いじめ編 (294)
男性/女性/...
不登校編 (81)
男性/女性/...
友だちとの
すったもんだ編
(581)
男性/女性/...
異性とのあれこれ編 (135)
男性/女性/...
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男性/女性/...
子どものしつけ編 (60)
男性/女性/...
家族問題編 (381)
男性/女性/...
精神的な症状編 (137)
男性/女性/...
発達障害 (27)
当事者//...
自分の中のもやもや編 (593)
男性/女性/...
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 [432] 原点に戻って
   

自分


ソリューション データ:
私は中学校の時に野球部に所属していたが、中学2年生の時に肩をケガして思うようにプレーできない時期があった。私の中学校の野球部は人数が多く、私の学年が30人で上の学年と下の学年がそれぞれ20人弱と規模は大きい方だった。大会の登録メンバーは18人のため、3年生といえど最後の大会でメンバー入り出来ない人も多くいた。中学2年の夏頃は、練習がピークだったが、ちょうどその時期は怪我をしていて、いつも肩に不安を抱えながら練習をしていた。病院へ行くと肩の炎症であると診断され、テーピングの巻き方や筋力を上げるトレーニングを教えてもらい、毎日自宅で教えられたトレーニングをやったり、肩にテーピングを貼るのは自分ではできないため、母にテーピングを毎朝巻いてもらったりしていた。その他にも、氷を水筒に入れて朝に保健室へもっていき冷蔵庫に入れさせてもらい、練習後に保健室のよってその氷でアイシングしながら家に帰るということもした。秋の新人戦に向けて練習は進み、自分も試合に出るチャンスをもらっていたため、他の人にポジションをとられないように痛みがあってもだましだましやっていた。毎日今日の痛み具合はどうかとか、投げる動作が多い練習かどうかなと気にする日々であったが、その気苦労や努力の甲斐もあって、夏の中盤ごろには何とかメンバ−に入れそうな感じで練習や試合をこなしていた。しかし、お盆を過ぎてから肩の調子が一気に悪くなり、痛みどころか違和感のようなものさえ感じるようになってしまった。送球は一塁から二塁までなどの塁間さえ届かなくなり、当然練習や試合でも全く上手くいかなかった。その結果、新人戦ではメンバー入りすることができず、とても落胆したのを今でも覚えている。その後、冬場となりいろいろと考えてるうちに、元々は楽しくやっていたはずなのに、いつの間にか大会のメンバーに入るためにやっているような感じになっていることに気付いた。それからは、例え怪我が治らなくてメンバー入り出来ないとしても全力でやって、とにかく楽しもうと意識を変えていった。すると、春先に少しずつ肩の痛みが軽減し、何より前よりも生き生きとやることができた。メンバー入りとか結果を重視しているだけではせっかくの野球が楽しめなくてもったいないと思い始めてから、不思議とプレーもよくなっていき、結果的に春の大会や夏の大会もメンバーには入れた。このことから、確かに結果も大切だが、行き詰まったときには原点に帰るということを学ぶことができた。

 [429] 受験について
 高校3年  

自分


ソリューション データ:
高校1、2年のときは、学校の定期テストや模擬試験などで、そこそこいい結果をとれていたし、高校3年になり、部活も引退して、本格的に受験生になった当時は、模擬試験などでもそこそこいい成績がとれていたので、正直言って受験をなめていてあまり勉強をしていなかった。しかし、夏休みなどでみんなが受験勉強を開始し始めて、時分の成績はどんどん下がっていく一方で焦りを感じ、受験勉強を始めたが、自分のスタートが遅くみんなに追いつくどころか、どんどん離されていく一方で、自分の成績はなかなかよくならなかった。それで、さらに焦りを感じたし、ストレスがかなりたまっていたがみんなより遅れていて焦りを感じたので、ストレス解消のために休んだり、あそんだりすることができなかった。
そのせいで体調を崩して1日中寝ていた日があり、それでストレスが解消されたのか、体調もすぐによくなり、その日以降の受験勉強がはかどった。だからそれからは、適度に休むことも必要だと思い、適度な休みをとるようになって、受験に成功し、受験をのりきることができた。

 [427] 部活について
 高校  

自分


ソリューション データ:
小学校、中学校、高校とずっとサッカー部に所属していて、小、中学校とはちがって監督とソリが合わず何度か衝突したり、反抗したりすることがあった。だから、部活をサボってしまうこともよくあった。監督に対して最初から反抗していたわけではないが、あるとき、監督の機嫌がわるかったのかもしれないが、誰もがするようなミスを犯したときに、とても責められ、また、チーム内のミスをすべて自分のせいであるかのように言われ、そのときに監督に反抗して、それからは、反抗することが多くなった。
しかし、ずっとこのままの状態でいるのもよくないだろうと思ったので、チームのコーチやチームメイトなどに相談しながら解決策を検討したが、やはり、監督とは話し合う気になれなかったので、自分に解決策があってるとは思わないが、自分は自分のプレーを一生懸命だし、練習もしっかりおこない、自分のことをプレーで認めさせようと思った。
そのかいもあって、それからは大会や試合でも使ってもらえるようになり、自分は部活についての悩みを乗り越えることができた。しかし、監督と話し合うという選択をしていれば、もっとはやく乗り越えることができたと思うので、話し合うことも大切だと思う。

 [425] 浪人生活について
 受験  

自分自身


ソリューション データ:
わたしには国立大学に行くことしか選択肢がなかった。栄養に興味があり、人を支援することが出来るようになりたいとこの大学を志望し、受験した。しかし不合格だった。この大学しか受験していなかったため、その時点で一年間の浪人生活が確定した。予備校に通う余裕もなかったので、自宅浪人となった。浪人することが決まってからずっと不安でいっぱいだった。アルバイトをして大学の受験料やその他その一年間でかかるお金を自分で稼がなくてはならなかった。毎日毎日、自分のやっていることはこれでよいのだろうか、周りの人はもっとやっているのだろうか、と不安になってばかりだった。そんな中アルバイト中にわたしにお客さんが声をかけてくれた。「毎日頑張っているね、店員さんの丁寧な接客は普通にできるようなことじゃないよ、身体壊さないようにね」と、わたしはわたしのことをちゃんと見ていてくれる人がいること、褒めてくれる人がいることにとても嬉しさを覚えた。アルバイトを11月までやり、あとは短期間自分のことに集中した。第一志望であったこの大学に合格し、この一年間の浪人期間もわたしを強くしてくれた大事なときだったと思えるようになった。多くの人に支えられて様々なことを乗り越えてくることができた。

 [417] 負けるもんか
 中学生の頃  

自分


ソリューション データ:
私が入った女子バスケットボール部には私の学年は三人しかいなかった。三人組って、怖い。上手な関係が築けず、常に私たちの学年はゴタゴタだった。私のほかその双方とも、二人になるとその場にいない一人の悪口を言ってきた。それでも二人は表向きには仲良くしていた。私は、私がいない時には私の悪口を言っているのだろうと思うと怖くてたまらなかった。さらに、先輩ともうまくいかなかった。先輩を敬わなくてはいけないことは理解していた。しかし、行き過ぎだろうと思う暗黙の不足が多すぎることが私の不満だった。練習には常に自分の水筒のほかに先輩の水筒の予備分の飲み物を持っていかなくてはいけなかったし、練習着は学校指定の体操着しか着てはいけなかった。体操着は二着しか持っていないのに、練習は毎日ある。着替えを持っていく余裕はなかった。三つ上の姉の時にはなかった部則であったため、洗濯をする母にも文句を言われ、板挟みの状態であった。耐えるしかなかった。部活が嫌いだった。大好きなバスケットボールも嫌いになりそうだった。部活をやめたかった。それでもやめようとは思えなかった。私の中の何かが、姉も兄も続けた部活をやめることはいけないことだと常に自分に言っていた。部活をやめずに部活から遠ざかる理由がほしかったため、生徒会に入ることを決めた。ある先生に勧められたことがきっかけだった。それを理由に平日は生徒会に入り浸った。私の中のいい子の部分が罪悪感を与えてはきたけど、それでも逃げたかった。かわりに、土日の部活は一度も休まなかった。家に帰ってからは自主練習にも励んだ。しかし顧問は認めてくれなかった。最後の夏の大会に一秒も試合に出してもらえなかった。悔しくて泣いた。部活をやめたい気持ちが限界まで達していた。初めて両親に弱音を吐いた。母は、「つらいんだったら辞めてもいいんだよ」と言ってくれた。それでも負けたくなかった。三年は受験があるため自由参加である夏休みの練習も一度も休まなかった。私の最後の意地だった。その結果もあって最後の公式戦には全部出してもらえた。私はなんとか三年間の部活をやめずに乗り越えることができた。嫌いで仕方がなかった部活を嫌な思い出にしないで済んだのは、部活とは関係のない、お世話になった学年の先生方のおかげだった。先生たちは私のことを見守ってくれていた。引退した時に「よく最後まで頑張ったね、お前は偉いよ」と抱きしめてくれた先生もいた。認めてもらえたこと、それは私の誇りになった。
心の支えは母の言葉だった。辞めてもいい、という言葉があったから頑張れた。生徒会への逃げも私には必要だったと思う。逃げながらも、最後は意地と忍耐力で乗り切った。今となればこの経験もいい思い出である。

 [415] 本当の友達/周囲の人々の存在の大きさと私の自信
 高校時代  

自分自身


ソリューション データ:
中学2年生になって、初めて後輩という存在ができました。私は人づきあいが苦手で
す。
人見知りもあるし、自分から話す事、話題を作ることも得意ではありません。そんな
自分がちゃんと先輩になれるのか不安で仕方ありませんでした。先輩たちは気さくで、話しかけやすく、でもやるべきことは真剣に物事に取り組み、わからないことがあれば丁重に教えてくれました。
自分も尊敬される先輩になりたい、という気持ちが逆にプレッシャーとなり、ただでさえうまく話せないのに、後輩と話すときは余計ぎこちなくなってしまいました。
周りの同級生は後輩たちとはうまく関係を築けているのに、私はいつまでたってもぎこちないまま。
自分では情けなくて、後輩たちに申し訳なくて、焦りと自己嫌悪でいっぱいになった私は、先輩に相談しました。先輩は、何かを指摘するでもなく助言を与えるのでもなく、先輩自身の失敗談を笑いながら話してくれました。先輩だって失敗をする。完璧な存在になろうとしなろうとしなくてもいいんだよ、と、具体的な対処法を教えてもらうよりもうんと心が軽くなりました。それからは、深く意識せず後輩と話すことができるようになり、そうすると、何かを教えるときも、するすると言葉が出てきてうまく説明できるようになりました。中学校を卒業するとき、公害たちから寄せ書きをもらいました。そこには、明るくて優しい先輩が大好きです、声をかけてくれて嬉しかったです、などという後輩からのメッセージがたくさんありました。この後の打ち上げ会では、後輩や同級生たちと感謝の気持ちを伝えあいながら、数々の失敗談を含むたくさんの思い出話を話して、楽しい時間を過ごしました。
 中学3年生のときは、当時仲が良かった子と仲たがいをしちました。理由は、今になって考えてみても、私のほうに火があるようなことではないような内容でしたが、仲が良かった子が起こっている、嫌われているのかもしれない、と思い、怖くなって、ひたすら謝り続けました。その子は、しぶしぶ許してくれましたが、その後の関係も微妙なままでした。後日、そのことを別の友人に相談すると、ひどく怒られました。自分のどこに非があるか分からなかったんでしょう、私もどう思う、あなたに悪いところはなかったと思う、でもそれじゃぁなんで誤ったの、と思ってない謝罪は相手にも過去の自分にも失礼だと指摘されました。相手が悪かったのにあなたが一方的に誤ったことで根本的な解決ができなかったから余計に気まずくなってしまったのではないかといわれました。確かに私は、普段からなにかあるとすぐに誤ってしまいます。後になって、でも本当にあたしが悪かったのか、とてももやもやしてしまうことが多々あります。もっともなことを言われ、悔しくて情けなくて泣いてしまった私に、その友人は、そうまでしてあの子と仲直りしたいんだよね、私はそういうの本当友達とは思わない、でも本当にあなたのことが大事だと思っているから、あなたに悪いところがあったあこういう風に指摘もするし、あなたも私が間違っている事をしていたら遠慮なくいってほしい、と言ってくれました。そのことがあってからは、少しずつですが、何かあった時は根本にある問題から逃げずに解決のために、自分の考えをきちんと歌江、話し合うことができるようになりました。その時、関わる機会は少なくなってしまいましたが、今でも何かあれば連絡を取り合う、私にとって大切な存在です。
 高校では、一年から引退まで、バスケットボール部のマネージャーをしていました
もともと私の高校のバスケットボール部にはマネージャーはいませんでしたが、選手のみんなはマネージャーという存在を望んでいたようで、私がマネージャーになると決めた時はみんな大歓迎してくれました。しかし、もともとマネージャーのいない環境で練習していたため、選手のみんなは練習しながらも、準備や片付けや、そのほかの雑用を分担しながらぱきぱきとこなしていて、私が入ったことで何か意味があったのか、と悩むようになりました。選手のみんなは、いてくれるだけでいい、と言ってくれるけど、それさえも気を遣って言ってくれているのではないか、と感じるようになりました。
選手のみんなにも、それぞれのポジションがあって、それぞれの役目を果たしている。そう考えて、いてもいなくてもそう変わりない自分と選手を比べて落ち込んでいた時、ふと、思いました。
でも、もう少しああやったらもっと良くなるのに、こうすればもっと良さをいかすことができるのに。その時やっと私は自分にしかできない、自分だからできる事を見つけることができました。
マネージャーという、コートの外から選手の様子を見ることが出来る立場だからこそ出来る、客観的な視線からの助言、です。
助言とはいっても、たいして専門的なことはできませんが、毎日練習のメニューをノートに記し、選手の様子やよかったところ、悪かったところを記録していきました。また、選手達がきつそうにしているときは、モチベーションをあげられるような声かけをおこなったり、新しい練習のメニューが追加された時はそれを図に書いてメモを取り、後から選手たちが見直せるようにしたりしました、こうしているうちに、最初は、自分達でもできる、と本来マネージャーがするべきであろう仕事も各自でも済ませていたことも、私に仕事を任せてくれるようになりました。私たちが引退する、最後の試合で負けた時、選手たちは泣きながら、マネージャーがいなかったらここまでやってこられなかった、ありがとうといってくれました。悩んだこともたくさんあったけど、引退まで続けてきてよかった、と心から思いました。そして、私はどんな立場であっても、必ず自分だからこそできる、自分にしかできない何かがあって、それを見つけ、状況の制にせず、できる限りの努力することの大切さと、それをやり遂げた時の達成感、充実感を知ることができました。選手たちのいるだけでいい、という言葉に満足し、そのまま悩むこともせず3年間を数語していたら、このような感動を得ることはできなかったと思います。
 これらの経験はどれも自分の自身のなさから生まれたものだと思います。でもそんな私にも、いつも手を差し伸べてくれる周りの人たちがいて、それが大きな自信となりました。これからの経験にタイトルをつけるなら、」周囲の人々の存在の大きさと私の自信、だと思います。

 [414] 受験前にて
   

ソリューション データ:
受験の時、成績ものびず、塾にもいけず困っていた。その事をたくさんの先生に話したら、いろんな先生が、放課後教えてくれたり、相談にのってくれたり協力してくれた。
何か一所懸命頑張っていて、つらいとき、その事を周りの人に言いふらすことで、きっと誰かが、その人なりの方法で助けてくれるということまたそれに甘えていいのだということを学んだ。

 [410] 働くということ
 大学  

自分


ソリューション データ:
私は大学に入ってアルバイトを始めた。アルバイトをすること自体初めてだったので要領が掴めず苦労した。怒られることもしばしばだった。商品の置き方や在庫管理、レジ打ちなど細かいところを厳しく言われるときもあり、少し不服に思ったりもした。しかし、働く側はお客さんに商品を買ってもらいその対価としてお金をもらっているのでお客さんが心地良く買い物ができるようにすることは当たり前であり、それが仕事だということに私は気づいた。普段買い物をしていてレジでの対応が少しでも悪ければ嫌な気分に誰でもなる。嫌な気分にさせないためにも出来る限りのサービスを心がけ、不備がないように対応することがお金を貰って働くことだと思った。当たり前のことかもしれないが、実際に働いてみなければ分からないことだと思った。新人であろうとベテランであろうとお客さんから見れば同じ店員なので言い訳はきかない。それは医療従事者として働くときにも同じだと考える。相手が何を望み、どれだけ最善を尽くせるかは、相手の立場に立ってみて自分が何を出来るか考えることだと思った。

 [408] 周囲の人の大切さ
 高校時代  

ソリューション データ:
三つ目は、受験勉強での出来事である。私は高校二年生の時に保健福祉大学を受験しようと思った。だが、担任との面談で今の成績のままでは決して合格は出来ないので志望校を変えたほうがいいと言われた。その時はショックで諦めようとした。しかし、友人に「今からならまだ間に合うから頑張って」と言われ一気にやる気が湧いてきた。絶対に合格して担任を驚かせてみせるという気にもなれた。それからは毎日勉強に明け暮れる日々を過ごした。予備校にも通うようになり苦手だった英語も好きになれた。すると自然に学校の授業もわかるようになり成績が良くなっていった。そんな日々を1年間続けたら合格は無理だと言われていた成績が指定校を取れるまでなっていた。きっと今までの人生で一番勉強したと言ってもいいくらいだった。担任からは良く頑張ったなえお言われてとても嬉しかった。私に勇気をくれた友人にも出来ると思っていたと言ってもらい諦めないで良かったと感じた。3年生では無事指定校も取れて受験資格を得られた。試験当日は思ったよりも緊張せずに落ち着いて出来たと思う。今こうしてこのレポートを書けるのは自分の努力だけではなく、支えてくれた周囲の人のおかげでもあるのだと改めて感じ、感謝しなければならないなと思った。この気持ちを忘れずに大学でも授業に励んでいこうと思う。

 [397] 言葉の力
 子供の時から  

自分


ソリューション データ:
昔から口が悪くて、思ったことをなんでも口に出してしまう性格でした。小学生あたりで手が出るのはどうにかやめられましたが、どうしても減らず口はなかなか治りません。それでも高校ではなんとか落ち着いてきたと思っていたのですが、友人に突然「〜〜って言われるの嫌だった」と言われてハッとしました。自分では直すことのできたと思っていた口の悪さですが、まったく変われていないのかなとしばらく落ち込みました。ですがその友人のおかげで改めて反省できたのはとても良かったと思っています。まだまだ毒舌は直らないかもしれませんが、相手がどう思うか、どういう言い方なら傷つけずに話せるかを考えながら話すようになりました


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