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99年2月28日: 連日の早起き覚悟でゴルフの後はスラバヤへ! | ||
朝の出だしのNo.16でいきなり8をたたいてしまったが、後は何とか締まって収めることが出来た。2R目は途中5ホール位は大雨で、パットも思うにいかずやりにくかった。それにしても、雨中のプレイで疲れが大きかった。 |
ゆっくりとして、疲れをとりたいという目的のためには、2Rやってからスラバヤへ出るのは無理がありそうだ。1Rだけで早めに上がらないと、かえって疲れを増長させるようなものであることが実感出来た。明日は朝3時半起床、4時ホテル出発と二日続きで早起きとなることを思えば、思慮が足りなかったということ!! |
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99年2月27日:明日は早起きでゴルフへ出かけることにした! | ||
明日はFINNAの月例であるが、今夜からの泊り込みを止めて早朝4時半出発で出かけることにした。西PM,保里APMへ依頼した作業が多忙のため遅れ気味となり、両氏が今夜も遅くまで頑張るとのことで、小生がのんびり出かける訳にもいくまい。早朝出発は6ヶ月振りか、ここ1年でも3回目位のものだ。たまには時間有効活用の面からも効率的と考える。明日は久し振りに1Rプレイで午後はのんびりするか、相変わらず2Rプレイとなるかは、その時になってみないと判らない。多分、後者になるだろうが。 宿舎に着いたら午後8時、夕食を取りシャワーをあびると日記を書く位の時間しかない。現場事務所もこの時間になると、しかも土曜日ということもあって小生と保里APMだけという状況であった。めったに無いことだけど、久しぶりに仕事を沢山やったような気分になれた。 |
何時帰るかまだ定かでないが、そう長いことも無い。これから、出来るだけ時間を作り残り少ないインドネシアを楽しみたい。後になって悔やむ事が無いようにだけはしておきたい。幾つになっても、最後になってもっと早くから手を付けておけば良かったと思うことばかり。
それにしても、今日は大変なドジをしてしまった。社長報告用のレポートを一気に纏め上げたが、一寸したミスでデータがパソコンから逃げてしまった。初心者の悲しさ、気づいた時には既に如何ともし難く、しばし呆然、気を取りなおして再度挑戦したが、全部を纏め直すまでには到らなかった。月曜、火曜の二日で時間を見つけて纏め直すしかない。何とかなるサ。 |
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99年2月26日: リストラ計画の内容が伝わってきた! | ||
風邪気味の体調が回復せずすきっりしない。会議も多くて、社長・副社長報告用のレポートの纏めに手が着けられなかった。 今日は中期経営計画(合理化)の概要が伝わった。詳細は来週以降になるが、凡その姿は見えてきた。予想以上に厳しい内容となっている。 |
先日の広瀬副社長の電話内容によれば小生の場合、既に新役職が割り振られており、役員・同待遇者の削減の対象ではないことが明らかであるが、不安の中に置かれた人も幾人かあろう。サイトでも社員の間に瞬くの内に不安が走り廻ったようだ。小生の心の中も、ますます燃える部分と意気消沈して行く部分の二つが複雑に行き交っている。
長い人生?のなかには、様々な事に出くわすもんだが、何時もそこが出発点と思えば苦になることもない。後ろを振り返っても如何ともし難く、常に前だけを向いて歩いて行くことだ!早く頭を切り替えて、勝利へ向かって前進あるのみ! シルバーライフの準備金も、目標達成に時間がかかりそうになったが、暫く夢を先送りするか、ここで思いきって第二の人生を踏み出すか、思案のしどころとなって来た。 |
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99年2月25日: 退任後の生活の準備もボツボツ始めねばなるまい! | ||
「定年後(もうひとつの人生への案内)」という本が届いた。先月、日本に一時帰国した時に娘が新聞紙上の広告で発見し、教えてくれたものである。当時近くの書店では売り切れ状態で手に入らなかったが、娘が注文して購入し送ってくれた。 この本の到着を心待ちしていたが、手にして目次と2,3箇所を垣間見てみると予期していた内容と些か違うようだ。実はもっと遊び気分の、または楽しみ中心の内容を満載しているものと想像していたのだが。実に真面目一本の本であるようだ。しかし、いろいろ参考になる事が盛り込まれているようで、じっくりと読みこんでいきたい。 |
当面は、多忙でこの本を開く時間があまり取れそうにないが、機中などで読書以外にすることもない時間帯でも利用するしか無かろう。何しろ、現場から帰って夕食を済ませると就寝時間まで1時間半か2時間しかない。この間に日記を記したり気になる情報を書き残したりと、なかなか忙しいのだから。 それにしても、“1日8時間x300日x40年の労働時間に匹敵する1日14時間(寝・食を除く)x20年間の自由時間。この第二の「10万時間」を充実させるための一冊”という謳い文句が魅力的ではないか! |
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99年2月24日: 忙しいなかでも健康を維持しているのは何よりだ! | ||
社長・副社長報告の纏めに入ったが、なかなか思うように進まない。問題が多く、かつ大きいだけに考えこむ場面が多い。社運のかかっているプロジェクトであるが為、これからの見こみ違い、あるいは対策間違いは断じて許されない。気が重いが、ここで十分に見極めが必要である。 Y氏に久しぶりに電話した。余り覇気が感じられないし、よそよそしい感じがないでもない。ここ1年の社内での処遇が、全く彼を変えてしまったようだ。彼も自分から引っ込むのでなく、前向きに活性化して行動し、早く元気を取り戻して欲しい。 相変わらず風邪気味で多少熱っぽいが、寝込むほどのことではない。ここインドネシアに来て以来すでに1年余が過ぎたが、幸運にも、今まで一度足りとも体調を崩したことがない。腹痛、下痢、風邪の高熱のいずれの症状もない。数多い派遣者の中でも唯一人ではなかろうか。体が強靭だとは思わないが、暑い国が体に合っているということはありそうだ。 |
南の常夏の国では、ランの花が何時でも咲き乱れ野山にも色とりどりの花々が溢れている錯覚に陥り易いが、現実は大違いである。ランを除いて、花木は種類も少なくただ緑の木々の中でひっそりと咲いて場合が多いようだ。ただ、花は季節に関係無く1年中咲き続けて絶えることがない、という現象も見られる。山深く分け入って、目にした訳ではないので、どこまで正しい観察かは定かでないが。変化の見えない自然が、花々の存在をも気づかせないのかも知れない。ただし、バリ島の高地のHandaraという地にあるゴルフ場で目にした真っ赤に咲き誇った「火炎樹」の花は、いまでも頭に鮮明に残っている。
日本でも、東北地方以北の高山地帯に入れば、初夏の雪解けを待って草花が一斉に開花する“お花畑”が出現する。南の常緑樹地帯では、取立てて話題になるような現象はない。人々も、長い期間寒さや雪に閉ざされて花々を目にすることが少ない国々の場合が、花を愛ずる傾向が強い。南の国では、屋内で楽しむランは多くの場所で見ることが出来るが、総じて花に対する愛着は少ないように思われる。イギリスやオランダ、ニュージランドで“ガーデニング”が盛んになったのはここらに源流があるのではと思われる。 毎週出かけるゴルフ場のすぐ隣に“Royal Orchid”の看板が懸かっていて温室も数多く目に着く。4番ホールのフェアウェイの近くまで温室が迫っているので、毎週誘惑に駆られるが、ゴルフに熱中のあまり、未だに訪問する機会が作れない。5年ほど前にシンガポールのラン植物園を訪れたことはあるが、仕事を除けばゴルフしかやらない生活を繰り返しているため、何時も機会を逃してしまう。何とかしなくちゃ! |
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99年2月23日: 仕事も終わりが近づき苦境に陥りつつある! | ||
ボイラー廻りのトラブル多く、試運転が順調に推移しない。前々からDCS,Coal Mill, Air Preheaterのトラブルが報告されているが、問題を繰り返しており、前進がない。DFDもTECを攻める時は強いが、ABBに対しては十分に管理しきっていない。運転はあくまでもDFDの責任であり、TECとしては何時までもずるずる付き合っている訳にはいかない。自分の責任範囲を早く終わらせて、サイト縮小化を達成する必要性が、ますます高まってきたといえよう。工期遅れを客の責任にしようという発想も、これでは勝ち目がない。 |
TECにとっても忌々しき状況となりつつあり、早期事態改善が望まれる。 広瀬次期社長から電話があった。忙しい様子が窺える。3月5日午前中社長・副社長のアポイント取れた。当プロジェクトの先行きを十分に討議したいし、小職の次の役職への移行次期の見極めもしたい。 久し振りに、早めに9時半に寝ることにした。明日から本格的に、社長報告の纏めに入ることにしたい。 |
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99年2月22日: 会社のリストラが始まりだした! | ||
3月3日の帰国、トップとの会議のための各種資料、方針纏めの準備作業の指示、事前打ち合わせで兎に角忙しい一日であった。 今日、先週土曜日付けの日経新聞が手元に届いたが、その中にTECの今期決算予想(100億円を越す赤字)と来期中に従業員を2割削減(希望退職募集を実施)する計画という記事が出ていた。ごく最近まで、直接的な人減らしはしないとの情報が流れていたので多少の驚きはあった。これで多くの中高年者の動揺が予想されるが、本社を遠く離れた地に居るので様子は判らない。兎に角、早くすっきりして、先を向いて仕事に専念出来る状態が来る事を期待したい。 このような環境下でも周囲にはTECのコスト増に繋がるような行動が目立ち、腹に饐えかねる事夥しい。当方の苦言も強く伝えた。この仕事を上手く終止させないと、当社益々苦しい状況となること明白。 |
<インドネシアは四季のない国か?> インドネシアを初め、東南アジアの諸国では四季がないのか?。まったく無い訳ではない。良く観察すれば、夏季と冬季らしき季節の変化はあり、果物の採れる時期も果物毎に多少の違いはあり、木々の新緑も時期にによって微妙な変化をみせている。これらの変化は、細かに注意を払わないと、見過ごしてしまうほどの小さなものである。季節の変化は、冬季、夏季という見分けよりも、むしろ雨季、乾季という見方で認識した方が、直接的で分かり易い。当国の人でも、「わが国は、雨季と乾季の二つの季節しかない」と明言する場合が多く、元々、春、夏,秋、冬という季節の感覚もないし、意識することも無いようである。暑いか、涼しいか(この国の人々の表現では“寒い”となる)はおおいに気にするが。南国の代表的な果物のなかでも、マンゴは大量に収穫出来るのは基本的には1年に一度だけであるが、好きな時に好きなように花を着けて実になるという現象も多い。パパイヤは、全く季節に無頓着で、次々に花を着けては実になるという現象を繰り返している。総じて“季節の無い国”なのである。 |
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99年2月21日: ゴルフの調子は悪くない! | ||
今年になって、部屋のマットの上で時折やるパット練習以外に、何の練習も一度もしていないが、ティーショットは完璧に順調である。アイアンが多少の乱れがあるのと、相変わらずパットが締まらない。ドラコンは2Rの8個全部をもらったが、スコアは82,83で多少不満。もっと纏まって(78、78位)しかるべしという気持ちが強い。飛距離も含めて、未だに衰えて来ているという感じはないし、インドネシア長期滞在でも今が一番調子が出ているので、日本のコースでどうかを早く確かめてみたいが。この春以降は日本でのプレイが本格化するので、また月例にも挑戦することにしたい。 <インドネシアは住めば都か!> 社内で身近なところを観察してみると、「気が進まぬまま出かけざるを得ない」という状況で始まった担当プロジェクトの所在国が、何時の間にか最良の国に変わり「嬉々として出かける」状況になっているように思われる。例えて言えば、「非衛生的で文化が違うインド」の場合も、「変化に富んだ、古い偉大な歴史をもったインド」に変わっているし、「過酷な気候、酒・女気の全くない、加えて文化が大きく違う中東の国」でさえ、多少の無理はあるが「衛生的で、健康的な生活がおくれる中東の国」に変わることもないではない。ただ、ヨーロッパ、アメリカなどの先進国を別にして、日本人が最も受け入れ易い国々といえば、「文化が近く、気候温暖で緑も多く、食事の嗜好も近くて、さらに物価が安く、国民も明るく友好的」な東南アジアの国々、とりわけタイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアなどではなかろうか。なかでも、一度経験すると誰もが口を揃えて「好き」というのがインドネシアである。 タイは、物価・食事・娯楽面では大きな優位性を持っているが、仏教徒が多く一見温和に見える国民性ながら、時折強暴な強盗殺人事件を引き起こす言う治安上の不安はある。 |
シンガポールは、衆人の知る通り、南国の美しい近代都市である。観光・ショッピングで、また業務で多くの人が訪れる観光・商業都市国家で、生活上なんの不便もない魅力溢れる国といえよう。ただ、気候の点を除けば、東京で暮すのと大きな変わりはないとも言える。その分、生活物価も高く、ゴルフなどの遊行費もかなり嵩む。 97年夏、タイに端を発した通貨暴落の波は瞬くの間に東南アジア各国へ波及し、インドネシアも例に漏れず、通貨価値の暴落から大きな経済不安・破綻を招く状況に至り、未だに立ち直りの目処は立っていない。この経済破綻が、98年5月の死者おおよそ1000人とも言われる大暴動を引き起こし、30年余に渉ってこの国の大統領として君臨したスハルトの退陣に繋がり、さらに政情不安へと発展して行った。未だに政情は不安定で、各地で暴動が群発していて、静まる傾向が見えない。 この政情不安という現況を除けば、インドネシアは暮し良い国である。一度この国の暮しを経験した者は、たちどころにこの国の虜になってしまう。そんな魅力を秘めた国といえよう。安い物価に加え、ゴルフを初め廉く楽しめる娯楽もほどほどに揃っており、気候も当然温暖で常に日本の夏より快適な環境に恵まれている。多くの人々が明るく友好的で、群集心理で暴動に走る一部の人達を除けば、好ましき人々の国なのである。 さて、とは言うものの、何処までインドネシアを知っているか、かなり疑問である。 今回の長期滞在を始めてから既に1年余が経過しており、それ以前も数十回にも及ぶ短期訪問を繰り返して来たが、良く知り得た場所といえば、当社が実施した現場近傍と近接の都市、それらに近接するゴルフ場だけという情けない実態を自覚せざるを得ない。行動範囲が、非常に狭い部分に限定されているので、インドネシアの実態は何も知らないと言うのが実際であろう。それでも、インドネシアは良い国であると思う。 |
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99年2月20日: 何時もの週末に向かって! | ||
ボイラー、タービン共にトラブルが続き、なかなか安定しない。客・PLNの問題以前のところで、スケジュール遅れが目立ちつつある。忌々しき状況と言わざるを得ない。 |
何時もの通り、5時に現場を出て、あたふたと夕食を済ませて、6時20分には宿舎を出発した。2時間半の長旅ながら、明日の楽しいゴルフのために苦にならない。こんな生活を1年以上も続けてきた。好きなことゆえ飽きもせず。 |
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99年2月19日: 毎日、仕事のことが中心になってしまう! | ||
今日は、西PM,保里APMと今月中に方針確定すべき課題と確認スケジュールを討議した。3月5日には、社長、副社長の時間を十分に貰って、当プロジェクトの課題、先行き予測を理解してもらうことにしたい。先行き不透明感が強いなかで、このプロジェクトを離れて良いのだろうかという疑問もあるが、何時までも小職が付いて居なければならない事もない。 |
西PMはじめ優秀な人材が揃っており、無事に完了まで漕ぎ着けるとは思うものの、更に会社の決算の足を引っ張ることの無いよう見届けたい気持ちも強い。何時までも思い悩んでも、所詮自分一人の力は限られており、残りのメンバーの力を信じて、次の業務へ立ち向かうしかなかろう。シルバーライフの計画・準備も暫くお預けか。 |
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99年2月18日: 次の任務が気にかかる日が到来した! | ||
小職の新役職就任は、当プロジェクトの目処がもう少し見えてから、5月か6月あたりを考えている様子が窺える。三井に気を使っている(早目に当プロジェクトから抜けることに対する三井のクレーム)のもあろうが、このプロジェクトは、ここ1−2ヶ月で大きく変わる状況ではない。どうせなら、4月1日という節目が良かろうにと思う。小職個人にとっては、ここでもう暫く仕事が出来た方が有り難いのは事実である。兎に角、指示のあるまで待つことしかない。ただ、先が決まってから実行まで長い時間が掛かる状況は、当人にとっても、会社にとっても好ましいことではなさそうである。 |
3月5日頃、現況報告と今後の進め方につき社長、副社長に相談するため帰国する予定なので、その際に移籍の時期を決めることになろう。その際、韓国の信和建設の問題も片付けるべく、韓国も訪問して来ることとなろう。
急ぎ残務の見極めと処理体制を固めて、後に憂いを残さないようしておきたい。 <夜は、また息抜きマージャン> |
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99年2月17日: 今日は話題の多い一日であった! | ||
「Let's Note」の機能拡充した最新モデルが発売されたという記事が日経新聞に出ていた。近々に新型が出ることは知って、これを購入したがちょっと惜しい気はする。電子機器は、早いスピードで変わって行くので何時買うかは、常に迷うことになる。先ずは、今備えている機能を使いこなすことが肝要であろう。 阪上氏から電話あって、社長から下記の内容の指示があったという。 心配の様子は十分に理解するが、現状まだまだ厳しい。3月末で目処を着けないと、大きな騒ぎになる可能性あり。三井とも本格的に戦わないと収支も酷いことになる。 ![]() |
副社長から電話があった。今回の大改革に伴う人事の件、小職の新任務は「調達本部長」とのこと。多少意外であった、と言うより,思いもしない部署であったという気持ちが強い。「意外な人事ですネ」と言ってしまったが、工事調達も含めてと言うことで、自分でも適任と思うことにした。新設の「施設本部長」も検討されたようであるが、施設事業はまだこれから、当面は営業開拓中心であるため、小職の交渉力を評価して「調達本部長」を決めたとのことであった。4月からでも、当プロジェクトの状況によっては5月からでも良いとの話であったが、やるからにはケジメをつけて4月から入れるよう、早めに当プロジェクトの整理、方向性を打ち出しておきたい。 終に怒りが爆発してしまった。DSMの権威主義的で傲慢な態度が鼻についてならなかったが、何事にも非協力的対応を示したので、一言口を開いただけで怒り爆発、数分間怒鳴り散らした<多いに反省:それにしても、今日はいろいろあった>。 もはや、1年余に渉った長期滞在も終わろうとしている。いまになって、書き始めても中途半端に終わるかも知れない。仕事もますます難しい状況に陥ってきており、一方4月か5月からは新しい部署を担当することになるとの話を、次期社長から今日言い渡されたばかりである。机に向かう時間が取れるかはなはだ疑わしいが、取り合えず、ここ季節のない南の国、インドネシアで思ったこと、知りえたこと、感じたことなどをそのまま書き留めておくことも始めて見ることにした。ここ10年間は、暑い国、季節のない国を中心に訪問して来た。締め括りとして、終にインドネシアに1年余に渉って滞在するという経験もした。 |
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99年2月16日: 収支の悪い大型ジョブの社外交渉は厳しくなってしまう! | ||
午前8時から12時まで、PENDING ITEMの状況聴取で、午後は1時から8時半近くまで三井造船と追加交渉。何れも瞬時の休みも無く続けたため、少々疲れた。9時前に帰宅したので、帰ってからは何もする時間も気力もなく、この日記を書くだけで終わり。 |
三井造船も気の毒ではあるが、契約時の経緯からも、契約上の規定からも便宜を与える猶予は無い。物産または当社のトップを攻めれば、何とかなるという気でいたのか、営業責任者は未だに一度たりとも現場に顔を出したことない。請負者としての姿勢に些か疑問符!。 自戒:「人の振り見て、我が振り直せ」 |
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99年2月15日: 今までのゴルフのスコアを入力し、整理してみた! | ||
予想以上に前半は悪く、9月頃からかなり好調となってきている。仕事がかなり見えてきたのとゴルフの改善時期が一致していたとは思いもせず。最近は全般に好調を持続していると言えよう。仕事はPLNの対応が良く読めず、先行き不安多いが、今は自分達のやるべき事をとにかく終わらせることしかない。 |
明日、三井造船と追加交渉をやるが、14日付け日経新聞によれば三井造船も大幅赤字で社員の給与カットを含めた大幅な改革を実施する模様。一面記事で話題となっている。ただ、同情すべきは三井造船だけではなく、わが身も同じ。責めるべきはお客あるが、契約的に今は打つ手が無いのが口惜しい!。 |
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99年2月14日: 休日のゴルフが最大の息抜きなのだ! | ||
ぐっすり朝4時まで寝たら、風邪の調子も良くゴルフも快調であった。1,2ホール大たたきをするが、全般には良しとする結果であったと思う。9時前に宿舎に帰り着き、11時前まで昨年のゴルフ スコアの整理をしてパソコンにデータ入力した。 |
明日もたっぷりかかりそうで、途中で止めたが以外と疲れはない。ゴルフ後もマッサージしたのが効果あったか。2ラウンド後、2時間半もかかって帰ったと思われない体調の良さは何なのだろう。 |
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99年2月13日: ゴルフに来てもパソコンは離さない! | ||
インドネシアの工事業者 TURUBA−JURONのMr Tariganの招待で、明日のゴルフにそなえてFINNAのロッジに泊まることになった。Mobil購入以来、すっかりはまり込んでしまい、今日もここまで持参した。条件が整えば、明日はカメラに挑戦してみたい。 |
珍しく風邪で少し熱がある。夕食も早めに引き上げて、マッサージした後10時に寝る。 |
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99年2月12日: 友、遠方より来る! | ||
昨日は、#7の試運転が予定通り順調にいったとのこと。それにしても、まだ先は長い。工期遅延に伴うコストインパクトを試算したが、1月当たり概略2億円もの金がかかりそう。客からの回収を計らなければ大変なことになる。 |
10月末頃ジャカルタ空港で、偶然出会って立ち話して以来、久しぶりで楽しい一時であった。同席したナカノの某氏が、個人の費用でインドネシアで造ったという船(クルーザー)の写真を見せてもらった。10人は乗れそうな44フィートの立派なクルーザで、費用は現時点の日本円にして、おおよそ100万円程度とのこと、日本で作れば2−3千万円以上はかかりそうな大型で、羨ましいかぎり。 |
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99年2月11日: 日記帳はメモ帳でもあるのだ! | ||
とにかく、3月末には大方けじめをつけようと、発破をかけているものの正直なところ4月にかかると見ざるを得ない。それでも、3月末目処で残務・課題の処理を進めていきたい。新聞、雑誌等で気にかかる記事を見つけたら、手帳やメモ紙に書き込んでいるが、時が経つと行方知れずとなる場合が多い。この中にメモすることにしよう。 早速、今日から始めることにして、下記のことを拾い上げた。 |
・ダイエーの創設者 中内 功氏の「辞任」が、週刊誌の大きな記事となっている模様。バブル崩壊の大きな波に飲み込まれたということか。 |
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99年2月10日: パソコン日記の書き始めだ! | ||
毎日書くつもりで始めても、どうせ長続きはしないだろう。それでも、時には書きたい欲望も湧いて来ようし、書きとめて置きたい事にも遭遇するであろう。とにかく気ままに始めようと思う。若い時から、手帳には毎日隙間無くメモする習慣は、今も変わらず続いているが、改めてパソコンを開き「日記帳」として書き残すのは、容易ではなかろう。時折「あいだがぬける」という意味を込めて「間抜けの日記」と。 ノート型パソコンを買い込んでもなかなか使わなかったが、デジカメ付の小型パソコンにして、ようやく使い始めてパソコン日記と洒落こむことにした。 |
今のところ、パソコンも“WORD”機能しか使っていないが、早く他の機能にも手を付けたいものだ。インドネシアの大型発電所のプロジェクトで長期滞在を開始して既に1年と1ヶ月が過ぎた。今でも、現場から宿舎に帰ったら、ゆっくりと何かをやる時間がない。平日は、日本で勤務しているときよりも、余裕の時間が少ないのが実態である。 今夜は、最近のストレスを開放するという名目で、2ヶ月ぶりにマージャンをやる。 |