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叢書 わが沖縄

『叢書 わが沖縄』 谷川 健一編

谷川健一「解説−沖縄の思想の生活的視角」(第六巻 沖縄の思想)
新川 明「「非国民」の思想と論理――沖縄における思想の自立について――」(第六巻 沖縄の思想)
川満信一「沖縄に置ける天皇制思想」(第六巻 沖縄の思想)
岡本恵徳「水平軸の発想−沖縄の「共同体意識」について−」(第六巻 沖縄の思想)



 <叢書 わが沖縄 全6巻・別巻2巻>(木耳社1970〜)の第一巻が1970年3月に谷川健一編集で木耳社から発刊された。『第一巻 わが沖縄 上』である。同年11月に刊行された『第六巻 沖縄の思想』の巻末に編者である谷川健一が「解説−沖縄の思想の生活的視角」を書き記している。ちなみに、刊行当初の案内文を紹介しよう。但し、「別巻 伝承の記録」は「波照間島民俗誌」として1972年10月に発行されたが、もう一つの「別巻 南島論 吉本隆明」は未完だったようだ。(もしご存じの方がいらしゃったらご教示下さい。)

●第一巻 わが沖縄 上
 柳田國男,折田信夫,柳宗悦,伊波普猷,比嘉春潮,仲原善忠,大城立裕,木下順二,ロゲンドルフ,谷川雁,山之口獏,岡本太郎,小原一夫,島尾敏雄諸氏の沖縄論・沖縄紀行を収録。これまでの沖縄に対する見方の,多様な視点を展望し,沖縄の全体的な姿を紹介する。
●第二巻 わが沖縄 下
 本土の知識人が過去どのように沖縄の社会,文化に対したかを端的に語る例として,柳宗悦を中心に柳田國男,長谷川如是閑,萩原朔太郎,保田与重郎,清水幾太郎,杉山平助等多くの知識人が加わった沖縄方言問題論争のほぼ全容を収録。この論争が語る文化状況は,今日の沖縄問題をめぐる状況とほとんど象徴的に等位の構造を持っている点において,多くの示唆を含んでいる。
●第三巻 起源論争
 沖縄(南島)文化の起源の問題は,わが列島の文化に大きな影響をもたらした南方要素の問題であり,日本民族とその文化の起源を明らかにする上で,欠かすことのできない位置を占めている。本巻は,解説において柳田國男,折田信夫,伊波普猷等の先学の業績を紹介し,これらの業績を踏まえてなされた名高い金関丈夫・宮良当壮,服部四郎・金関丈夫論争や国分直一氏による考古学的研究などを収録,列島文化における沖縄の位置を究明する。
●第四巻 村落共同体(仮題)
 沖縄の文化政治を基底において支え規制してきた村落共同体の原質とは何か。沖縄古文化から今日にいたるまで変容しつつ流れる共同体の原型,形態,祭祀原理,法的特質…を追求する諸論を収録その本質を探る。仲松弥秀,馬淵東一,植松明石,石原緩代諸氏等の書下ろし論文に,島袋源七,金久正……の論考を収録。
●第五巻 沖縄学の課題
 今日における沖縄学の発展は,わが列島文化の本質を究明する上に,どのような意味を担っているか。考古学,民俗学,史学,言語学等の各分野から,研究史,課題,最新の成果等を多様な視角をもって提示する。全巻書き下し。窪徳忠,倉塚曄子,国分直一,直江広治,稲村賢敷,崎浜秀明,西江雅之,馬淵東一,三島格,和歌森太郎その他諸氏。
●第六巻 沖縄の思想
 沖縄の存在が私たちに語る思想とは何か。沖縄における最も本質的な思想的課題を,森崎和江,新川明,川満信一氏等,沖縄・本土双方の知識人による書下ろし論文によって語る。
●別巻 伝承の記録
●別巻 南島論 吉本隆明


解説−沖縄の思想の生活的視角

谷川健一


(1)沖縄の思想は最高の次元においてなにがしかの解放の思想とつながらなければならないし、最低の次元においてなにがしかの生活の思想を含まねばならない。
(2)しかし解放の思想も生活の思想も、それがどのように論じられようとも、沖縄のおかれた時間と空間を抜きにしては考えることができない。
(3)南島では自己の生活圏――それはリーフ(珊瑚礁)の内側の島である――の周囲を異空間にとりまかれている。したがってその外側に出ればそこは異郷であり、そこからおとずれるものは異族である。
(4)この異空間にたいする索引と反撥、そこから訪れるものにたいする款待と警戒の二重意識が日常化している。
(5)この二重意識は、外界からもたらされるものは、すべて恩恵として受けとると同時に、それにたいして懐疑の念をなくすることはなかった。たとえば寄木の神というように、木に乏しい島では波打際にうちあげられる材木は大切にされたが、一方それは悪霊がついたものとして悪霊よけのまじないをすることを忘れない。
(6)海の彼方に異空間と異質の時間を意識するとき、そこには同化と拒絶の二重意識が同時にはたらく。
(7)鋭敏な異族意識は異空間からおとずれるものを異族とおもうと同時に、相手にとって自分が異族であると考える方向性をもつ。同一化の心情も、それを拒否する論理もそこから発生するところが少なくない。
(8)南島のばあい、時間は空間を媒介としてしか認識できない。ある島から他の島にむかって容易に渡航できないとき、その空間は時間として認識され、記憶の中に集積し、回流または沈澱するほかない。
(9)渡航できるとしても、その距離を克服するためのさまざまな条件を必要とする。たとえば、潮や風や、それから道具としての舟など。このとき時間は空間と切りはなすことができにくい。
(10)しかも南島の空間はたんに現実的なものでなく、異空間を含むことによって象徴的なものである。つまりそれは一つの「世界」を形成し、表現する。
(11)水平神から垂直神へ交替がおこなわれても、水平神の信仰が根強くのこるのは、南島では空間を媒介にしてしか時間を認識できないということがある。
(12)太陽の観念でも、本土とちがうのは、それが異空間との境目である水平線からのぼることに神聖な意味がもとめられることにある。
(13)太陽は南島では農業神としての色あいは本土よりもはるかによわい。本土のように同質の世界の頂点に君臨するというよりは、それが非日常的観念をおびた世界の代表者であるという意識がつよい。日神の妻である巫女が非日常世界の代表であるように。
(14)農業神としての太陽は、本土では神、天皇、それから常民とをむすぶが、その中間的存在には使用されない。
(15)ところが沖縄では太陽の呼称は、巫女、国王、按司、権力をもつ役人といったように、権威または権力の代表として社会の各層に使用される。
(16)このことは天皇が常民と農業社会の祭儀と民俗意識を共有しているのにたいして、沖縄の国王がそれを欠如していることと対照的である。
(17)本土のばあい、天皇崇拝の残像が民衆のあいだに根強くのこっているのにくらべて、沖縄の民衆の尚家にたいする崇敬が琉球処分以後百年足らずして霧消していることによって理解される。/少くとも先島に関するかぎり、尚家にたいする追惜や思慕の念はひとかけらも見当らないといって差支えないとおもう。
(18)南島では太陽では農業神としての役わりをはたさない。珊瑚礁の地質は水田耕作に適しない。殺人的な暑熱をふりまき、水不足にさせる存在としての太陽は、感謝の対象にはならない。ながい雨は本土の農業では最大の障害になるが、南島ではむしろ日照りのもたらす干魃がおそろしいのだ。
(19)もともと水のとぼしい痩地に適するのは粟であって、米ではない。したがって米には特別に神聖な観念がこめられたにちがいない。南島民の日常生活の基調をなすものは粟だったはずである。/粟に関する祭をふくめた農耕儀礼が多いのには、深い意味があると考えねばならぬ。
(20)干魃や台風によって珊瑚礁の島はたちまち飢餓におとし入れられる。水飢饉も深刻である。したがって、大部分の島々は長期間の孤立に耐えることができない。
(21)そこで一つの島から他の島にわたる原衝動が触発される。
(22)しかし沖縄の離島は舟を作る木にめぐまれていない。沖縄本島の北部をのぞけば、石垣島、西表島のような大きな島が船材に適する木を自生させているにすぎない。そこで他の島は、宮古本島や多良間島を含めて、船材を求めて石垣島や西表島にわたるということがおこなわれた。とくに西表島は繁茂する原生林と、豊富な水と沃土をもつ島として先島の統一の求心力の中心となったと考えられる。
(23)船材を伐木し農具をこしらえること、そのためには石器では充分でなく、鉄器が不可欠となった。鉄の輸入は南島に生活革命をもたらした。
(24)異空間からおとずれる舟がニライから農作をもたらすものとみなされ、「カネ」「カニ」という鉄器に関係ある名を先島の神々が負うように、南島の生活に重要なものは、たんに物質的なものでなく、精神的なものとみなされた。つまり「舟」や「粟」「稲」「鉄器」などは南島民の生活のもっとも基本的な物資であるが、一方それらは非日常的な聖なる空間に所属するものであり、これらの移動や伝播を追求することは、琉球王国の形成過程を知る上に重要な手がかりになる。
(25)そのほかに「黒潮」と「回游魚」の問題がある。先島をとおって北上する黒潮は二つに分れて一つは紀州沖にむかい、他は九州西海岸をさらに北上しつづける。したがって南島の全体を把握するには奄美および九州の西海岸を含めて考えなければならない。
(26)南島の空間の二重性、それをつなぐための「舟」、舟をつくる「船材」「粟」および「稲」、「鉄とその製法」「回游魚」などは、「異族」ならびに「異郷」とのコミュニケーションの母胎となったものである。このばあいの牽引力と斥力とを分析することが、沖縄の生活の思想を解放の思想へと昇華させる有力な方法であると私は考える。

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