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男性/女性/...
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男性/女性/...
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(581)
男性/女性/...
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男性/女性/...
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男性/女性/...
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当事者//...
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男性/女性/...
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 [501] 頑張った話
 小学1年から高校3年  

自分自身


ソリューション データ:
私は小学校1年生から高校3年生まで12年間、競泳を続けてきた。小さいころは、面白いようにタイムが伸びた。大会で泳ぐと必ずベストを出していた。自分にとって大会ではベストを出すのが当たり前で、先輩がベストを出せずにいるとどうして大会なのにベストを出せないのかが理解できなかった。そんな私にタイムが伸びない時期が訪れたのは小学校4〜5年生の時だった。ちょうど全国大会の標準記録に手が届きそうになって、全国を目指し始めた時だった。今までのタイムの伸びが嘘のように止まった。今までは何も考えず、ただただベストを出す面白さのために泳いでいたレースに緊張するようになった。その時に先生がかけてくださった一言は、「やっとKさんも選手になったんだな」肩の荷が下りた気がした。壁は、自分の成長の証なのだと気づいた。そこからは、練習内容も変えた。自分の水泳に対する考え方や、取り組む態度も変えた。自然にレースへの気合の入れ方も変わった。自分の水泳に意味を感じるようになった。そしてまたタイムが伸びるようになった。先生の一言で気づかされたのは、壁にぶち当たったときにそれをポジティブにとらえる方法だった。壁は自分の成長の証なのである。だったらそこからまた新たな方法を考えだしていけばいい。一歩先に進んだ自分に合った新たな道を探していけばいい。

 [485] 受験勉強
   

ソリューション データ:
夏休みを終えて、そろそろ実力をつけなければならない10月。塾と学校、両方で模試があった。私はその両方で思うような結果が残せなかった。そんな自分に幻滅し、さらに、違う高校に行った友達が遊んでいるのをネットで見て、「何故自分は今こんな苦しみながらやりたくもない勉強を毎日やっているのだろう?」と急に考え込んでしまった。そして、自分が虚しくなって塾の帰り道に涙を流した。そんな時、支えになってくれたのが同じような気持ちになっていた友人であった。私は、その時の感情をすべてメールで送り、同意と励ましの言葉をもらった。さらに、学校の先生や塾の先生ともいろいろ話した。そこでも励ましや、アドバイスをもらい何とか再び勉強に熱を入れることが出来た。自分の中で考え込まないで思いっきり誰かに吐き出すことで、相当すっきりし、やる気も沸いた。悩んでいても立ち止まっている暇はない。積極的に誰かに話を見鋳てもらうべきである。

 [484] 大学受験で
 高校生  

家族


ソリューション データ:
高校三年の一学期の時点で私の志望大学は二つあった。一つは東京の私立大学で、もう一つは今の大学だった。三年ともなれば三者面談もあり、基本的に勉強のことに関しては関心のなかった親とも進学先について話すようになった。しかし親の本音は私には働いてもらいたいらしく、なかなか話は進まなかった。というのも私の家は母子家庭で、私の下には十一歳年の離れた弟がいる。家計的には進学は苦しいものだった。何度か話をするうちに進学は認めてもらい、第一志望を国公立である今の大学に決めた。十月の半ばから周りの友達は推薦入試を受け始め、なぜか私のクラスや部活の友達は推薦で一足早く合格していった。センター試験が終わって二月上旬の時点で、いつも一緒にいる四人がみんな合格した。私のチャンスは二月の下旬にある前期試験のみ。大体の人は、私立に併願したり、センター利用などいくつも合格へのチャンスの道があったが、前述したとおり家にお金がないため、私は第一志望の前期試験のみで、落ちたら予備校に行くお金もないため仕事を探さねばならず、一本勝負だった。でも、家族も合格した友達も本気で応援してくれて、私は私を信じることができた。だから試験でも緊張することなくいつも通りの状態で受けることができたため、見事第一志望の大学に合格することができた。自分を信じるってとても大切なことだと実感した。

 [459] モヤモヤ
 高校  

自分


ソリューション データ:
昔から私は、自分が人に何かをしてあげたらその分のお返しが返ってこないと気が済まない性質で、なんだか常にイライラしてた。献身的な人を見ると、うらやましいと思うと同時に何か自分とは違う人生なのだと言いきかせていた。この間、その話して友達にしたら、それをすごく批判された。私のまわりの人が献身的だからこそ私がちゃんとやってこれてるんだよとモーレツに説教されて少し改善してみようと思った。自分で思ってるだけじゃなくて、改めて人に指摘されると、結構ひびくものだと思います

 [453] 努力があれば大丈夫
 中学時代  

監督


ソリューション データ:
私は中学校時代に野球部に所属していました。その部活動は決して強豪とは言えなかったのですが、私と同学年の部員は30人以上在籍していて、激しい競争を強いられました。私は、野球が好きな気持ちは人一倍ありましたが、本格的に野球に取り組んだのは、中学校からで、ほとんど初心者といっても過言ではありませんでした。人数が多かった影響もあり、入部当初は球拾いや筋力トレーニングばかりで、なかなか実践的な練習に加わることができませんでした。同級生の中には、ソフトボールやリトルリーグ出身の経験者もいて、その人たちがどんどん先輩と一緒の練習に参加していく中で、私は黙々と基礎練習に取り組みました。
先輩たちが引退し、私たちの学年が主力になりました。試合のベンチに入れるのは18人なのですが、私は試合に出場することはもちろん、ベンチに入ることさえできませんでした。他の同級生が試合に出て、活躍している姿を応援席で見ることしかできず、とても悔しい思いをしました。もうこれ以上頑張っても意味がないんじゃないかと思い、部活をやめることさえ一時は考えました。しかし、入部した以上最後までやりきって引退したいと思い直し、その後も練習に励みました。
最高学年になり、いよいよ最後の大会が近付いてきました。監督からベンチ入りメンバーが発表され、そこには私の名前がありました。背番号18、○○○○(私の名前)。監督から名前を呼ばれたときは、嬉しさと喜びのあまり、これは夢なのではないかと思ったほどです。3年間毎日欠かさず練習に参加し、頑張ってきてよかったと心の底から思いました。結局最後の大会は初戦で敗退し、出場の機会はなかったのですが、頑張っている姿は必ず誰かが見ていてくれるということを強く感じました。

 [451] 一つの視点からでなく、他の視点からも問題を見てみることの重大性
 大学進学  

自分自身


ソリューション データ:
生活をしている中でいろいろな問題を直面することがあるが、私が今まで抱えた問題で大きいものは、自分のなかで大きな選択をしなくてはいけない時に起こっていると思う。
たとえば、高校入試や大学進学における進路の選択は、自分の人生を大きく左右するものであり、時には周囲の人々までも巻き込む問題である。高校進学のときは、小さいころから親に言い聞かされてきたこともあり、県内の進学校に進むことをきめた、そのときは、自分の中で抵抗感はなく、自分の能力に合った学校に進むことが最善だと感じていたし、今振り返ってもあの時の選択は間違ってなかったと胸をはっていえる。しかし、大学進学になると、自分の能力だけでなく、ただ文理選択や学部で選んでいくわけだから、私は何かになりたいと思ったことはなく、ただ文理選択で、「文系科目のほうが得意だから」という理由で選択したことくらいしか、進路選択に関係する要素はなかった。時間がたつにつれて、「親元を離れて生活してみたい」、「就職に直結する学科を学びたい」という気持ちが生まれてきた。しかし、「ここだ!!」というところは見つからず、また、親は教員免許を取り、教師になることを望んでいたが、私は教師になりたくなくて、親との意見の衝突が目立つようになった。周りの友人やクラスメイトが次々に希望学科や希望大学を決めていく中で自分だけ決める事のできない煽りやもどかしさがどんどん積み重なっていった。
 その中で私がその問題を解決するまでにしたことは、親しい友人の話を来たり、担任や学年主任の先生などからの客観的な意見をきくことであった。自分の世界に閉じこもっ考えるだけでは、考えがどうしても偏ってしまったり、あらゆる角度から物事を見る事が難しくなってしまう。また、友人と他愛もない話をすることによって、閉鎖されていた自分の子事が開放的になり、また新しい見方で問題に向き合えるということを過去に学んでいたんだ。案の定、友人の話を聞くことで友人自身にも迷いがあるということ、その中で自分の考えも早朝することも、もちろん重要だが、第三者の考え方や見方を知ることで、自分の考えに足りなかったものがわかり、新しい解決策の糸口が見えてくると考える。ここで重要なので、人の考えに左右されすぎて自分の考えを完全に失ってはいけないということだ。もし、第三者の考えをそのまま反映した決断をしてしまったら、そのあとの自分が進む道が見えてこなくなる可能性が大いにあるからである。自分で考えて決めたころならば、おのずとその後の道も見えてくるだろうし、自分で決めたことだから後で出てくる問題に対しても自分で向き合って解決して言う力になるのではないか。人に任せて行ってしまったことに関しても問題は、少なからず他人のせいにしてしまう部分が出てきてしまうと考える。友人の考えを聞いて、自分のやりたいこと、目指していることなどをいろいろ考えた結果、私は文系だったにもかかわらず、李kウィである看護科にすすむことをセンター試験一か月に決め、親元を離れ、大学に進学することができた、音に兄なってから高校時代のように、「あのとき自分がした選択は間違っていなかった」と胸を張って言えるようになった時点で、私は進路選択に問題を乗り越えたと考えている。
 また、私が、問題に押しつぶされそうになったときにとった解決策の一つに、ほぼよく趣味も楽しむということがあげれる。そうすることによって、気持ちがリラックスして、「もう一回取り組んでみよう」といった新鮮な気持ちに戻ることができ、従来お視点を変えて問題に向き合っていくことができ、多方面からの見方で物事を考えることは何事においてもじゅうようである。
 誰しも問題を抱えると思うが、その時に重要にあってくるのは「自分の考えだけが正しい」などと閉鎖的な考えをするのではなく、開放的に物事をとらえ、視点を変えて問題にむきあっていくことだと考える。反対方向からみることで、なぜその人がその考えをもったのが少量ながらも理解できると考える。
 私は、進路に関して悩んだときに、自分の考えに執着しすぎず、違った視点の意見を取り入れることの有効性を身をもって実感したし、ほかの違った問題に直面した沖も自分以外の見方ができるように心掛けている。

 [446] 嫌われる覚悟
 大学  

自分


ソリューション データ:
私は幼いころから、本を読んだりピアノを弾いたりするなど、兄弟はいたにせよ人と接して遊ぶ機会が少なかったからなのか、気付いたときには、極端に自分の素や、感情を表に出すことが得意でなくなっていた。
そのくせ、音楽と読書のおかげなのか、もともとなのかはわからないが感受性が豊かで、人にどう思われているかが必要以上に気になってしまっていた。
どちらにしても、原因ははっきりしないが知り合ってだいぶ経ってからでも人と接するときにとても警戒して、体制ばかり気にしていた。
失敗を恐れ、嫌われる怖さと逆に人を拒んでいるようなときがあった。
自分でもその状況は嫌だったし、どうにかして変えたいと思ってはいたが、結局なりたい自分、少なくともありのままの自分にはなれないままでいた。
しかし、大学になって環境が変わるとき、もやもやしたままではいけないなとずっと悩んでいたので、自分で少しずつ意識していこうと思っていた。
入学して四か月経ったが、少しずつではあるけど変わっているかもな、という実感がある。
それまでも悩んでいた時、高校で出会った人が私の不器用さに気づいてくれるきっかけがあり、それ以来支えてもらってきたこともあると思う。
福祉を志す、同じ目的を持った似た価値観の友達にもたくさん出会えたこともきっかけだと思う。
このおかげか、最近になって、小中高校時代の友達に対しても積極的になることができてきて、自分なりには充実して、自分の考える自己実現に、少し近づいたような気がしている。結局は時間がたつことなのか、とも思うが、同じ考えを持っている人や、分かりあえる友人との出会いは価値のある大切なものなのだと思った。
人とかかわることで、人とかかわることが苦手な自分を変えられたので、いつまでも自分の殻に閉じこもって不安がっているのではなく、私の場合は恥じらいを捨てて、人間すべての人に好かれることは無理だと分かったうえで嫌われる覚悟を持ったことで、より自己実現ができるようになったような気がしている。

 [445] 病気と上手に付き合っていくことの大切さ
 喘息患者であったこと(進行形  

親友


ソリューション データ:
私は喘息患者です。何とか小児喘息の段階で直したくて、喘息の治療に良いとされたものをいろいろ試しました。水泳を習ったり、入院治療をしたり、手術を受けたりもしましたが、病気はなかなかよくはなりませんでした。結局、小児喘息を直すことはできず、気管支ぜんそくという形でいまでも治療を続けています。一番症状が重かった時には学校に通うことができず、家に授業のプリントを届けてもらって勉強をするといった状況でした。病気をうまくコントロールすることができないと、治そうという気持ちがだんだんなくなってしまうものです。
このままでは、いけないと思えたきっかけは、中学生の時、親友と、同じ高校に合格しようという約束をしたことです。また、一定以上欠席をすると、選抜の際に原点になるというペナルティもありました。何としても学校に通えるようにならなければ、という気持ちで治療に取り組みました。そしてある時から、だんだんと発作の前兆に気付くことができるようになり、今では大きな発作が起きる前に自分で対処することができます。
 病気を治すことはもちろんすばらしいことですが、上手に付き合っていくこともまた重要なことだと思います。親友との約束がなければ、気付くことができなかったかもしれません。私の学生生活を充実したものとしてくれた親友に感謝です。

 [439] 大学受験での後悔と決断
 高校生  

自分


ソリューション データ:
大学受験の時、成績は上がっていないのに持ち前のポジティブ精神でどこかには受かると考えていたのだが実際センター試験を受けてみると結果はボロボロで私大の受験もほとんど不合格だった。そんな状況になってからもっと勉強をしておけば後悔をし、そんな時に限って友達の受験成功の知らせを聞いたりして焦った。しかしもう頑張り始めても仕方のない時期だったので一時は浪人も考え、私にしては珍しく泣いたこともあった。結果、国公立の後期で大学に受かったのだが入学金を振り込んであった私大に進学をするか浪人するかなどいろんな選択のなかで揺れた。受かった大学はどれもオープンキャンパスはおろか大学を見に行ったことがない所で不安だった。結局私大の近くで住むと決めていたアパートをキャンセルしたりばたばたしたが引っ越しをした。大学生活が始まってみると受験のときは偏差値ばかりに追われていたなと思った。確かに人より努力が足りずに第一志望に落ちているので言い訳のように聞こえるかもしれないがよく考えると第一志望の大学も自分の使いたい路線の近くにあるからというのが理由になっていて周りが見えていなかったと思う。実際今の大学が自分の夢へは一番の近道で今はいいところに決まったなと思っている。また浪人の選択を考えたのも自分の夢のためというよりは偏差値の高い有名大学に行ってみたいというだけであったので浪人したところで意志の弱い自分は同じ失敗をしていた気がする。両親には心配をかけたが大切なものが分かった気がする。就職のときにはしっかり自分のことを考えて決断しようと思った。

 [434] コーチ
 中学、高校生  

部活


ソリューション データ:
部活動のことである。私は、小学3年の後半の方からずっとバスケを続けてきた。小学生の時は小学生なりに辛かったし、たくさん怒られもしたが、中学と高校の部活はその何倍も辛かった。中学校の時は、部長として、どのようにしたらチームをうまくまとめられるのか、どのようにしたらチームが強くなるのか、どのようにしたら皆を引っ張っていけるのか、などといったことを常に考えていたように思う。このような悩みに伴って、試合では精神的な弱さを徹底的に突っ込まれ、部長なのに無責任だとよく言われていた。なぜ部長を引き受けたのだろう、どうして自分ばかり怒られなければならないのだろう、とずっと思っていた。そんなことを思っているうちに、好きなはずのバスケがどんどん嫌になってしまい、失敗してはいけないと思ったら、試合中もボールを持つことが怖くなってしまった。そんな様子を真っ先に気づいてくれたのは、いつも私を怒るコーチ本人だった。コーチと話をするうちに、失敗を恐れすぎているがために何もかもが悪循環になってしまっていることが分かった。そして、「失敗してもいい。大事なことはその次に何をするかだ。」という言葉を聞いて、なるほどと思い、それからはチームの仲間にも言いたいことを言い、試合でも思い切ってプレーするようになった。ダメになりそうな私を助けてくれたのは、いつも私を怒鳴るコーチだった。高校でも、先生の期待が大きいせいか誰よりも怒られた。誰かのミスは自分のミス、自分のミスはもちろん自分のミス、といった変な流れができていたように思う。とにかく何をやっても怒られた。そうしてるうちに、勝ちたい、バスケが好きだという気持ちを忘れ、怒られないために頑張る、怒られないためにミスをしない、という強制でバスケをやっているような感じになってしまった。このままではいけないと思い、一番仲の良い先輩に相談すると、とても心が軽くなり、好きなことをやってるんだからもっと楽しもう、という気持ちになった。そして、勇気を出してもっと色々なプレーに挑戦しようと思った。それからは、今までとは少し違った自分で、バスケができたように思う。中学と高校の部活を通して、現状を打開するためには、勇気を出して今までとは違った行動をしてみることが大切だということを学んだ。実際に私も、勇気を出して一歩踏み出すことで、辛い状況を乗り越えることができた気がする。何事も、悩んでいるよりは、失敗を恐れずに、行動に移してみることが大事だと思う。行動に移してこそ、新たなことが分かるのだと心の底から感じた。


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