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 [214] 叱られてわかったこと
   

バイトの上司


ソリューション データ:
私は今まで、アルバイトを真剣にやってない時があったけどある時上の人に注意されて初めてこのままじゃいけないと思った。それからバイトでも責任をもってとりくもうと思い自主的に勉強を始め自信を持って仕事をするようになれた。今では叱られて良かったと思う。

 [213] 進路指導
 高校3年生  

自分


ソリューション データ:
私の母はいまも看護師を続けている。夜勤があったり手術室から何時間もでてこれなかったりと、私が小さいころから本当に忙しそうだった。私はそんな母の姿をみて育ちいつしか自分も母のような看護師になるのが夢になっていた。大学受験が近付いてきた高校2年生の時、両親と志望大学について話あった。私は看護師になるために勉強したいから看護学部に入りたいといったとき母は猛烈に反対した。あなたの精神力では看護師やっていけないからやめなさいというのだ。私はショックで、どうして母がそんなに反対するのかが理解できずに悩んでいたのを覚えている。私のやりたいことを反対するようなことは滅多にしない母だったので、なおさらショックだった。私は母の反対を押し切って神奈川県立保健福祉大学の看護学科に進むことを決めた。高校で定期的に行われた三者面談でも、母はいつも納得がいかないというような顔をしていた。悩んだ挙句父に相談したとき、母は自分が看護師であるが故に看護師のつらい部分をたくさん知っているから、娘には同じ辛い思いをさせたくないと母が話していたということを聞いた。これを聞いて私は看護師になるのを辞めようと思うのではなく、立派な看護師になろうと決心した。母が私の心配をしないで済むようにしたいと考えたからである。私が大学に合格した時は母は一生懸命勉強しなさいとだけ私に伝えた。私は自分の決めた道なのだから、絶対に最後までやり遂げようと決心した。なにか勉強でつらいことがあった時には、母の言葉を思いだすようにしている。

 [212] 最後までやり遂げた部活動
 高校時代  

自分


ソリューション データ:
私は高校3年間筝曲部に所属していた。1年生の時、私と同じように筝曲部に入部した子は10人もいた。年に一度、9月にある県大会に向けて私たちはいつも熱心に練習に励んでいたことを覚えている。2年生になり、友達が大学受験にむけて勉強したいと言い出し、筝曲部を辞める子が出始めた。一人、また一人と辞めてしまい、始め10人いた部活動仲間が私たちが3年生になった時には部長であった私と副部長の2人になっていた。本当は最後まで一緒に部活を続けないかと何度も引き止めたかったが、高校3年生は大学受験にむけて勉強や進路指導がとても忙しくなってくる時期である。私と副部長である友達は2人で後輩をまとめていけるのか、受験勉強と両立できるのかととても不安に感じていたのをよく覚えている。また私たちの高校の筝曲部は、全国大会出場を目指していたので、9月の県大会で最優秀賞を受賞することを一番の目標としていた。懸命に練習に励む後輩のためにも、私たち3年生がしっかりしなければならないという気持ちでいつもいた。夏休みになり、本格的に受験勉強のための補習がはじまって、私たちは部活に参加するのが難しくなっていった。また大会が近づくにつれて、私と副部長との間で意見が食い違うようになり、2人しかいない3年生の間にも亀裂が生じてしまった。私は受験勉強のストレスもあってどうしたらいいかわからなくなってしまい、本気で部活を辞めようかと悩んだのを覚えている。ここで私たちを一生懸命励ましてくれたのが、筝曲部の顧問の先生だった。私たちの顧問は進路指導の先生でもあったので、私は先生に部活のことも進路のことも、本当にたくさんの相談に乗ってもらった。部活を辞めたいと打ち明けた時、先生は最後までやり遂げたほうが受験勉強はうまくいくと言っていた。私は先生の言葉を信じ、部長として最後まで続けることを決意した。そして副部長ともしっかり話し合い、2人で今日力して後輩たちを引っ張っていこうと話した。いよいよ迎えた9月の県大会では全力を尽くしたが優秀賞。最優秀賞をとることができなかったので全国大会には進めず、悔しくてみんなで涙を流した。後輩を全国大会に連れていけなかった無念さが大きかった。しかし、自分の心の中では達成感もあった。受験勉強と一生懸命両立してここまでやってきた自分をほめてあげようという気持ちになっていた。部活動を引退し、本格的に勉強一筋となったのだが、私には部長としてまとめるのがとても大変だった筝曲部を最後までやり遂げたという自信があったので本当に勉強に打ち込めた。志望大学に合格したいという一心でひたすら勉強をしたのだが、あのころの自分の集中力は凄まじかっただろうと考える。自分はやればできるという自信はあんなにも人を強くさせるのだということを身をもって体験したのである。また、何かを最後までやり遂げることは自分の自信につながるということもわかった。私は看護婦を目指していま勉強しているが、看護婦は本当に大変な職業だと感じている。しかし私には、高校時代にたくさんの努力をして大きな壁を乗り越えたという自信があるのでこれを励みにこれから起こるどんなにつらいことも乗り越えていけると信じている。

 [211] かわいそうな人
 たぶん高校生  

人の悪口や根も葉もないうわさ話が大好きな人


ソリューション データ:
私はバイトを転々としていた事もあり、いろんな職場で働いた事があります。どの職場でも大抵一人か二人、人の悪口や根も葉もないうわさ話が大好きな人がいました。私
はそういう類の人とはあまり関わらないようにとしていたため、悪口や噂話の標的になる機会が多かったです。直接本人に問いただした事もありますが、逆効果で仕事にまで
影響が出る程ひどくなりました。どうしたらいいのかと考えてもわからないし、友人に相談しても解決策は浮かばず、とりあえず放置していました。とある職場で、見かねた上司が私に声をかけてくれた事があります。話を聞けばほかの子たちも被害者で私が入る前、悪口を言われたり虐められたりしていたそうです。その時、私は悪口を言っている本人も周りで一緒に悪口を言っている人たちもかわいそうに思えてきました。悪口を言う本人は自分の生活に不満があって、一緒になって悪口を言うだけの友人関係しか作れないのだろうなと思ったし、周りの所詮ガヤ達も自分を守るのに必死なのだろうなと思いました。そんな人間関係を羨ましくも思わないし、友達にもなりたくないと思って、そこからはその人たちを気にすることもなく淡々と仕事し、大学進学のためにその職場は去りました。上司から聞いた話では私が辞めた後、私の悪口を言っていた本人は完全に孤立してしまって辞めてしまったそうです。結果、進学が解決してくれましたが今では少し、その人の話を聞いてあげればよかったなと思います。

 [210] 苦難を乗り越えること
   

ソリューション データ:
私は、今年の4月から岐阜県から神奈川に来て生活を始めました。いろんなことが不安な中で人生初めてのバイトを始めました。研修期間中は覚えることがたくさんありすぎて、本当に大変で、一度言われたことを何回も注意されたりして、自分のできなさに何度も落ち込みました。私はなんて要領が悪いんだろうと何度も思いました。でも、最初は何もできなかった自分が徐々に仕事ができるようになってくるのが実感できて、仕事が楽しくなっていきました。
一番怖かったのが、研修期間が終わってからです。研修期間は何かあっても先輩がサポートしてくれていましたが、終わったら、お客さんからしたら先輩たちと変わらない目で見られるので、本当に大変でした。私がレジ打つのが遅いせいでお客さんを待たせてしまったり、また、行列を作ってしまったり、数えきれないくらいの失敗談があります。バイトをしていて、お金を稼ぐことの大変さを日々痛感しています。バイトに行きたくないと思うことはよくあるけど、バイトを通してたくさんのことを学べていて、まだ2か月くらいしか経ってないけど、接客の仕方とか、本当に今までできなかったことが自然とできるようになって、自分でも嬉しくなります。バイトを始めた頃は、辞めたいと思っていたけど、すぐに辞めるのは自分に負けたような気がして嫌だったので、とりあえず1か月頑張ってみようと目標を決めて頑張りました。その目標を達成したら、新たな目標を設定することでいつも頑張れるようにしています。

 [207] かけもち
   

ソリューション データ:
バイトをかけもちしていた時に、Aのバイトでミスが多発していた。
お金ほしかったけれどBのバイトを辞めてAのバイトに専念した。
途端にAのバイトでのミスが減った。
かけもちしてたときは睡眠時間が大分少なかったので、睡眠時間が増えて余裕が生まれたのかな。

 [206] まとめる力
   

ソリューション データ:
私は中学生の時から調理部に所属し、高校2年生の6月からは部長となった。文化祭では主に高校2年生が中心となって進めていく。調理部としては模擬店を出すことが毎年恒例となっていて、お店のテーマから装飾、すべてを生徒たちで決めていくのだった。私たちの学年は一番人数が多いため、意見がぶつかり合うことは少なくはなかった。案の定、文化祭の話し合いの際も多くの意見が飛び交っていた。歴代の先輩方は大成功を収めていたことや、部長としてみんなをまとめなくてはならないというプレッシャーに私は押しつぶされそうだった。

ある時、顧問の先生に相談した際に、「Hさんらしくみんなをまとめればいいんだよ。」と言ってくれた。私は少し気持ちが楽になった。そして、私はなるべくみんなの意見も反映させるようにできるところは取り入れるようにした。放課後にみんなで残って準備をしたり、買い出しに行ったりしたことはいい思い出である。文化祭両日とも大盛況で成功を収めることができた。文化祭の片づけの時に部員みんなからお礼を言われたときは、この上ない達成感とやってきてよかったという思いがあった。

この経験を通して学んだことは、まとめることの大変さである。また、いざというときに相談できる先生や友達がいるという様に、周りの環境に恵まれていることを強く感じた。その時学んだまとめる力を医療従事者となったときに発揮できるようにしたいと思う。

 [204] 切り替えの重要性
 高校性の時  

ソリューション データ:
委員会での出来事である。私は高校三年生の時、環境委員会の委員長をしていた。環境委員とは校内の清掃を中心に環境整備などを行っていた。ある日先生に清掃の方法を変えたらどうだという案が出たので委員全員で会議を開くことになった。しかし、私ばかりが話す一方でほかの委員は何も言葉も発しないのである。一回目は何も意見が出ずにそのまま終わってしまった。このままではよくないと思い、先生に相談することにした。すると先生は一言「君はどう思っているの?」といってきた。その時私はみんなに意見を聞くだけで考えを提案していなかったのだと気付いた。次の会議では自分の意見を提案してみんなに賛成、反対などを聞いてみようと思った。次の会議で早速自分の考えを言うと賛成意見や付け足し、具体的にこのようなことをすればいいのではないかなど、たくさんの意見が挙げられたのである。先生の一言でこんなにも変わるのだと驚いた。また、少しの考え方の切り替えで会議が円滑に行える上、自分の考えに委員全員の考えが付け足されていくのをとてもうれしく感じた。上に立つ人の苦労と鋭い考えの凄さを同時に味わった気がした

 [203] 1人1人に合ったアドバイスを
 大学生  

自分


ソリューション データ:
私は今、かつて自分が受験期に通っていた予備校でアルバイトをしている。アドバイザーと呼ばれる役で、大学受験を控えた高校生数人の担任となり、月に2回の面談をした際に学習や受験対策の支援を行っている。私が働きだした当初、悩んでいたことがあった。それは、生徒一人一人に合ったアドバイスをすることができなかったことだ。例えば勉強スタイルについてだ。私は家では勉強に集中できない人間だったので朝から晩まで自習室に籠ることが最適なスタイルだった。だが、ある女子生徒と面談をしていると、彼女は「自分は自習室よりも家の方が集中できる」と言った。私はここで自分の価値観を無意識に相手に押し付けてしまい、「絶対家じゃ怠けちゃうから自習室に来て。」と言ってしまった。結局彼女は次の日は自習室を利用したが、その次の日からは自分の家で自習をする形に戻ってしまい、私のアドバイスは生徒のためにはならなかった。私は担任としてどうすることが生徒のためになるのかがわからなくなった。
そんなとき、大学のある講義において「医療の主体は患者であって、医療従事者は患者が最大限の力を発揮するためのサポート役にすぎない」という言葉を聞いてはっとした。私は、自分の価値観で判断して生徒を指導するのではなく、生徒が持つ価値観を理解して、その範囲内で生徒が自分自身の持つ力を十分に発揮するためのサポートをするべきだと気づくことができた。そのためにはまず生徒の価値観を理解して、その範囲内で生徒の価値観を理解することが必要であることを感じ、生徒の勉強に関する話を傾聴することや上手く質問をして多くの情報を手に入れることが大切であると理解した。アルバイトを始めてからもうすぐ四カ月が経とうとしている。まだまだ一人前のアドバイザーとは言えないが、生徒一人一人が自分の持つ力を最大限に発揮できるために、私はいい支援を提供するために傾聴力や質問力の強化をすることに奮闘中だ。

 [201] 日本語の難しさ
 日本に来たばかりの時  

ソリューション データ:
日本に来たばかりの時、日本語が下手でアルバイトが見つからなかった。アルバイトをしないと生きていけないと思って、必死に探した。2ヶ月後やっと見つけたが、店の従業員がみんな日本人で、うまくて、コミュニケーションをとれなかった。仕事で敬語とかもうまく使えなくて、そのままじゃいけないと思って、頑張って日本語を覚えて、周りの人に積極的に声をかけた。みんなとだんだん仲良くなって、仕事もすぐに慣れてきた。
困難を乗り越えるどうかは努力次第だと分かった。これで自信ができて、いつも前向きに生きていきたい。


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