「住めば都」とは、良く言ったもので、大学に入って住み始めた仙台という町が、当初はどうしても好きになれず(途中休学の一因でもある事は否定出来ない)、東北大学を選んだことを後悔した時期が暫く続いたように思う。何時の間にか仙台を好きになり、大学を去って社会人になる時点では、仙台を去り難い強い愛着が身に染み付いていた。
社内で身近なところを観察してみると、「気が進まぬまま出かけざるを得ない」という状況で始まった担当プロジェクトの所在国が、何時の間にか最良の国に変わり「嬉々として出かける」状況になっているように思われる。例えて言えば、「非衛生的で文化が違うインド」の場合も、「変化に富んだ、古い偉大な歴史をもったインド」に変わっているし、「過酷な気候、酒・女気の全くない、加えて文化が大きく違う中東の国」でさえ、多少の無理はあるが「衛生的で、健康的な生活がおくれる中東の国」に変わることもないではない。ただ、ヨーロッパ、アメリカなどの先進国を別にして、日本人が最も受け入れ易い国々といえば、「文化が近く、気候温暖で緑も多く、食事の嗜好も近い。さらに物価が安く、国民も明るく友好的」な東南アジアの国々、とりわけタイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアなどではなかろうか。なかでも、一度経験すると誰もが口を揃えて「好き」というのがインドネシアである。
タイは、物価・食事・娯楽面では大きな優位性を持っているが、仏教徒が多く一見温和に見える国民性ながら、時折強暴な強盗殺人事件を引き起こす言う治安上の不安はある。
マレーシアは、人口も少なく、経済的にも比較的に豊かで、かつ衛生的で美しい国である。多くの駐在員が「一番暮し易い都市はクワラルンプール」と言う如く、治安・物価・衛生上でも、最も安定していると見える。教育水準も高く、何処でも英語が通じて不便をしないが、反面プライドが高く、容易に打ち解けがたい雰囲気がある。インドネシアに比べれば、窮屈さが気にかかる。
シンガポールは、衆人の知る通り、南国の美しい近代都市である。観光・ショッピングで、また業務で多くの人が訪れる観光・商業都市国家で、生活上なんの不便もない魅力溢れる国といえよう。ただ、気候の点を除けば、東京で暮すのと大きな変わりはないとも言える。その分、生活物価も高く、ゴルフなどの遊行費もかなり嵩む。
さて、インドネシアに話を移そう。
97年夏、タイに端を発した通貨暴落の波は瞬くの間に東南アジア各国へ波及し、インドネシアも例に漏れず、通貨価値の暴落から大きな経済不安・破綻を招く状況に至り、未だに立ち直りの目処は立っていない。この経済破綻が、98年5月の死者おおよそ1000人とも言われる大暴動を引き起こし、30年余に渉ってこの国の大統領として君臨したスハルトの退陣に繋がり、さらに政情不安へと発展して行った。未だに政情は不安定で、各地で暴動が群発していて、静まる傾向が見えない。
この政情不安という現況を除けば、インドネシアは暮し良い国である。一度この国の暮しを経験した者は、たちどころにこの国の虜になってしまう。そんな魅力を秘めた国といえよう。安い物価に加え、ゴルフを初め廉く楽しめる娯楽もほどほどに揃っており、気候も当然温暖で常に日本の夏より快適な環境に恵まれている。多くの人々が明るく友好的で、群集心理で暴動に走る一部の人達を除けば、好ましき人々の国なのである。
とは言うものの、何処までインドネシアを知っているか、かなり疑問である。
今回の長期滞在を始めてから既に1年余が経過しており、それ以前も数十回にも及ぶ短期訪問を繰り返して来たが、良く知り得た場所といえば、当社が実施した現場近傍と近接の都市、それらに近接するゴルフ場だけという情けない実態を自覚せざるを得ない。行動範囲が、非常に狭い部分に限定されているので、インドネシアの実態は何も知らないと言うのが実際であろう。それでも、インドネシアは良い国であると思う。
<1999年2月20日記>
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