[116] 居場所のないことの辛さ
中学2年
同じ学校の生徒
ソリューション データ: 今までの人生で一番苦しかったなと思うのは、中学2年の時にどこにも居場所がなかったことです。 吹奏楽部を1年の後半から途中入部して、先輩は怖いし、(先輩が後輩をいじめすぎて盲腸になったり、部活を辞めたいと泣く子がいた) 同学年は同学年で顧問の先生に気に入られるために 他人を 蹴り落とす! って精神の奴らばっかりで 毎日 びくびく でした。 クラスでも、いじめっ子グループに目をつけられて 悪口三昧だし、親はまともに話を聞いてくれないし、 あの頃、よく生きてたなぁ。と感心します。 今でもまだ、自分の中で消化しきれてなくて 思い出し泣きしたりします。 自分を支えてくれる友達も先生も家族もいなくて 私を支えるのは私だけって状態でした。 相当危なかったと思います。 不登校になる。という選択肢もあったのですが、 これで学校を休んだら 二度と戻ってこれないだろうって思ったので、学校には絶対行ってました。
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[115] 極端な思考
自分
ソリューション データ: 私は中学三年生のころにネットの影響でいわゆる「右翼」になりかけていた時期があった。 某政治家の裏金問題や、中国や韓国をとにかく批判せずにはいられない人間になっていた。しかしある日、母に「あんた、将来本当に右翼になっちゃうよ。なったらやめようにも右翼仲間が脅してきて抜けられなくなって、取り返しのつかないことになるよ」と言われハッとした。自分の将来が不安になり、痛々しい行動をしていたこれまでの自分がとても恥ずかしくなり、極端な思考をやめることができた。 今でもK-POPのゴリ押しとかは嫌いだが、反射的に批判することはもうないし、そういった問題には客観的にみることができるようになれた。 もし、私と同じことをしている人がいるなら、一度冷静に考えてみるべきだ。
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[113] 休養は大切に
ソリューション データ: 私は推薦で大学に合格し、4月に入学した。 最初は頑張って片道二時間半の通学にも耐えていたが、だんだんと苦痛になってきた。加えて授業も期待外れのものがあり、友達もあまり増えなかった。 5月のゴールデンウィークを機に大学まで一時間ほどの土地に引っ越したが、授業めん、友人面では落ち込み気味。 高校時代、どこに行っても大丈夫!と思っていた自信はどこへやら。 高校時代の自分と今の自分を比べて、どうしようもない気持ちになることが多かった。 そんなこんなで、6月の終わりから4月の初めにかけて体調不良に襲われた。 何も食べていないのに嘔吐し、病院に行って出された診断は「ストレス性胃炎」でした。 天敵と3種類の薬を一週間分もらい帰宅。 その日から一週間大学を休み休養した。 そのおかげで体調のほうは徐々に良くなり、寝て、起きて、ご飯食べて、ゲームして、寝て、食べて…完全にグウタラした生活を送っていた。 すると、だんだんと大学にも行きたくなってきて、次第に行けるようになった。 また休んでいた期間のノートを友達が取っていてくれて、友達のありがたさを強く感じた。 今も多くの大学が面倒に感じるが、自分のやりたい勉強も見つかり、新しくバイトも始めなんだかんだ元気に過ごしている。 今思えば、しっかりと病名をもらい、休養兼サボりをしたのが心にも体にも良い影響があったのだと思う。
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[112] 上司はありがたい
ソリューション データ: 健康診断でDr.を激怒させてしまいました。原因は本当に刺さないことだったのですが・・・上司に問題関係に向け精神的にもサポートしてもらいました。ただ冷静になれば自分の配慮も足りなかったのかなと反省。
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[111] 私にできること
ソリューション データ: 私は小学四年生から現在まで、バスケットボールをしてきた。中学時代でベスト16程度だったが、高校で地元の全国区の強豪校に一般入試で越境進学した。そこで3年間かけてレギュラーを目指そうと意気込んで入学したが、さすが全国区、自分より上手な選手はたくさんいた。その中でも少しずつ、監督やチームメイトから信頼してもらえるようになったと感じてきた二年目、新入生が入ってきた。 すると、新一年生のプレイを見る前の時点から私はチーム構想から外れた。 その時点では体力面やフィジカル、戦略理解など、高校生になったばかりの新一年生よりはるかに優れていた自信はあったが、同時に同じ期間に練習したときに、県内から推薦入学してきた新一年生が勝ることも明らかだった。加えて、全国制覇を目指すと考えたときに全国区で外国人留学生たちと戦える潜在能力を秘めているのは新一年生たちであった。それを自覚したとき、これまでとこれからの努力に対して意欲を感じられなくなってしまった。 それから学校へ通う意欲すら薄れて苦しい時期があった。学校や練習に復帰して、チームが全国大会に出場を決めた時も嬉しかった半面、どこか喜びきれない自分がいた。そんな時、救いの手を差し伸べてくれたのが新しく監督に就任したH先生であった。 先生は越境入学の推薦入学生のために自信が開設する下宿に私を招いた。推薦入学と比べて体格的に劣るのが明らかだったため、食生活や日常生活について下宿生活ながら気を配ってきたことを評価し、後輩たちを指導するようにとの理由であった。加えて、病欠で参加が難しかったマネージャーの代わりに、全国大会でベンチに入ってほしいと私に言った。 これも能力で劣ることを自覚していたから。バスケットボールについて学び、監督たちと戦術について話していたことから、私が適任であるという理由であった。 このときに、それまでも自分の努力が無駄ではなかったこと、また選手として試合に出ること以外にも自分にしかできない貢献の仕方があると気付き、また新しいモチベーションを得た。またチームの勝利にも心から喜ぶことができた。 チームメイトもまた、私がマネージャー代行として遠征に帯同することを喜んでくれた。こうして私は、一度ぶつかった壁を目線個買えることで乗り越えることができた。
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[110] 震災から生まれてた多くの感動秘話
ソリューション データ: 私自身の話ですが、 3月11日の地震発生以降、 テレビやネットで多くの悲惨な被災地の映像が流れ、 日に日に死者数が増えていくのを見ていることしかできず、 また4月から大学生としての新しい生活が始まるという時に日本中が混乱していて、 どうなってしまうのだろうかと鬱とまでは行きませんが、 気分の落ちている時期がありました。
被災地の人はもっと苦しい思いをしているのに私が落ちこんでも仕方無かってのですが・・・
そんな時mixiなどで様々な震災に関する感動秘話を読みました。 本当に感動して涙が出ました。 そして元気をもらいました。 日本人ってすごいな・・・と心から思いました。
自分も自分のできることをしようと思えるようになりました。
こういう話は多くの人に元気を与えられると思います。 多くの人に読んでもらいたいと思いました。
キーワード: 感動秘話 鬱 mixi 元気
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[109] 勉強嫌いな妹。
ソリューション データ: 私には4つ離れた妹がいます。今は高校生。
中学生の頃は部活や友だちと遊ぶことが楽しすぎて、勉強はどちらかと言うと疎かになっていました。 テストがあっても勉強を始めるのはいつもギリギリ・・・。 心配して親が心配して注意するけど、反抗期ということもあって、逆ギレばかり。
そんな妹もなんとか高校に合格して高校生になりました。
けれど、自分のやりたいことがイメージできないらしく 中学生の時のような生活になりそうだったので、妹に何が好きなのかを聞き、それに関係するような仕事を教えてあげました。
すると、自分で何をしたいかを考え始め、自分の行くべき大学を調べ、 勉強も「将来必要になるかもだから・・・」と文句を言いながらやるようになりました。 成績はというとそこまで変化したとはいえないけれど、 勉強する気持ちになって将来のことを少しでも考えられるようになり、少し安心しています。
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[108] 傷跡
初対面の人
ソリューション データ: ある事件に遭遇し、目立つ部分に奇妙な傷跡が残っています。それについて事情を聞かれるたびに思い出し、言葉を濁しつらい気持ちでいました。そして、隠す努力をしていました。 しかし、ある時期をきっかけにに傷跡について「どうしたの」ときかれると平然と嘘を言うようにしました。(おそらく、誰も傷つかないと思ったからです) バイクの事故、車の事故、スキーで林への滑落、犬にかまれた、etc... 詳細を聞かれるとさらに困ってしまうこともあるのですが、その場その場での出会いが多いためそのような形で対応してきました。そのことで自分自身の精神的な同様は少なくなり隠す努力もしなくなりました。
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[107] カウンセリング1
クライアント
ソリューション データ: 日本のカウンセリングでは基礎のように考えられている「受容と共感」のロジャースが実際のカウンセリングでは半分以上「しゃべり倒していた!」ということが何よりも衝撃的であり、考えさせられることであった。 実際に自分でもカウンセリングを受けてオウム返しの「受容と供給」に終始して、受けた後「私は一体何にお金を払ったのだろうか」と感じた経験もあり、ブリーフセラピーとしての行動療法の必要性がこれからも注目されていくことになるだろうと思う。 私自身も今、その人に合ったフラワーエッセンスを選ぶというコンサルテーションを仕事として行っており、 それはほぼ日常的な感情の乱れや行き詰まり感という範囲をでないものだが、それでも耳を傾けて問題を解きほぐしていく、その時間を共有することのパワーというか、効果を日々実感している。しかし時にそれは自分の能力を超えた所に足を踏み入れてしまう機械もあり、 そういう時のために「自分にはできないこと」の境界をクリアにしておきたいという、当初のこの通信大学の受講動機を改めて実感した。 具体的には、さまざまな療法やニーズのことを知るであったり、 カウンセリングの構造化のことである。 また、クライアントのニーズに合わせた療法の選択というところではアメリカの階級との相関についても新しい視点を得ることができた。 確かに自分自身がこういう勉強をしたいという意識を持ち、 それを実現できるという立場にあることを無視していては、 私のクライアントさんに多い、一般職のOLさんや、若い母親たちの真の理解はできないだろうと肝に銘じたい。
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[106] 話を聞いてもらうだけで
看護師 10年目
ソリューション データ: 私が看護師として働き始めてから10年目、集中治療室にローテーションが決まりました。働き始めた頃、患者の急変や、毎日、沢山の機械に囲まれモニターを見ていて、うつ状態になってしまいました。 しばらく、身体症状が出ても、神経科に行く事には抵抗があったのでそのままにしていました。しかし、ますます症状が悪化してきたので、勇気を出して受診しました。 とても恥ずかしいと思いましたが、実際、受診して思いを聞いてもらうと楽になりました。聞いてもらう事がこんなにも精神的に楽になるのだなと思いました。 そのあと、異動させてもらい、環境を変えました。毎日張りつめていたものが軽減し、症状は軽快しました。
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