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(581)
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男性/女性/...
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当事者//...
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男性/女性/...
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 [539] 押し上げられる感覚
 社会人3年目  

母親、会社の上司


ソリューション データ:
「申し訳ありませんがお断りいたします、実は来年の春からもう一度大学に行こうかと思っているのです」夏の終わり、人事考課面談で部長から移動を内示された私はそう断りを入れた。社会人3年目、私はもう一度大学へ行こうと決意していた。「会社としても極力応援する。出張や残業が多い立場だがなるべく配慮する」そう言ってくれた。通勤時間や電車の中、仕事の合間、帰宅してからの数時間、できるかぎり勉強時間を工面した。遊ぶ日や遊ぶ時間のメリハリをつけ、自分を追い込みすぎないように気を付けながら。我流では不安なので小論文のみ通信教育で指導を受けることにした。幾度指導を受けても良い評価を貰えず、同じテーマで何度も何度も書き直しを命ぜられた。実力が付いてきているのかどうなのか、全く分からず受験の日は刻々と近づいていた。そんなある日、母が突然乳癌の告知を受けた。受験の前週に手術が決まった。動揺する私を通信教育の指導教官は電話で励ましてくれた。入院に際して必要な物やアドバイスをくれたりもした。漠然とした不安や動揺を一つずつ整理してくれた。入院中の母と約束をした。お互い試合に勝とうと、母の手術は無事に成功した。母は私との約束を果たした。次は私の番だ。自信は無かったが気負いはあった。2校受験をした。先に1校から合格通知があった。その後母が退院し、自宅に戻ってきた。いよいよ第一志望の学校の発表日、私は自室のパソコンで結果を見た。リビングにいる母の元へ走った。「ねぇ、合格してるんだけど…」自分でも信じられず、母に何度も受験番号を確認して貰った。不思議な感覚だった。自分で勝ち取ったという感じはなく、頑張って手術に耐えた母や母の手術を成功に導いてくれた執刀医、理解ある上司、通信教育の指導教官の力で私を押し上げて貰った。そんな感覚だった。

 [533] 留学して学んだこと
 大学生  

友達、バイト先の責任者


ソリューション データ:
日本に来て、今数えたらもう三年目になった。今回の心理学レポートにて、日本に来る時の迷い、日本に来て経験した友人関係そして神奈川県に来て経験したアルバイトの三件を取り上げて話をしたいと思っている。心理学を取って、先生の講義を聞かせていただいて、毎回講義の最後、知らない人と交流することをとても良かったと思う。おかげで、栄養学科以外の学生と知り合って、多職種の連携にもつながると思っている。1.当時、中国で○○大学を卒業して、すぐに日本に留学することではなかった。中国は七月が卒業時期なので、卒業する前に就職活動をやって、中国の江蘇省常州市の外資系企業での就職が出来た。○○大学は日本の◎◎大学と姉妹校なので、毎日学校から付帯を推薦して、◎◎大学で大学院の私費留学ができる。就職と進学どちらを選ぶのかに迷っていた。私は六人家族で、四人兄弟の中で、大学に進学できたのが私だけなので、うちの親は就職でも、神学でも、自分の好きな道を選んでいいということだった。就職に対しては、正直に言うと、四年間大学で日本語を習ったけど、いきなり仕事で日本人の上司の通訳をやる自分に自信が無かった。そして中国にいる間にバイトをやったことがないので、社会経験と言うか、すぐ社会人になって、お給料をもらって通訳をやることには自信がなかった。でも、留学には相当のお金がかかる。私の親は貧乏ではないけど、決してお金持ちではない。兄弟もいるので、私だけのためにお金を使うのも申し訳ない気持ちだった。でも、兄弟三人は私の留学をとても賛成していた。考えに考えて、せっかく日本語を勉強したのに、本場の日本に一度来ないと、たぶん本格的な日本語は習得できないと思って、家族にそういう思いを伝えて、日本に留学することにしたのだ。今思えば、その時の決断は正解だった。少なくとも、今は政界だと思っている。もしその時、就職することに決めていたら、今は公開しているかもしれない。だから、やさしい家族に恵まれて幸せだなと思う。そして、ずっと仕送りをしてくれる家族に申しw家内気持ちと感謝の気持ちでいっぱいだ。2.日本に来て、いろんな人と出会った。◎◎の先生たち、一緒に二年間研究室で勉強していた仲間たち、交流会のおじちゃん、おばちゃんたち、ホームvisitの私の日本のお母さん家族、バイト先のお母さんたち、一年生の後輩たち…すごく優しくしてくれたすべてのたち。そして、卒業終了パーティのとき、ある人と出会ったのだ。私たちの卒業の祝いとして、一年生も参加してくれた。同じテーブルに座っていたKさんと出会った。学年は一個下だけど、同じ大学院なのに、学校にいる一年間全然会ったことはなかった。その時はあんまりしゃべれなかった、ただその人は素敵だなと思ったが、Kさんは結婚しているから、その日はそのまま何も思わずに、パーティが終了後、私は家に帰った。その夜、Facebookで、Kさんからの友達リクエストがあった。Facebookでいろいろしゃべって、ますますあの人が素敵だなと思った。でも、それは思いだけの話だった。その後のある日、五時くらいに大学に言っていたら、Kさんに遭遇した。簡単に挨拶して、自分の研究室に戻ったが、十分くらいして、Kさんが私の研究室に来て、一緒にご飯を食べないかと言う誘いがあった。喜んで一緒にご飯を食べに行って、趣味とかもいろいろしゃべって、すごく楽しかった。春休みだし、Kさんは別の市に住んでいるので、そんなに会ってなかったが、あの後、ちょこちょこあっていた。すぐ友達みたいに冗談も行ったり、食事をしたり、花見したり、足湯に行ったりして、完全に恋人みたいだった。でも、Kさんは結婚しているから、二人はなにも言えなかった。Y県にずっといればいいのに、残念だねとだけ私に言った。とうとう私は別の県に進学することになって、別れの日が来た。結局誰も二人のことについて言えなかった。時々連絡するけど、今はもう平気にこのことを友達に言えるようになった。自分の感情をコントロールできて良かったと思っている。Kさんを私の人生のお客さんの一人に過ぎないが、私の平凡な人生を飾ってくれてありがとう。この件は解決というより、時間が過ぎたとともに、このことは自然に心の中から消えてしまうかもしれない。3.前リアクションペーパーでも書いたが、この大学に来てもうすぐ五カ月になる。生活のため、アルバイトを始めた。掛け持ちで夜中一時までのラーメン屋さんでバイトをやり始めた。前は結構自分の体力に自信があったが、実際にやってみると、だめだった。一日の授業の後に、バイトをやって、また次の日の朝に一限目の授業に行くのは辛かった。だから、バイトを始めて二週間で、自分が辞めたいという意思を責任者に伝えたら、すぐ怒られた。バイトをやっている間に、みんな優しい人ばかりだったので、すぐに怒られる経験もなかったので、どうすれば良いのかも分からなかった。自分の責任感とか、自分の人間性までその責任者に問われた。新しいバイトの人を探せば辞めさせてやるとかの言葉もあった。本当に怖かった。自分で解決できないと思って、学校の友人と先生に相談しに行った。パワーハラスメントとか、労働者福祉協議会に相談するとかの意見があった。最後、先生の意見を聞いて、責任者にきちんと自分の良しを伝え、入れられたシフトの分が終わったら辞める、これ以上シフトを入れてもやらない。結局、そのバイトを辞められた。それは、先生と友達のおかげで、無事に解決したのだ。今思い出せば、大したことではないけど、その時は本当に眠れなくて、ご飯も食べられなくて、辛かった。そのバイト事件を通じて、いい年をしているのに、問題をちゃんと自分で解決できないのを恥ずかしいと思っている。社会経験が浅くて、将来就職しても、慣れることが出来るかなと心配している。このことから勉強になったことは、相手の立場で考えること、今の自分は弁口が大事で、何でも勉強優先だ。以上は私の過去に遭った問題だった。もし以上のことにタイトルをつけるのなら、成長の証、人生のエピソードだと思う。これからはきっといろいろな問題が待っているかもしれないが、自分が解決出来ないことは、友達や先生に相談することが大事だと思った。そして、いつでも優しい心を持つことが大事だと思っている。

 [528] 一人暮らしの寂しさを乗り越える
 大学生  

自分


ソリューション データ:
私は大学生になって初めて一人暮らしを始めました。
まずは、一人暮らしを選んだ理由について書きます。最初、全く知らない土地に一人で住み、暮らしていくというのは、不安で不安でたまらなかつたです。けれども、自分の勉強したいことを学ぶことや将来の夢を叶えるためと考えれば、地元にあるのではない大学に行くしかありませんでした。
 やはり、一人暮らしへの不安と将来の目標を比べれば将来の目標を達成する方が大切に感じたのです。
 だから県外の大学を受験し、晴れて入学した。
いざ4月になると、一人暮らしの大変さや家族がいないことによって、ホームシックぎみになりました。そこに、始まったばかりの大学生活への不安とが入り混じって、心が押しつぶされそうな気持ちを経験しました。どうしてこんなに不安でたまらないんだろうか、と何度も思うのです。寂しくて、泣いてしまった日もありました。
そこで、私が一人暮らしの寂しさを打ち明けたのは、高校時代の友達でした。彼女も一人暮らしです。お互いに、大変なことや不安なこと、一方で楽しみなことを話しているうちに、気持ちが楽になりました。
 時間が経つにつれて学校にも慣れてくると、一人暮らしに慣れてきました。
友達もできて、大学がますます楽しくなりました。
今は、この大学に来て良かったなと思います。
一人暮らしの不安を乗り越え、自分が大きく成長したように思えます。

 [516] 受験を乗り越えてわかった事
 高校3年生  

自分


ソリューション データ:
3つ目は、受験です。僕は本当に勉強が大嫌いだったのでとても受験が憂鬱でした。こればっかりは誰かが何かをしてくれるわけではなく自分自身で何とかしなくてはいけない問題でした。それでも一緒に頑張ってくれた友達や毎日ごはんを作ってくれたりしてサポートしてくれた家族には感謝しています。憂鬱な気分の時に励ましたりしてもらえなかったらきっと僕は駄目になっていたと思います。改めて自分が恵まれた環境にいたと言う事を実感させてもらえました。

 [514] 人生のレール
 大学受験時  

ソリューション データ:
大学受験生の時に、勉強が自分の思った通りにできず、本当に自分が無事合格できるかとても不安で何回か部屋で泣いてしまったことがあった。
テレビなどで多くのさまざまな生き方をしている人を見て、「ああ、こういう生き方もありなのだな」と思った、絶対に大学に行かなくてはいけないわけではない。人生というのは決められたレールの上を渡るだけのものではなく、他と違う生き方だってあり得るのだから、たとえ失敗してしまったとしても別にそれでもいいのではないかと思うことができた。肩の荷が落ち、少しだけ楽天的に考えることができるようになった。それから受験の時に緊張で体調を崩したことはあったが、泣いたりはしなくなった。

 [512] 肩の荷がおりる言葉
 高校  

自分


ソリューション データ:
中学・高校は科学部だったのだが、中学三年生の夏に辞めたくなった時期があった。科学部は夏休みに各自研究をするのだが、科学部顧問の先生がとても厳しくよく怒られて、精神的にまいってしまい、もう我慢できなくなって辞めたくなった。普段は面白い先生なのだが、実験の事となるととても怖く、怒られたことのない部員はいないほどだった。また、部活は夏休みでもほぼ毎日あり、正直きつかった。研究について添削してもらいに行くたびに怒られることがしんどかった。
おなじ部活の友達に相談すると、友達が、「そんなに深刻に考えなくていいんじゃない?科学部はパーティーでお菓子とかケーキとか食べられるし、来たい時にくればいいんじゃない?」と言ってくれて、肩の荷が下りた。そんなに型にはまって毎日来なくてもいいのかと思うことがdけい、気が楽になった。また、研究も終わって先生に怒られることもなくなり、一過性のものだったのかな、そんなに気負いしなくてもよかったかなと考えられるようになった。今となっては、こういう経験があったからこそ成長できたのだと思う。

 [510] 祖母の死と家族の温かさ
 高校2年生  

ソリューション データ:
二つ目は、祖母の死です。僕にとっては初めての身内の死だったので、とても悲しかったです。また最後に僕に言い残した言葉がとても僕の事を心配していた内容だったので、何故安心させてあげることが出来なかったのかとても後悔しました。その時は家族が「これからしっかりと生きていけばいいよ」と言ってくれました。その一言でとても救われました。

 [509] 声の形
   

自分


ソリューション データ:
日ごろ友達と話す問いはそうでもないのに、授業で発表するときや、人まで話すときだけ声が小さくて聞こえづらいことがずっとコンプレックスだった。そんなときに、ある授業で先生に指摘されてひどく落ち込んだ。その授業では何回か授業をした後に劇形式やプレゼンテーション形式での発表があり、その次にも発表があったので、話すのがとても嫌になった。
どうして声が小さいのかさんざん悩んだ結果、台本をタダ呼んでいるからいけないのかもしれないという結果に至った。ただ決まったことを話す・読むのではなく、人に伝えようと思って話せば自然と大きな声になるのではないかと考えた。そのまま自信なく発表に挑んだのだが、ちゃんと伝えよう、伝えよう!と思って話すと本当に大きな声が出て自分でも驚いた。台本をそのまま読むのではなく、少し動作を加えながらよりわかりやすくなるように努力した。また、下を向いて読まずになるべく人の顔を見て発表するようにした。すると、以前指摘した先生にも「発表良かったね」と言われて自信もついた。

 [507] 大学受験を乗り切るために
 高校生  

自分と周りの友達


ソリューション データ:
私は高校二年生まで美術大学を目指していたので、美術の実技の勉強(デッサンや粘土など)しか行っておらず、座学の勉強はほぼしていなかった。そんな状態で三年生になり、志望校を神奈川県県立福祉大学に変えたとき、周りは「教科の多い公立高校では勉強が間に合わないから、私立の大学に志望校を変えた方がいい」と口をそろえて言った。いかし、親からは公立校に行けとのプレッシャーもあって私立は考えず、私は高校三年生の最初の模擬試験で志望校がD判定からのスタートで勉強を始めることとなった。最初は何もやってこなかったために、やった分だけ成績が伸び、夏休み前までにはB判定が出るまでになった。しかし、夏休みに入り、一日中勉強をしている環境になると勉強が苦痛になり、さらに夏休み中に何度もある模試で成績が思ったように伸びず、段々と勉強時間が短くなっていった。そんな時、有名私立大を目指す友人と息抜きにご飯を食べに行くことになった。その友人も成績が思うように伸びておらず、その点において私と同じような状況だった。しかし、その友人は毎日十時間勉強しており、成績が思うように伸びなくてもモチベーションを崩すことなく夏休みを過ごしていた。そこで、なぜそんなに伸びなくても勉強を続けられるのか聞いてみたところ、「本当にその大学に行きたいから、その為の勉強なら苦痛じゃない」というシンプルな答えが返ってきた。私は自分で学科は決めたものの、大学自体は親が公立ということから公立を目指していた。だから、本当にその大学がいいという気持ちがなく、半端な気持ちで勉強していたから、勉強が苦痛になっていたことに気が付いた。そこで、もう一度なぜその大学がいいのか、しっかりと考え直し、動機づけをはっきりさせた。そうするとまた勉強にやる気が起き、受験期の困難を乗り越えることができた。

 [506] 自分の手術で知った周囲の人の温かさ
 高校2年生  

ソリューション データ:
僕の乗り越えたことの一つは手術です。僕は高校2年の冬に大きな病気ではないのですが病気が発覚し、二月に手術をしました。丁度病気がわかった時期は部活を全力でやっている時期で、とてもショックを受けました。数週間の入院ですが、周りの人に後れをとって団体戦のメンバーから漏れたく無かったからです。ですが手術が決まってから周りの人は心配してくれたり、入院も励ましのメールをくれました。結局団体戦のメンバーにはなれませんでしたが、最後の大会に体調の回復が間に合って個人戦には出場できました。友達の励ましがなくては多分気持ちの切り替えは出来なかったと思います。


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