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――沖縄基地問題の現状とこれからの闘い
はじめに 戦争ができる国家へ暴走する安倍内閣の動きがやまない。国会で圧倒的多数の勢力を背景に、その動きは独裁政権の様相さえ帯びている。 沖縄では、県選出の自民党国会議員団、県義団になりふり構わない圧力を行使して選挙公約であった「普天間基地の県外移設要求」を「辺野古基地建設容認」に転じさせた。同様に県政トップの仲井眞弘多県知事にも、平然と県民公約を破り捨て政府へ全面屈服する醜態を晒させた。げに権力とは恐ろしいものだ。「民主主義」とはほど遠い政治暴力の地金をむき出しにして沖縄に迫った。「基地をつくれ」「戦争の先頭に立て」と。沖縄はいま、政府の強権と向かい合っている。「安保の最前線」に位置づけられ、政府によって用意される「新しい戦争」の恐怖に慄いている。 1969年11月、訪米した佐藤首相とニクソン米大統領とで合意された「沖縄返還協定」は、「祖国復帰」運動に取り組んだ沖縄に大きな衝撃を与えた。軍政下であらゆる暴力と不条理に耐えかねていた沖縄が求めた「米軍支配」と「軍事基地からの解放」運動は、無残にも日米両政府の綿密な計算と合意によって買い取られ潰されていった。それから1972年5月の沖縄返還にいたるまで、沖縄は思想と行動の混迷を強いられた。暗雲漂い向かう先への明確な展望が抱けない時代の閉塞。今日の政治状況が二重写しになって炙られてくる。 復帰運動に内在した「祖国」幻想による「思想と運動」の限界が否応なしに明らかにされ「ウチダリ」てくる時代のなかで、新川明、川満信一、岡本恵徳氏らが「反復帰」論を唱えて登場した。沖縄とヤマトの関係を史実に沿って考証するなかから、ヤマト政府の一貫した差別的沖縄政策が結果として無謀な沖縄戦を招き、その後の米軍支配に繋がったこと。差別は天皇制という特殊な支配の装置が沖縄を丸ごと「化外の民」として「同化」を強制する過程で苛烈を極めるものとなったこと。国家によって取り込まれた沖縄がそれゆえに国家の無謀を糾弾することもできなかった「復帰」運動の限界等々に、彼らは厳しく切り込んでいった。それは永年の差別から萎縮する沖縄の魂を解き放ち、国家のなかに包摂されながらも、国家のなかから国家を撃ち続ける位置を確立しようとしたかつてない思想の営みであったように思えた。 私自身はこの衝撃的な反復帰論との出会いについて誰にも語ることはなかったが、2011年4月9日に開催された川満信一さんの新著『沖縄発 復帰運動から40年』出版を記念して開催された「4・09沖縄パネルディスカッション」に呼ばれた際に初めて人前で話した。一部を引用して思いに代えたい。 私は個人的な体験しか語れませんが。私は高校に入学したのが1968年。その年に何があったか。B52が嘉手納基地で爆発して、核の恐怖、沖縄は島ごと吹っ飛ぶのではないか、こういう思いに駆られて高校生活を過ごしました。2年のときに沖縄返還協定があり、いよいよ沖縄返還がまやかしで、足元をすくわれていく、そういうことが69年に宣言されます。そして高校3年で70年安保を迎えます。無茶苦茶な時代でした。私が無茶苦茶だったのではなくて時代が無茶苦茶だった。2年のときに学友たちと一緒に(返還協定反対で)ハンガーストライキを1週間やりました。3年のときはついに(安保反対で)学校をバリケード封鎖して、6月に除籍処分を食らってしまいました。そんななかで、沖縄はどうなるかという思いを引きずっていました。そんなときに出会ったのが川満さんたちの反復帰の思想でした。新川さんの著書名でいえば『反国家の兇区』そんな思想に出会いました。…… 68年から70年にかけての、あの時代の変わり目に、どう向き合ったか、少し話したいと思います。あれだけ期待をかけた復帰運動が日米政府によって買い取られ、69年の返還協定は、文字通り沖縄の基地の自由使用、表向きは『核抜き本土並み』とか言われたが、核もついている、核付き自由使用の返還協定であったことは間違いないだろうと思います。その結果が、現在私たちの目の前で繰り返されている基地問題です。そのようななかにあって、私たちは川満さんたちの提起をこのように思いました。沖縄の異質性、沖縄の違和感、そういうものを、ウチナーンチュであるとか琉球人であるとか、私たちの親の世代が聞けば卒倒しそうな言葉を平気でちりばめて、むしろ見つめて、そのことを大事にして国家に向かい合おう、私たちを足元から掬っていく国家を、私たちを差別し続けてきた言葉を逆に捉えてその国家に対峙していこうというお話だったと思います。非常に鮮烈な思いで聴いていた気がします。…… ウチナーンチュとか琉球人とか非国民など、言ってみれば沖縄の負の遺産を逆にひっくり返して国家に向かう思想の根幹として位置づけようとしたのだと思います。そういうことなしに私たち自身もあの時代を生きていけなかった。当時、元気をいただいた沖縄の思想の発信には、本当に心強く感じたところです。もう1冊、私が(当時)読んだ本のなかに中屋幸吉さん『名前よ立って歩け』という本がありました。琉球大学の学生さんですが、65年当時、一生懸命学生運動をして、勉強もするのですが、沖縄の現状に絶望して自ら命を絶っていく、こういう人の遺稿集です。『名前よ立って歩け』。あの当時私たちは本当に立って歩けるのか、そんな思いがありました。私たちを疎外し、差別し抑圧し続ける国家とは何か、沖縄社会を辺境扱いし、取り入れながらも内なる植民地として鞭を打ち続けるヤマトとは何か。そういうことをずっと考えていました。そのような思いが受け継がれて、いま、たくさんの若い人たちから、たくさんの発信がされていることを力強く思います。最近読んだ本では、知念ウシさん、田仲康博さん、目取真俊さん、沖縄の若い世代が力強く発信して、ウチナーを決して卑下しない、差別されても萎縮しないで堂々と沖縄を論じて、沖縄の立場を主張して沖縄の解放をうたっていく、このことも、川満さんたちの先駆的な取り組みがあればこそ、いまこのように開花しているのだと思います。 多少長い引用となってしまったが、私の「反復帰」論との出会いが伝えられたらと思う。時代はいま新たな局面で、再び奔流となって牙をむいてくる。そのなかで、鍛えられてきた沖縄の強靭な思想を糧として立ち向かう気概をもたなくてはならない。同時に、積み重ねられてきた沖縄の自立・解放に向けた「知の営為」に新たに継ぎ足していく努力を惜しんではならない。そうは言っても、私には今回の「『琉球共和社会憲法私案』をいま考える」企画に正面から論及する能力がない。そのために、運動の現場にいるものとして、沖縄の基地問題を中心に、今日なお国家権力と対峙し続け葛藤する沖縄の現状を伝え、抱える課題を考えるなかから論議に参加できたらと思う。 1 暴走する安倍内閣 戦争国家へひた走る安倍内閣の猛威が全国でそして沖縄で吹き荒れている。「安保最前線」に位置づけられた沖縄では、尖閣問題をめぐる日中間の緊張の高まりとともに「戦争の脅威」が現実のものとして迫ってくる。戦場にさせるわけにはいかない。 2012年12月にスタートした第2次安倍内閣は、憲法「改正」とりわけ96条の先行「改正」を強く打ち出した。狙いは自民党憲法改正草案にあるように憲法を全面的に書き換え、かつての天皇制軍国主義社会を復活させることにある。憲法改正のハードルを通常の法案並みに引き下げて、そのうえで「国民主権」「平和主義」「人権尊重」を大原則とする憲法体系を全面解体する凶悪な陰謀を秘めている。2013年7月の参議院議員選挙で憲法「改正」発議に必要な3分の2以上の議席を獲得することができなくなると、急遽、これまで歴代の内閣が一貫して違憲としてきた集団的自衛権行使容認検討へと舵を切った。交戦権の否定と武力の保持を禁止する憲法9条の明確な規定の下で、どうすれば「解釈」によって「同盟国」と称する外国軍隊と一体となった戦争行動ができるのか。そのようなことが可能となるなら、そもそもなにゆえに憲法「改正」が必要なのか。それ以上にどのような憲法規定も意味をなさなくなる極めつけの発想、暴論と言わねばならない。国民の圧倒的多数が「解釈」改憲によって「戦争国家」へ突入することに反対していることが各種の世論調査で明らかになったいまでも、安倍内閣はその動きを止めようとしない。さらに警戒すべきことに、2013年末の特別国会で強行採決された特定秘密保護法がある。国民の知る権利・報道の自由を奪い、それどころか国会での自由な討議や質疑さえもが罪に問われるという恐るべき国家秘密法。年明けからの通常国会には、この特定秘密保護法にさらにひとまわり輪をかけるような国家秘密取締り法「共謀罪」がみたび提案される予定という。軍事国家「再生」に向けた正面からの動きを強めるだけでなく、あわせて政府反対勢力を取り締まる治安立法の整備も抜かりはない。恐るべき事態だ。 安倍内閣は一方で、靖国参拝を強行し、「河野談話」「村山談話」見直しを進め、「戦後レジーム」を清算しようと躍起だ。この流れはアジア周辺国家とりわけ韓国・朝鮮、中国から激しい反発を受け、正常な外交関係が途絶える異常事態に立ち至っている。振り返れば、第1次安倍内閣によって戦後民主主義教育の理想を掲げた教育基本法は全面的に書き換えられ、教育の中心に「公共の精神」や「郷土愛・愛国心」が据えられた。日の丸・君が代が「国旗」「国歌」として法制化された。高校歴史教科書から沖縄戦における「集団自決(集団強制死)」への日本軍の関与を削除させたのも安倍内閣であった。歴史の真実に謙虚に向かい合う歴史認識を「自虐史観」と激しく攻撃し、今日、在日の韓国朝鮮系の人々に「ヘイトスピーチ」で襲いかかる右翼排外主義行動の先鞭を着けたのも安倍内閣であった。安倍首相の姿勢は一貫している。このすさまじい「右翼軍国主義者」が再び内閣を組閣した。しかも今回は国会で圧倒的多数の与党を背景としての再登場だ。私たちは、いま、かつて遭遇したことのない反動的で凶悪な内閣と向かいあっている。心しなければならない。 マスコミが伝える日々のニュースに明るい話題は皆無だ。安倍内閣がやっていることといえば軍拡と戦争準備の法整備、かたや原発の再稼動と新自由主義経済政策による弱肉強食、貧富格差社会のいっそうの推進だ。「状況はコントロールされ汚染水はブロックされている」というIOC総会での福島原発事故に関する発言は、安倍首相がほとんど国民の命と暮らしになんの関心も寄せていないことを明らかにした。看過できない犯罪的発言といわねばならない。目に余る右翼タカ派政治の強行と、遅々として進まない原発事故対応への批判をかわすために、「アベノミクス」を鳴り物入りで喧伝しているが、一般の国民にとってはなんの恩恵もない。実体のないマネーゲーム。GDPの2倍強にも達する国債発行。しかも市中銀行から引き上げて日銀引き受けをさせ、市中に資金が溢れれば経済が活性化すると見込む危うさ。常軌を逸した博打ち経済だ。一部輪出企業が潤い株価が上がれば景気が持ち直したと自画自讃する。大企業は利益を上げても雇用や雇用条件の改善に回さずに内部留保金として溜め込んでいることは広く知られた事実だ。労働法制の規制緩和は歯止めがなく、いまや働く人の4割は非正規で明日をも知れない生活を余儀なくされている。雇用不安と低賃金そして消費税増税に端を発する諸物価の値上げで生活はいっそう厳しいものになっている。TPPへの参加は農林水産業を中心とした地域社会を破壊し、さらには、国民医療を支えてきた国民皆保険制度や年金制度を国際金融資本に売り払うなど、まさに国民経済、社会システムの解体に道を開くものだ。綱渡り的国家運営と言わねばならない。このままでは、先は見えている。金融恐慌となり経済は破綻する。 安倍首相に残されている道は、それだから、「中国の脅威」を振りかざし「韓国の非道」を煽って「外敵」を作り、一種の恐怖政治で政権の求心力を図る以外になくなっている。安倍首相が本来もっている「右翼軍国主義」的傾向と国内政治の閉塞感が、いよいよ危険な政治状況をつくっている。典型的なファッシズムの政治手法だ。麻生副総理の「ナチスに見習う」発言はまさに政権の本質を示している。 2 強まる沖縄への圧力 戦争につき進む安部内閣の動きは、沖縄では、「島嶼防衛」となって辺野古新基地建設や高江へリパッド建設、また国境の島・与那国での自衛隊基地建設問題となって顕在化している。さらに石垣島での自衛隊基地建設や宮古・下地島のパイロット訓練飛行場の軍事利用の問題が常に画策されている。尖閣諸島の「国有化」によって惹起された尖閣海域での日中間の軍事緊張を逆手にとって「防衛力の整備」を暄伝し、これまでなかったことだが、在野の右翼勢力を使って、米軍基地ゲート前でのオスプレイ配備反対行動や新基地建設反対行動に介入し始めている。かつてなかった事態だ。 (1)普天間基地の辺野古移設問題 沖縄は、迫り来る欠陥機オスプレイの普天間基地配備に反対し、「オール沖縄」で日米両政府に抗した。その力は2012年9月9日に開催された「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」に10万人余が参集する大集会となって示された。県選出すべての国会議員、県議会全議員団、県内41全首長、41全市町村議会議員が一同に会し、オスプレイの配備と普天間基地の県内移設に反対して団結した。米軍支配下の厳しい時代のなかでも、保守革新が基地問題でこのような形で結束したことは皆無であった。その団結する沖縄に安倍内閣は恐怖し、ありったけの権力を行使してぶち壊しにかかった。2013年暮れ、赤裸々な権力の暴力が沖縄を襲った。 安倍内閣は普天間基地の辺野古移設を実現するために、「県外移設」を要求し続ける自民党県選出国会議員ならびに県議団を中心とする自民党県連に圧力をかけ県内移設容認に転じさせた。11月25日、普天間基地の県外移設という選挙公約を掲げて信を問うた国会議員たちが、石破自民党幹事長を先頭とする中央権力者たちに屈服させられ、「政府方針承認」に転じる共同記者会見場に引き出された。顔面蒼白となってうな垂れる様は怒りを超えて哀れすら感じさせ、沖縄が立たされ続ける苛酷な位置を再認識させるものとなった。そして、ついに12月27日、仲井眞弘多県知事の「驚くべき評価」発言が飛び出した県民裏切りの転向表明に繋がった。仲井眞知事の発言は際立っていた。政府に対する評価のくだりは、知事が初めから政府方針に従う腹でいてそれを隠し、県民を騙し続けていただけのことであったことを明らかにした。連日県庁、県議会周辺に駆けつけた県民は悔しさに空を仰いだ。安倍内閣はさらに県民に付け加えた。辺野古移設工事に際して、海上での「妨害行動」に躊躇することなく刑事特別法を発動し、陸上での「違法行為」に対しても厳しく対処すること、また事前の行動に対する対策も検討していくことを国会答弁の形を借りて表明した。まだ工事が着工もされないうちから最大級の刑事弾圧の予告。まさに沖縄全県民に対する恫喝という他はない。民主主義の建前さえかなぐり捨てた権力のなりふり構わぬあからさまな暴力と欺瞞。沖縄は怒った「ウセ−ランキヨー!」 その後、年が明け1月19日に投開票を迎えた名護市長選挙。「陸にも海にも新しい基地は造らせません」「名護市のことは名護市民が決める」と訴えた現職の稲嶺進候補が4000票以上の差をつけて圧勝、再選した。市民は「500億の振興基金を創設する」という自民党石破幹事長のあからさまな選挙誘導を撥ね退けた。名護といわず沖縄じゅうが感涙した。「民意は生きている」「県民は屈しない」と決意を新たにした。稲嶺市長は「あらゆる市長権限を使って新基地建設を阻止する」と力強く宣言した。今度は、政府から想像を絶する弾圧、妨害、嫌がらせに直面するであろう稲嶺市長を市民、県民が全力で支えるときだ。辺野古の海を埋めたてて新しい一大戦略基地建設に乗り出してくる日本政府に、戦争のない平和な未来をかけて数百数千の規模で座り込もう。2004年からすでに丸10年にわたって辺野古の護岸に座り込んでいる市民と共に。政府の暴力に対抗するには県民の団結以外にないことを私たちは多くの闘いから学んでいる。あらためて勇気をもってそのことを実行していく。 (2)東村高江ヘリパッド基地建設問題 沖縄本島北部、国頭村と東村にまたがる8000ヘクタールに及ぶ広大な米海兵隊北部訓練場。沖縄本島唯一の手付かずの自然が残り、ヤンバルクイナやノグチゲラなど稀少な鳥類、動植物が生息する世界自然遺産にも推薦される貴重な森だ。その北部訓練場の国頭村側に位置する4000ヘクタール以上のエリアが、1996年のSACO合意で返還されることになった。しかし、米軍はとてつもない条件を付けた。返還予定地内にあるヘリパッド(ヘリ着陸帯)7ヶ所のうち6ヶ所について、残余の東村側の訓練場に移転するという。すでに東村側には16ヶ所のヘリパッドがあり、しかも新設されようとする6ヶ所のヘリパッドは人口150人余の高江集落を完全に取り囲むように設計計画されている。これまでも連日のように集落の上空を低空飛行で、普天間基地に配備されたオスプレイや2004年に沖縄国際大学に墜落炎上事故を起こしたCH53型・大型ヘリコプター同型機が飛び交っている。住民は、新たに持ち上がったヘリパッド建設に反対して立ち上がった。 2007年7月にN1地区、N4地区と称される箇所のヘリパッド建設工事が着工されて以来、テントを張り出し昼夜を分かたぬ監視行動で新基地建設反対を訴えている。反対行動は東村側に残される広大な演習場の撤去まで含めて主張しているのではなく、単に新しく建設される6ヶ所の工事を止めて欲しいといっているにすぎない。2014年3月までに完成したとされるN4地区2個のヘリパッドと合わせれば、この貴重な森に18ヶ所のヘリパッドが存在していることになる。どう考えれば、これ以上のヘリパッドが必要になるのだ。計画どおり建設されたら村の生活はどうなるのだ。爆音と高熱を噴射して離着陸を繰り返すオスプレイが、自由気ままに飛び交うようになれば森やそこに棲む動植物は守られるのか。この小さな島で何千年に及んで育まれてきた命の営みが消滅させられるのか。 そのような切なる思いで反対行動を取り組んできた住民16名を、沖縄防衛局はあろうことか通行妨害禁止仮処分申請で訴え、その後、本訴訟に切り替えた。訴えられた住民のなかには7歳の児童も含まれていた。明らかに住民弾圧を目的とする不当な裁判(スラップ裁判)である。工事が開始された翌年2008年のことだ。しかし住民は国の不当な弾圧に抗して闘い続けている。 いよいよ、2014年7月から残された4ヶ所のヘリパッドの建設予定地になっているN1地区等に舞台を移して激しい攻防戦が繰り広げられることになる。残念ながら、オスプレイの普天間基地配備に反対し、辺野古新基地建設に一丸となって反対する県民世論も、この高江ヘリパッド建設にはなぜか大きな声を上げない。人口が少ないから影響が少ないと思っているのか。そうであれば、「普天間基地よりは辺野古の方が影響は小さい」という政府や県政の言い草と何が違うのか。人の命は平等だ。歴史を通じて常に中央から犠牲を強いられ続けてきた県民が持ち出す論理ではないはずだ。ぜひ、各市町村議会や県議会が7月から着工される予定の工事に反対決議を上げて欲しい。そして多くの県民が共に立ち上がって建設現場に通じるゲート前に座り込んで欲しいと願わずにはいられない。 (3)島嶼防衛と先島 島嶼防衛の最前線に位置づけられた先島地域では、各島々への自衛隊の配備、駐屯地建設が相次いで検討され、与那国島では計画が具体化し、2014年中にも実行に移されようとしている。当然のように持ち上がる、基地建設賛成・反対の論議が小さな島を引き裂く。それだけでなく石垣島における自衛隊駐屯基地建設計画が明らかにされた(2014年2月23、24日。「琉球新報」、「沖縄タイムス」)。さらには、JALやANAが最終的に撤退を表明した宮古・下地島にあるパイロット訓練場に防災対策・防災訓練を理由として航空自衛隊が進出する動きが報じられている(2014年3月14日。「琉球新報」、「沖縄タイムス」)。沖縄本島における辺野古、高江の新基地建設だけでなくて、宮古、八重山、与那国を含めて、それこそ沖縄じゅうの島々が軍事基地化されようとしている。再び「戦争がやってくる」恐怖を感じないわけにはいかない。 尖閣諸島問題がここまで緊張した原因が日本側の「国有化」にあることを思えば、安倍内閣が緊張緩和に向けて動き出すことは望めない。安倍内閣にとって軍事緊張はむしろ望むところで軍備増強の格好の論拠となっている。そして本物の有事が勃発し戦火が開かれたときに備えて日米が一体となって軍事行動を展開するために、集団的自衛権の行使に踏み出そうと画策するのだろう。すでに日米安保条約が締結され、米国が尖閣問題を安保条約第5条の「共同対処行動」の適用範囲だと表明しているなかで、あえて米国との集団的自衛権行使に踏み出す狙いが不明だが、しかし安倍内閣にしてみれば、単に日本の領域内で日米の軍事共同行動ができるだけでなく、「地球上の裏側」まで米軍の支援を行なうことを約束することで、中国と武力衝突が勃発した際に米国の支援をより確実なものとして引き出す狙いが込められているものと思われる。しかしそれは他方で、@「尖閣の領有権問題には関与しない」とする米側に対していまひとつ信頼が置けないでいること、A米国抜きで「単独で中国と向き合うことはできない」ことの立場を自ら表明するようなものだ。そうであればなおさらに、米国の世論が尖閣をめぐる日中の緊張を諫め、冷静になることを呼びかけていることに耳を傾けるべきだ。「米国が無人島の岩礁のために米中の武力衝突へ踏み出すことはない」とニューヨークタイムスが指摘し、ワシントンポストは「日中両国は当面この問題を棚上げすべきだ」と主張している。また米国の多くの政治家や学者たちが同様のことを指摘している。 しかし、安倍内閣の戦争国家に向けた執念は半端ではない。文科省の竹富町・中学校社会科教科書採択問題に関して強硬な介入を繰り返し、ついには教科書無償措置法改正案を3月27日に衆議院で通過させた。下村文科大臣は異常な執念で竹富町の中学校教科書問題に介入し、教科書無償化法で指定された地域協議会の協議結果を盾に育鵬社版教科書の採択を求め続けている。しかし「沖縄戦の記述もなく」「沖縄の基地問題も扱わない」「選考委員会で推薦のなかった」教科書を採用するわけにはいかないという竹富町教育委員会の主張は正論である。それを強引に選考委員の誰もが推薦しなかった教科書を採択せよという主張こそ「政治的」であると言わねばならない。しかも、自治体における行政上の最終的な判断は当該自治体にあることは地方自治法上当然のことであり、地方教育行政法は教科書の採択権が当該地方自治体にあることを明示している。文科省、下村大臣が法体系の瑕疵を認めつつ金科玉条の如く地域協議会の結論をもって竹富町に「異例の指導勧告」を繰り返すことこそ違法である。 安倍内閣は、尖閣有事が発生すれば真っ先に戦場となるだろう先島地域に、自衛隊を大きくPRする教科書を持ち込んで子供たちの、そして地域住民の「意識改革」を図りたい、そう決意している。だから、政権誕生以来、執拗に竹富町教育委員会に「指導」という名の介入・恫喝を続けている。石垣市教育委員会の玉津教育長を最大の味方につけ、保守町政・与那国町教育委員会を抱き込んで、竹富町教育委員会を陥れようと必死だ。そのことから見えてくるのは尖閣周辺の緊張がただならぬものであり、安倍内閣が本物の有事勃発を想定しているのではないかという恐怖だ。 狂気となって見境なく戦争へと突進する安倍内閣によって、沖縄は再び戦場とされるのか。あれだけの犠牲を払いながら、「軍隊をもたず」「戦争をしない」という憲法下で、再び政府の無謀な行為でまた生贄に差し出されるというのか。断じて許すわけにはいかない。 3 沖縄の闘い 政府は、沖縄の自民党の指導者たちを転覆させたことに満足しているだろう。「これで、沖縄に新しい戦略基地を造ることが可能になる。日本本土が枕を高くして眠れる」と。安倍首相以下政府閣僚の高笑いが聞こえてきそうだ。しかし政府は沖縄を甘く見過ぎていないか。県政転覆劇の裏側でどれだけ激しい日本政府に対する怒りがたぎっているか。あるいは、これまで政府の「沖縄振興策」なる財政援助に沈黙を余儀なくされてきた多くの県民が「このままではいかん」と静かに決意を固めたか。沖縄はかつての沖縄ではない。中央政府に唯々諾々と従っているだけの無力な存在ではない。二度も日本政府の踏み台にされるほどヤワではない。沖縄は平和を求め戦争を求めない。しかし沖縄を再び食い物とする陰謀には断固として闘うだろう。「沖縄は決して屈しない」。 (1)11月県知事選挙への取り組み 今年、2014年11月には県知事選挙が実施される。まさに天下分け目の戦いとなる。政府は、自民党県連・県知事サイドを方針転換させるのに、あれだけの力を行使した。そうであれば今度はその「成果を守る」ために遮二無二になってくる。常識では計り知れない力が働くはずだ。簡単な選挙ではないことをあらかじめ肝に銘じたい。そして同時に、この選挙の結果如何で沖縄の未来が決められることになると決意を固め合いたい。本当に中国との戦争も辞さないとする狂気の内閣。沖縄を再び戦場に差し出すことをにべもなくやってしまうであろう権力と県民の命と暮らしをかけた闘いだ。 その意味で、今回の選挙はこれまでの県知事選挙で幾度となく闘われてきた保・革の争いの構図ではなく、政府を相手とする「オール沖縄」の闘いでなくてはならない。1995年の米兵による凶悪事件に県民が総決起で抗議の声を上げて以来、高校歴史教科書改ざん問題で、そして今回のオスプレイ配備、普天間基地の辺野古移設問題で保革を超えて団結したように、まさにいま、沖縄の未来に「戦争か平和か」が問われる歴史的な局面で県民が団結しないわけにはいかない。かつて知事選挙をそのような位置づけで取り組んできたことはない。しかも現実の問題、「保革を超える」候補者選考など容易でないことは十分に予想できる。しかし年末に振り下ろされた政府中央の、不条理で凄まじい沖縄に対する圧力の行使を振り返るとき、もはや県知事選挙の選択基準に「保革」の要素がほとんど意味をなさないものであることは明らかだ。いま、問われているのは、政府から丸ごと差別され再び戦争の劫火に抛られようとする沖縄の現在の局面で、権力の横暴を丸ごと怒りに変えて団結する力、その力でつくり出す県民の代表としての県知事であり県知事選挙ではないか。できるはずだ。ぜひ、県知事選挙選考の理念を広範な政党、諸団体、市民が結集して議論し煮詰めかつ公表し、そのうえで候補者を決定していく人選であって欲しいと切に願う。政府によって壊された「オール沖縄」の団結の力を再構築するまたとない機会とするべきだ。 名護市長選で稲嶺進氏を選考した過程はまさにそのことであった。名護の未来のために求められる「最大公約」に結集し、そしてぶれずに愚直に力強く訴えた稲嶺氏に勝利がもたらされたのではないか。私たちはその勝利をつい先日手にしたばかりだ。今度は県知事選挙で果たそう。 (2)政党の再編を 県知事選挙を、「植民地」扱いされる沖縄が政府の不条理な権力の行使に一丸となって闘うことが可能であれば、私たちはそこから先にさらに大きな展望をもつことができる。そのためにはまずなにより、四分五裂し存在感を弱める本土の政治状況のコピーあるいは地方版としてある県内政治状況を改める必要がある。大同団結する県民の力をより形あるものにするために、政党もそれにふさわしい統一と団結を図らなければならない。かねて言及されるように社民党、社大党は個別に存在する必要があるのだろうか。社民党が中央レベルでもすでに「ローカル」政党化した今日、むしろ沖縄に根を張る大衆政党として両党が統一を検討すべき時期にきていないか。率直にそう思う。そのうえで、県議会の無所属議員会派「県民ネット」の広範な政治ネットワークや民主党県連、生活の党等々に合流を呼びかけよう。自民党の改憲草案第98条は、「国家緊急権」の規定を明記している。「武力攻撃」「内乱」などの「緊急事態」に対応するため、「憲法秩序を一時停止して非常措置を取る権限とされ、政府に権力を集中させて人権を一部制限できるようになる」(毎日新聞)政府に対する全権委譲規定だ。まさに究極の国家独裁体制ができあがる。沖縄周辺の軍事緊張の高まりを思えば遠い話ではない。悠長な時間はない。国家の暴走によって戦争の悲劇を強制された歴史を振り返るときに、政治の歯車が狂い出したらどのような事態が待ち受けているか沖縄は身をもって経験した。国家を暴走させてはならない。県民の命と暮らしを守るためにできるだけ広範囲な結束を図り、政府に対抗しうる政治力を保持していなくてはならない。沖縄版政界再編を進めよう。 他方で労働組合も本土系列の弊害を正し、「沖縄」の立場にこだわり、「縦の連携」から「横の連携」へ比重を移す組織再編が求められる。労働組合が所属企業や業界の権益に左右されず働く者の社会的正義に立脚する組織に生まれ変わり、そのうえで前記のように限りなく統合を進め「沖縄党」として再生していく政党と連携が図られれば、きわめて強力な社会的力を発揮していくことができる。さらにそのことが可能となり動きを強めていけば、その他の平和団体、民主団体、市民団体にも必ず繋がっていく。できるはずだ。 しかし沖縄の団結を強調しすぎると誤解も受けそうだ、特に本土側には。しかしこの展望は日本本土の人々と袂を分かち孤立するというのではない。沖縄が総体となって日本政府に対峙していくということと、「日本人」全体と向き合うというのとでは意味はまったく違う。私たちはなにより相互理解と連帯を強く求める。理解を求めたいのは、沖縄の置かれている政治状況そのものである。政府は本音のところで沖縄をどこにもある一地方とみなしていない。その気もない。論述してきたように政府にとって沖縄はいまなお「国内植民地」である。そうであるから常軌を逸した扱いが可能となる。そして表向きは「平等に扱われる地方」として、沖縄が全国のなかで「均質化」され、その主張は「一地方」の声にとどめられる。沖縄が殺され続けた政治のシステムだ。私たちはそのことを明らかにし、主張しているにすぎない。そのことに対する理解があってはじめて「相互理解」が生まれ、本物の「連帯」が生まれる。かつて大田昌秀元県知事が「安保が大事というならその負担も公平であってほしい」旨の発言を行なった。以後、沖縄はそのことを一貫して訴えている。今日、普天間基地の「県外移設」という要求に反映されている思想だ。それに対して「米軍基地は沖縄にも要らなければ全国のどこにも要らない」、それゆえに「県外移設の要求はおかしい」という「もっともな主張」が踏み誤っているのは、政府の統治の論理に絡められている点だ。「沖縄の主張はよく理解できる。結構だ。それで我が方に回って来たらその時あらためて、沖縄に要らないものはどこにも要らないと声を上げよう」という理解と主張であってほしいと願う。沖縄は団結する。47分の1に矮小化され、丸ごとの犠牲を押しつけられようとすることに総決起で抗議し抵抗していく。政府が、沖縄を再び「祖国防衛」の盾に差し出す動きを強めるなかで沖縄が取りうる唯一最大の手法は、県民が団結する以外にない。それは全国にも理解されるはずだ。いやむしろ、「沖縄の本気」が全国へ勇気と希望を与える動きとなる。日本全体の闘いの指針ともなりうるはずだ。同時に私たちは、全国にもそのことを強く訴えていきたい。「個々バラバラでは闘えない」「闘う体制を構築しよう」「戦争とファッシズムに反対する国民連帯」を築き上げようと。危機のときは迫っている。既成の観念から解き放たれて大胆に打って出るべき時期に立たされている思いを強くする。後退は許されない、前へ進もう。 4 むすびに この稚拙な小論は、未來社の「『琉球共和社会憲法私案』を考える」出版企画の要請によって思案された。もとより私は物書きでも「思索」を業とする者でもない。要請の趣旨に応えることは叶わぬことであったことから標題のタイトルとした。ありきたりのアジテーションビラの論調になってしまったことをお詫びするしかない。それでも、沖縄の偉才として畏れられる川満信一氏の業績を振り返り、いまに生きる思索の営為を共にしようとする企画の一員に加えていただいたことは身に余る光栄であり、それゆえに恥を忍んで企画の一隅に置かしていただくこととした。 1969年秋、佐藤・ニクソン会談で三年以内の沖縄返還が合意された。中身は悲惨を極めた。沖縄の闘い、すなわち「祖国復帰運動」後に「本土復帰闘争」と呼ばれた闘いが、日米の陰謀によって刈り取られたからだ。沖縄の施政権返還は、日米の共同支配に変わったにすぎず、それから数年、沖縄は無念と焦燥のなかで歴史の転換期を生きた。佐藤・ニクソン会談で合意された沖縄返還協定の中身は県民の期待をことごとく裏切るものであった。沖縄側の怒りと裏切られた衝撃は大きかった。返還合意の中身以上に、「祖国」と幻想した日本政府が、今度は米国と共同して沖縄を管理支配することが明確になった。米国の不当な沖縄占領の継続は日米安保条約によって合法化され、米軍の存在は日米地位協定によって治外法権的特権を与えられて沖縄に君臨することを保障された。何のための「復帰」だったのか。「復帰運動」とは何だったのか。身を切るような問いかけが発せられ続けた。 そのとき、私たちは、「沖縄タイムス」や「新沖縄文学」誌上で、この問いかけに真正面から切り込んでくる思索、あたかも鮮血を吐き出しながらそれでも抗うかのように言葉を継いでくる狂気のような論説に遭遇した。言うところの「反復帰」論であった。川満信一、新川明、岡本恵徳。のちに「魔のトライアングル」と称された論者たちの、濁流に鎖を刺し時代を割く「狂気の」「血の叫び」であった。祖国幻想を囲った復帰運動に内在する思想と運動の限界。復帰運動のなかで触れられることがなかったヤマトと沖縄の関係。とりわけ天皇制下における差別と沖縄戦決行の実相等々。沖縄が置かれた苦境は、単に不当な米軍支配にあったのではなく沖縄を飽くなき手段・持ち駒として弄んだ国家の巨悪が働いていることを学んだ。いま思えば当然のことだ。しかし復帰運動で培われた思想体験はそのことを埒外に置いていた。反復帰論の最大の論点は、「国家」を問い、そして「ヤマトと沖縄」の関係をそれまでのタブーを取り払って厳密な論考の俎上に乗せたことだろう。その視点は、その後の沖縄研究に大きな影響を与え、今日の歴史研究あるいは沖縄を理解するときの基層となって生かされてきた。 同時に、反復帰論が提起した二つ目の課題。差別され続ける沖縄が、国家のなかにあって常に「少数者」あるいは「異者」として扱われる位相を、逃げることなく丸ごと受け止めて、それをむしろ国家に対置し自らの存在を主張する思想に変えていく強靭な自己確立の視点として提起されたことであろう。復帰から42年。論考が指摘するように巨大な国家に取り込まれた沖縄は、少数者としての差別と悲哀を余儀なくされている。そしていまなお苛酷な位置に立たされ続けている。しかし私たちは学んだ。そもそも少数者が悪いという理屈や差別される謂れはない。あるのはそのことを強制する強者の論理すなわち国家の論理だ。私たちは覚醒してそのことに立ち向かう。国家のなかにあって少数者としての位置と異質な存在としての位置を自覚的な武器に変えて、国家を内側から撃つエネルギーに変えていかなくてはならないと。それが反復帰論の最大の教えであったと思う。 今回、その位置からさらに一歩進めて、沖縄や沖縄を取り巻くアジアとのかかわりで未来を構想しようとする川満信一氏の作業が、混沌として同時に緊張をはらむ状況のなかで、あらためて読み直される機会が設けられることはまさに時宜を得た企画であると確信する。「琉球共和社会憲法C私案」第1条は「人類発生史以来の権力集中機構による一切の悪行の根拠を止揚し、ここに国家を廃絶することを高らかに宣言する」と謳い上げ、第2条では「軍隊、警察、固定的な国家的管理機構、官僚体制、司法機関など権力を集中する組織体制は撤廃し、これをつくらない」と続く。さらに不戦条項として第13条を掲げ「武力その他の手段をもって侵略行為がなされた場合でも、武力をもって対抗し、解決を図ってはならない」と規定した。あたかも、1981年の時点で再びモンスターとなって猛威を振るう今日の国家権力・安倍内閣の姿を見据え、その権力の源泉を絶ち戦争への道を拒否するかのように絶対平和の理念が綴られている。「武力抗争とは武力で対抗しようとするかぎり終わりなき抗争にほかならないことが好戦主義者には見えていないだけなのである。沖縄が軍事的要衝であるよりも東アジアにおける絶対平和の要石になるための社会構想がここでは切実に問われているのである」(西谷能英未來社代表取締役)。時代はまさにそのことを問うている。川満信一氏の叫びは一条の光明となって時代を照らすだろう。 |
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(『琉球共和社会憲法の潜勢力――群島・アジア・越境の思想』未来社20140620) |
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