隠居の徒然草
(4.世相、仕事、その他)



本格隠居生活の計画を急ぐべき! 人は自分の能力に合せて事をなすべし!
隠居生活は早すぎたか? 新説 「蟻とキリギリス」は
人生の教訓か!
バブル崩壊は何をもたらしたか!
日本がクシャミをすれば!
(インドネシアは今 ?)
リストラ旋風はやって来た!


人は自分の能力に合せて事をなすべし!  鳩山首相の米軍基地・普天間の移転問題その他で迷走が続いている。全く実現出来そうでない事を安易に約束するし、朝発言した内容と夕方の発言が180度異なるということは日常茶飯事である。全くその資質・才能が無いのに首相の座にしがみ付いている様は滑稽と言うよりも哀れと言うべきであろう。人間は自分の力を知り、その能力の範囲内で活動しないとこのような醜態を公衆に晒すことになる。本人は無能力と知らされたことで済まされても、そのために多大の被害を蒙る国民はたまったものではない。

 民主党鳩山政権に代わる前の自民党の終盤の安部、福田、麻生の3首相も同じような状況で1年間しかもたず、その座を譲るということになったが、特に「漢字も読めない首相」とか、「KY首相」とさげずまれた麻生首相は、最終的には自民党の評価が大下落し民主党政権に変わる原因にもなった。斯様にして、4代にわたる無能力首相の出現で日本の国力は大きく失われ、国際的な評価も大きく下落した。真面目にこのことに対じすると暗澹たる気分を拭いきれない。

 さて、自分の力の及ぶべくもないこれらのことは成り行きを見守るだけにして、この1月には古希を迎えたこと勘案すれば、自らも人生も振り返る時期が到来していると考えるべきであろう。ぼちぼち、「誰に何を残して我が人生を追えるのか?」に想いをはせながら、我が人生の最終章の設計にかかる時が到来したと覚悟せねばなるまい。
           
<2010年04月27日 記>

本格隠居生活の計画を
急ぐべき!
 日本人の平均寿命は、2007年の統計で男性で79.19歳、女性で85.99歳だという。それを勘案すると、来年1月には70歳の大台に到達する自分の寿命は、平均的に見て余命10年、早ければ数年、運よく長らえて10数年、と考えておくのが妥当であろう。

 これを、残された人生は「まだ長い」と見るべきか、「もはや短いもの」だと見るべきかは個人によって見解が異なるであろうが、自分にとってはどちらかと言えば後者、即ち残された人生は「もはや短いもの」という認識は前々から持っている。

 かような状況の中で、常々、これからの本格的な隠居生活の計画を急ぐべしという気持ちはありながらも何ら具体的な行動も起こさず現在に至っているのは、週に1日だけとは言え、会社に顧問として出社していることも大きな理由の一つであると考える。週に1日の出勤は体力的にも精神的にも何ら負担と感じるほどのことではないが、転居や他所への長期滞在を計画するには大きな障害となっていたのは事実である。この顧問の立場も来年の1月末に70歳になった時点で退き、完全な隠居生活に突入することを決心し、つい最近になって株主側にも伝えたので、いよいよ本気になって本格的な隠居生活の計画を急がねばという気持ちが強まってきた。

 収入も年金だけとなり、蓄えの少ない自分のことゆえ、経済的な面での制限は避けられないが、これから数ヶ月をかけて、特にこれからの5年間を重点的に計画を練ってみたいと思う。 
<以上は2009年6月24日のブログに掲載したもの転記>

 若いころから、「多くの人達が60歳の定年で仕事を卒業し、完全な年金生活に突入するのだろう」と想像していたが、自分がその年齢になって実態はそうではないことを知った。厚生年金の支給年齢も徐々に繰り上げれれて、最終的には65歳に満額支給開始となる制度変更も大きく影響しているが、多くの人達が体力的にも(気力的にも)余裕のあることもあってか、60歳以降でも仕事を続ける場合が多く見受けられる。

・ 数年前に、数日で簡単に書き上げた自分史に加筆して内容を充実させる
・ 自分自身および同じ希望を抱く人のために「シニアのためのアジアの高原ゴルフ  リゾート紹介」を纏め上げる
・ 「超初級インドネシア語講座」の改定・増補を行う<マレーシア語併記>

     
隠居生活は早すぎたか?  隠居生活に入るのが早すぎたか?このところ続いている今冬の寒さで、ゴルフの練習にも出かける気にもなれず、部屋にこもっていることが多い。徒然なる日々というよりも、冬眠生活といったほうが適切と思われるような日々が続いているのだ。

 年末年始のバリ島ゴルフ旅は毎日体を動かして、それなりに有意義な時をもてるのだが、帰国した後は寒い日本の冬に負けてしまい部屋にこもって、時間を持て余してしまう。早々と、仕事は週に1日だけと決めて隠居生活に入ったが、今の状況は十分な自由時間を有意義に活用したゆとりの隠居生活というにはほど遠いように思われる。

 再度仕事を増やすべきかと思うこともあるが、PIMでそれを実行することは身勝手すぎてやるべきではない。時々声をかけられるTECのある部署の仕事を手伝うということもあるが、楽な生活に慣れ親しんだ今からは少し荷が重そうである。ということで、組織のなかで仕事に復帰するということは可能性が少ない。

 ゴルフ以外の趣味に時間を割くように勤めることも必要なのだろうが、それもなかなか容易ではない。昨年の後半に試みた絵画への挑戦も未だに本格化していない。やりたいと思っていることと、出来るということは違うのだということを痛感している。

 徒然なるままに、日記に書こうということを、そのまま書いてしまった。PIMを完全に退くべき日も近いので、本気になってこれからの日々の過ごし方を考えねばなるまい。

                  
 <2008年1月18日 記>

「新説 蟻とキリギリス」
は人生の教訓か!

 かなり古い話であるが、当時過労死が話題になっていた頃、「蟻とキリギリス」の話をもじった、「新説 蟻とキリギリス」というCMがあったそうだ。
 
 「蟻は冬に対する備えの為に、夏の暑い最中もせっせと働いた。一方、キリギリスは夏の間、生活をエンジョイし、冬に対する備えは何もしなかった。蟻はキリギリスに忠告したが、キリギリスは働くだけの蟻を嘲り笑っていた。さて、秋が訪れた時に、夏に働き過ぎた蟻は、過労が祟って悲しい死を遂げたそうだ。一方、キリギリスは蟻が蓄えた食料のおかげで、冬の生活を享受し、長生きしたとサ」
と言う内容の話であったようだ。

 身近なところに目をやってみても、「過労死」であったかどうかは定かでないが、定年を待つようにして人生の終焉を迎えた先輩を何人か身近に見てきている。逆に、華麗に、優雅に、あるいは悠々とシルバー人生を享受している先輩のことも、多く見聞している。

 この話をきいた当時は、東証一部上場の会社の現役の役員待遇の身分で、しかもライン長の重責を負っており、バリバリの働き蜂であった。凡そその一年前からは、東南亜細亜の大国で実施中の、約2000億円強の規模の大型プロジェクトのダイレクターの任も負っており、自ら現地に滞在して陣頭指揮を取っている最中であった。それ以前は、年間20回近い海外出張で、各地を飛び回って、一年のうちの半分近くは家を空ける生活が、数年間も続いていたという状況にあった。このような多忙の中に身をおいていた反動もあってか、この話には、それなりに納得するものがあった。だからと言って、それを生活信条にして、老後の楽しかるべき生活向かって、過労死を回避すべく、仕事をほどほどにするよう方向転換したわけではない。ただ、その時(老後)の到来に備えて、必要な蓄えも多少は考えてきたが、そのとき時の生活も人一倍楽しむことを実践してきた。

 我が身の現状はと言うと、プロフィールその他で紹介したように、その時の到来を心待ちしていた「有り余る自由な時間をもてる身分」になった一方で、その過ごし方に幾らかの工夫が必要と思われる年齢に到達しまった。また、自分にとって、「旧説 蟻とキリギリス」が正しかったか、「新説 蟻とキリギリス」が正解であったか、を身をもって知る年齢が近づいてきたと言う状況である。働き蟻の時代を振り返っても、もはややり直しは出来ない。今は、これからの生活に気を配るしかない。過ぎし日々の蟻の生活が良かったか、そうでなかったかはその日が来た時に知ればよい。
         
 <1998年08月の記録を2007年4月一部修正>

バブル崩壊は
何をもたらしたか!

 銀行,生保をはじめとする金融機関、それに加えてゼネコンなどが先頭をきって、国民総不動産屋化して、バブル経済のおお泡の中で躍らされたが、実態の伴わない「ゲーム」が終わってみれば、見るも哀れな不況に国民総てが泣かされている。

 少しの遊休地があれば、銀行は競って金を貸し付け、ご丁寧に「開発計画書」なるものまで取り揃えて、経営能力のない輩まで「不動産成金」に仕立て上げた。おかげで、土地価格は数年にして数倍に跳ね上がり、美味い汁を吸った人は、競って不動産投資に走り、また土地価格の高騰化を煽る結果となった。

 「土地の価格は下がったことがない」という、土地神話に疑問を持った人は、少なかった。国中が好景気に沸き立った。

 そのバブル経済が、脆くも崩れ去って久しい。

 崩壊の兆しが見え初めてから、はや10年以上が経過、下降の一途を辿った経済も未だに底を打ったという実態はない。確かな担保もなく、また開発事業の確固たる見通しのないまま、無制限に貸し付けた金は、回収不可能となり、不良債権の山を作り出した。

 バブル崩壊の過程のなかで、俄か不動産屋を皮きりに始まった大型倒産劇は、膨大な不良債権を掴んだ大手銀行・証券会社・ゼネコンの倒産という、史上例のない展開をみせる事態(99年2月時点で33の金融関連企業の倒産が報告されている)にまで到達した。その結果、銀行は、一転して守りの姿勢に転じ、「貸し渋り」という挙動に出て、多くの企業を窮地に追い込む役割を演じている。

 一方、景気の後退のなかで、消費者の財布の紐もますます固くなり、「買い控え」に走り、景気が上向く気配は一向に見えて来ない。

 「買い控え」、「貸し渋り」現象が持続することで、明治以来の大不況に到達し、未だ全く出口が見えないトンネルに入り込んだのが、現状である。

 このような状況下で、企業は生き残りを賭けて、こぞって「リストラ」に走り、結果として多くの失業者を輩出することになり、景気低迷にますます拍車をかける悪循環を繰り返す事態になった。          

 「過ぎたるは、及ばざるが如し」・ 過激なバブルは過激な不況を産んだ 
          <1999年2月3日 記>

 倒産した大手銀行の元頭取は、世論の強い批判もあって、貰いすぎた役員退職慰労金(非常識といえる巨額)を、返済する羽目になった。その為に、高級住宅を処分したとのことであるが、全く同情の余地はない。バブル経済という虚像のなかで、一時的な架空の暴利の一部を自らの懐にいれてしまったが、バブルが崩壊したあげく膨大な不良債権と返済不可能な借金を残しての倒産は、国民総てに対しても大きな被害を与えており、犯罪行為と言わざるを得ない。少なくとも、今となっては不当に得た収入と判断せざるを得ない慰労金の返済は、当然のことで、全く同情の余地はない。

 バブル崩壊の過程で、あるいは崩壊後に、バブル期に見過ごされた多くの経済犯罪が発覚したが、法的には犯罪と断定されなくとも、倫理的に許し難い現象が、数多く明らかになってきている。

 さて、自分の身近なところに目を向けるとどうだろう。

 多くの庶民は、バブル期にも活用すべき資産もなく、バブル景気の恩恵を蒙ることもなく、バブル崩壊で大きな打撃を受けることもなかった、いうのが実態であろう。だた一軒しか所有していない自宅を、資産活用にまわせることも出来ず、値上がりした自宅の評価額に、「捕らぬ狸の皮算用」を、頭のなかで繰り返していたのが実態である。

 自分の交友範囲は、庶民層であり、周辺で大きなドラマは産まれていない。ただ、小さな小さなドラマがない訳ではない。

 自分自身は、バブル崩壊初期に自宅を買い換えたこと、ゴルフ会員権の一つがバブル崩壊による経営母体の財務状態破綻で「紙くず」化したこと、他の一つの会員権は購入時の価格の五分の一以下まで下落したこと位が、「バブル ショック」の直接の影響下にあるといえよう。間接的には、会社の経営悪化による大きな波が、いま押し寄せようとしている。このことは、後で書くことにしよう。

 自宅買い替えは、「可も無く不可も無し」と見るべきであろう。新居の購入価格は、旧住宅の売却価格とおおよそ同額であったが、税金、売却手数料、新居の一部(造園含めて)改造などで、1,500万円ほどの出費過多となった。しかし、交通の便が大幅に改善された立地であること、南側道路に面する日当たりの良い土地(趣味の庭造り、盆栽いじりにも好都合)であること、建築後約9年住み込んだ旧住宅から新築に変わったことなど住環境としては大きく改善された。今の価格が、購入時に比べてどうか?凡そ半額に近いだろう。そのことは、旧住宅に居座ったとしても同じ現象であろう。最善のタイミングで買い換えたとは言い難いが、上手く切り抜けたということか!

 バブル時に異常な価格をつけたゴルフ会員権は、いまやピーク時の約十分の一近くまで落ち込んできた。経営破綻に陥ったコースも少なくない。自身は、20年のゴルフ歴のなかで、会員権でも良い思いもしたし、多少の泣きもあったが、人並み以上にプレイを楽しんだ回数も多く、全体としては悪い買い物はしていないと自負している。

 自分の友人のなかでは、ゴルフ会員権でバブル ダメージを蒙った例が多いが、それも家庭内での力関係が一変した程度の騒ぎで収まっているようだ。ただ、ごく一部の友人の中には、購入価格の10倍にも高騰した会員権を売却して、8,000万円近い現金を手にしたあと、手にしたその金を、次々に開発中の新しいコースの会員権購入につぎ込んで行ったが、読みとは違い、新しいコースはことごとく挫折し、会員権は「紙くず」化してしまった、という厳しい目にあった不運な人もいる。

 今でも気に掛けている二人がいるが、消息は不明である。マンション投資に、10億円もの金を動かしていたある大手商社の社員、株の売買に1億円以上の金をつぎ込んでいた一社員。追跡調査する気もないが、平穏であることを祈りたい。
          
<1999年月2月4日 記>

日本がクシャミをすれば!
(インドネシアは今!)

 来るべき「シルバーライフ」の準備が目的で、これを書き始めたとすれば、少し趣旨から外れた感は否めないが、自分がいま置かれている状況を、振りかえり、理解しておくことも無駄ではない。また、バブル崩壊を触れながら、自分がまさにその中に身を置いている東南亜細亜、取り分けインドネシアの現況も見ておかない訳にはいくまい。

 「日本がクシャミをすれば、東南亜細亜は風邪を引く」と言われるほど、東南亜細亜の各国の経済は、長期に渉って日本経済の大きな影響下にあることは、周知のことである。

 日本のバブル経済崩壊後も、暫く堅調に推移していた東南亜細亜各国の経済成長に、日本のバブル経済の崩壊の影響が出始めて、大きな陰りが見え出したのは、一昨年からで、タイの貨幣「バーツ」が一日にして大幅に下落したのが始まりであった。その現象は、瞬時にして各国に飛び火し、タイ以外でも特に大きな下落傾向を見せたのが、韓国、インドネシア、マレーシアであった。これらの貨幣価値の幾つかは、23ヶ月のうちに5分の一まで下落するという異常か現象に見舞われ、瞬く間に国家経済の大不況・破綻という事態に陥った。日本を中心とする海外から、膨大な資金を借り入れ、大型開発に走った各国は、返済の目処が全く立たない、数倍にも膨れ上がった膨大な借金の山を作り上げ、IMFの支援の下で再建を目指さざるを得ない状況となった。

 インドネシアは、韓国と並んで、最も貨幣価値の下落が大きく、その後多少の回復はあったものの、いまだに暴落前の30%までも至っていない。この暴落は、当然のこととして、50%以上の企業が倒産し多くの失業者を生むという経済不安・不況を招き、それが更に政情不安へと発展して行った。政情不安は、暴動を誘発し、ジャカルタでは昨年4月終に1000人規模の死者を出す大事件の発生に繋がり、各国が自国民の国外脱出のための救援機った。日本外務省も「国外退去」勧告を発令、インドネシアに在住していた13000人の日本人のうち、10000人以上が脱出することとなった。

 この暴動を契機として続いた混乱は、終に、30年余にも及んで大統領職に留まり、インドネシアを私物化して、絶大の権力を誇ったスハルト(世界最長の独裁者の一人とも言われた)の退陣に繋がったが、いまだに沈静化する気配を見せていない。依然として高い失業率、主食の米を初めとする物価の異常な高騰から、経済・政局の安定化も見えて来ず、小規模の暴動、強盗事件が全土で群発する状況が継続している。この状況は、6月の国会議員選挙、それに続く8月の大統領選挙まで終わることはないだろうとの観測が大方である。

 自分は他の社員と共に、「国外退去」勧告発令時にも現地に留まり、暴動の大きな影響も受けることなく業務を遂行出来て、この経済・政局不安定の直接的な被害はさほど受けなかった。ただ、個人的な生活面でも外貨の現地通貨への換算レートで大きな恩恵を享受しているものの、仕事上では間接的に計り知れない大きな被害を受けており、いま受けつつあると言わざるを得ない。
        
 <19992月9日 記>

 自分が担当しているのは、総額2000億円強の巨額の金を注ぎ込んだ、出力120MW強の超大型石炭火力発電所の建設プロジェクト(以下 当案件)で、客先はアメリカの電力会社を頭として日本の大手商社、現地の財閥によって設立された合弁会社である。この事業はIPP(Indipendent Power Producer)として企画され、製造した電力はインドネシアの国営電力会社が買い取ると言う契約(PPAPower Purchase Agreement)のもとに成立している投資案件である。このようなIPP事業は、インドネシアの急激な経済発展に伴う電力需要の急増を見込んだ各国の投資売り込みに、インドネシア政府も乗っかり、瞬くの間に26の案件が出来あがるという、当に“バブル”の産物そのものである。当案件は、26案件中で最も早く仕掛けられ先行しているようであるが、いまその総てが暗礁に乗り上げ、多くの案件が完全に休止状態に陥っている。当案件を含めて、数少ない先行案件が未だに建設を続行しているが、事業として全く見通しが立てられない状況は何ら変わらない。

 PPAは、本来$建で資本投入した海外投資家が、$で資金を回収する目的で成り立っており、当然$建契約であるが、一方、電力購入者の国営電力会社は、それを現地通貨で消費者へ売らざるを得ないという構図になっている。$と現地通貨の価値バランスが安定している状態では、さほど問題となる事もなかろう。経済破綻を招いた、極端な$:現地通貨バランスの崩壊で、国営電力会社は売値の数倍の価格で電力を買わざるを得ないという羽目に陥ったことになる。元来、赤字経営で国のお荷物になっている電力会社はこれに耐える体力などあろうはずがない。加えて、経済発展に伴い大きく増大するはずであった電力需要は、急激に起こった不況の影響で、増大どころかむしろ急降下の傾向となり、PPAの存在が、インドネシア政府、国営電量区会社の重荷となって来た。

 結果は明瞭である。インドネシア側は、PPAの破棄または電力買取料金の大幅見直しを主張し始めたが、未だに具体的な交渉は一切行われておらず、電力の引取りを拒否するという対応に出て来た。当案件も昨年11月初旬に、発電開始の状態に到達し、約6ヶ月に渉る試運転に入ったが、試運転時の電力の引き取りも、大きく制約され且つ断続的で、予定通りのテストが進められない状況に陥っている。断続的には、運転を続けているが所定のテストが完遂出来ず、出口の見えないトンネルの中に迷い込んだ状態と言わざるを得ない。このプロジェクトの成否は会社の決算に大きな影響力を持っており、悪い方向に向かえば会社の生死を左右しかねないほどのインパクトを持っている。満氏達は、ここ2ヶ月位を目処に契約者としての役務を完遂して、如何にしてリスクを最小化するかを鋭意検討中であり、また対策準備中である。
         
<1999年2月10日 記>

 昔から「一寸先は闇」というが、全くその言葉が身にしみるのが近況である。インドネシアについても、日本のさる大手商社の取締役ジャカルタ支店長が「インドネシアは、いま。(ASEANのリーダーが動く)」という著書(1999年12月出版)の中で、“インドネシアはいま、ASEANのリーダーとして、その存在感を世界にアピールしている。思いきった規制緩和策をつぎつぎと打ち出し、アジア太平洋経済圏における自由化の大きなうねりをつくりだす牽引役をになっている。21世紀に向けて、アジアは世界の成長センターと目されているが、その中心に位置するのが、まさしくインドネシアなのだ”と、その可能性を高らかに歌い上げているが、インドネシアはいまASEANの足を引っ張っているのが実態ではなかろうか。
         
 <1999年22月17日 記>

リストラ旋風はやって
来た!

 「とうとう来るべきべき時が来た」という感である。いずれは来るであろうとの予感はかなり前からあった。世は、まさに「リストラ時代」、大企業から中小企業まで、ほとんど総ての企業で、業種を問わず、リストラ旋風が吹き荒れている。

 自分が勤務する会社でも、「痛みを伴う大改革」を盛り込んだ中期経営計画が決定され、4月1日からの実施を目指して、具体化の作業に入った。それにあわせて、期中にして社長の交代という事態にまで至ったが、多少遅きに失したと言う感じもないでもない。

 「赤字、リストラ、トップの引責辞任」。これを、改革の三点セット条件と言うそうだが、当にこのパターンで多くの会社が改革を推し進めている現状である。

 創業以来、発展の一途を辿り、一時期は日本の全企業のなかで「利益率 トップ3」の地位も獲得し、経済誌の大きな話題ともなったが、創業25年目くらいを境として、その後は浮沈の繰り返しである。約10年前(1989年)にも、希望退職を含む大きな改革があったが、今回はそれをも凌ぐ大きなものとなることは、避けられない。

 会社の創業は、昭和36年、三井化学(当時 東洋高圧)の工務部門を母体として、それに大株主として、三井物産、大成建設が加わって設立されたものである。はじめ、インドに活躍の場を得た会社は、世界的な化学プラント建設のニーズの波に乗って、インド、ソ連をはじめとする30カ国以上の国々に、数多くのプラントを建設し、順調な発展を遂げてきた。隆盛時には、数年分に相当する受注残を抱え、オフィスも不夜城のごとくで、社員も仕事に残業を厭わず、活気あふれる様相を呈していた。「奢れる者は久からず」ということでもないが、良いことが無条件に、何時までも続くことはない。世界的なニーズの変化に伴う市況の落ち込みと世界的な競合状態が強まる中で、苦戦を強いられるようになって久しい。それでも、好況時の利益の一部を、会社規模にしては大きな額の内部保留として蓄えており、短期的な営業不振には絶えられる体質を作り上げていたが、一昨年、社内を激震が走る出来事が発覚し、その体質も脆くも崩れ去ってしまった。バブル期に、内部保留の資金を元手に、一部の経営トップの了解のもと、経理部門が資金運用に走り、武士の素人商法さながら見事に失敗!おまけに、その実態が公にされることなく、回復を試みている内に、ますます損失額を増大させ、如何ともし難い事態になって、公開せざるを得なくなったのが一昨年である。その損失処理のため、昨春の決算でで約500億円の吐き出しを余儀なくされ、蓄えもほとんど無くした。その日暮らしに近い状況に陥ったという表現で、言い表すしか他に無い。

 自分は、創業後数年目に入社して以来、30年に渉って、会社の浮沈を具に体験してきた。世間の同世代に比べて派格のボーナスを手にしたこともあり、またその逆の現象も味わった。10数年前の不況時には、新規部署を創設し、新規の事業を追かけた経験も持ち合わせている。自分の社会人としての歴史は、まったく会社の歴史そのものでしかない。

 たまたま役員待遇に処せられたのは、既に会社が苦境期に入った後の3年前であり、当然、役員ボーナスも辞退という環境下であった。昨年からは、役員給与の一部カットという辞退に至り、自分も年間120万円の減額を強いられている。会社の苦境は、すぐさまわが身に伝わる立場にあり、この時の到来は、残念ながら予期せざるを得なかったといえよう。

 中期経営計画の概要は、決定されたが、具体的な姿はまだ見えて来ないし、ましてや自らの立場、役割は全く予測出来ない。あと一ヶ月、どんなドラマが待ち受けているやら、期待、緊張、不安、意欲など様々な思いが交差するが、待つしか手が無い。
          <1999年2月5日、8日 記>

 衆人に共通しているか、どうか分らないが、自分には多少、変な性癖があると考える時がある。会社が繁栄、隆盛のなかにある最中でも、会社が大きな苦境に陥り、存続そのものが危ぶまれる状況になった時に、「自分はどんな役割を演じているだろうか?、あるいは演じなければならないだろうか?」という“空想”をすることが多くあった。それは、不安を伴うものではなく、快い興奮をもって、むしろ刺激を求めて血がたぎるというものであった様に思われる。ただ、頭の中を過る光景は、走馬灯のようで、具体性も無く、全く“空想”の域を出ていなかったが、そんな思いはしばしばあった。とは言っても、今のような事態が到来することを心待ちしていた訳でもなく、いま、いよいよ到来したことを喜んでいる訳では決して無い。その時に、自分が何が出来るか、あるいは自分に何が求められるか、の試練の場に自らを置いてみたい、短い人生の中でいろいろな経験をしてみたい、という願望とも繋がっていたように思う。

 その面では、好機が到来したと言えないこともないが、いま快い興奮を持続しつつ、これからの事態に立ち向かう心構えが出来あがっているか、と言うとそうでもない。じっと来るものを待っている、状況である。成り行きを見極めて、行動を起こそうとの姿勢である。いま、物理的にインドネシアという遠隔の地にあること、立場上からも、自らが“中期経営計画”の策定に参画するところにいないことも、大きな要因ではあるが、自らの役割、責任がもっと具体的に見えてから始動するしか打つ手が無いためと言訳しておこう。

 自分は、会社や仕事に固執する気持ちは全くない、かと言って、無責任に会社や仕事を投げ出す気持ちもない。会社にとって必要性が少なくなって来れば、何時でも身を引くことは吝かでないし、役割を与えられれば、全力でその達成に立ち向かう意欲と技量は、未だに持ち合わせている、と自負している。これは、昔も今も、何ら変わらない。ただし、どちらかと言えば、会社や仕事にたいする執着は、今がもっと少ないことは事実である。これは、年齢からくる要因がもっとも大きかろう。前にも触れたが、ここ12年、目前?に控えた退職後の生活が、頻繁に頭を過る。健康で、意のままに動けるうちに、遣りたいこと・遣り残していることを、早く始めたいという願望が日に日に強まっている現実もある。そのための準備を、と言っても資料を少し集め始めた程度であるが、3年後を夢見ながら、開始したところである。準備する間もなく、その日が来てしまうか、その日はもっと先になるかは、この1−2ヶ月の状況が教えてくれることになろう。

 全く、自分自身の個人的な目で、自分のことだけに絞って書き綴ったが、これから20年、30年と長期に渉って、会社と運命を共にする若い社員の気持ちを考えると、居た堪れない。その人たちの為に、自分が何を、何処まで出来るかという視点でも、今後の自らの身の処し方を決めていかねばならない。
       
 <19992月8日 記>

 自分の退職は暫く先送りとなった。2月17日、次期社長から4月1日付け大改革に伴う役職委託の内容について電話があった。近い内には何らかの情報が入るとは思っていたが、少し早かった。あれこれと思いを巡らして、想像の世界で楽しむ時間がなくなった。すぐさま、現実の世界に呼び戻された思いである。それにしても、新役職は全く予期していなかった役職で、瞬時“何で”と思ったが、ちょっと考えれば適任で歓迎すべき事態至れり、という心境になった。役員退職まで残り3年、これが最後の任務であろう。

 入社以来、設計部門に長く在籍したが、その後、一時新規事業部門を担当、新本社ビルの建設責任者として3年、また設計部門に副本部長として戻り、工事部門の強化にあわせて本部長として移籍、当プロジェクトの建て直しのため急遽PD(プロジェクト副統括本部長として)を勤め、終に「調達本部長」ということで、まったく未経験の分野を担当することになった。短い人生、しかも会社生活のなかでこれだけの経験を出来ることを光栄とし、自分の力を十分に試して見ることにしよう。これで、シルバーライフをあれこれ空想して楽しむ時間はしばらく無くなるか、少なくなるだろう。
          
<1999年2月17日 記>

 この項は、次々と新しい情報が入り事態も変遷しているので、また書き足すことのなってしまった。2月20日(土)の日経新聞の一面のトップ記事として、「NEC,1万5000人削減」という大見だしが出たが、同日の同誌の企業財務欄に、当社の今期決算が100億円を超す赤字となること、来期中に従業員の約2割を削減する計画であること、近く希望退職者の募集に入ることなどを内容とする記事が出た。

 
事態の深刻さは十分に理解していたが、希望退職という手段で従業員削減を急ぐことになろうとは予想していなかっただけに、多少の衝撃はあった。ここ数年間、最近に到るまで、「如何に苦しい事態が到来しても過去に一度実施した希望退職者募集という手段は二度ととらない」、というトップの言動があったという共通理解が社内に存在していたような気がする。それをも覆さざるを得ないほどの事態の悪化と考えざるを得ない。当面、中高年者層を中心として、社内に不安定な雰囲気が充満することは避けられないが、早く事態が落着き、全員が夢を持てる前向きな状況を作り出せるかが鍵となってくる。ここまで事態が深刻化した今でも、このプロジェクトだけに専念していて良いだろうかと言う思いもあり、ますます責任の大きさを感じざるを得ない。
  
           
< 1999年 2月22日 記 >


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