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1月13日 | 1月22日 | 2月03日 | 12月22日 | 12月23日 | 12月26日 | 12月31日 | * |
02年12月31日:正月を前に家に帰ることが出来た! | ||
27日に退院して、我が家で新年を迎えることが出きることになったが、今一つ体調不充分であり、目出度くもあり目出度くもなしの正月になりそうである。体力も回復してきているのか否か、はっきりしないので、徐々に外を歩き回るようにして体力回復を計らねばなるまい。 昨日、今後の糖尿病の治療に関して相談すべく、津田沼中央病院へ出かけた。荒井院長は小生の心筋梗塞の報告を驚いて聞いた上で、「よく命拾いしましたね」という反応。心筋梗塞とは危ない病気であることは間違いないようだ。 |
何はともあれ、幸運にも一命を取りとめて回復も順調(?)なのだから、今年もよい年であったし、来年ももっと先行き明るい1年となるよう祈念することとしたい。 |
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02年12月26日:検査結果も良好で退院が決まった! | ||
昨日のカテーテル検査と検査後の6時間の安静はきつかった。緊急入院時には、もっと厳しい検査、治療(手術)を受けているが、非常事態を免れた安心感と治療が好結果へ繋がるという期待感で、痛さや苦しさはさほど感じなかったのだが。 検査結果は良好で、27日の退院が決まった。ただし、心臓の機能は30〜40%(一般の健全者では50〜70%)とのことで、健全者の約半分ということだ。このことを十分理解した上での生活が必要との事。一気に大きな負担が心臓にかかりような過激なことをやらなければ、好きなことをそこそこには出きるということと楽観的に受け止めておくこととしたい。ただし、ゴルフにしても、大阪出張にしても、今後の経過をみながら徐々に行動範囲を増やしていくしかなさそうだ。 |
昨夜は神原君から約10年ぶりに電話があった。野澤君が小生の入院を知らせたらしい。大学を卒業してから3,4回しか会っていないが、これから先のことを考えると、早い内に会っておきたいものだ。 今日は五洋建設の竹永、俵の両氏が見舞いに来てくれた。俵氏も10年位前に狭心症の治療をしたとのこと。自分のまわりでも鹿島の塚本さん、球道会の谷間さん、それにゴルフ好敵者の神庭さんと心臓の病気もちは、以外と多いが、皆元気に頑張っているのが自分にとっても励ましになる。 |
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02年12月23日:退院しないと何故か思考力も回復しない! | ||
今は体調を回復させて、早く退院することが最重要で、退院後またはこれから6ヶ月、1年後のことに考えが及ばない。病気は体力だけではなく、気力にも大きな影響を与えるものであることを実感している。 今年10月に87歳で亡くなった山本夏彦氏(コラムニスト)は、「生きているのは死ぬまでの暇つぶし」というのが口癖であったとのこと、その心境はよく理解出来るが、暇つぶしもその時バッタリではなく、計画的に暇つぶしをしたいものだ。 |
何れにしろ、家に帰って落ち着かないことには、色んな考えを整理する気力が湧いてこない。 |
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02年12月22日:突然の入院を契機に日記帳を再開した! | ||
何年ぶりか定かでないが、1年以上はご無沙汰してしまったであろう。 間抜けの日記帳を、五反田のNTTの関東病院の病室で開いている。実は、昨日書き始めたのだが、久しぶりのパソコン操作が不調で、昨日分は反故にして今日の分からまた日記帳に加えることにしたい。 10日の夜、急性心筋梗塞で当病院に担ぎ込まれてから12日が過ぎて、ようやく点滴や大きな検査もなくなり、入院生活も退屈さを覚えるようになってきて余裕を感じているが、ここに到るまでには大きな混乱があった。 |
約20年近くも前にサウジアラビアで急性の腹痛に見舞われて、急遽入院(2泊)して以来、我が生涯で2回目の入院は何の前触れもなく突然にやってきた。今後、この病が如何様に推移して行くのか予想できないが、今回の出来事は、間もなく63歳を迎えるこれまで35年余りも働き続けてきた節目に神が与えた休日であろうと思って、当面は何も考えずのんびりとしたい。 これを契機に今後の仕事、遊びその他計画的にことを運び、悔いのない人生を全うする準備にかからねばならない。慌てることでもないので、先ずは正月明けまでじっくりと考えてみたい。 |
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02年2月03日:その日は過ぎて、はや2月になっている! | ||
1月24日は何時もと変わらない一日で、何事もなかったように過ぎてしまった。これでTECからは完全に身を引いたことになったが、TMECとPIMの社長業が続いているので、今までと何ら変わらない生活が続いている。ただし、この2,3日は、TMECが日石化学に納入した遠心鋳造管の欠陥問題で心痛が続いていたが、多少の出費は仕方ないものの何とか大事に至らずに決着しそうで安堵しているところである。 また、1月30日には、非破壊検査の大阪の本社で、TECが保有していたPIMの株式の大部分を非破壊検査(株)へ譲渡する調印式が行われ、PIMの経営の主体もTECの手を離れた。新しい親会社となった非破壊検査がPIMの経営にどれだけ口出しするか、今のところは予想できないが、今までよりはやり難いのは当然と考えておくべきであろう。 |
今日は、朝から冷たい雨が降り続いており、天気予報では終日降り続くということだったので、今年になって初めてゴルフを休んだ。千葉銀行の「ひまわり会」のゴルフで同伴したことのある根本氏(運輸会社の社長)からの誘いで、同氏と初めて千葉国際でプレイすることになっていたが、ゴルフ気違いの自分も根本氏も今日の雨には負けたという状況であった。久しぶりに家でゆっくりとして、ラグビーの日本選手権をテレビ観戦した。サントリーが神戸製鋼を28対17で降して、今期の総てのタイトルを独占した。永い間頂点に立っていた神戸製鋼に代わってサントリーの時代が訪れたということか! |
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02年1月22日:TECの役員退任の日があと2日後に迫った! | ||
TMECとPIMの社長の二股役は当面続くので、実質的な日常生活は何ら変わらないが、62歳の誕生日でのTEC役員の退任は、我が人生の大きな節目ということであろう。しかし、退任を目前にしても、大きな感慨も湧かず、寂しさを強く感じるという訳でもない。何時もの誕生日を迎えるときよりは大きな節目という気持ちはあるものの、人生における単なる一通過点という程度のことか。 一方で、ここまで無難に会社員生活を続けて来れたものだ、というのが偽らざる現在の心境である。「気まま人」あるいは「自然人」と言葉を冠したい自分が、束縛の多い会社組織の中で生きて来られたのは、色々な理由があろうが、先ずは会社の仕事が面白かったというのが一番の理由であろう。幸せな人生が送れてきたということだ。取り敢えず、自らに「おめでとう、そしてご苦労さん」と声をかけておきたい。 |
全く予期しないことであったが、非破壊検査(株)の強い要請で、TECからは退いても、さらに2,3年間はPIMの社長業を続けることになってしまった。「ご隠居」の身分になって自分の好きなことに没頭したいという欲望と、仕事を続けられる幸運が与えられたという思いとの間で、心が揺れ動く状態があったが、後者が勝ったということであろう。引き受けたからには、充分な成果を出して期待に答えねばならないという気持ちが高まってきているが、あまり力まず、先ずは1年間頑張ってみて、その結果を見たうえで、その後の進退を決めることにしたい。やりたいことを1、2年先延ばししても、やりたいことは逃げてしまわないと思う。 |
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02年1月13日:今年になって初めて日記帳を開いた! | ||
昨年末、28日の御用収めを終えると、29日からそそくさと「バリ島」でのゴルフに出かけて、念願としていた年間108回プレイ達成のための残りの2回を30,31日にこなし、当然ながら元旦から今年のプレイを開始してバリで合計8ラウンドを消化したうえで、4日朝に成田到着で帰国した。バリ行きは、往路は一人旅、帰路は郡山君との二人旅であったが、現地では岩村(ねぎ)夫妻、横山夫妻、岩上夫妻と大森氏(ゴルフ連盟の専務理事)、加藤氏と総勢10人の賑やかなゴルフ三昧の楽しい旅であった。帰国してすぐ5、6日とも真名でプレイ、今週も12、13、14日とレンチャンで、全く狂気の沙汰というしかない。このままの調子でプレイを続けると、昨年度の108回を上回る回数のプレイをこなすことになってしまいそう! |
仕事のことを考えると気が重くなってくることもあるが、ゴルフをやっているときは何もかも忘れて没頭出来る。日頃は疲れが溜まっているように感じていても、ゴルフをやっているときは疲れを感じない。ゴルフとはそういうものなのだ! 仕事をやめてゴルフ三昧の生活に突入したいという願望も依然として強いが、自分の欲望だけで生きていけないというのも人生なのだ! |
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