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 [277] 偏差値28から国公立大学
   

ソリューション データ:
上記のことがあったおかげで私は理学療法士になると決めたわけですが,
高校生の時,あまり真面目に勉強してなかったので,私の学力では,行ける大学はありませんでした.
記憶に残ってるのは,高校3年生の最初の模試で平均偏差値が28で,国公立はもちろん,地元の私立や専門学校も全てE判定だったことです.
過邸の状況を考えると,私立や専門学校に行く余裕はないので,私はどうしても国立大に行きたかったのです.
なので私はその日から,平日でも学校終わりに最低6時間,土日は10時間位勉強し続けました.
その当時していたバイトも辞めたくなかったので,意地でもバイトと勉強の両立をしました.
その結果成績もだんだん良くなっていき,最終的にセンターで良い点数を取ることが出来,国公立大学に入ることが出来ました.

 [276] 受験のこと
   

ソリューション データ:
私は高校1年生のときから、この県立大学を志望していましたが。しかし、学力が足りず、まさにその時は「夢」でもありました。このままじゃ、確実に落ちると自覚していましたので、部活が忙しい中でも勉強も怠らずに励みました。高校三年生になり、進路調査が本格的に始まりました。私は依然と県立大を第一志望としていました。担任には、志望校を変えるように言われましたが、私は変えたくありませんでした。夏休みは毎日学校に通い何時間も勉強し、だんだん成績も上がってきましたが、模擬試験の判定ではいい結果が出ずに、担任に何度も志望校を変えるように言われました。本番のセンターまでは、毎日徹夜し、あきらめませんでした。そして当日、センター試験の自己採点は、今までで一番いい点数を採ることができました。しかし、またもやコンピューター判定はよくなく、担任に自宅から離れた地方の大学を薦められました。もちろん行きたくなかったので、県立大に出願届を出しました。その時担任に「お前は落ちる」と言われました。本当に悔しくて、家で泣きました。二次試験は総合問題と面接でしたが、当日まで家で勉強しました。
合格発表の3月6日、パソコンで結果を見ました。自分の受験番号があったときは嘘かと思って、だれにも言いませんでした。次の日、合格通知が家に届いたとき、初めて合格を確信できて、家族、友人に電話をかけまくりました。
今までで一番うれしかったのが、大学合格です。どうして自分が合格できたのかはわかりません。まぐれかもしれません。でも、こんなに達成感が得られたのは、生まれて初めてです。今、夏休みが始まり、全国の受験生が本格的に勉強を始める時期になりました。受験生には、模擬試験の結果や、学校の先生、親の意見で大学を決めるのではなく、本当に自分が行きたい大学を目指したくを目指してほしいです。勉強にやる気が出ない受験生もたくさんいると思いますが、今から初めて約半年、人生のうちのたった半年だけ、受験のために猛勉強する時間があるのだと考えてほしいです。将来やりたいことがあるなら、なおさら、絶対にあきらめてほしくないです。応援しています。

 [275] 将来を決める
   

ソリューション データ:
私は中学生や高校生の時自分の進路など,自分がやりたいことがあるから~をしよう,などと考えずにただただ適当な毎日を過ごしていました.
そして,自分が将来何になろう,などのことは何も考えていませんでした.
そんな私が,医療関係の仕事を目指そうと思ったきっかけは,友人の病気です.
高校の友人の心臓が止まり,1週間意識不明,奇跡的に意識が戻ったものの,体は衰弱しきっていました.
ICUに行き彼のお見舞いに行くと,体を起こすだけで呼吸は乱れ,運動なんて以ての外,そのような状態でした.
その後度々彼のお見舞いに行ったのですが,理学療法士の方が彼のベッドサイドで様々なリハビリテーションを行なっているのを見かけました.
そしてリハビリテーションを行うことによって私の友人の体は徐々に動くようになりました.
その過程を何度も見ているうちに,私はリハビリテーションに引きつけられました.
その当時,私は,リハビリテーションを行なっている人がなんと言う職種なのかも知りませんでしたが,
私も友人を運動が出来るまでに直したあの人のようになりたいと考え,
医療関係の職種について調べ,理学療法士という職種を知り,回りに流されるわけでなく,自分自身の意思で進路を決めることが出来ました.

 [274] 頑張っていたのに
   

顧問


ソリューション データ:
私は中学時代バレーボール部に所属していました.
部活全体もやる気があり,私自身も必死に活動していたのですが,
顧問の先生に「お前は坊主にしてまでバレーをやる気持ちはないだろ」と言われ,レギュラーメンバーを外されてしまいました.
私はとても悔しかったです.
もちろん髪の長さも校則を破っていませんでした.
坊主にしても構わないくらいにはやる気はあったのですが,顧問に言われたからするというのは悔しく,のどがかれるくらい声を出して練習に参加していました.
それでも顧問からは認めてもらえませんでした.
なので私はどうすれば認めてもらえるか,と考え,毎朝5時半前に学校の体育館へ行き,朝の練習が始まる前に体育館の床を全面見取で雑巾掛けし続けました.
そのことに監督が気づいたのかは定かではありませんが,最終的に顧問に「最近頑張ってるな」と言ってもらえ,レギュラーメンバーに戻ることが出来ました.

 [267] 思い通りに進めたい
 現在進行  

自分自身


ソリューション データ:
 私は、今まで出会う人々に恵まれてきた。何事にも熱心で信頼できる人ばかりだ。そんな周りの大人や友達を見ていて信頼を得る大切さを知った。
 普段から、たくさんの仲間の中にいた。その中で自分が、埋もれていると感じたことが何度もある。自分の意見が通らなかったり、回りの意見に流されたりすることも多くある。しかし、その中でも光っている人間は絶対いる。先輩からは頼られ、後輩からは慕われる人間だ。もちろん、誰よりも努力し、自らが手本になるような人間がその位置に立つことができる。そんな人になれるように努力してきた。誰よりも早く集合し、指示される前に動けるようにした。時には強い人にまかれた。たまに、自分の意見を強く主張した。
 自分がやりたいこと、通したい意見は誰にだってたくさんある。しかし、いつまでも、権利ばかり主張する一方では、認めてもらうことは不可能だ。信頼を得て自らを認めてもらうこと。それによって、自分の理想へとつながっていくのではないかと思った。

 [264] それぞれの考え
   

ソリューション データ:
高校一年生の時に、部活動で部長、副部長などの責任者を決めなければならない時があった。
この時立候補制だったのだが、副部長の立后放射がなかなか出なかったため、一年生の部員全員で話し合うことになった。
話し合う前の時点で、ほかの場面で責任者等を務めているなど、役職的に副部長を務めることができない人もいた。そのような人を除くと、副部長を務めることができる人は自然と限られてきたが、その人たちが「腹部著なんて自分には務めれない」「やりたくない」「誰かがやってくれる」といった様子で、話し合いが全く進まなかった。
私は強制的に他の責任者を務めざるざるを得ない立場にいたので副部長は努められない立場として話し合いに参加したのだが、その時私は副部長になることのできる限られた人たちが、先に書いた態度で話し合いに参加していることが許せなかった。特に、副部長がやりたいのに役職的にできないという人もいたので、そういった人たちがいる中で、何の役職にもついてない人はどうして積極的に参加せず、自分はできないということばかり主張するのだろうと感じていた。
私は、話し合いの時は上記のようにイライラしたり、愚痴を言ったりしてしまったが、落ち着いてから考えると、それぞれいろいろな考え方を持つのは当たり前で、上記のような考え方は私の個人的な考え方で、たとえ役職的にできる立場にいても、自分には出来ないと考える人も当然いるのだと思った。だから、いろいろな意見をお互いに積極的にぶつけて、活発な話し合いを進めていくためには、自分も相手にしっかり意見を伝えていくことが必要で、相手が意見を言ってる時は話を遮らずにしっかり聞く姿勢が大切だと感じた。

 [261] 自分を信じる
   

ソリューション データ:
私は高校時代、弓道部に所属していました。当時、部員は70人ほどいました。毎年、男女それぞれ5人のみが、インターハイの予選である県総体に代表として出場していました。私は、2年生の頃県総体に出場して団体優勝し、インターハイにも出場しました。3年生に進級して県総体出場メンバーを選考する大切な時期が来た頃、私は不調になってしまいました。その頃私はAチームの1番として練習していたのですが、全く当たらなくなり、チームに迷惑ばかりかけていました。ある日、主将に「当てられなくてごめんね。Bチームに下げていいよ」といいました。すると主将が「Aが絶対調子良くなるってみんな知っているから、今Aが当たらないことは誰も気にしてないよ。Bチームに落としたりはしないよ。Aがいないと、私たちは絶対に勝てないから。」と言ってくれました。私は、みんながこんなに私を信じてくれているのだから自分も自分を信じようと考え、自信を取り戻すことが出来ました。その後調子は回復し、県総体のメンバーに選ばれました。そのたった一言に、私は救われました。

 [250] 何もしたくない気持ちと現実
   

ソリューション データ:
高校時代、県内でも強豪といわれる部活に所属していた。三年の秋に仮引退となり夏休みはほぼ毎日八時間の練習。高三の時、経済関係で現役で国公立に合格しなければならないというプレッシャーによく何もしたくなくなる時があった。学校も進学校で周りは行事も勉強も力を入れていた。
でも勉強も部活も待ってはくれない。そんなとき私はよく泣きたくなったら無意味にでも思い切り泣いてみたり、自分のブログに誰にも教えていないパスワードをつけて愚痴や自分の本音をすべて書いたりした。すると少し気持ちがスッキリし、自分自身で認識できていなかった気持ちが分にすることでわかり気が落ち着いた。悩んだってやるしかないんだと思えるようになった。
その後、部活も受験もしっかりと最後までやり抜くことができました。

 [246] 受検(高校+大学)なんて失敗しても死にやしない
 受験  

ソリューション データ:
私は小6ぐらいのとき、最低でも高校までは行きたいと思っていた。
中三になって迎えた高校受験では私立二校に落とされ、非常に悔しくなって公立を国内のトップ校に上げた。志望変更した時は、今思えば計り切れない悔しさからやっ気になっていたんだと思う。
そして、公立の合格発表。その日は雪の降る日だった、結果は不合格。高校受験は併願校で一校おさえていたが、それ以外は全落ちだった。それから三年が経って大学受験がやってきたが、高校受験の悔しさをバネにリベンジに燃えた。結果は…勝率50%だった!大学受験は高校受験で本当に悔しんだからこそ成功できたのだと思った。要は何が言いたいかというと、高校受験の段階なら失敗してもなんてことないということ!

 [231] 受験勉強の疲れ
 大学受験期  

自分


ソリューション データ:
大学受験期の夏休み、周りはどんどん成績が良くなっていくのに私は良くならず下がる一方でした。そんな自分と周りを比べてしまうことで焦りや苛立ちを感じていてスランプに陥っていました。いくら勉強しても先生のアドバイス通りやってもスランプから抜け出せず、半分あきらめの気持ちで一日たくさん寝てDVD見て、好きなことやって、という日を作りました。ですがこの日以来成績は上がって順調に勉強することができました。今思えば連日の勉強で疲れがこの一日でとれたのだと思います「急がば回れ」ではないけど、疲れている時こそ休むことが大切だと思いました。


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