<2-1:1999年5月01日〜31日<本社に復帰>
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99年5月31日 心は悶々の日々! 
 長期出張者を除いて、とりあえず面談を終わった。気持ちがすっきりしない仕事で、自分自身の退職も、また考えさせられた。会社の先行きも不透明と言わざるを得ないし、社員の退職の話を聞くにつけ、自らのこととして考えてしまう。ただし、帰国して1ヶ月足らず、「五月病」現象ともとれる心境であったが、今日一日は忙しく(調達の会議にも今日から出席)充実した気分になれた。

やはり仕事に没頭して余分なことを考える時間を無くすることが一番の薬となりそうだ。

 大成の熊沢常務と後任の海外本部長が挨拶に来られた。また、伊藤正巳君から電話があった(73日のゴルフ件で)。

99年5月30日: 帰国して10回目のゴルフをやった!

 何時もの通り、昨日は習志野(牧野、青木、安田)、今日は千葉國際(深井、長谷川、中野)と連戦した。スコアは習志野がKi39、Ko48で計87、千葉國際が桜Oが44、桜Iが42で計86とあまり良くなかった。これで日本に帰って1ヶ月以内に10回コースに出たが、今週は得るものがあったように思う。特に、グリップとスタンスの2点については、下記の通り書き留めておきたい。

1.     グリップ

右手の親指を使わないようにして、手首の回転をスムースにする。(今日の後半に気付いたが、クラブの振りぬきが良くなり飛距離も伸び、方向も良くなった。ただし、Dのみ確認、アイアンは次回確認必要)

2. スタンス

右足のつま先を外側へ開かない。これでアイアンの方向も良くなり、飛距離も伸びる。(Dについてはインドネシアで既に実施していたが、アイアンでも効果があることが実証された)

 次回コースに出る前に練習場で確認する必要があろう。60歳も近付いてきており、体に無理をさせないゴルフを考えなければ、長続きしないだろうから、年に合ったゴルフに変身をはかるべく練習をすることにしたい。ゴルフは何年やっても、改善要素が残されている。何とも奥の深いスポーツである。

 この週末は、シンビジュームを3株だけ植え替えただけで、庭、鉢植えの手入れは捗らず。皐月も幾分花をつけているので、もう少し様子を見てからでも遅くはあるまい。やることは多いが、ゴルフの魔力に勝てず皆先送りになってしまう。それなりに充実感のある週末だから、「良し」としよう。

99年5月28日:業者との揉め事は皆回ってくる!
 古い国内プロジェクト(サンアロー)で、JSWとの追加が決着していず、相手が仲裁に持ち込むとの申し入れがあり、その対応に関しての会議を持った。工事契約では追加の揉め事はよくあることであるが、調達関連でこのようなケースは想像していなかった。発注してしまえば、手が離れ何もすることはないと考えていたが、いまの経済情勢では大いにあり得ることと考えておかねばなるまい。どの部署も同じ苦労がついて廻るということである。

 今日も面接を実施した。特記することもないが、長い目でみた場合、当社でも工事部門のありかたは大きく変ってくる可能性もあり、各自がキャリアプランは今からしっかりもっていたほうがよかろう。

99年527日:二束の草鞋は当面続くか!

 一日の内半分はパイトンの仕事に時間をとられるが、センターの仕事はまだ殆どやっていない。帰国して3週間も経ったので、そろそろセンターの仕事にも本腰を入れて取り組まなければなるまい。「副」という立場は微妙で、「正」を差し置いて遣る訳にもいかず、なかなか難しいので、指示待ちになってしまうきらいがある。小生にはむかない仕事(立場)であるが、指名されているので如何ともし難い。調達に専念出来れば気分も楽ではあるが、そうもいくまい。6月からはパイトンだけでなく、副センター長としても十分に機能するよう動き出したい。

 清水の伊藤君(大学の後輩)から電話があった。近い内にゴルフを一緒にやりたいとの誘いであった。6月中は既に予定が一杯で、7月初めにやることにした。

 京葉道路の改修工事が始まっており、昨日から通勤にかなりの時間がかかるが、今日は全国的に強風が吹き荒れて、京葉線の電車も止まってしまい、多くの社員が大幅に遅れて出社してきた。京葉線は風に弱く、外房線は雨に弱く、成田線は雪に弱いという。千葉の電車は自然現象に弱いようだ。

99年5月26日:皆がもっと広い視野に立って発想しなければ!
 センター内の本部長会議に出席した。全体に前向きで、危機感をもった集団といえるが、他部門(特にプロジェクト)に対しては批判的で、今一つ謙虚さと協調の気持ちは薄いように感じざるを得ない。燃える集団も大事であるが、会社の中で孤立することにならないよう、周囲の声にも耳を傾けるようリードして行きたい。

 風邪をひいたようで、熱(平熱が低い小生には珍しく37.3℃)があって体がだるい。10時にはベッドに入った。

99年525日:社内のギクシャクは収まらない!
 どうも考えが一致しない。会社の先行きを思いやっての施策と云う点では、誰もが意義無いが具体的な施策となると、人によって考えが全く違ってくる。身近な情報、自らの経験だけに基づいて、広く他部門、他人の意見を聞き入れようという姿勢が見られない。このような環境で仕事を続けることには、些か苦痛を伴うが、今は個人的な問題よりも会社の生き残りをかけて全力を出さねばなるまい。経営企画とのトップ会議(センターはセンター長、小職)も最終的には、意見の一致をみるまでに至らなかった。

 この不調和音が会社の今後にどう影響して来るか、心配と云わざるを得ない。役員の役職委託に関しても、役員内部で納得していない模様であり、全社一丸という謳い文句が虚しく聞こえる。このような環境下では意欲を阻害されることもあり、小職が頑張ることが会社にとってどれだけの効果があるか、身を退くことも会社への貢献であるか、考えさせられる。

99年524日:会社のためより自分の生活を考える時が近づいている!

 21日のサミット会議の議事録の案が送付されてきたが、どう見ても当方に有利な情報はない。客のペースでやられているしか受け取れない内容で、今後の会社としての対応が大いに問題である。阪上、西の両氏を呼び戻して対策会議を開くことになった。これで何とか会社としての方針が決められよう。

 今日も二名の方と面談をおこなった。奥さんの理解があって、退職を決めているという人もいるが、実際はその立場になれば、経済的な裏づけも必要であり、なかなか容易ではなかろう。あせらず、ゆっくりと話を聞いてあげることとしたい。

 最近、糖尿病の薬を飲み忘れることが多いが、薬なしでも血糖はかなり下がっているようだ。今日も昼の薬を飲まなかったが、夕食前の血糖は77で正常であった。週末のゴルフが効果を発揮しているということか。退職後は週の半ばにも適当な運動が出来るので、更に改善の方向へ向かうことを期待したい。

 昨夜、テレビで、25年前から夫婦で1年の大半をワゴン車を宿舎にして、全国を旅している75歳の老人(元気でとても75歳には見えない)の話が紹介されていたが、人生も色々、楽しみも色々と何やら羨ましい気分で見入った。例えば、釣りなどをテーマ?(ゴルフ場制覇を試みた人の話題は聞いたことがあるが、金がかかりすぎるため容易ではない)にして、全国行脚を遣ってみるのも面白かろうと考えてしまった。遣りたい事が多すぎて困ったものだが! 早くかかるべきか、経済的は裏づけがもっと出来あがってからか、気掛かりな仕事をやり遂げてからか、迷いは大きい。

99年5月23日:連日のゴルフはともに結果は悪し! 

 昨日の習志野は不調であった。アイアンは良くなったが、Dとパットが不調で47,42の成績で、勝負は帰国後初めて負けてしまった。シングルへの道は険しいと思われる状況で、今朝は千葉國際に行く前に練習場へ立ち寄ってみたいと考えていたが、結局練習なしとなってしまった。千葉國際のグリーンは、暫く雨がなくてカチカチでボールが止まらず、ナイス・ショットは総てグルーンをオーバーし、早い下りの難しい寄せを残す結果となった。アイアンの方向が良くなり距離も合ってきたが、ことごとくグリーン・オーバーでスコアは不満な結果でしかなかった。

ただ、アイアンの方向、距離が掴めて来たことは、それなりの収穫があったし、これからのゴルフを楽しいものにしてくれそうである。早いグリーンは短いパットが特に難しい。もう少し工夫が必要であるようだ。

 今週は二日とも不満足なゴルフであったが、毎週土曜、日曜の連続のゴルフで多少疲れてきたようである。たまには練習もしてみたいし、6月5,6日までは、既に予約済なので、やらざるを得ないが、その後は様子を見てたまには休みを入れたい。練習でいろいろ確かめておきたいことも多いし、改善したいことも多い。

99年5月21日:NDCテスト完了!

 当人達から請われて二人の高齢者との面談を実施した。とにかく、じっくり考えて結論を出して欲しい。

 先日のパイトンの現場のMs.Robiに続いて、今日はMs.Alinからメールが入った。インドネシア語で簡単な返事をしたが、辞書が手元に無く思うように書けなかったので、来週改めて返事を出すことにした。Alinは日本人嫌いとの話もあるが、父親的存在の小生にはよく懐いていたし、恥かしがりやにすぎないと思う。次回の現場訪問まで、職場に残っていることを楽しみにしたい。

 待ちに待った#7のNDCテストが本日(日本時間14時)完了した。パイトンプロジェクトの契約上の大きなマイル・ストーンの一つの達成ということに加えて、今日は契約49ヶ月目の節目(本来は#8のNDC完了、CODの開始日である)で記念すべき日になった。社長も大いに安心した様子であった。ただし、シンガポールで開催されたサミット会議は、当方の主張が受け入れられず不調に終わってしまったようで残念でならない。客に良い様に利用されて、金を貰い損ねるということがないよう、これからが正念場である。来週早々に対応策を検討し、現場へ指示することにしたい。

99年5月20日:組織の討議は結論に達せず!!

 中野の高木氏、清水の五十嵐氏が来訪した。相変わらず、どの会社でも不況でリストラが進行中であり、愚痴を聞くことになった。

 計画センターの組織討議は、今回も6−9時の3時間に及んだ。予想通り最終合意案を見出すということはせず、お互いの考えを出し合ったということで、討議は終了した。

3回の討議を通して、経営企画側の意見に近かった小職に対して、計画センター側は不満が多かったと思うが、自分ながら公平(副センター長という立場に拘らず)な目でみた状況を伝えたということで、意義はあったと考えている。何はともあれ、早くすっきりして、センターが一丸となって前を向いて業務改善に邁進しなければならない。 

99年5月19日役目柄、いやな役もやらねばならず! 

 久し振りの雨であったが、雨量は僅かで昼過ぎにはあがったようだ。明日からは、50歳以上の社員を対象に希望退職の面談を実施することになった。気の重い仕事であるが、やらねばならない。世は殆どの会社でリストラが進行中で、「肩たたき」が行われていることが推察されるが、長いこと仕事を共にしてきた仲間とこのような話題で話し合うという何ともやるせない仕事と言わざるを得ない。昔は55歳定年であったことを思えば、56歳以上の人にはそれなりの準備と覚悟があろうが、若い人達も共倒れという事態を招きかねないということであり、「大意のために小意を捨てる」の気持ちでということであるが、何よりも本人の意思最優先すべし。

最終的な結果によっては、自らも辞任することも念頭に置いておいたほうが良かろう。社員にそれだけの犠牲を強いるのだから。それにしても、相談役を含めた会社上層部の責任の取り方はこれでいいのだろうか?最近話題の銀行ほどではないにしても、殆どの場合、会社とはそんなものかも知れない。

 「貧すれば鈍する」か、組織論議にしてもうんざりするものがあるが、膿みを出してすっきりするまで議論はすべきであろう。

99年518日:企業戦士の自殺が相次ぐ!短い人生、死に急ぐことはない! 

 大同の道下氏、高田の中村氏が来訪、また巽の平井氏とも会う。午後、ROCの追加問題を討議したあと、東京事務所で社長とともに藤倉電線の社長以下と面談した。東京へ出たついでに、久し振りに友達に会って、銀座日航ホテルにでも泊まろうかと考えたが、思い直して早々と帰ってきた。我が家でくつろぐのが一番疲れがとれる。

 国有化され再建途上の長銀の大阪支店長(51歳 元本店融資部長、総務部長)が自殺したという記事が新聞紙上に大きく取り上げられている。長銀では元副頭取が今月6日に自殺したばかりで、二人目の犠牲者である。

銀行の為に、よかれと精一杯働いて、挙句の果て、自ら尊い命を絶つという、何とも哀れで情けない一生と云わざるを得ない。人生は自分の為にあり、他人ましては会社の為にあるのではない、という当たり前のことがなかなかそのとおりに行かない事例の一つであろうが、それにしても情けない。廻りの目、口を気にして生きる人生の結末ともとれるが、せっかくこの世に生を受けた以上は、大して長くない人生を精一杯悔いの無いよう、自分の本当に求めるものを追求しながら生きなければと考える。自ら命を絶たなくとも、人生なんてそんなに長いものではないのだから! 

99年517日:組織論に明け暮れて、実のある仕事ができない!

 パイトン・プロジェクトの成果は、2月の報告時から、さらに約3億円の悪化となってしまったが、客からの回収を現在の計画以上に実効をあげなければ、会社として大変な事態となる一因を負っているという認識を十分持って今後の客先対応を考えるようねばならない。全プロジェクトの成果が見えたところで、また大きな混乱がありそうである。今期の決算の見とおしも暗いと云わざるを得ない。

 計画センターの組織改正に関する経営企画との2回目の討議は、午後6時から9時まで3時間に及んだが、結論に至らず、20日に3回目の討議を行うことにした。計画センター内の本部長連中の拘り(どう聞いても小職にとっても説得力が弱い)が強く、容易に妥協案が見つかりそうでない状況であり、最終的には当事者ではなく、トップポリシーとして上からの指示で決めるしか方法がなかろうと考える。

その前に、センター内の部長クラスの正直な意見を聞いてみることも大事であるとも思う。個人的には、外から見た目が正しいし、経営企画の考えに傾いているが、立場上は微妙でいろいろ難しい。

 一部の部長に思いこみが強すぎるとしか言いようが無い。もう少し素直に他人の意見に耳を傾ける姿勢が欲しい。いまの状態では選択枝が少なすぎる。多くの考え、意見を聞き込んだ上で、総合的に判断して結論を出せばよいことを、上からの支持が絶対という意識が強すぎるために、選択の幅を狭めているとしか考えられない。自分達が一番分っているという態度であるが、一番分っていないとしか見えない。情けない状態だ。

99年5月16日:日本でのレンチャンが再開された!
 山崎君が一時帰国で、長谷川、中野の両君を加えて、千葉国際の竹コースをまわった。山崎、長谷川両君共に小生に対して、並でない競争心を抱いているので、両君には負ける訳にいかず、気を抜かずに勝負した。結果は43,43で勝利、ニギリも53枚で久し振りに「中2階」となった。終日小雨で、グリーン上の砂がボールに付着してパットが難しかった。ドライバーは相変わらず良いが、ショート・アイアンをミスすることが多く、寄せもあまり良くない。パットはボール半分右に外すのが5−6回もあって、おしいパー逃しバーデー逃しが目立った。雨のためということにしておきたい。今日はドラ、ニヤのパーフェクトを最後のロングで僅か1ヤード差で逃したことが悔やまれる。

小雨が降り続いて涼しかったためか、千葉国の登り坂もあまり苦にならなっかのは幸いであった。帰り際に花屋に寄って、サルビア、マリーゴールド、ユリ、ラベンダーを買い込んで来て、鉢と庭の数カ所に植え込んだ。1年のブランクを埋めるべく、ゆっくりと整えていくことにしたい。

 テレビの「知ってるつもり!?」という番組をよく見るが、今日は「池波正太郎」について知ることが出来た。その生き方に大いに共鳴するものがあった。

 「人は生まれた時から、死に向かって歩き始めている。
  そして、生きるために食事をとる。― − − − 」

99年5月15日:久しぶりの日本での1ラウンド半はきつい!
 習志野で久し振りにキング・コースを1.5ラウンドまわった。スコアは、残念ながら46,44,46という芳しくないものであったが、ニギリは48枚(本当はオリンピックのサイクルも達成していたが気付かず、貰いそこねた)も勝ってしまったのは、ドラコン5回、ニアピン3回(パーフェクトは2回逃す)、サオ一2回、スナ一回とオリンピック・ゲームで点を稼いだためである。ドライバーはゴルフを初めて以来最高の絶好調期に入っており、パットは3パットもあるが全般的には悪くないが、アイアンが不調で、良くバンカーに入れた(各ハーフで6回程度)。練習不足が最大の原因と思うが、スッキリしないゴルフが続いている。

早く以前の状態に戻したいが、休みは全部コースに出ているので、練習で確認する時間がなかなか作れない。この状態では、シングルへの道は遠のいて行くばかりであるようだが、今はいろいろ試みておくことも後々に役立つであろう。

 久し振りの1.5ラウンドで、下半身は非常に疲れた。足が痙攣する気配はもはやないが、歩いての1.5はかなり辛いものがある。

99年5月14日:人に合うのは仕事の一つ!

 五洋建設の加藤常務、太平電業の江上常務が来訪、山崎CMが一時帰国で、小職のところへ顔を出すなど今日も人と会う時間が多かった。当面は仕方あるまい。

 人事の面談を開始する前に、人事との意見の調整を図った。この種の問題は、どうしても先送りしがちでスケジュールが厳しくなったしまうので、要注意。来週に一部を開始して、本格的には再来週に集中的に実施することとしたい。

 日本に帰って10日以上が経過したが、日記以外は何も書いていない。思っていたより時間の配分が上手くいっていないのは、テレビ(野球、推理もの)にとられる時間が多いのか、仕事以外でも雑用が多いのか、現場にいた時より意欲が薄れたのか、何故かは分らないが、もう少し落ち着いたら計画的に進めるよう心掛けねばなるない。特に、シルバープランに関するものは、それを活用する時が来るまでに多くの時間も残されていないことだし。とはいえ、ゴルフの時間を割いてまでやることではないと考えている。

99年5月13日:リストラ始まり社内はギクシャク!予定は一杯!
 9時から住友電設の野沢氏、10時からナカノの佐藤氏、13時から横河電気の姫野氏、15時から昭和アステックの岡村氏と来客に追われた。16時からはENGG専業3社の副社長による協力模索会議に同席するために、有楽町へ出かけた。自分の席に座っている時間は全くなかった。当社に限らず、何処も仕事が少ない。厳しい状況はなかなか改善の方向へ動き出していないようだ。この我慢を何時まで強いられるのか、気分が滅入る。今日の3社会議は、初回の顔合わせの域をでず、さして実りの有る会議とはなり得なかった、という印象が強い。各社それぞれの家の事情があり、初回から容易に一致をみるということは、元々期待はしていなかったが。

会議を設定してくれた三国機械の清水社長の奥さんが経営している銀座のイタリア・レストランの料理が美味しかったのが、救いではあった。

 リストラ計画に伴うシニア連中との面談で、早くもトラブル発生。小生が現場滞在で留守中に他の人が行なった面談での誤解から、該当者の一人から会社宛に苦情が呈せられていることが判明。この種の問題は、最新の注意が必要なのに、小職が不在の内に何故急いでやったのか、いまさら問うても仕方のないことである。

99年5月12日:計画センターの組織改正案の討議は紛糾!

 午前中は計画センターの本部長会議、午後は7月のセンターの組織改正に関しての経営企画との意見交換、夜は計画センターの部長職以上による小職の歓迎会、と計画センター関連の業務一色の一日であった。

 センターの組織改正に関しては、経営企画とセンターとの意見が対立し、議論は紛糾した。経営企画の案はここ2年の問題点を強く意識したものであり、当面の対処療法としてはもっともな案であり、小職の個人的な見解は経営企画の案に全く同じであるが、会社の生き残りを賭けて先を見た組織のあり方と言う点では、本当にそれで良いかは疑問が残る。

 ただ、センター内も本当の問題点を素直に受け止めているのかどうか、と言う点でも疑問はあるし、センター内部の部長クラスが本当に納得しているとは思われない節も多いに感じられる。もう少し、各方面の意見を聞いて十分に検討した上で、慌てずに最終案を決めたほうがよい。今日の会議は両方が興奮して、実の有る議論が出来なかったと思う。

 歓迎会は約20人くらいの部長職以上で、センターの規模の大きさを感じざるを得ないものであった。会社としてはこの部長職を半分にしたい意図もあるようだが。 

99年5月11日:最後の工事業者の追加問題も片付けて安堵の一日!

 会社では新規の受注が不振で、既に設計部門では暇な状況になりつつあり、加えてプロジェクトの収支も改善の兆しが見えていない。このままでは、今期の決算も見通しが暗いと考えざるを得ないが、新社長の最大の課題は今期を黒字決算にもっていくことであるという。どう考えても実現が難しいと思われるが、来年3月にどういう事になるやら先行きが心配と云わざるを得ない。

 現時点では、パイトンのフォロー業務が主で、計画センターの業務は様子見といったところ。7月まではこの状態が続くことになろうが、社内の他部門から計画センターに対する苦情が多いことに驚かされる状況であり、冷静に問題点を見極めたい。社外からの接触も以前のように多くなり、これらの人との交流は相変わらず多そうである。とにかく、社内外の情報を多く集めておくことが重要だろう。

 社長と立ち話する時間があった。パイトンの三井造船関係の追加交渉結果が気になっていた模様で、最初にその話がでた。タイミング良く昨日決着させておいて良かった。決着の報告に安堵の様子がありあり。

99年5月10日:インドネシアから荷物も着いた!  

 パイトン現場から荷物が到着、ようやく片付けが出来た。今のところ、これといった仕事も抱えていないので、多少退屈気味であるが、長年放っておいた書類の片付けを少しずつやっておきたい。

 五洋建設の顧問に天下った竹永三英君から電話があった。ここ4−5年会っていないように思うが、時折電話では話しているので、お互いの近況は分っている。

近いうちに会うことにした。幼友達の中村、児玉、横山、福岡君らと近日中に会いたいが、慌てることはあるまい。郁夫、和子にも帰国の報告をした。

 三井造船の追加問題は、客先の対応に納得できない点もあるが、ここが潮時と思い、今日当方の予算内で決着させた。

99年5月9日:日本でのゴルフ連荘も当たり前!
 ゴルフから6時過ぎに帰宅して、久し振りに庭に出て植木、草花にたっぷりと水をやった。庭では、「大紫ツツジ」と「石楠花」が満開の直前で、(今年は鉢植えの「藤」は水枯れの影響で花は着かずであったし、「皐月」もまだ満開にはなっていないので)唯一異彩を放っているという状況で些か寂しい。幾つかの草花も花を着けているが、もう少し賑やかに庭を飾るのもよかろう。春の花時期は過ぎてしまったので、何を選ぶか難しいが、何か探し出してみたい。1年の留守で、鉢物が可愛そうな状態になっているので、早めに植え替えをしなければならない。ゴルフの合間にやらねばならず、時間的に厳しいが、今年は放っておくことは出来ない。

 龍ヶ崎CCは素晴らしいコースであった。風格があって、美しく、ゆったりとした各ホールは距離も十分、久し振りに名門コースに出会ったという思いである。巽商会の平井氏、三崎氏、三井の北島氏とプレイした。昨日と同じように、今日もドライバーは方向も飛距離も申し分ない状況ながら、ショート・アイアンがいま一つ、パターは良いのと悪いのの両方が出るが、全般には悪くないとみてよかろう。簡単におお叩き(トリを3回)してしまい、スコアは45、46で不満足。ただし、内容はさほど悪くない。

99年5月8日:習志野CCへも、麻雀へも復帰した!

 昨日は、携帯電話に電話番号を入力することを試している内に時間が過ぎてしまい、日記も書かず仕舞であった。

 久し振りに習志野CCに復帰した。櫻井、立川、坂口の3氏と同じ組みで回り、調子はほどほど。キング・インは4ダブル・ボギーながら43(パット12)、アウトも43(パット19)。ロング・ホールは4個ともドラコン獲得、3パー、1バーデーという成績で、ドライバー・ショットが良かった。パットも悪くはない。

徐々に慣れてくれば、いよいよシングルへの挑戦も夢(?)ではないようである。ここ暫く様子をみて練習にも力を入れるようにしたい。帰りに麻雀をやった。ゴルフで大勝ちした以上に、麻雀では負けてしまった。麻雀は健康上もあまり良くないので、出来るだけ控えめにするよう心掛けたい。

 ここまで書いて、もう12時前になっている。明日は龍ヶ崎CCに出かける予定であり、この辺でやめて寝ることにする。

99年5月6日千葉での仕事が再開された!

 アットと言う間に一日が過ぎた。午前中は各部門の長に挨拶をして廻るだけで時間を費やしてしまった。M/Cを達成しての帰国とあって、皆の目も多いに好意的で、小職の帰国を待っていてくれたという自己満足が味わえた。社長は米国出張中で来週月曜日から出社とのことで、今日はコメントを聞けなかったが、一番拘っていたM/Cが成就したことで、安堵してくれると思う。

 午後は、嫌な予感がしていた希望退職対象者との面談という大仕事が、小生の帰国を待っていたことが判明し、幾分憂鬱な気分になってしまった。会社の一大事の時に、役員の一人としてやらねばならない重要な業務であるが、長い間一緒に仕事をしてきた仲間とこのような話題で面談するという苦しい役割を演じなければならない。心を込めて話し合いを進めなければならない。

 当面、7月1日に調達本部長席に移動するまでは、今までの建設本部の席に留まることにして、秘書業務も金子嬢にそのままお願いすることにした。5年以上も座った席であり、居心地も悪くないので、あと2ヶ月はこのままということを周囲も快く受けてくれた。

 夜は、大成建設の草柳氏と食事した。同氏とは6月半ばを目処に、タイの追加工事費の難交渉を残しており、これから何回も面談をしなければならず、お互いに会社の利害を背負って、厳しい戦いをしなければならない。今日は協定停戦日というところか。

99年5月5日:仕事前の最後の休日もゴルフとなった!

 15ヶ月に及んだ現場駐在も終わり、日本での休みも味わって、明日からは本来の事務書業務に入る。強い意気込みよりも、むしろ多少の億劫さが先にたつのはやむを得ないことか。一番大きな理由は、喫煙環境が大きく制約されていることであるが。

 今日は携帯電話も購入し、日本での生活の準備も徐々に整いつつある。電話の機能も以前より大幅に改善されており、使いこなすまでには時間がかかりそう。部屋の電灯も久し振りに一新して、住み心地も改善したりと取り敢えず急ぎの仕事は済ませた。後は徐々に手を着けて行けばよかろう。

 大雨も昨夜中にはあがったので、今日も千葉国際へ出かけた。松と竹Oを回ったが、どちらもグリーンは驚くほど早い。松は、1,2,6番ホールで、それぞれ焼く1.5ピンくらいの距離を1パットで3個のバーデー、久し振りのハーフで3バーデは気分壮快。ハーフで合計12パットで、スコアも36のパープレイは何年振りか?。竹Oは上手くいかず、パットも22(1パットは1回だけ)でスコアは45。早いグリーンは好きであり、パットは好調と云ってよいが、1m以内の短い距離に気をつけるべし。50m−100mくらいの距離のアイアンが、ピリッとしない。距離感も合わないし、方向も今一つで、スコア改善のためには、これからショートアイアンを重点的に練習すべきか。それにしても、後半のハーフは疲れた。千葉国際のアップ・ダウンは、いよいよ苦痛となって来たようだ。本千葉への乗り換えの時期が近付いてきたか。

99年54日:日本に帰ってもすぐさまゴルフだ!
天気予報は全国的に大荒れとのことであったが、スタートが早かったので思い切って千葉国際へ出かけた。2時半に1ラウンドを終えるまで、雨も大したことなく幸運であった。グリーンが頗る早い。例年以上に手入れも良く、滑るようにボールが走る。どちらか云えば、早いグリーンが好きであり、パッチングは悪くなかった。竹I/Oをまわり、スコアは41、42と可も無く不可も無し。日本のコースでは、フェードよりドローを打った方がやり易いように感じたのは今日だけかどうか、もう少し状況を見てみたい。今日の同伴者の一人が、典型的な「寄せワン」型のゴルフで、パーオンは殆どないが、寄せとパッチングでスコアは80くらいに纏めるというタイプであった。ゴルフは飛距離がなくても、スコアは十分纏まることを目の当たりにし、色々と参考になるところがあった。一番飛ばない人が一番スコアが良かったという現実を経験して、まだまだシングルへの挑戦は可能なことを知ったということだ。千葉国際のアップ・ダウンの多いコースを回れば、足腰に強い疲れが残るが、足の痙攣は心配なく回れるようになったようだ。糖尿病の経過も良いと言うことであろうと安堵した。寒い時期にどうかが不明だが、以前よりは快方に向かっていることは間違い無い。

 オーストラリアで目的を果せなかった「床や」へ、夕方出かけた。帰りがけに本屋へ立ち寄り、星野 富弘氏の「花の詩画集」を2冊買い求めた。花を描いた水彩画があまりにも魅力的であったから。日本にいるとテレビに時間をとられて、無為に過ごす時間が増えてしまう。野球のナイター中継放送とサスペンス・ドラマはどうしても見てしまう。意識して時間の有効利用を心掛けないと、すぐ時が経ってしまうことになりそうで、注意が必要である。

99年 53日:日本での生活が始まった!

 5日まで連休中で会社へ出かける必要もなく、家で庭の草取りをしたり、草花を買い(約1万円)求めて植え込んだりしてのんびりした。この1年で鉢物がどうしようもなく痛んでいるので、暇を作って順次植え替えをしなければならない。これから、時間があるので慌てずゆっくりやることにしよう。

 夜は娘夫婦の招待で寿司屋へ出かけた。何時ものように順番待ちの長い列ができており、大繁盛の店で味も良い。1年以上に渉って、これほど繁盛を続けている店を他に知らない。

それほどに人気をとったのは、やはり美味しいということだろうか。

 日本での本格ゴルフの小手調べに、明日早速、千葉国際に出かけることにした。体の疲れは多少はあるが、3日間も家でのんびりも考えものであり、ゴルフをすることで体のリズムを作り上げたい。気分も一新、思いきってキャリーバッグも39,000円張り込んでバーバリー製を買い込んだ。明日が楽しみであるが、結果はどうか?

99年52日:季節の無い国で」の最後の日にケアンズで!

 昨日、仕事の上での朗報が入った。小生の帰国にあたっての「大きなケジメ」と考えていた仕事の区切り(M/C)が、客から認知されたのだ。社命とはいえ、幾分かは気になっていた帰国時期が、このことで「スッキリ」としたものになった。些か心残りではあるが、「季節の無い国で」の生活を終えて、胸を張って帰れるということである。

 これを書き始めて3ヶ月、その前の1年を無為に過ごしてしまい、残念ながら書き足りないことが多いが、時は残されていない。ここで、ペンを折る(パソコンを閉じるが正しいか?)しかあるまい。また、何時の日か、過ぎし生活を振り返って、「思い出しの記」でも書けばよかろう
   
 1245分のJALで当地を発つまで時間の余裕があったので、日曜日の海辺を散歩してきた。町の中心地でリーフなどへの船の発着場所まで片道10分程度の場所に今回利用したホテルがあり、往復20分で行ける所をゆっくりと1時間半かけて散策を楽しんだ。海辺で育った自分にとっては、海は故郷であり郷愁を捨て難い。山も川も好きであるが、海はもっと好きである、と今は考えている。

 今回宿泊したホテル「MATOSON PLAZA」は、INTERCONTINENTAL系で、町の北端近く、と言っても南端にある中心地まで徒歩で10分足らずの場所に立地しており、静かな環境でゆっくりするには最適の場所にある。ホテル内も静かで、観光客のザワツキも感じられず、落ち着いた雰囲気をもっていて、フロントやレストランの従業員の接客態度も友好的で、大いに気にいってしまった。コンドミニアムも併設していて、安上がりの利用も可能で、そちらは家族連れや小グループの旅行客の利用が多いようである。またケアンズを訪れることがあれば、長期でなければ迷わずこのホテルを選ぶことにしたい。宿泊客は、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、南ア人(小生が声をかけた範囲で)と多様であるが、ここでも日本人が一番多く(他のホテルの場合よりも少ないということだが)て、客の半数を占めているやに見受けられた。

 日本の経済力は未だ衰えていないと見るべきか、日本人は旅行好きであると見るべきか、些か疑わしい部分もあるが前者であると思いたい。日本人の客層は、以外にも若いカップルか、若い女性の23人連れか、中高年(比較的高年者)の夫婦連れかといったところで、小、中学生くらいの子供連れの家族は殆ど見かけない。父親の会社のリストラ旋風の影響が、ここにも現れているのかどうかは定かではないが、あり得ないことでもなかろう。

<ケアンズは予想したほどの魅力を見せてくれなかった!>

 ホテルの出発が1045分、それまで時間の余裕があったので海岸を散歩したあと、バックパッカー用の安宿のテラスでコーヒーを飲んだ。欧米人、あるいはオーストラリア人らしき若者達の宿泊者だけで、日本人は一人もみかけない。長く滞在する時は、このての宿が、目の保養にもなり、楽しくて良さそうだ。あるいは、もう少し高級の宿で手頃な所も数多くありそうである。5日間の滞在では、ケアンズの総てを知ることなど出来ようもないが、直にでも帰ってきたいという強い気持ちは湧いて来ない、というのが正直なところであろう。

 帰りの飛行機はJAL便とはいえ、QUANTASとの共同便で、実際は機体も従業員もサービスも総てQUANTASであった。ビジネスクラスの乗客で日本人は、小生が一人だけで、日本では大型連休に入ったというのに空席も目立った。7時間の長旅、しかも禁煙フライトでどうなることやら、と気が重かったが、食事時以外はほとんど寝ていて、気がついたら成田が近付いていたという呆気ない旅であった。これで、禁煙も出来ないことではなさそうに思えるのだが、現実は容易ではない。

 明日からは、日本をベースにした生活へ戻る。早くリズムを取り戻して、軌道に乗せねばならない。

99年51日:またケアンズのゴルフ場調査だ!

 早くも5月になってしまった。今日もゴルフ(Paradise Palms CC)へ出かけた。29日に出会った大阪の若者達と一緒に1.5ラウンドをプレイした。コースは評判通り素晴らしかったが、今日は疲れた。グリーンフィーは、140$+60$でMirageよりは安いが、ゴールド・コーストの一番良いコースより、まだ高い。コースレート76という難コースを41、42で廻れたのは、寄せとパッチングが安定したためであろう。帰国してからの日本でのプレイの準備が整って来た、という感じで、今回のゴルフはそれなりに意義があった。

 西、保里君と電話で話した。#7・CM/Cが、27日付けで客に認められたとの朗報を受けた。これで小生の大きな課題が達成されたことになり、帰国の条件は整ったということだ。客の今までの対応から判断して、一抹の不安は残っていたが、社長を初め会社上層部も安堵することと思う。先ずは、目出度し!。これからは金の回収が主要業務となる。

 夕食は、ホテルでシーフードのバイキングを食べたが、イセエビらしき海老の料理が格別美味かった。それよりも、ここのウェイトレスは愛想がよくて気持ちがいい。一度顔を合わせると、良く覚えていて気さくに話しかけてくる。日本では滅多に経験しないことであるのは、残念に思えてならない。

 今回このホテルを選んだのは、インドネシアのエージェントの薦めであったが、静かな環境で、サービスも過度でなく非常に良かった。もし、また来ることがあれば迷わずここを選びたい(長期滞在の場合はそうはいかないが)。明日は、朝海辺を散歩したあと、飛行機に乗るだけ。12時前まで起きていた。

   <ケアンズ ゴルフ事情考察>

 ゴルフに関しては、ゴールド・コーストが圧倒的に優れている。ケアンズはコースの数も非常に少なく、グリーンフィーはやたらと高い。まともなコースは3箇所のみ、内一つは予約出来ずに、良いほうの2箇所を29日と51日に分けて回った。1箇所(Mirage CC)はケアンズから70kmも離れていて、車で約1時間も懸る場所にあるという不便さである。観光地というイメージが、ゴルフ場も沢山あるものと小生を錯覚させたが、ここは海が中心の観光地なのだと今になって納得させられた。

Mirage CC」は、海の近くのマングローブの林を切り開いて造成したと思しきコースで、コース内の池には3m以上もある強暴な野生のワニが生息している(実際に18番ホール横の池の岸辺で寝そべっている姿を目にした)。コースの造りはゴールド・コーストと似通っているが、コースを分離している木々も大きく、フェアウェイはそれほど広くなく、距離は十分にある、という難しいコースである。グリーン廻りの寄せが良くて、スコアは39,43と纏まったがパーオンは容易ではない。雨季が明けたばかりとのことで、フェアウェイもグリーンも芝の状態は、あまり良くない。ゴールド・コーストのLake Landなどに比べたら、格段に悪いと言わざるを得ない。

 Paradise Palms CC」は、ホテルから約20分程度で、立地は非常に良い。コースレイトが76とのことで、大きなユーカリの樹でセパレイトされたフェアウェイはそれほど広くなく距離も十分、バンカーもボールの落ち所に配置されており、しかもアンジュレーションがあって難コースの一つと言えよう。加えて、大きなアンジュレーションのある広大なグリーンがスコアを纏めるのを妨げている。コースを横切るクリークもおおく、更にインコースは池も多く、各ホールとも気の抜けない緊張が続く、挑戦的な素晴らしいコースであった。ここでも、スコアは41、42と纏めることが出来たのは、寄せとパッチングが良かったことによるものである。毎回ここでやってみたいという気持ちと、老体にはきつ過ぎるという気持ちが、半分半分の素晴らしいがシンドイ?コースである。このコースはケアンズの町から近いこと、グリーンフィーもさほど高くないこともあってか、今日のプレイヤーの約半分は日本人であったように見受けた。

 ゴールド・コーストとケアンズの両方をプレイしてみて、ゴルフに関しては圧倒的に前者に気持ちが動く。難コースから安易なコースまで、その時の気分、体調によって選べる利点は後者にはないからだ(日本では経済的にも自分のホームコースしか選択の余地はないが)。

 例によって、ゴルフのプレイ仲間は直に出来た。29日コースへ向かう送迎車で出会った大阪から来たという若者3人と、2日間とも27ホールを一緒にプレイした。3人とも飛ばしやで、まだ荒削りではあるが素質十分、ハーフ50前後に纏めていたようだ。パースの時と同じように、ここでも(特にMirage)、地元の人とおぼしき(?)老体が一人か二人でプレイしている姿を数多く見かけたので、ハワイでも、グアムでも、パースでもそうであったように、一人で来ても仲間を探すのに苦労はなさそうだ。

 いよいよ日本での本格的なゴルフチャレンジが迫ってきた。1年余りにわたったアジアサーキットでの連戦は終わったのだ。戦いの場は日本へ移ろうとしている。密かに、密かにシングルへの挑戦(?)を誓ったので、ただプレイの数をこなすだけではなく、練習を重ねスコアを重視するゴルフを心掛けねばなるまい。気になるのは足の弱り、どうなることか?