16沖縄をめぐる言説/
沖縄を語ることの政治学にむけて
(『沖縄に立ちすくむ』岩渕功一・多田治・田仲康博/せりか書房2004)


新城郁夫

1 聞き糾される「沖縄の人々の本音」
 昨年は、沖縄の本土復帰30年という節目を迎え、色々考えさせられた。豊かな自然に恵まれた沖縄が年々汚れ、本土化、近代化してゆく様を見ることは何とも心が痛んだ。申しわけないという気持ちと、沖縄お前もかという気持ちが絡まり合って、どう表現したらいいのか苦しんだ。そういう時かもしれない。沖縄の人々に本音を語ってもらえばいいんじゃないのか。沖縄にも多様な考え方を持つ人々がいるだろうからその本音を聴いてみたいと考えた。その一つが、昨秋のシンポだった。しかし時間の制約や人数の制約もあってあまり充分とは言い難い結果に終わった。それで今回の企画となった。まず、執筆者は基本的に琉球人だけに。ジャンルも多様な方々を。地域も「沖縄」とせず、「琉球文化圏」とした。この中で本音の言葉を聞きたかった。どんなことを考えているのか。
 改めて知った。やはり琉球の文化とは奥が深い。しかも日本の原点ではないかと。これからも、琉球がよいは続きそうだ。今の日本の原郷を知るためにも。(亮)(「編集後記」『別冊環 琉球文化圏とは何か』藤原書店、2003年6月刊)
 どんなに疲労困憊していても、そして、沖縄をめぐる認識論的構図を変えることなど所詮は無理なことなのだと諦めたくなっても、それでも、繰り返し何度でも沖縄を語ることの政治性について問わなくてはならないと思わされるのは、引用したようなほとんど脅迫反復的な言葉に今なお出会わざるを得ないという言説状況から、私たちが決して自由ではないからである。
 「琉球人」の「本音」を聴きだしそれを該当者たちに語らせようとする思いやりに満ちた編集者(亮)氏の出版編集の力により、帯に刻まれた言葉に拠れば「現地からの声 総勢70名の執筆者が描く琉球の全体像」が余すところなく開示されるべく出版されたのが、この『別冊環 琉球文化圏とは何か』なる記念碑的奇書ということになるのであろう。
 だが、そもそも「琉球人」の「本音」を聞きたいという編集意図の発現以前に、琉球人の本音なるものが存在していたと言えるだろうか。もし仮に、琉球人の本音なるものが存在したとしても、それは「琉球人だけに」よってしかも「ジャンルも多様な方々」によって語られそして聞き取られるべき何事かとして、既に現前しているような何かであり得るのだろうか(それにしても「ジャンルも多様な方々」とは、いったいどのような方々であろうか)。むしろそうした「琉球人の本音」なるものは、「豊かな自然に恵まれた沖縄が年々汚れ、本土化、近代化してゆく様を見ることは何とも心が痛んだ」というこの編集者(亮)氏の、「今の日本の原郷を知るためにも」という遡及的かつ非歴史的思考のなかにおいてこそ初めて産出されてくるフィクションと言うべきであろう。その時、「本土化、近代化してゆく様」を見せようとしている「沖縄」は、本来なら、近代化からも、そして「本土化」していく時間経過からも取り残され、そして汚染されてはならない「豊かな自然」として、外部化=非歴史化されていなければならないはずであった。にもかかわらず、惜しむらくは「近代化」という汚染を経ることによって、「日本の原郷」であるべき沖縄は、「本土化」という歴史を獲得してしまい、他ならぬその歴史によって自ら汚染されてしまったのであるらしい。「沖縄お前もか」と、編集者氏の嘆きは深い。
 そうした嘆きと喪失感を補填するべく要請されてくるものこそ、近代化という汚染のなかにあって、未だ無垢を留める「沖縄の人々の本音」というもう一つの自然に他ならない。「豊かな自然」が駄目なら、今度は、「沖縄の人々」がいるじゃないか、ということだろうか。どうやらこの編集者氏は、立ち直るのも早い。
 こうした、沖縄へのフィールドワーカー的な言葉に関しては、既に私たちには聞きなじみのものであるはずである。「沖縄の人々の本音」について尋問されたことのない沖縄の人々がそうそういるものではないという気がするし、それぞれ、尋問された時に応えるべき自白パターンを幾つかは準備しているはずだ、という気もする。また今度は逆に、沖縄という場で沖縄の人々から「ヤマトンチュー」=日本人としての本音を糾問されて辟易したことのないヤマトンチューが生存していることを想像することもやはり難しい。「本音」の相互承認無くして、沖縄と日本の関係はありえないかのようでもあり、そして語り合うべき「本音」無くして、沖縄の人々は(むろん日本人も)存在してはならないかの如くである。
 だが、くり返し言えば、そもそも「沖縄の人々の本音」というようなものが、そんなにも容易に、語りそして聞き届けられる安定した認識的布置のなかにおいて見いだされるはずなどないのではないか。むしろ、「本音」は、それを聴取しようとする発問者のなかにおいて、既に了解済みのものとして先取られ収奪されている、と考えた方が良いのではないか。
 そのあたりの事情を知るにあたって、この『琉球文化圏とは何か』という書物以上の素材はまたと無いだろう。そこに収容されている70人にも及ぶ沖縄「現地人」たちの供述は、実に見事に整序化されジャンル化されているのであるが、それらは、「琉球にとって豊かさとは何か−−基地・産業・自然」「琉球の歴史−−島嶼性・移動・多様性」「琉球の民俗−−言語・共同体・伝統」「琉球のアイデンティティー−−帰属・主体・表象」といった四項目の構成のなかに「本音」として押し込められているのであった。むろんのこと、そこに収められた個々の論考について、ここに詳しく論じる知識も意欲も些かも持ち合わせてはいないのだが、しかし、こうした編集のあり方によって、実のところお互い相矛盾し激しい抗争を展開しているはずのそれぞれの論考が、奇妙に収まりの良い言説配置のなかに統御されているように見えることは確かである。そもそも、四項目に分類される「本音」などというものがあるはずがない。敢えて言えば、こうした分類的発想以前に「琉球人」などという人種的カテゴリー自体があり得るかどうか、そのことこそ問われるべきだろう。これは個人的な感想に過ぎないが、私自身は、どうあがいてみても、「琉球の民俗」といったカテゴリーのなかに自らの「本音」とかいうものを探し出すことはできそうにない。たぶん「琉球の歴史」「琉球のアイデンティティー」「琉球にとって豊かさとは何か」といったカテゴリーについても同然である。土台が、『琉球文化圏とは何か』といった問いかけそのものが、私にはほぼ理解不可能である以上、その言説編成の構図の中で自分の「本音」を探し出そうとすること自体が無理と言えば無理なのである。(いったい『琉球文化圏とは何か』とは何か?)

2 ネイティブ・インフォーマントの生産

 だが、こうした「本音」尋問に対して、召喚されている「現地人」たちのなかの少なからぬ人たちがさしたる苦も無い様子で見事に応答している光景は、なかなかの奇観と言うべきである。割り当てられた発話の位置に自らの言葉の照準を見定め、揺るぎない確信のうちに「沖縄の人々の本音」が語り明かされようとしている。たとえば、ここである二人の文章を読み届けてみよう。
 最も肝心なことは、そもそも五百年、千年という昔の「琉球の精神風土」や国王および人民のことを現代の国民国家や独裁政権国家等を見るような意識・感覚で解釈する点に根本的な誤りがあると思う。(中略)要するに『おもろ』の精神は、人間社会の災いや諍い、不吉なことや否定的なことなどを一切排除または無視し、ただひたすら前向きに、良いこと、素晴らしいこと、慶賀なることをのみ祈願する点にあるのだから、その精神に立ち戻るならば、人が何と言おうと気にせず、ただ前向きに書いていくだけだと。(真久田正 「おもろ風現代詩の試み―『おもろさうし』にみる古琉球の精神風土」)

 <琉球民俗学>を確立するためには、琉球列島内の島々、村落の民俗文化の調査にこれまでより一層の努力を傾け、島ごとの多彩な文化の偏差を見極め、各島嶼・島嶼群の民俗の弁別的特徴を解明することが不可欠である。それは筆者自身に与えられた課題でもあり、少しずつではあるが歩みを続けたいと思う。(比嘉政夫「琉球民俗学は可能か」)
 この『琉球文化圏とは何か』という書物のなかにおいて、前者の文章は、「琉球の歴史」の項目のなかに、そして後者の文章は「琉球の民俗」のなかにそれぞれ分類・配置されている。ここで両者は一見「弁別的」にそれぞれのテーマについて個別的な「本音」を述べているかの如きではあるが、その実、両者の言説は驚くほど似ている。おそらく、歴史的現在の排除という一点において両者の言説のスタンスはほとんど同一の地平を彷徨っていると言っていい。両者の文章において「琉球」とは、遡及されるべき起源という絶対的同一性において既に確固たる意味を獲得しており、あたかも、前者における「琉球の精神風土」、そして後者における「琉球民俗学」という文学的かつ人類学的知の領域化のためにこそ、沖縄をめぐる諸文化が要請されていると見えるほどである。そこにおいて「琉球」は、「多彩な文化の偏差」をはらむ格好の民俗学的素材以外ではなく、そして、「人間社会の災いや諍い、不吉なことや否定的なことなどを一切排除または無視」することで「立ち戻る」ことのできる文学的精神性以外のなにものでもない。実に明快な論理である。しかし、この明快さが、繰り返し言えば、歴史的現在としての語る位置の消去という政治性によって確保されていることは見逃されてはなるまい。
 「琉球」にまつわる歴史学や文学あるいは民俗学を語るために、他ならぬ「琉球」の歴史と現在が抹消されていくという倒錯がここにはある。「研究対象である諸集団を、とくに時間(大概の場合は、過去か、過ぎ去りつつある時間)のなかに置いて、自分達の世界との距離を保ち、実際には民俗学者も研究対象の人々も巻き込んでいる現在の世界システムにその人々だけがあたかも含まれていないかのように説明する」(ジェイムズ・クリフォード「序論―部分的真実」『文化を書く』春日直樹他訳・紀伊國屋書店、1996年刊)ような叙述の権力行使の痕跡が、ここにも見出されるのでなくてはなるまい。つまり、「沖縄の人々の本音」を聞き糾す問いに応答しようとする沖縄の人々自身の言説そのものが、地政学的かつ人類学的な知の領域を立ち上げながら、そこから政治=文化的へゲモニー抗争の痕跡たる沖縄の歴史的記憶を剥奪していこうとするのである。
 こうした「沖縄の人々の本音」が、先の「改めて知った。やはり琉球の文化とは奥が深い。しかも日本の原点ではないかと。これからも、琉球がよいは続きそうだ。今の日本の原郷を知るためにも」と語る編集者(亮)氏の編集の意図と見事に呼応し合っているのは見やすい。つまり、ここでは、編集者の尋問とそれに呼応する「現地人」たちの供述とは、予め同一の思考の枠組みを共有しているのであり、翻って言えば、そうした「沖縄=琉球」をめぐる認識論的地平の確保のためにこそ、「沖縄の人々の本音」という非歴史化されたフィクションが捏造されているといった方がより実情に近いのかもしれない。
 こうした「沖縄の人々の本音」を語り聴く共犯的枠組みの持つ政治的抑圧に抵抗するためにも、次のようなG・C・スピヴァクの指摘は幾度でも反芻されなければならないだろう。
 ポスト・コロニアルのインフォーマントは、脱植民地をはたした国家そのものの内部で抑圧されているマイノリティについては、あまり語ろうとはしない。語るとすればせいぜい、資格十分な研究者という立場からである。だがそれら外国の被抑圧者との同一性というアウラが、これらのインフォーマントにはつきまとう。というのも、彼らは(またしても、せいぜいのところ)欧米在住のほかの人種的・民族的マイノリティとの同一性は認めているからだ。悪くすると彼らはそうしたアウラを利用して、知識の生産機構へのひそかな関与に汚染されていないネイティブ・インフォーマントを演じてのける。かくてこのグループは闘いの基盤を掘り崩す−新しい第三世界を偽装することによって、また文化的・民族的特殊性と一貫性、さらには国民的アイデンティティを正当化する語りを紡ぎ出すことによって。(G・C・スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』上村忠男・本橋哲也訳、月曜社、2003年刊、516頁)
 ここで厳しく批判されている「知識の生産機構へのひそかな関与に汚染されていないネイティブ・インフォーマントを演じてのける」ような欲望から、私自身もまた自由ではない。沖縄を語ることに付きまとうある種の「アウラ」の利用から自らの言葉を引き離そうとする最低限の節度だけは持ちたいと願ってはいるものの、それが可能かどうかすら分明ではない。というのも、私が沖縄を語るという行為そのものが、不可避的にそれを聞き届けようとする他者との政治的拮抗関係のなかにしかあり得ない以上、私の意図の如何に拘わらず、私の「沖縄人としての本音」が、ネイティブ・インフォーマントとして「新しい第三世界を偽装することによって、また文化的・民族的特殊性と一貫性、さらには国民的アイデンティティを正当化する語りを紡ぎ出す」危険を多分に孕んでいることは、否みようがないからである。ややもすれば、沖縄の本音を語り語らされることを通じて、「今の日本の原郷」などという恥知らずなフィクション創出に動員させられる可能性もないではない。
 そこで私たちは、「ポスト・コロニアルのインフォーマントは、脱植民地をはたした国家の内部で抑圧されているマイノリティについては、あまり語ろうとはしない」というスピヴァクの指摘を、現在の沖縄という場に引きつけて読み返す必要があるだろう。「沖縄の人々の本音」が語り聞かれるという場から、いったい誰の声が奪われているか。
 たとえばゲイ・レズビアンをはじめとする性的マイノリティや精神病者といった非「健常者」たちの声は、いつ誰によって「沖縄の人々の本音」から排除されたのであったか。あるいはまた犯罪者や今やその予備軍として見なされつつある外国人たちの言葉は、なぜ「琉球文化圏」という文化装置のなかにおいてその片鱗すら見いだすことができないのか。もし今、沖縄という場において文化研究という学際的領域が夢想され得るのだとしたら、何よりも先んじて、こうした「文化圏」という宮殿から排除されている多くの他者たちの存在が意識化され問題化される必要があるだろう。しかもそうした作業が、それらの他者を今の「文化装置」のなかに引き入れその声を代弁するといった暴力によって代行されたりしては決してならないことは言うまでもない。むしろ、今なされるべきは、「文化」を語る言説編成そのものに対して根底から疑義を発していくことであり、そのうえで、期待された「ネイティブ・インフォーマント」としての発話の位置から逸脱しながら、「ネイティブ」をネイティブ化していこうとする社会とそこに寄生している研究領域の囲い込みに対して持続的な政治的抵抗の拠点を作り上げていくことであるだろう。そのためには、「汚染されていないネイティブ・インフォーマント」を見つけだし、これら現地人によって自らの文化主義的特殊性を語らせようとする言説の構図を、ネイティブ化させられた「沖縄の人々」自身がその内側から突き崩していく以外に手だてはないだろう。

3 沖縄アイデンティティの政治化のために

 既にネイティブ・インフォーマント化されている存在によって、「ネイティブ・インフォーマント」を産出するような言説編成や知の領域化はいかにして解体していくことが可能だろうか。沖縄について語りながら、同時に、沖縄を語らせようとする抑圧の力を脱構築していくような可能性をいかにして掴み取ることができるだろうか。
 おそらくこうした困難な問いに取り組もうとする試みが、僅かな人々によって、『琉球文化圏とは何か』という書物のなかにおいても仕掛けられていることは看過されてはならないだろう。たとえば、比嘉道子「歴史からみた出稼ぎ・移民――「勇飛」から「棄民」へ」、屋嘉比収「近代沖縄におけるマイノリティー認識の変遷」、与那嶺功「消費される琉球イメージ」といった論考に、沖縄を語らせることへの柔軟な抵抗を見出すことができるのは救いでなければならない。しかし、ここでは、ある二人の論者の言葉に注目してみたい。彼・彼女の沖縄のアイデンティティを模索する言葉には、「アイデンティティ」概念自体を再審し、それを現在の沖縄における政治的課題に連結させようとするしたたかな闘いを見出すことができるように思える。
 自らを語る位置が常に揺らいできたことを思うとき、沖縄の人々がアイデンティティの拠り所を文化に見出したことは無理からぬことのようにも思える。しかし、それはまた他者のまなざしに自ら進んで同一化する回路を開くことにもつながりかねないことは昨今の沖縄の現状が示している。沖縄が沖縄であろうとする、それ自体は真摯な願いが脳天気に明るい均質な風景の中で拡散していく(田仲康博「風景の誘惑――文化装置としての「南島」イメージ」)

 日本/沖縄社会は混血児という非抑圧者を「沖縄人」として認めないため、日本/沖縄の抑圧者の権力に当たる、英語、米国籍などを身に付けざるを得ないように追い込まれているという逆説がある。私自身、日本社会で暮らすためにこうした権力を利用してきたし、自己防衛のために意図的に利用せざるを得ない場合もあるので、他の混血児を批判するつもりはない。むしろ、重要なのは「ダブル」の能力を備えないかぎり混血児を容認しないという米国/日本/沖縄社会の責任に目を向けることである。(島袋まりあ「北米移民二世にとっての琉球」)
 ここにおける田仲康博の文章、そして島袋まりあの文章は、前者が「琉球のアイデンティティー」の項目に、そして後者は「琉球の歴史」の項目のなかに配置された論文の一節である。両者の論述を並べて見る限り、一見両者ともあるべき沖縄アイデンティティについて何事かを語っているかのようでもある。
 しかし注意深く読むならば、彼・彼女は、アイデンティティを明言することをこそ拒み、「沖縄の人々の本音」を聞きたいという発問に対して、むしろ「本音=アイデンティティ」の語りをめぐる権力関係の痕跡を露呈させようとしていることが理解されてくるだろう。文化的なカテゴリーとしての沖縄アイデンティティを語らされることを回避しつつ、逆に、そうした文化主義的認識の閉塞に抵抗しながら、沖縄アイデンティティを政治的な抗争のなかで再審しようとしているのが、ここでの田仲と島袋の言葉と見ることができるように思えるのだ。
 田仲の文章は、特にその後半になって明らかになっていくように、9・11「テロ」事件のコンテクストのなかで沖縄を問い直す作業のなかにおいて、「沖縄の人々がアイデンティティの拠り所を文化に見出し」てきたそのプロセスを一見穏やかに、しかし厳しく批判している。また、島袋の文章は、混血児をめぐる法社会的不均衡を問題化しつつ、混血児をめぐる権利抑圧がアメリカ−日本−沖縄という社会政治的結託のなかで構造化されていることを批判している。ここに見出されるべきは、沖縄の同一性=アイデンティティから排除され忘却されていこうとする存在や現象に読み手の注意を向け直させようとするたくらみであり、そして自己同一的な起源としての「アイデンティティ」概念を解体させていこうとする試みであるはずである。むしろ彼・彼女は、沖縄をめぐるアイデンティティが、社会政治的実践としてしかあり得ず、他者との交渉によって絶えず更新され流動化していく可変体であることを私たちに教えてくれていると言えるだろう。
 「だいじょうぶさぁ〜沖縄」などという背筋も凍るようなおぞましい言辞を流通させつつ、拳銃を装備した多くの日本人警察隊が米軍基地を守備しながら「沖縄の人々」に対峙してこれを威嚇するような状況の生起する9・11以後のこの沖縄で、「沖縄の人々の本音」なるものが果たして誰によって語られ得るだろうか。あるいは、海によって世界に繋がりそしてアジアに開かれた輝かしい歴史を持つとかいったいい加減な虚言を宣いながら、その実、対中国・対北朝鮮の脅威を煽るような軍事的言説編成によって排外的な圧力を高めていくようなこの沖縄で、真に多文化的な共生を視野に収めた新しいアイデンティティをいかにして構築し語ることができるだろうか。
 むろんこうした問い自体が多くの困難を孕んでいることは確かである。しかしこうした問いは、早急な答えを求めてはいない。そもそも即効的な答えなどあるわけがないのであって、大切なのは簡潔な答えより持続的な思考のプロセスであるはずである。むしろ今求められているのは、「沖縄の人々」自身が基地問題や経済問題についてイニシアチブを発揮して自ら代案やグランドデザインを提示するべきだなどといった、勇ましくも実は不安にとらわれた言挙げを無視し続ける知性と言うべきだろう。なぜなら、沖縄アイデンティティにしても沖縄問題にしても、原則的に言えば、それらは沖縄の人々の問題ではないからである。そこで必要とされてくるものは、「沖縄アイデンティティ」を根底から刷新していくための批判的知性にほかならない。そして、そうした知性を得るために何度でも立ち返るべき拠り所として、些か唐突かもしれないが、いわゆる「パレスチナ問題」がパレスチナ人の問題ではなく、それが徹頭徹尾イスラエル−アメリカの問題であることを明らかにしそして発言しつづけた故エドワード・W・サイードの言葉をここに想起したいと思う。

 アイデンティティは、それ自身では、思考され得ない、あるいは作動し得ないのです。すなわちアイデンティティは、根源的に起源的な断絶あるいは抑圧されることのない瑕瑾をともなうことなく、みずから構成したりあるいは想起したりすることができないのです。というのも、モーセはエジプト人であり、したがって彼は、そのアイデンティティの内部で夥しいまでに数多くの事どもがそうしたアイデンティティに抗い、その結果、アイデンティティが傷つき、そしてついには、かかるアイデンティティという内部を創りあげた当の本人であるにもかかわらず、おそらくは、彼に対する凱歌の声さえ挙げたであろうこのアイデンティティの外部に、かかるアイデンティティの内部としてつねに立ち尽くしているからです。(エドワード・W・サイード『フロイトと非−ヨーロッパ人』長原豊訳、平凡社、2003年刊、72頁)
 ユダヤ人の開祖と言うべきモーゼがエジプト人という「他所者」であったことを引き裂かれつつ明言するユダヤ人フロイトの『モーセと一神教』の言葉を、「アイデンティティ」概念への根本的な疑義として読み込もうとするここでのサイードの言葉に学ぶべきは、私たちが沖縄アイデンティティと呼ぶもののうちに、「根源的に起源的な断絶あるいは抑圧」が隠されていることを再発見し、そのうえで、自らの「アイデンティティ」の外部と内部の反転する力学を今捉え直すこと以外ではないだろう。「沖縄の人々の本音」という同一性=アイデンティティが、今、誰によって必要とされているのか。本来「そのアイデンティティの内部で夥しいまでに数多くの事どもがそうしたアイデンティティに抗い、その結果、アイデンティティが傷つき、そしてついには、かかるアイデンティティという内部を創りあげた」結果として見出されてきたはずの沖縄アイデンティティが、今、誰によって、誰に向けてどのようにして語られようとしているのであるか。そのことが問われない限り、私たちは、「琉球の文化とは奥が深い。しかも日本の原点ではないか」といった言葉によって、沖縄アイデンティティの外部に、それこそ沖縄アイデンティティの内部として、まるで生ける象徴[しかばね]でもあるかのごとく立ち尽くすほかなくなるのではないか。
 ここで、沖縄人の一人一人の身体に本来的に宿っているかの如く語られる沖縄アイデンティティという「内部」が、その実、それを都合良い文化的差異性という参照枠にして、自らを日本という同一性に同定しようとする沖縄の外部(者)によってこそ簒奪されているのかもしれないということが想起されなければならないだろう。つまるところ、「沖縄アイデンティティ」は、「多文化日本」における内部化された外部として商標登録され、消費経済システムや政治統治システムの内部において消費されるイメージとなってしまっているのかもしれず、極端な話、沖縄アイデンティティという内部性は、常にそしてあらかじめ、日本をはじめとする沖縄の外部によって他有化されていると考える必要があるようにすら思えるのである。
 そのような「文化」状況のなか、沖縄の起源に回帰するといった妄想を拒みつつ、今、「文化」の名の下に繰り広げられている沖縄への抑圧に抗い続けるほかにどんな手だてがあるだろうか。もし今、沖縄において文化研究という領域が召還されるとするならば、それは、いささかも沖縄文化の研究として求められているのではないはずである。そうではなく、文化を語ることによって隠蔽されている社会政治的抑圧をいかにして明るみのもとに引き出してくることが可能か、そのことが問われている。非歴史化された沖縄アイデンティティ産出の反動性に抵抗しながら、生起し抗争しつつあるものとしての沖縄の人々の生を、歴史的現在として自らのうちに発見していく作業こそがいま求められているのではないか。