2004年以前のEmigrant/2005年のEmigrant/2006年のEmigrant /2007年のEmigrant/2008年のEmigrant/2009年のEmigrant/2010年のEmigrant/2011年のEmigrant /2012年のEmigrant/2013年のEmigrant/2014年のEmigrant/2016年のEmigrant 【2015.11.29】 加藤登紀子、辺野古ゲート前に登場!古謝美佐子も! 不謹慎かも知れないが、「したいひゃー」と叫ぶ! なんと加藤登紀子が、島唄の第一人者であの「童神」の古謝美佐子ともども、辺野古新基地建設阻止闘争の辺野古・キャブシュワブ・ゲート前に登場!前日(28日)のコザ・沖縄市での「ほろ酔いコンサート」の余韻さめやらぬ中、新基地絶対阻止の仲間を激励に駆けつけてくれた。 Emigrant【2015.05.19】にも書いたが、 24時間体制でゲート前闘争に寝泊まりしていた山城博治が、繰り返し聞いた「美しき五月のパリ」(原曲不詳:加藤登紀子が作詞した)に感激し、その曲をもとに<沖縄 今こそ立ち上がろう>を作詞した。 病に倒れた数ヶ月の闘病生活を乗り越え、今また復帰し、ゲート前に立ち続けている(多くの仲間から、「博治!少しは休め!」という声が湧き上がっているが、彼は「闘うことがリハビリ!」とでも言うように、闘いの現場から離れようとはしないが)。 “辺野古・シュワブゲート前で、加藤登紀子とスクラムを組んで歌う山城博治を想い描いている”という“夢”が・・・・・・・・・・・。 山城博治!!YouTube with加藤登紀子&古謝美佐子 琉球新報2015年11月29日“加藤登紀子さんが歌でエール 辺野古ゲート前で市民に” 【2015.11.11】<今こそ「県外移設」を 新基地阻止への道筋として 高橋哲哉>を読む 予想されていたこととはいえ、日本政府は警視庁機動隊を派遣!暴力装置の大動員である。「海の安全」を標榜する海保が、まさしく「沿岸(国境)警備隊」として安倍の「私兵」化(=海イヌ)していることが満天下に明らかになって久しい。警視庁機動隊派遣も「沖縄県警からの要請」なる言辞を弄しているが、県警上層部(本部長を始め「警視正」以上)はすべて「国家公務員」=国家公安委員会が任命権者である。 かつて太田昌秀県政の時、「日本政府との戦世いくさゆ」と比喩的に語られることもあった。しかし、もはや「比喩」の域を超えて事態は突き進んでいる。毎日のようにゲート前では、負傷者、不当逮捕者が警察権力によって生み出されている時ではあるが、標記のコラムが、琉球新報の2015年11月2-3日の二日間にわたって掲載された。 もう野村・知念ネタと同様に、「高橋ネタ」も封印しようとしたが、「新基地阻止への道筋として」と言われてしまっては、一言、言わずにおかない(苦笑)という心境にさせられた。 「移設論に与してはならない」ことをまたしても言わなければならないことは空しい。記者がつけた見出しであろうが<沖縄の要求に呼応/沈黙する「本土」に風穴>とか<安保解消と矛盾せず/問われる「本土」有権者>とかは、対象との距離においてその有効性・無効性が測られるという、あらゆる言説が持つ困難性を、「配慮」しているような装いを漂わせている。しかし、それならば安保賛成の80%?を「説得する」よりも、まず2000万人の人々を辺野古へ、新基地建設阻止の闘いに起ち上がらせることに最大限の智恵を絞るべきではないだろうか。 高橋は「大城立裕氏と中里友豪氏が引き取りに好意的だったのに対し、新崎盛暉氏と仲里効氏からは一定の留保ないし疑問の提起があった」とし、両氏に「私見を述べておきたい」と続ける。もっとも、過半は新崎盛暉への言及に終始している。これは新崎が「引き取り(運動)」に、やや腰が引けていること(高橋が繰り返し引用する「『どこにも基地はいらない』という主張もお題目として力を失っている」という新崎の主張そのものがそうした無力さを醸成させている)に対してつけ込まれてしまっている、としか思えない。 高橋も「私たち市民も現場に行ける人は現場で、行けない人は各自の場所でできることに力を尽くしたい」と、それ自体、至極まっとうな意見を開陳しているが、しかし、この人はおよそ運動とか闘いとかとには無縁に過ごしてきたのではないか、という疑念をぬぐい去ることが出来ない。 辺野古新基地建設阻止は「沖縄問題」ではない。日本政府と我々の問題でもある。今、辺野古は一人でも1時間でも闘いの参加を呼びかけている。そして、辺野古に行けない人たちは、首都圏であれば日本政府-防衛省(さらには海上保安庁から、「取り消し」を無法にも取り消し、あまつさえ「代執行」さえ目論む国交省)への抗議行動に起ち上がるべきであろう。こうした時にも、移設論に乗せられた「引き取り運動を行うべきだ」と、すべての日本人に訴えるのであろうか、「辺野古新基地建設阻止と引き取り運動は矛盾しない」と。 “米国はあくまで、自国の利益のために在沖・在日米軍基地を利用しているにすぎない。安保関連法案に反対するだけでなく、日米安保条約そのものを問い返していく必要がある。/それに対し、米軍は抑止力になっている、日米安保条約は必要だ、と言うなら、沖縄に米軍基地を集中させ、押しつけるのではなく、ヤマトゥに暮らす人々は自らも基地負担を担うべきだ”(目取真俊「図書新聞」20150801)。 この程度の見識が何故持てない、高橋さん。 そう思い巡らしていたら、月刊『琉球』11月号は巻頭に「奴らがやってきたら北へ走ろう」(照屋勝則)と題する巻頭言を次のような言葉で締めくくっているのを読んだ。 「こころざしのある市民が一人でも多く、毎日でなくてもいい、一時間でも二時間でもいい、自分の都合のつく日、都合のいい時間に、ゲートの座り込み封鎖に参加すれば必ず辺野古新基地建設は阻止できると確信する」。 「日本にいる我々」は、「奴らがやってきた!さあ、南へ!」を合い言葉にしたいものだ。 【2015.10.29】 沖縄独立-『亡国記』を読む 斎藤美奈子・小出裕章推薦ということで、「禁」を破って単行本、北野優『亡国記』(現代書館20150815)購入(笑)。 南海トラフ・浜岡原発事故・日本滅亡を背景に語り継がれる、日本脱出のロードストーリー。北海道はロシアが、本州・四国はアメリカが、九州は中国が「占領」。いち早く東京を脱出し北海道に逃げ出した安倍を始めとする政府閣僚・高官はロシアに逮捕され国際法廷で有罪に処されるという話も織り込みながら(ここに焦点を充てれば、結構面白い「国際謀略小説」が出来上がったと思うが)、その中で、以下のような「沖縄独立」が語られる。 時あたかも、安倍・日本政府による「惨い」としか言いようのない沖縄ヘの仕打ち=辺野古新基地建設強行が開始された。
【2015.10.15】『越境広場』創刊0号(2015年3月)を読む 敢然と日本政府にノンを叩きつけた。日本政府がどのような悪辣な手段を取って、沖縄を踏みつけにしようとも、翁長知事を先頭に沖縄民衆の闘いは微動だにしない。翌14日、早朝、キャンプシュワブ・ゲート前に500人が駆けつけた。今や立法院議員にも擬される多くの県議たちの姿もある。 もはや、闘いは新基地建設阻止・普天間即時閉鎖に留まらず、嘉手納基地を含む全基地撤去!の声さえ上がる。 普天間全ゲート封鎖の闘いを思い起こして、全島ゼネストへと、論議されんとしている。 こうした中、いささか旧聞に属するが(どうも体調が悪く……と言い訳ばかりですが)、『けーし風』No.87(2015.07)で新城郁夫は「備忘録⑪『在る』ことへの問い」において、6月に開催された「愛楽園(ハンセン病療養所)・交流会館開館記念シンポジウム」の報告から「沖縄を生きる私たち自身が、私たち自身の負の歴史に向き合うことなしに、沖縄に関わる『構造的差別』を撤廃することはできない」と書き出し、『越境広場』創刊0号の紹介に至る。 『越境広場』では、辺野古ゲート前でプラカードを掲げて一人でさりげなく行動している新城さんが姿も語られている。 この『越境広場』は発行直後の4月に入手していたにもかかわらず、「見出し」を眺めただけで友人に「勢い」(苦笑)で譲ってしまった。まぁ、それほど、この雑誌を「広めたい」という想いに駆られていたとも言える。 それはともかく、新城郁夫が共鳴した、引用した二つの論考、崎山多美(文責)の「創刊の辞」と、呉世宗の「『在』を生きる――沖縄の朝鮮人に触れる」をアップ。 個人的には森崎和江に言及した二つの論考(佐藤泉「からゆきさんたちと安重根たち」、仲村渠政彦「〈記憶〉と〈場〉が喚起するもの)をはじめ、すべてが読み応えのあるものとなっている。そもそも「雑誌」は、熟読と粗読とが入り交じるものだが(早いものは一日で読み終わる!)、この『越境広場』は、何日、鞄の中に入れていたことか。 年内には『創刊号』が発行されると聞く。 50年近くも封印された「民族自決権」が、2008年のシンポジウム以降の「自己決定権」の遍在を経て、復活しつつある。 併せて、琉球新報20150930の「知事国連行動 成果と課題4」で書かれた上村英明の「琉球と日本、対等に/国際法の視点から主張」もアップ。 例によって、『越境広場』創刊ゼロ号(2015.3.25)の目次を。
知事国連行動 成果と課題□4 上村 英明(うえむらひであき 1956年熊本市生まれ。早稲田大学院経済学研究科修了。現在、恵泉女学園大教授。編著書に「市民の外交―先住民族と歩んだ30年」(法政大学出版局)など) 琉球と日本、対等に 国際法の視点から主張 9月21日にジュネーブの人権理事会で行われた翁長雄志知事の声明発表は、まさに歴史的瞬間であり、特に同席した者としては、言葉に込められた思いに感動すると同時に、その実現に向けて自らの責任を自覚し、襟を正す瞬間でもあった。ともかく、もうすでに多くの識者が的確な評価をされていることを自覚し、ここでは大きな枠で意義と課題を感想として書いてみたい。 横軸への発信 意義は、沖縄・琉球の持つ問題が、国際社会に向け、横軸で発信されたことである。沖縄対日本、沖縄対米国というこれまでの関係は2国間あるいは2者間の関係であったが、国連という場を使うことで、沖縄・琉球の問題が多国間で扱われることになった。 沖縄がこれまで働きかけてきた日本政府や米国政府の視点からみれば、これまでの動きは縦軸の関係であった。あえて単純化すれば、日本政府にとって一地方の住民の陳情や申し立て、米国政府にとっては、同盟国日本の一部住民の頭越しの要求に過ぎず、それ故に、中央政府の専管事項に対するわがままを言うなとばかりに日米政府間合意を持ち出し、米国政府は日本の国内問題にすぎないと困った顔を見せた。彼らのいう「不快感」である。 しかし、今回、翁長知事は、国際法上の基本的人権である人民の自己決定権を主張して、沖縄・琉球の問題を加盟国政府代表、国際機関、国際NGOに「お願い」ではなく、より対等な関係性の中で「判断」を仰いだのである。これまでの動きは大きく転換した。 では、それは例えば辺野古の問題に役に立つのか。劇的にとはいえないが、可能性がなくはない。自己決定権を主張し、国際社会に働きかけたことで、沖縄・琉球の運動は、まず国内の裁判闘争にしろ、米国への訴えにしろ、国際法を正面から援用することができる。 自己決定権は、近代以降の歴史的な文脈の評価から生じる権利なので、基地の土地接収が行われた70年前ばかりでなく、140年さかのぼった琉球併合以来の問題にも光を当てることができる。例えば、辺野古の基地は、「ウィーン条約法条約」、「ハーグ陸戦法規」そして「国際人権規約」などの国際法違反の積み重ねの上に構築されると主張できる。また、日本政府ばかりでなく、米国政府に対しても、国際法違反の当事者としての責任を追及することもできる。加えて、辺野古での住民運動をより正当に評価できる点も重要かも知れない。よくその住民運動は日本の識者などから「人民の抵抗権」、「住民の意思」として、高く評価される。 しかし、残念ながら、「人民の抵抗権」が意義を持つのは、「民主主義」や「法治主義」が成立していない社会が前提であり、もし成立しているとみなされれば、抵抗はただの「わがまま」となる。1996年に大田昌秀知事の代理署名拒否が最高裁で敗訴した根本的な理由はここにあることを忘れてはならない。その点、国際法は、現在の沖縄において、沖縄・琉球人民にとっての「民主主義」や「法治主義」が成立していないことを証明する根拠となりうる。もしそうであれば、住民の島ぐるみの運動や翁長県政の動きは、沖縄の肌感覚で感じられるように「わがまま」ではなく「人民の抵抗権」の正当な行使とみなされる。 軋轢は生まない もちろん、課題もある。「民主主義」社会の中で、民主主義が成立していない社会が「植民地」である。植民地は帝国主義と連動して想起されることが多いが、米国や英国、フランスでは「民主主義社会」の中で「植民地体制」を堅持してきた。また、1980年代以降、本来自己決定権を行使する権利があるにもかかわらず、これを不当にはく奪されてきた集団が「先住民族」という国際法の主体である。そして、「植民地」や「先住民族」、さらには「自己決定権」という考え方を沖縄・琉球の中で拡大し、実体に合わせて深化させることが不可欠な課題だろう。それによって、奪われた権利が見えて来るようになれば、国連の諸機関、諸制度をさらに利用する必要性と可能性が生じてくる。声明の発表はその始まりにすぎない。 もうひとつ、確認しておきたい。自己決定権の主張は、日本人と琉球人の間に溝と軋轢を生むのではないかという懸念の声を聞く。自己決定権の主張は、何よりも沖縄・琉球に日本政府が持ち込んだ対立を回避する役割を果たしている。同時に、その考え方が共有できれば、それは琉球と日本の関係をむしろ対等な立場で再構築する道を作ることになる。懸念には及ばない。 私事だが、明確な志と実務能力を兼ね備えたすてきな政治家である翁長雄志知事とこれを支える県庁のスタッフ、熱意と果敢な行動力を兼ね備えた島ぐるみ会議の皆さんにこの場を借りて感謝したい。大和(日本)人である私も、歴史に残る素晴らしいチームに参加できたことは、自らのアイデンティティーを超えて、私自身の大きな誇りとなっている。 (市民外交センター代表) (琉球新報20150930) 【2015.10.01】 仲里効「『沖縄よ』という問い」を読む 2015年9月21日、翁長知事はジュネーブの国連人権理事会の演壇に立ち、「基地問題は人権問題である」を基調に日米両政府の政策を真っ向から批判、日本政府は格下の国連大使を使い、「言い訳」にしか国際社会では通用しない反論をさせたという。沖縄協議会の設置といい、国連演説といい、「沖縄の自立解放」への道程がくっきりと示された。 翁長知事の登場によって「県外移設論」は、従来の様々なこだわりや曖昧さが徐々に明瞭になってきたとも言える。8月30日、朝日新聞社説は、翁長知事の「あなたは安保に賛成なのか、だったらなぜ基地を引き受けないのか」との発言に「「みんな黙ってしまう」と書くまでに至った。「平等論」(基地負担の平等)が、日本国家を前提にして組み立てられている以上、翁長知事の立論の「正しさ」がくっきりと明示される。つまり「平等」を確立しない限り、問題は「(不)平等」にあるのではなく「基地」にあることが理解し得ないであろうとしたレーニンの「民族自決権」をめぐる発言が百年後の今も、これほどぴったりと当てはまるとは! 蛇足ながら「私は安保支持派です」という翁長知事の繰り返される発言は、皮肉を通り越した、卓抜した戦略的発言に聞こえる。 今、辺野古ケート前、そして海上では、沖縄民衆の不屈の闘い(「沖縄の歴史は社会運動の歴史であった」という沖縄タイムスの長元朝浩さんの名言を再び思い返している)が連日、一切の権力の弾圧にひるまず続けられている。翁長知事はこうした反権力直接行動によって支えられていることは紛れもない事実である。そして、その闘いに、日本人は言うに及ばす、アジアの、世界の民衆が駆けつけている! それなら、琉球新報20150908の<「県外移設」という問い5・日本の矛盾を提起>での仲里効の意見を玩味しよう。
【2015.08.27】「沖縄を語る――次代への伝言⑲ 山城博治さんインタビュー」を読む 安倍・日本政府の「9月10日から1カ月」の「休戦」提案である。「戦争をする国づくり」に邁進するためには、なんとしても「支持率低下」を食い止めなければならない。あの茶番劇まるだしの「新国立競技場問題」を使ってもダメ、鹿児島県・薩摩川内市(原発に関してはそもそも「地元」など限定しようがない!)が同意した川内原発再稼働も火種となりそうだ。 辺野古新基地は、「ユクシ(嘘)の抑止力」や子供でもだまされない「負担軽減」などがありとあらゆる場面で暴露されている。沖縄県各地域では「島ぐるみ会議」が続々と結成され、「辺野古基金」は4億円を超えた。キャンプ・シュワブにおける海と陸における粘り強い沖縄民衆の闘いとともに、「埋立申請取り消し」に踏み込まんとしている翁長県政。どうする安倍!今国会には、万単位での世代を超えた抗議の声が広がり、学生有志が8月27日にはハンストに突入(彼らのほとんどは辺野古現地闘争に参加した「辺野古リレー」「辺野古ゼミ」に集う大学生である)。 「廃案・退陣」の四文字がリアルさを増している。 いささか旧聞に属するが、「沖縄タイムス」2015年05月11日に掲載された(聞き手=北部報道部・阿部岳)記事である。山城博治の人となりを知るための格好の素材として、ぜひ、一読を! そして山城さんの早期復帰を心より願う! なお、これまた旧聞に属するが(なにしろ、PCばぶっ壊れるわ、体調は崩すわで、泣き言ばかりの日々でした)、「休戦」を受けての「沖縄平和市民連絡会事務局」からの「手を緩めてはならない!」を掲載します。
【2015.08.03】 川満信一・書評、三上智惠『戦場ぬ止み――辺野古・高江からの祈り』を読む
アジア女性資料センターの『女たちの21世紀』№82(2015年6月21日発行)に阿部小涼が「すべての境界線が私のホームなのです」という一文を載せている。そこで、「おにぎり事件」を導入にしてジェンダー論を展開しているが、彼女はヴァージニア・ウルフの“アウトサイダーは続けて言うでしょう、「なぜかと言えば、実際のところ、女性として私には祖国がないのです。女性として、私は祖国が欲しくはないのです。女性としては、全世界が祖国なのです」”を引用し、「これからますます多くの女たちが辺野古、高江を目指すだろう。境界線をホームとし、境界線を越えようとする身体になるために」と結ぶ。 【2015.07.27】 山城博治「沖縄・再び戦場の島にさせないために――沖縄基地問題の現状とこれからの闘い」(2014)を、やっとアップ。 【2015.07.25】 『季刊・未来』、『月刊・琉球』を読む。 『季刊・未来』と『月刊・琉球』を立て続けに読んだ。 やはり「復帰運動」が未決のままであるだけでなく、「反復帰の思想資源」が「ないがしろ」にされている、と思わされた。忘却されてはならないのは、「沖縄戦」だけではない、と感じ入った次第である。 それにしても、三上智恵(植民者)や阿部小涼(日本人の知識人女性)が、「上から目線で琉球人にお説教をたれる」と非難(糾弾?)される言説を見るのは、心底辛い。もちろん、彼女らの言説が批判されざるを得ない難点を孕んでいたとしても、である。新報「投書欄」には、百田騒動糾弾の冒頭には「最近の大和人の沖縄民族を蔑視する発言に怒り心頭に発している」ともある。 ※ 【2015.01.03】阿部小涼「草の根で新たな政治へ 県民、生存選ぶ未来選択」を読む 件の『月刊琉球』№26での青山(旧姓・比嘉)克博の「無意識の植民地主義と内面化された植民地主義」なる一文に、「琉球人対日本人という歴史的に継続する二項対立の構造を乗り越えようとする『日琉同祖論』の志向と幻想報道は今日でも後を絶たない。……翁長知事の『本土で覚悟を決めて米軍を受け入れ、立派な日米同盟をつくってほしい』という発言を、『日琉同祖論』を基調とする『しんぶん赤旗』は一切報道せず、その見出しは『新基地は造らせない』と歪曲し、我田引水的な報道を行っている。一方、同日の中日新聞朝刊には、「本土で米軍受け入れを」との見出しで正確に翁長知事の発言を報道した」とある。この短文の中に多くの論点が隠されているが、一つだけ指摘すれば、かつての『赤いプロレタリア討論会』で「左翼同化主義」ですべてをなで切ったと同様の、浅薄な「同祖論・同化主義」批判を垣間見る。すでに川田洋は「返還粉砕・復帰奪還」論争の70年前後において、一方で沖縄-日本構造を問い返し、他方アジア(東アジア)レベルで沖縄を捉え返すことを、鋭く解き明かしていた。 ※川田洋「国境・国家・第三次琉球処分」(『情況』1971年4月号)/川田洋「新左翼運動と沖縄闘争」(『情況』(1970年6月号) これらは「復帰運動」の総括が未決のまま放置されていることとも通底しているが、青山の非難も、その「我田引水」的「同祖論」はともかく、首肯しうる。とはいえ、若い世代にだけでなく、「反復帰の思想資源」が充分に継承されていないことに危機感を覚えている。 私ごときが僭越ではあるが、昨年6月に刊行された『琉球共和社会憲法の潜勢力――群島・アジア・越境の思想』こそ、読まれるべき文献の一つとして推薦したい。1981年から30余年の時を隔てて、仲里効という希有な編者を得て結実した<群島・アジア・越境の思想>である。
翁長現象は「沖縄の自己決定権」の波及から「沖縄のアイデンティティ」をたぐり寄せ、ささやかではあれ「民族ブルジョアジー」の登場すら勝ち得ている。青山の牽強付会の説を持ち出せば、「日米同盟の大切さを説く翁長は日琉同祖論に絡め取られている」としかならない。 『月刊・琉球』500円[年間定期購読5,000円送料込] 発行元:琉球館(株式会社Ryukyu企画)〒901-2226宜野湾市嘉数4-1-17-16tel098-943-6945 併せて、この間、物議を醸成している高橋哲哉の『沖縄の米軍基地』(集英社新書2015)について言及しようと思ったが、「批判のための作業」は、「徒労」の蓄積にしかはならないので忌避することにした。もはや残り時間を気にし始めた風游子としては。もっとも「高橋なんぞ相手にする必要がない。彼自身が『基地誘致運動』のビラまきでもしてからだよ、まともな討論が成立するのは。所詮、大学教授という『物書き』だ」という友人からの非難に及び腰になった所為もある。 【2015.06.09】宮平あい<「フェンス」の撤去は可能か―知念ウシと石川真生に見る「沖縄」のまなざし―>を読む 昨日、宮平あい講演会に参加。主催はルネサンス研究会。場所は、今話題の(笑)「専修大学」である。 『情況』2014年11-12月合併号に掲載された<「フェンス」の撤去は可能か―知念ウシと石川真生に見る「沖縄」のまなざし―>(宮平あいの卒論全文)を読んだ時、「驚嘆した」。<知念ウシ>と<石川真生>そして<フェンス>である。さらに、これが「卒論」であると知って、さらに驚いたことも事実である。 <序>で、宮平は次のような書き出しで、問題提起をしている。 “「沖縄」について語る時、いつもぶつかるものがある。「日本」「沖縄」「アメリカ」「安保体制」「復帰」「基地問題」「内地」「外地」「本土」「ヤマト」「ウチナー」「ヤマトンチュ」「ウチナーンチュ」。様々な言葉で表される沖縄と沖縄を語るための「立場」。そこには近づけるようで近づけない、歩みを遮るものがある。筆者はこれを沖縄の周りに巡らされた「フェンス」にたとえる。相手が全く見えない白塗りの「壁」ではなく、張り巡らされた網目の向こうに中途半端に見え隠れする「他者」。そこには、一体どのような主体がいるのか。/本土に来て初めて見えた「沖縄」は、それまでまるで見えなかった「フェンス」にぐるりと囲まれていた。その「フェンス」の正体には、いくつもの解があったが、「フェンス」を取り除くための解はわからないままだった。……” そして、<4.結論>として、 “「沖縄」に注がれるまなざしは、政治的な問題であり、「国家」をめぐる問題であり、権力関係の問題であり、歴史の問題であり、倫理的な問題であった。/しかし、こうした一定の線上にとらえられる「沖縄」は、「沖縄」の問題があまりに複雑で多層的・多面的であることによって、どうしてもどこかで「沖縄」をとらえそこなっているように感じられたのである。 ……「フェンス」が維持し、また再生産する「痛み」は、「フェンス」の存在が深く食い込む結果を招くが、その撤去を願う原動力ともなるだろう。それは「フェンス」を見つめ「フェンス」の向こうを見つめることによって可能になることである。/いつの日か、「フェンス」の残骸を軽々と越えてその向こうにいる「自己」と「他者」に触れる時がくることを、願ってやまない。” と、書き記す。 大学生となり、沖縄を離れ、沖縄を外から見、そして、自らを見直す。ここまでは、<知念ウシ>と同様の軌跡を辿る。それ故、ヒントとして<知念ウシ>が彼女の中に大きく浮上したのであろうことは想像に難くない。「沖縄人としての素朴な感覚」を「わかりやすさ」として押し出し、「沖縄人としての共感を引き出す」と書く宮平は、その意味では<知念ウシ>に少なからずのウチナーンチュと同様、絡め取られてしまった。敢えて言えば「劣情を刺激された」。 しかし、<知念ウシ>に違和感を抱いてしまった彼女は、行き詰まりを感じてしまったという。そして彼女は、そこに“「ミイラ取りがミイラになる直前」まで接近するまなざし”をもった<石川真生>を見つける。 こうして、“「痛み」の所有格”の危うさを突き、“「痛み」の他者化自体が一つの暴力である”に至る。私はこれこそ<知念ウシ>とは真逆の「沖縄人としての素朴な感覚」であり「わかりやすさ」として、彼女の語りを聞いた。この論点は、「民族自決権」ではなく「自己決定権」の称揚の問題にも重なり、琉球ナショナリズムではなくウチナーンチュ・アイデンティティにも通底する。“知念の主張は「属性」をはっきりと意識させることで対等な対話を望むもの”と言いながら、続けて“しかし、「属性」への執着で見えなくなるものがあるのではないか”と踏みとどまる。 浅薄なものでしかないだけでなく、ステロタイプ化された「属性」を振り回すことは「俗情との結託」にも似たものであり、そもそも「属性」をどう捉えるのか(これは当日の参加者からの発言にもあったが)を突きつめる必要があろう。私たちは「関係(性)」の中に叩き込まれており、「属性」も「役割」も、そして「アイデンティティ」もそうである。例えば「〈アイデンティティ〉にはすべて、他者が必要である」(R・D・レイン『自己と他者』=中村雄二郎『術語集』より重引)ということからも明らかなように「関係性」(我々にとっては廣松哲学として馴染み深い)、さらに敷衍すれば「共同主観性」として、「階級問題」に至る。まぁ、ここは風游子独特の我田引水の極みであるが。 (あわてて付け加えるが、彼女の指導教官である中山智香子さんが講演会に参加していた。中山さんの『経済ジェノサイド』に深く傾倒した私としては、是非とも「ルネ研」で「中山智香子講演会を準備して欲しい」と主催者に申し入れてしまった(苦笑)) ともあれ、「新しき人」の誕生は慶賀に値する!(「風游も老いた」と笑うなかれ!)
【2015.05.19】 山城博治が作詞した<沖縄 今こそ立ち上がろう> 沖縄 今こそ立ち上がろう
原曲「Ah! Le joli mois de mai à Paris ! ああ!パリの美しき五月!」については<朝倉ノニーの<歌物語>>biogを紹介します。まぁ、風游子としては、「加藤登紀子の唄」として、特に最後のリフレインは仏語で口ずさんでいました、いえ、フランス語などなんにもわかりません。 ※美しき五月のパリ 加藤登紀子 オリジナル歌唱 辺野古・シュワブゲート前で、加藤登紀子とスクラムを組んで歌う山城博治を想い描いている。 山城博治インタビュー「沖縄の魂、自決の心は決して途切れることはない!」(『情況』2010年4月号【シリーズ】時代の転換を沖縄に聴く-苛政に育つ琉球弧の自己決定権 その2) 【2015.05.18】翁長雄志知事挨拶全文「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」 トップページに5月17日県民大会での翁長雄志県知事の挨拶結語をアップした。タイムス、新報両紙に掲載された全文はいずれ読めなくなると思って、風游サイトにアップ。大会に参加した友人たちは、登壇者一人一人の意見に深く頷きつつ聞き入っていたが、最後の翁長知事の発言に対しては、異口同音に安倍や菅とは比較にならない「政治家」としての人格識見について高い評価を与えていた。
【2015.04.23】 新城郁夫『沖縄の傷という回路』(岩波書店20141022)を読む 新城さんの、通底奏音としての「岡本恵徳」を聞いた。第2章は「岡本恵徳の思想を読む」のサブタイトルを付して「反復帰反国家の契機」を読み解いている。新川明でも川満信一でもなく・・・・ かつて、風游子は、Emigrant<【2007.8.31】岡本恵徳『「沖縄」に生きる思想』(未来社2007.8.5)を読む>で、岡本の「さいきん、ことばでもって《思想》を語るとき、たとえばバイオリンのトレモロではなく、ベースの、曲の底にこもる響きに気を留めなければならぬことを、親しい友によって気づかされることがあった。バイオリンの、人を陶酔に誘いかけるトレモロではなく、メロディーの底に息をひそめて、みえかくれにそのあとを追いつづけるベースのその響きを、できうれば、おのれのものにしたい、とわたしはそうねがっているのである」を引用しつつ、“この批評集はゆったりとした力強さを、惑いそしてたじろぎつつ突き進んで行くことの確かさなど、多くのことを学ばせて貰った。しかし、どうやらかつて、若すぎた私はトレモロに惹かれるしかなかったようだ”と書き込んだ。 そして若くして亡くなった屋嘉比収さんの岡本恵徳(「水平軸の発想」など)への言及を踏まえて“未然の時制の仮想のなかで想起される”(この何とも言えない「悪文」、否「流麗」とも言える文体が新城さんの真骨頂か?)とする新城さんの「感覚」に痛く共鳴させられた。そうか、風游は「新城郁夫ファン」か。 彼は「傷」(もちろんタイトルにもなっている)と「遍在」を挙げていたが、私は「繋がる」という表現の多用さに新城さんの「或る想い」を垣間見た気がした。 それにしても熱すぎる。生き急いでいるとしか思えないオーラを感じる。東琢磨『ヒロシマ独立論』を参照しつつ、他方、萱野稔人の空論(妄想?)を切って捨てる。鮮やか。いや、彼の俎上には、上村忠男も冨山一郎も、そして平恒次の論究も横たわる。 思わず「序」のみ採録しました。
以下、例によって、目次を! 『沖縄の傷という回路』 【初出】 序 生のほうへ 1 普天間米軍基地ゲート封鎖という出来事 2 教え 3 秘密の生成と転送 Ⅰ「集団自決」という傷をめぐって 第1章 沖縄の傷という回路【『世界』824/201112】 1 原発と沖縄と――危機の産出と危機の隠蔽 2 八重山教科書問題から痛みの記憶を拾い集める 3 国から自律した生の繋がりと傷という回路へ 第2章 反復帰反国家の契機――岡本恵徳の思想を読む【『戦後日本スタディーズ2 60・70年代』200905】 1 反復帰反国家の回帰――「日米共同声明」と国政参加拒否 2 「異質性」という争点 3 岡本恵徳の「水平軸の発想」――「集団自決」と復帰運動との葛藤から 4 ふたたびの国政参加拒否のために 第3章 聴く思想史――屋嘉比収を読み直す【『沖縄文化研究』201203】 1 「当事者性の獲得」という試練 2 「他者の声」と「仲間内の語り」 3 聴く思想史へ――沖縄研究批判としての沖縄学へ 第4章 故郷で客死すること――『名前よ立って歩け 中屋幸吉遺稿集』論【『International Journal of Okinawan Studies』3-2/201305】 1 「名前」の前で 2 非-主体化する呼びかけ 3 「世界の内部にオキナワがあるとして・・・・」という声 4 故郷で客死すること――「殺スノモ 死ヌノモ ムツカシイ」 Ⅱ 回帰する傷たち 第5章 「死にゆく母」のまなざし【『LP』11/201006】 1 死にゆく母が見ていたもの 2 「炎える母」へ 3 死にゆく母を身ごもる 第6章 音の輪郭――高橋悠治の音楽とイトー・ターリの身体パフォーマンスを繋ぐ場所【『残傷の音――「アジア・政治・アート」の未来へ』200906】 1 アメガフッテイル 2 ドウシヨウモナク イタシカタナク ヌレテユク 3 身ぶりの音 4 不意なる遭遇にむけて 第7章 山城知佳子の映像を読む――汀の眼、触れる手、顔の中の顔【『阪田清子・山城知佳子展記録集』200909/『MAM PROJECT 018:山城知佳子』201212】 1 「水の女」、というのではなく 2 一つの渦、一本の管、一枚の水の鏡 3 脱自エクスタシスの倫理エシックス 4 聞こえてくる声、切れ繋がる身体の群棲へ Ⅲ 他者の傷を迎える 第8章 「不安定の弧」の対位法――沖縄にアラブ民衆蜂起を引き寄せる【『現代思想』臨時増刊号201104】 1 「合意」の彼方へ 2 「商談」のテーブルに着かないこと 3 蜂起を輸入し転送する 第9章 琉球共和社会憲法試案という企てと脱国家――沖縄と広島と難民【『年報カルチュラルスタディーズ』1/201307】 1 憲法を試作することと国家概念の再政治化 2 沖縄を否定的媒介として/国民と国家とナショナリズムを養護する倒錯 3 難民/――東琢磨『ヒロシマ独立論』からクィア・ネイションを介してふたたび沖縄へ あとがき 【2015.03.31】フォーラム「道標(しるべ)求めて―沖縄の自己決定権を問う」を読む とうとう、沖縄は日本政府との「対峙・対決」の局面に突入した。否、日本政府は何が何でも沖縄を押し潰さんとしている。辺野古新基地建設(百年使用の最新鋭の巨大基地基地の新設だ!)が「普天間移設」を口実に米帝の意を呈した日本政府・安倍の暴挙以外の何ものでもない。もはや、「負担軽減」など誰一人信じてはいない。 日本は「戦争のできる国」から「戦争をする国」に一歩も二歩も踏みだそうとしている。辺野古新基地建設阻止は、日本の民衆の「反戦平和」の試金石でもある。誤解を恐れずに言えば、「憲法を守れ!」ではない、この辺野古の闘いに勝利しなければ日本の民衆にとって「憲法」は守れないのだ。 琉球新報の連載コラム「道標(しるべ)求めて」を受けて、琉球新報社と沖国大学産業総合研究所によって、同フォーラムが2月15日に開催された。1995年のあの痛ましい少女性暴力事件から、「復帰」後、最大の沖縄民衆の闘いが始まったが、もはや「復帰」が、紛れもなく日本による「併合」でしかないことが、この20年の間に顕在化していったと言えよう。例えば同コラム2月4日号では「琉米条約160年 主権を問う」/「第7部 青写真 連邦・国家連合」で、「琉球が本来は独立国であるという認識から出発すべきだった」という1974年の平恒次(宮古島市出身で米イリノイ大教授)の「日本国改造試論」に言及している。さらに風游子も度々取りあげている琉大教員の島袋純の「沖縄独立-連邦制国家日本」へのタイムテーブルを「沖縄の自治拡大案」として紹介。 ◎島袋純「沖縄の自治確立、1、短期・2、中期・3、長期展望について」 ◎風游<島袋純「沖縄の自治確立」を読む03.7.29> さて、同フォーラムの報告が琉球新報2015年2月19日に5面をぶち抜いて報告。姜尚中の基調講演 「脱冷戦で基地縮小へ」から、第1部「歴史の教訓、そして未来へ」では、上村英明「条約と琉球併合」と島袋純「沖縄の自己決定権」の二人による冒頭提起から五人の識者によるパネルディスカッション。第2部は「自己決定権と沖縄経済」をめぐって、富川盛武の冒頭提起「潜在成長力高い沖縄」を受け、二人の企業人(あのかりゆしグループの平良朝敬氏CEO琉球も登壇)を四人によるパネルディスカッションで、県経済の現状・自立への提言・アジア戦略を語った。 その中で、姜尚中は東アジア共同体を目指して、「東北アジア諸国連合(ANEAN)結成」を語っていた。 道標(しるべ)求めて フォーラム:自己決定権回復し繁栄を(琉球新報20150219) ●基調講演 脱冷戦で基地縮小へ 姜 尚中氏(政治学) ●第1部 歴史の教訓、そして未来へ ○冒頭提起① 条約と琉球併合 上村英明氏(国際人権法) ○冒頭提起② 沖縄の自己決定権 島袋 純氏(行政学) ●第2部 自己決定権と沖縄経済 ○冒頭提起 潜在成長力高い沖縄 富川盛武氏(経済学) 【2015.03.03】大野光明の『沖縄闘争の時代1960/70』(人文書院2014年9月20日)を読む。 小熊英二が1962年生まれだと知って、「そうか、全共闘運動も、こんな風に歴史になるのか」との感懐を禁じ得なかった。『〈日本人〉の境界』(新曜社1998年7月)である。「復帰/反復帰」がこのように「歴史」として語られるようになるとは思わなかった。それ故、突っ込みどころ満載の同書であったが、「それはさておき・・・・」と読み進めてしまった。 ところが著者の大野光明は1979年生まれである。そして「沖縄闘争の時代」である。 多くの未筆の領域があるにせよ、「竹中労/島唄」から「沖青同」に至るまで照射した著者の問題意識とその「業績」を、取り急ぎ称賛したい。そして、以降50年にわたる「沖縄闘争」の現在にもコミットしている筆者の「歴史社会学」を超える考察を期待したい。 「終章」での“ここまで論じてみて改めてつきつけられるのは、沖縄闘争の時代と現在との目眩をともなうような断絶である”の言や良し。「復帰・奪還/返還粉砕」が混濁したまま、「オール沖縄」と「自治・自立・自決」をめぐる<政治>が、現在、喫緊の課題として浮上している。そして、辺野古である。 「復帰運動に対する総括を込めて座り込む」(比屋根照夫)と語られ、「復帰(運動)」が総括抜きに「全否定」され、沖縄の民衆史-社会運動との脈絡から外れたところで、「独立」が(そう、居酒屋の内外で!)論じられている今こそ、アジア・環太平洋規模での「実践」が問われている。琉球新報20150205の連載企画「道標求めて94」では、琉球民族独立総合研究学会共同代表の友知政樹は“独立を掲げる政党の発足を目指す”とも語っている、という。 取り急ぎ、例によって目次をアップする。
【2015.01.03】 阿部小涼「草の根で新たな政治へ 県民、生存選ぶ未来選択」を読む 沖縄講座ブログ<<作成日時:2014/11/20 20:57>>に「沖縄知事選勝利の意義2」と題して、11月20日付沖縄タイムス文化欄に掲載された阿部小涼(琉球大学教員)さんの「草の根で新たな政治へ 県民、生存選ぶ未来選択」について紹介がアップされていた。 いささか旧聞に属するが、衆院選の「島ぐるみ候補」の全選挙区完勝(自民全滅-比例で復活)を受け、日本政府の苛政が飽和状態にまで煮詰まりを見せつつある現在、この「秀逸な評論」について再度言及する必要に駆られた。とりわけ阿部さんが“この選挙をメルクマールとして、新しい政治を見いだすならば、それには批判と反省が伴わなければ意味がない”と強調する以上なおのこと、と思われた。 それにしても、「面会謝絶」で逃げ回る一国の首相の醜態を見るに付け、暗澹たる想いを禁じ得ない。 さて、沖縄講座ブログでの称賛はそれとして首肯した上で、こう言っては礼を失するかも知れないが、余りにも阿部さん自身が旧来の保革構造に囚われすぎているのではないかと思われた。少なくとも半世紀も前から(個人的には半世紀も費やしても何事もなし得なかったような徒労に見える歳月に慨嘆を禁じ得ないが)、「55年体制」(沖縄での「68年体制」)への批判は存在していた。例えば、転進した「沖縄保守」への“社会的なものとしての市民性を、沖縄の保守はどのように涵養してきたか。社会運動への参加や取り組みの不在は課題とされただろうか”と言う火の粉は「沖縄革新」にも降りかかる。“いら立つ”ような「イデオロギー」を革新は錬磨してきたのか。余りにも沖縄革新に対して「過大な評価」である。それこそ、ここ数年、澎湃と湧き上がった「復帰運動」の再解釈が、「反復帰論」の総括とどのように切り結んできたのか。 私は復帰運動が「新たな神話」となり、反復帰論(残念ながら「運動」として浮上することに成功しては来なかった)も包み込んで語られること(日本-沖縄関係の反転!)に、人民党であれ社大党であれ、そしてとりもなおさず沖縄民衆の圧倒的多数の共有された「復帰運動」の「歴史の理想化」を、「捏造に近い」と指摘してきた。しかし、「民族自決権」ならざる「自己決定権」の発揚は、「保守対革新」から、確実に「自立対隷属」へと転換してきた歴史を見ないわけにはいかない。 仲井真のような「植民地官僚」以外の何ものでもない人物を「沖縄の恥」と指弾する勢力が「保守」から生み出されたことは必然であった。「改憲-壊憲」が、多くの論者によって「日本が投げ棄てた憲法を沖縄が引き受ける」ことを語る。あたかも「構成的権力」の胎動のように。 だが、それ以上に阿部さんの論考に違和感を覚えたのは“政治哲学的には訂正を求めたい”と語り、“アイデンティティ”の“誤用”を鋭く批判する点である。もちろん「オール沖縄」も「島ぐるみ」も再審されてしかるべきではある。私は、琉球・沖縄の「社会的コンフリクト」(それは政治にも、経済にも敷衍している)の解剖こそ必須の命題だと思い続けてきた。世界史的に、民族自決の勝利=独立の獲得から、新しい国家と社会の建設が如何に苦渋と困難に充ち満ちているか、そして宗主国(=日本)への批判糾弾・分離解体だけでは、事の半分にも至らないことかを、私達は知っている。ましてや「琉球独立」が「琉球王国」を参照して語られてしまうと言う「反動」を見るにつけ、その思いを深くする。 もちろん、「島ぐるみ会議」や「ひやみかち うまんちゅの会」の行く手には、日本政府による恫喝と懐柔を駆使しての更なる沖縄への「差別抑圧・支配分断」が待ち受けている。しかし、多くのウチナーチュはきっぱりと「自発的隷従」(仲里効)を退けた。そして比例復活を遂げた「自民党議員」の動向を注視すべきであろう。 “言葉は不変のものではなく、歴史性を背負いダイナミックに変容するもの”であるという阿部さんの提起はそのまま、「イデオロギーではなくアイデンティティ」という“言葉”を生み出した沖縄の未来に、私も含め多くの人々が多大な期待を寄せたのであろう。そこでは“政治哲学”も“社会学”も、「解釈」としても存在し得ない。かつて「社会学の手法で読み解いた」と豪語した『無意識の植民地主義』の「浅薄なルサンチマン」を思い出すまでもなく、学問なるものが「反知性主義」に絡め取られているかの如き様相を呈している現在、数少ない「行動する知性」としての阿部小涼さんの「活躍」に敬意を払いつつ、それ故の「批評」である。乞うご容赦! 「血みどろの闘いに突入するかも知れない沖縄」(佐原一哉)に、思いを馳せて……
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