ごく平凡な一老人の日々のツールと生き様の記録
<H19.03.20 
開設、H26.06.16 全面的改訂

 医学的な取扱いでは、45歳〜65歳を「初老期」と言い、65歳以上になると「老年(老人)期」と言うことのようである。その点から見ると、隠居は既に紛れもなく立派な(?)老人である。
 このサイトは、66歳で仕事から解放され、いよいよ自由な時間を堪能出来るであろう憧れの隠居生活(?)に入った一老人の日々の生活の便利ツールとしてと、さらに己の「生き様」あるいは「思いの一端」をありのままに曝け出した記録帳としての目的で開設ものである。
 自分(隠居)に留まらず、大方の人は、老いが迫って、「人生の先行きが永くない」と感じるようになり、しかも、極端に記憶力の衰えを実感するようになると、「自分が何者あるのか?またはあったのか?」が分からなくなる不安感と「それを書き留めておいて振り返ることが可能な手段としたい」という願望も生まれてくるようである。



よって、やたらと自分史をまとめたり日記帳を描き始めたりするようである。
 このサイト中の記録の一部は、隠居が「初老期」から、自らの人生の記録を整理しておこうということで創めたものが幾つか蓄積したので、ここで見やすい形にし、かつ追記をしながら、同じような境遇にあるご隠居の面々にも反面教師的な情報として開示することにしたものであるが、これも、隠居のそのような不安感・願望による老人的挙動の一つとして生まれたものであろうことに間違いない。

 一応自分の名前は伏せて(知る人が読めばすぐにもばれるかも!)おきながら、実名で登場させてしまった友人・知人・恩人方々には、何かと不愉快な思いをさせることがあったとしたら、お許し願いたい。
     
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隠居が深く関わった会社

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隠居の略歴

 1940年、本人は太平洋戦争の開戦が1年後になろうことも知らずに、鹿児島県の田舎に生をうけた。かすかに戦争の記憶もあるが、戦後の代用食の不味さがいまだに思い出される幼児期を経て、腕力に自信があってガキ大将と噂された小中学校から1959年の高校(受験勉強に明け暮れた?)卒業まで鹿児島で育ち、高校卒業と同時に杜の都仙台の国立 大学の工学部に入学のために郷里を後にした。

 大学に入った途端に、
「自分は本気でこの大学に入りたかったのだろうか?」
「大学での4年間は、自分の一生で本当に必要な時間であろうか?」
などの雑念が頭の大部分を占拠するようになり、加えて当時発刊された「ノンフィクション全集」を読みふけっている内にボヘミヤン生活に憧れるようになり、入学1年後に親に相談することもせず独断で大学へ休学願いを提出して、何故か南米移住の準備に入る。その後紆余曲折があって、最終的には南米移住は実現せず大学に復学し、同大学の大学院(修士)を経て、1967年にようやく社会人になった。

 会社では、主に海外のプラント建設(設計・工事・プロジェクト・調達の各分野で)に関連した業務に従事し、苦手な英語に苦しめられながら仕事のためにインドを皮切りに東南アジア諸国、中近東諸国、ヨーロッパ諸国、オーストラリア他、合計で約30カ国(空港に立ち寄っただけの国を含めて)に出張し、工事部門の本部長時代には1年間の海外出張回数が10数回にもなるような激務(?)にも耐えて、自分自身で「気移りが激しい性格と思いながら良くぞ勤め上げた」と自らを誉めたい気持ちになりながらサラリーマン生活を全うした。

 2000年春には、エンジニアリング会社の役員待遇から子会社の社長に転じ、その後,2006年7月末にその子会社の会長職を最後に、会社員生活は一応の終わり(顧問として週に1日程度の出勤は一時期の間は継続)を告げて、憧れの隠居生活が始まった。
独善的自分史
<トップページ>

・誕生 / 幼少期
・仕事は主に海外
・気弱な小学生
・インドネシア時
・中学/生徒会長
・子会社/隠居
・二つの高校 ・仙台で学生生活




  隠居の戯言の更新履歴

最新・・ 24) H26.06.16

23) H23.10.17




1) H19.03.20
 :トップページの隠居の便利帳と諸々の記録の2種の表の
  表示形式を大幅変更作業開始
 :フランス旅行の記録を追加


  更新履歴の2)〜22)は <旧履歴の記録へ移行>

 :未完成部分もあるも初アップ