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 [130] 部長の大変さ
 高校生  

顧問の先生と部員


ソリューション データ:
私は高校2年生で弦楽部の部長を務めました。歴代部長のような実技もリーダーシップもすばらしい部長になりたいと思っていました。
しかし、実際部長をやってみると顧問の先生と部員との橋渡しにならなくてはいけない、ミーティングをやり、その日、週、月の合奏予定を立てなくてはいけない、他の部活、先生との連携をとらなければいけない…と部長職に追われ、自分の練習の時間が取れず朝練、残り練習をを必死でやって追いつこうとしていました。
そして部長職でくたくたなのにも関わらず、同級生は年長になったことをいいことに部活をさぼるようになり、また部活がOFFの日にも私のもとには部員からの連絡が絶えず、1年365日部長でいるといった感じでした。
このままだとやばいという精神状態まできていた(本当にいっぱいいっぱいでした)ので、部員全員を集めて会議を開き、自分の思いを伝えるだけでなく、みんなから意見をとりよせ、定期演奏会までに何をすればいいのか、何をしなくてはならないのかを決め、私自身はアンパンマンを見たり、勉強に打ち込んだりと部長であることを忘れられる没頭できることを見つけるようにしました。

 [128] 緊張して実力が出ないとき
   

ソリューション データ:
 私は大きな舞台や試験など自分の実力を出さなくてはいけない時、いつも緊張してしまい思うような結果が出ませんでした。ある時その事を相談してみて一つの解決策を見いだすことができました。それは所謂おまじないです。よく願掛けでこれを食べたらいい結果が出るとかこれを持っていれば大丈夫というものを自身で作る人が私の周りには多くいました。事実私もその一人でした。ですが、そういうものを願掛けとして扱うと、たまたま忘れてしまった場合、余計に不安になってしまい実力を結局出し切ることが出来ないと思います。なので私は、物を頼りとしない「おまじない」をする事にしました。例えで言うならば、緊張する時に手のひらに3回「人」と書くという事もありますが、どんな方法かは自由です。ただ大事なのは「そのおまじないをすればいい結果を出せる。」と思い込むことと、物をおまじないの道具に使わないということです。。私はこれで緊張してしまいそうな場でも実力を出し切ることが出来ています。

 [127] 今日こそは
   

ソリューション データ:
中学の時に渡すが入部していた部活は、規制が緩くて好き勝手やっている状態でした。そんな部活の中で、まあまあ真面目に活動していた私が部長になりました。でも、その好き勝手やっている子は同級生なので、後で何か言われたら嫌だなと思い、部長なのに注意することが出来ませんでした。ある日、悪ふざけがいつもよりひどく、今日こそは止めなくちゃと思ってどうやって止めようか考えていた時に先生がきて注意してくれました。それからあひどい悪ふざけもなくなり、私も少しずつですが注意というか、止めたほうがいいんじゃない?と言えるようになりました。

 [126] さまざまな療法
   

ソリューション データ:
カウンセリングは個性や深層心理を引き出して、自分に気づきを与えてくものであると思う。対象の重症度によっては限界はあるが、苦痛から引き上げる手助けをしてくれ、自分らしく生活を過ごせるように導いてくれるものである。さまざまな人間がいるために多種多様の療法があることが優れていると感じる。 効果が表れるまでに時間を要することではあるが人間は集合的な動物でもあるし、人とのかかわりを通して効果が表れることがとても自然な現象であると感じた。しかも言葉が主道具で関わりを深めることが人間の本質をついていると感じる

 [125] 周囲の助けで乗り越えられる
   

ソリューション データ:
高校2年生の時、部活内のすれ違いに原因が私だと思い込んだため、ストレスで過換気症候群と片頭痛が起こった。かなりストレスがたまっていたのだと思う。そのすぐ後に、大好きだった祖母が肝臓がんで死去した。最愛の祖母が死んでしまったこと、看取れなかったこと、私にも見とれる可能性があったこと、そしてそれを自分の手でつぶしていたことでストレスが爆発した。祖母の死後、私は歩けなくなった。家族、友人、学校の先生、クラスメイトが助けてくれて、その4か月後にやっと歩けるようになった。その時に受けたみんなの助けを忘れたくない。また、その時の経験を活かせる仕事に就きたいと思った。私は社会福祉士、介護福祉士を目指そうと思った。目指そうと思い神奈川へ来た。ストレスを抱えても、周囲の助けで乗り越えられる。そのことを教えてもらった。

 [123] 新しく入った大学での不安
 大学に入った当初  

その大学の大学生


ソリューション データ:
私が大学に入学して間もない頃、地元である宮崎から関東の大学に進学した知り合いはほとんどいないという現状だった。そのため、高校と同じように友達0からの学生生活をしなければならなかった。辛い、馬が合った人が多かったためか、同じ学科の男子たちとはすぐに仲良くなる事が出来た。しかし、同じ学科の女子、違う学科の人と仲良くなるのはとても難しかった。私は、高校時代の頃から、同じクラスの男子や同じクラスになったことがある男子と仲良くなるのは得意だったが、同じクラスの女子やほかのクラスの人と仲良くすることが苦手であった。とても内気な性格であった。しかし、地元にいた頃の友達も同じような性格をしていた人が多かったため、「まぁ…別に無理して仲良くならなくてもいいか」と思ったりするような奇妙な安心感があった。しかし、そんな安心感が通用したのは地元にいた頃までであった。大学では、同じ学科の男子が同じ学科の女子や違う学科の人と話しているのが日常茶飯事だった。そのよう
な光景を見続けているうちに「自分も早く同じ学科の男子意外と仲良くしないと!」と焦った私は、ほかの学科の男子とロッカー室で一緒になった時や同じ学科の女子と話をしようと思ったが、話す内容が全く浮かばなかった。そのため、会議中にも痛みが発生したため、大学の医療室で休むことにした。しばらく休んでいると、医療室にいた先生から、「どうして胃が痛くなったか分かる?」と言われ、恐らく胃が痛くなった理由である友好関係の悩みを打ち明けた。その時先生が、「人には自分に適したペースがある。勿論あなたにもあったペースが
ある。無理にいきなり作ろうとするんじゃなくて、ゆっくり、ゆっくり、と友達を作って行きましょう。あと、人と会話する事で一番大事なのは会話の内容じゃなくて、会話したいという事実が大事なのよ。」と言われた。先生の言葉を信じて、ほかの学科の人と内容がない事を話した時不思議と人と会話をすることが出来、その人と友達になることが出来た。同じ学科のほかの男子に比べたら、友達の数はまだ少ないかも知れない。しかし、自分にも着々と新しい友達ができていると思っている。

 [121] トラウマを乗り越えて
 思春期  

自分


ソリューション データ:
 私は中高時代、部活でとてもつらい体験をした。ダンス部で4年間学年リーダーをやっていて、誰もが信頼できるリーダーを目指して頑張ったものの、一人で抱え込みすぎ、その割に成果は出ず、辛いときに周りから励まされるどころか激しく批判された時期もあり、その経験は私の中でトラウマになった。中3の後半から、周りに激しく非難される孤独感や恐怖から、少し追いつめられると頭が真っ白になって、普段なら当たり前に下せていた判断が下せなくなる、ということが起こるようになった。また、なんでもないようなことで急に涙が止まらなくなることはもはや日常茶飯事だった。しかし、リーダーとして責任感の強すぎたらしい私は、部活の友達にそうした状況を一切話さなかった。
 こうした状況にもなんとか耐え抜き、私は高2で部活を引退した。しかし、引退してもう肩の荷も下りたはずなのに、引退してからも日常生活の中で不意に、不安や恐怖が急に押し寄せ涙が止まらなくなったり、頭が真っ白になってパニックになることがちょくちょく続いていた。そんな状況が1年経ってもまだ続いていて、私はそのまま大学生になった。
 入学して1,2週間は、新しい環境に夢中で、トラウマを思い出すことはなかったが、やはり1カ月も経つとまた症状が出てきた。落ち着こうと腕に爪を立てることを覚え、それが癖になりかけて、腕を真っ赤にしてしまうことも増えてきていた。
 そんなある日、機会があって大学の友人に私は初めて、そのトラウマとなった経験と、症状を告白した。彼女が真剣に聞いてくれ、受け止めてくれたおかげで、私は一瞬楽になったが、話したことで記憶がよみがえり、それから1週間ほどは不安定な日が続いた。それからまた一か月ほど経った頃、また私は他の友人にもう一度その話をする機会があった。
するとその時も一瞬楽になり、でもまた不安定になったが、その期間は3日に減った。またその1週間後、3人目の友達にその話をした。その時は1時間もすれば元気になり、それから不安定になることはなかった。
 こうして何度か動揺しながらも話をし、友人に支えてもらっているうちに、過去のトラウマも客観的にとらえられるようになって人に話せるようになり、気付いたらパニックを起こすこともなくなった。

 [120] 回りかた見た自分と自分から見た自分
 高校〜  

自分


ソリューション データ:
高校の頃、私は周りから見た自分と自分からみた自分のギャップに悩んでいました。
見た目が地味な方だったのでおとなしいキャラだと思われがちでした。周りにそう思われるのがイヤで持ち物を変えてみたりもしました。私が大きく変わったキッカケになったのは大学生になったことです。髪を明るくしたりオシャレしたり、制服がないことで自分を表現する手段ができて気持ちの持ち方も変える事ができました。

 [119] 違った環境の体験
 幼い時から  

自分


ソリューション データ:
幼い頃から、家庭環境から受けるストレスでおなかをこわしたり、チックが出たり、思春期以降はニキビ、貧血などに苦しんだ。一方で、自分に自信が持てず他人も信用できず、生きていくのがイヤになった。それでもなんとか生きてた。
そんなときに、フェアトレードのスタディツアーでインドに行き、自分がどれほど自由で恵まれた国にに住んでいるのかを痛感し、それからはうしろをむかず、勉強と仕事に励み、自分がほこりを持てることに力いっぱい取り組んだ。気がつたら人を信用したり、自然に笑ったりできるようになっていた。貧血やはき気、肌あれも治っていた。24歳の時だった。

 [117] 家庭環境
 社会人  

ソリューション データ:
幼い頃から、家庭環境からうけるストレスでおなかをこわしたり、チックが出たり、
思春期以降はニキビ、貧血などに苦しんだ。一方で、自分に自信が持てず
他人も信用できず、生きていくのがイヤになった。それでもなんとか生きていた。
そんな時に、フェアトレードのスタディーツアーでインドに行き、自分がどれほど
自由で恵まれた国に住んでいるかを痛感し、それからはうしろをむかず、
勉強と仕事に励み、自分がほこりを持てることに力いっぱい取り組んだ。気がついたら
人を信用したり、自然に笑ったりできるようになっていた。貧血やはき気、肌あれも
治っていた。24歳の時だった。


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