くアダンの アダンの清しゃよ 村々清しゃや フクギに石垣よ みんな待ってたよ 村の祭りすんでよ 通(かよ)た道々 芳(かば)しゃ九年母(くにぶ)の 九年母の清しゃよ 美童(みやらび)清しゃや 紺地(くんち)にミンサーよ 縺れもつれたよ 細い恋の糸によ ほろり落とした 熱い涙(みなだ)の 涙の清しゃよ <3>二見情話 店を埋めた客全員が、未知代たち四人の小あがりに向かって拍手を送っていた。カウンターの客も、一人の例外もなしに振り向いて手を叩いている。主人が右の掌を上に向け、立て立てと合図をした。こうなっては仕方がないだろうといわんばかりに、顎もしゃくって見せている。 ………… 「ごめんなさい。では、二、三曲」 ………… 「私と一緒の方たちも、東京からのお客様なわけ。ですから、今日はめったにやらないことをやらせてもらいます。……では、二見情話」 なん人かは貞子の意図を読んだらしい。ひと際大きな拍手を送った。貞子は少し伸びあがるようにして、小あがりの三人に語りかけて来た。「今日、山原に行く途中で、幅の広い半島を横切りましたね。あれが本部半島です。その根っこのところに名護という町があって、二見情話はそこで作られた歌なのです」 【ここは旧久志村二見・辺野古に触れて欲しかったし、さらりと普天間代替基地建設問題も織り込めばもっと良かった。『派兵』の著作をものにしている高橋治の筆力をもってして簡単なことだったろう。】 歌い始めた。未知代にはどこかで聞いたことがある歌に思えた。一番、二番と歌い進んだところで、突然、曲が少し変わった。それに乗って歌い出されたのは、覚えがあると思ったのも道理である。『五ツ木の子守唄』だった。 「……ま……」 鶴代が信じられないといわんばかりの声を洩らした。未知代にしても同じ思いだった。 歌がまた『二見情話』に戻った。二つの曲の間を、貞子の歌が行きつ戻りつする。いかにも頼りなげに、未知代が歌詞を追いかけているところでは、『二見情話』の方は、その土地の自然と女性の美しさをたたえる歌らしい。 【ここも、最終章の歌詞に触れて欲しかった。ヤマトメロディの色濃い『二見情話』であるが、あの沖縄戦は「わしりがたなさ」なのだ。】 二見美童や だんじゅ肝清らしや 海山ぬ眺み 他所にまさてぃヨ 行逢たしや久志小 語たしや辺野古 想て通たしや 花ぬ二見ヨ 行かい 行ぢ来よと 交わす云言葉や ぬがし肝内に 思い残ちヨ 戦場ぬ哀り 何時が忘りゆら 忘りがたなさや 花ぬ二見ヨ <4>カチャーシー いつ変わったのか、二見情話と五木の子守唄は終わっていた。そして、貞子の別な曲の演奏が呼びさましたのか、店全体が勝手な動き方をする人の踊りで揺れていた。 陽気な曲である。その陽気さを、一段と引き立てるように、貞子の演奏が弾んでいた。三線をひきながら歌う、その間に掛け声をかける。演奏する手振りも踊り出した人々を、いやが上にも盛りたてようと、激しく動くものに変わって行った。 方々から声がかかった。それが演奏と踊りを盛り上げる。誘い出されるのか、逆に踊りをひとしお高揚したものにしているのか、指笛が入りこんで来る。様々な要素が互いにぶつかり合い、からみ合って、動きをより楽しげに変えて行っていた。 どうも、踊りに決まった振りはないらしい。しかし、全員の気分は完全に一致していた。 ………… 演奏のテンポが早くなった。客の踊りもそれについて行く。踊りが促すのか、曲が引きずって行くのか、かけ合いが高まってきて、それ以上に早くなると、踊りも演奏も崩れてしまうと思ったところで、貞子が巧みにひきおさめた。 割れるような拍手の中を、貞子が小あがりの三人のところに戻って来た。 「ごめんなさい、やかましかったでしょう」 「いえ、いえ、楽しかったわ。私も一緒に踊り出したかったくらい」 鶴代が左手を軽くひらめかせた。 「カチャーシーというんです。おめでたい席、にぎやかな会合、あれがなくては終らないんです。」 「きまった形はないのね」 「いえ、自分が楽しければいいわけで」 「人のことは余り気にしない」 「そうです」 「人にどう見えるかということも、全然、気にかけたりしない」 「そうです、そうです」 「いいわね、大らかで」 「はい。でも、私好きですよ、沖縄のああいうところ。私がいうのはおかしいんですが」 「いいえ」 きっぱりといい切って、鶴代が御苦労様というように首を傾げ、ぐい呑みを酒でみたした。そして、貞子と同じ感想を抱いているのだと伝えたかったのか、自分のぐい呑みをとり上げ唇にすっと寄せた。 |
高橋治『漁火』(朝日新聞連載1998〜2000)より まったく私的なことですが、「島々かいしゃ」と「二見情話」は、島唄を聞き始めた頃に、はまった曲です。 ですから小説とは別に一部歌詞を書き加えてしまいました。高橋さんすみません。 なお、この中での「貞子」とは、かの古謝美佐子がモデルであることは間違いありません(笑)。 |