インドネシアで
(1)

 
インドネシア バリ島の夕日の光景

インドネシアで(1)   
「インドネシアで」の目次

(1)「住めば都」、「季節のない国?」、「南国の花」、「南国の果物」
(2)「インドネシア語」、「ブロモ山」、「庭の草花」、「食事の話」、「新聞」
(3)「女性Caddieの話」、「物書きが好き?」、「西ジャワの海辺で」、「日本の歌」
(4)「選挙戦」、「小さなことにくよくよするな」、「最後の麻雀」、
   「インドネシア最後の日」    
    
インドネシアで(2)
インドネシアで(3)
インドネシアで(4)
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前書き

大型発電所の建設のプロジェクトで1998年から1999年にかけてインドネシアに滞在中に、
しかも1999年になってから、徒然なるままに書き綴った拙文を整理した。
特にテーマを設定したものではなく、その都度頭に浮かんだことを書き記したに過ぎない。



住めば都  「住めば都」とは、良く言ったもので、大学に入って住み始めた仙台という町が、当初はどうしても好きになれず(途中休学の一因でもある事は否定出来ない)、東北大学を選んだことを後悔した時期が暫く続いたように思う。何時の間にか仙台を好きになり、大学を去って社会人になる時点では、仙台を去り難い強い愛着が身に染み付いていた。

 社内で身近なところを観察してみると、「気が進まぬまま出かけざるを得ない」という状況で始まった担当プロジェクトの所在国が、何時の間にか最良の国に変わり「嬉々として出かける」状況になっているように思われる。例えて言えば、「非衛生的で文化が違うインド」の場合も、「変化に富んだ、古い偉大な歴史をもったインド」に変わっているし、「過酷な気候、酒・女気の全くない、加えて文化が大きく違う中東の国」でさえ、多少の無理はあるが「衛生的で、健康的な生活がおくれる中東の国」に変わることもないではない。ただ、ヨーロッパ、アメリカなどの先進国を別にして、日本人が最も受け入れ易い国々といえば、「文化が近く、気候温暖で緑も多く、食事の嗜好も近い。さらに物価が安く、国民も明るく友好的」な東南アジアの国々、とりわけタイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアなどではなかろうか。なかでも、一度経験すると誰もが口を揃えて「好き」というのがインドネシアである。

 タイは、物価・食事・娯楽面では大きな優位性を持っているが、仏教徒が多く一見温和に見える国民性ながら、時折強暴な強盗殺人事件を引き起こす言う治安上の不安はある。

 マレーシアは、人口も少なく、経済的にも比較的に豊かで、かつ衛生的で美しい国である。多くの駐在員が「一番暮し易い都市はクワラルンプール」と言う如く、治安・物価・衛生上でも、最も安定していると見える。教育水準も高く、何処でも英語が通じて不便をしないが、反面プライドが高く、容易に打ち解けがたい雰囲気がある。インドネシアに比べれば、窮屈さが気にかかる。

 シンガポールは、衆人の知る通り、南国の美しい近代都市である。観光・ショッピングで、また業務で多くの人が訪れる観光・商業都市国家で、生活上なんの不便もない魅力溢れる国といえよう。ただ、気候の点を除けば、東京で暮すのと大きな変わりはないとも言える。その分、生活物価も高く、ゴルフなどの遊行費もかなり嵩む。

 さて、インドネシアに話を移そう。

 97年夏、タイに端を発した通貨暴落の波は瞬くの間に東南アジア各国へ波及し、インドネシアも例に漏れず、通貨価値の暴落から大きな経済不安・破綻を招く状況に至り、未だに立ち直りの目処は立っていない。この経済破綻が、98年5月の死者おおよそ1000人とも言われる大暴動を引き起こし、30年余に渉ってこの国の大統領として君臨したスハルトの退陣に繋がり、さらに政情不安へと発展して行った。未だに政情は不安定で、各地で暴動が群発していて、静まる傾向が見えない。

 この政情不安という現況を除けば、インドネシアは暮し良い国である。一度この国の暮しを経験した者は、たちどころにこの国の虜になってしまう。そんな魅力を秘めた国といえよう。安い物価に加え、ゴルフを初め廉く楽しめる娯楽もほどほどに揃っており、気候も当然温暖で常に日本の夏より快適な環境に恵まれている。多くの人々が明るく友好的で、群集心理で暴動に走る一部の人達を除けば、好ましき人々の国なのである。

 とは言うものの、何処までインドネシアを知っているか、かなり疑問である。

 今回の長期滞在を始めてから既に1年余が経過しており、それ以前も数十回にも及ぶ短期訪問を繰り返して来たが、良く知り得た場所といえば、当社が実施した現場近傍と近接の都市、それらに近接するゴルフ場だけという情けない実態を自覚せざるを得ない。行動範囲が、非常に狭い部分に限定されているので、インドネシアの実態は何も知らないと言うのが実際であろう。それでも、インドネシアは良い国であると思う。
               <1999年2月20日記>

四季のない国

 インドネシアを初め、東南アジアの諸国では四季がないか?

 まったく無い訳ではなさそうである。良く観察すれば、夏季と冬季らしき季節の変化はあり、果物の採れる時期も果物毎に多少の違いはあり、木々の新緑も時期にによって微妙な変化をみせている。これらの変化は、細かに注意を払わないと、見過ごしてしまうほどの小さなものである。季節の変化は、冬季、夏季という見分けよりも、むしろ雨季、乾季という見方で認識した方が、直接的で分かり易い。当国の人でも、「わが国は、雨季と乾季の二つの季節しかない」と明言する場合が多く、元々、春、夏,秋、冬という季節の感覚もないし、意識することも無いようである。

 また、インドネシアでは「暑い」と「暖かい」に対しては一つの表現しかなく、「涼しい」と「寒い」に対しても一つの言葉しかない。日本で四つの言葉で表現することを二つの言葉で表現すると言うことである。季節も乾季と雨季の二つしかない(四季ではなくニ季ということだ)と言う発言も納得できる。

 南国の代表的な果物のなかでも、マンゴは大量に収穫出来るのは基本的には1年に一度だけであるが、好きな時に好きなように花を着けて実になるという現象も多い。パパイヤは、全く季節に無頓着で、次々に花を着けては実になるという現象を繰り返している。総じて「季節の無い国」と表現しても良かろう。

              <1999年2月21日記>   

南国の花 






 四季の変化の激しい所ほど、自然の変化に伴う“美”が楽しめる。春の新緑と一斉に咲き誇る花々、夏の木陰の涼風、秋の目にも鮮やかな紅葉とたわわに実る果実、冬の雪と常緑が織り成す色鮮やかな景観、数え挙げれば限がない、絵になる景色が次々と登場する。 

 南の常夏の国では、ランの花が何時でも何所でも咲き乱れ、野山にも色とりどりの花々が溢れている錯覚に陥り易いが、現実は大違いである。ランを除いて、花木は種類も少なくただ緑の木々の中でひっそりと咲いて場合が多いようだ。ただ、花は季節に関係無く1年中咲き続けて、絶えることがないという現象も見られる。山深く分け入って、目にした訳ではないので、どこまで正しい観察かは定かでないが。変化の見えない自然が、花々の存在をも気づかせないのかも知れない。ただし、バリ島の高地のHandaraという地にあるゴルフ場で目にした真っ赤に咲き誇った「火炎樹」の花は、いまでも頭に鮮明に残っている。

 日本でも、東北地方以北の高山地帯に入れば、初夏の雪解けを待って草花が一斉に開花する「お花畑」が出現する。南の常緑樹地帯では、取立てて話題になるような現象はない。人々も、長い期間寒さや雪に閉ざされて花々を目にすることが少ない国々の場合が、花を愛ずる傾向が強い。南の国では、屋内で楽しむランは多くの場所で見ることが出来るが、総じて花に対する愛着は少ないように思われる。イギリスやオランダ、ニュージランドで「ガーデニング」が盛んになったのはここらに源流があるのではと思われる。

 毎週出かけるゴルフ場のすぐ隣に「Royal Orchid」の看板が懸かっていて温室も数多く目に着く。4番ホールのフェアウェイの近くまで温室が迫っているので、毎週誘惑に駆られるが、ゴルフに熱中のあまり、未だに訪問する機会が作れない。5年ほど前にシンガポールのラン植物園を訪れたことはあるのだが、ここでは何時も機会を逸してしまう。何とかしなくちゃ!
                <1999年2月24日記>

南国の果物 

 雨季明けが近付いてきて「ランプータン」(その形状からトラのキンタマと俗称される)が至る所に出て来た。

 果物の王様と言われる「ドリアン」はその強烈な匂い(どちらかと言えば、悪臭と称したほうが適切か)のために、食べる場所も限定されるし、他人の近くに持ち込めないため、容易に食べられない。または、甘い味ながら、強烈な匂いに負けて好きになれない人が多い。
 それに比して、果物の女王と言われる「マンゴスチン」は癖も少なく美味で多くの人に好まれている。ただ痛み易いし腐りが早いという欠点があるように思う。
 外観が毛もじゃらな「ランプータン」は、その毛の部分に虫が付き易いためか日本の店頭に並ぶことも無いが、味も美味で癖がなくしかも舌触りも良くて食べ易い果物である。インドネシアに限らず南の国では最も馴染みの多い一般好みの食べ物のように見受けられる。

 ホテルが提供してくれるフルーツの中でも先ず手を出すのが、この「ランプータン」である。容量も小さいので腹具合に応じて幾つでも食べられると言う利点のある。小生の好きな果物の一つである。そのトップシーズンが到来して楽しみである。

 「西瓜」と「メロン」は、年中絶えることがないが味はさほど良いとは言い難い。西瓜はまずまずだが、メロンはどうも頂けない。西瓜は宿舎でも毎日3食とも必ず食べるが、メロンは月に一度も食べることはない。これほどに味の差があるのだ。「バナナ」は小粒のものが味もよく高級感がある。ただカロリーが高いという意識があって、糖尿病の身ゆえ、ゴルフに行った時などカロリー消費が大きいと思われるとき意外はあまり口にしないようにしている。

 「マンゴー」は小生が滞在している地区がインドネシア最大の産地で種類も多く、安く食べられる。美味で舌触りもよいが、種が大きくてナイフを使うのに多少不便があるため、面倒臭いという弱点がある。ただ、「マンゴー」で一番美味なものはインド地区で産出する赤色の小粒なものという説もあるが、小生の経験からも同意できる。日本の果物屋でよく見かけるフィリピン産は、味の点では頭を傾げたくなる。多少の癖はあるが、インドネシア産マンゴーはフィリピン産より数段味が良いと思う。<最近、沖縄のほかに宮崎や鹿児島などでも高級マンゴーが生産されるようになったが、かなり高価なものである>

 その他、南の国では日本で見かけない珍しい果物が数多く、結構たのしめる。ただし、日本で食べる「良く熟した柿」に勝る果物には未だお目にかかっていない。糖尿を気にしながらも、秋から初冬にかけての楽しみの一つは柿の賞味である。日本の自宅の庭にも似つかわしくないほど大きな柿木が鎮座している。15年ほど前に千葉の八街から大型トラックで運び込んだ物であるが、今の住居へ移転する時も植木屋に命じて移植した愛着ある代物である。毎年数え切れないほどの実をつけてくれる宝物である。昨秋も帰国時に、偶然にも食べ頃に出くわし十分に堪能出来た。我が家の庭では「びわ」も実を着け始めて3-4年になる。昨年は丁度実りの時に帰国し十分楽しむことが出来た。今年は完全帰国も近いのでまた楽しみである。
                <1999年2月27日記>


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