徒然の日記
(3-1:2000年01月01日〜31日<調達本部>)

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00年1月27日

:会社の再建はまだスタートライン上! 

 25日の拡大執行会議で「2次再建計画」が発表された。26,27日と成果報告の監査に終日付き合ったので、「2次再建計画」の対応に頭を向ける時間がもてなかったが、来週からは具体的な計画の煮詰めに忙しくなりそうである。人材の見直しが強く迫られているとしか思いようがないが、会社がその点に気付いているか、疑問は残る。自分としては、早めに担当部門の改革案を取り纏めて、早めに実施に移す事を念頭に、2月中に片付けたいと思う。

 明日から兄の様子を見極める事、妻の墓参りなどを兼ねて、久し振りに鹿児島に帰って来ることにした。今年になって初めてのゴルフのない週末を迎えることになるが、今は大寒波が到来しており、タイミングはよい。この帰省で、これからの自分の身の振り方を決めるヒントも得られれば幸いであると考えているが、どうなることか。

00年1月24日 :還暦・60歳誕生日がやってきた!・

 とうとうと言うか、ようやくと言うか、早くもと言うか、何れにしろ60歳の誕生日を迎えた。一般的には定年という大きな節目の日であるが、幸い(?)にも役員の端くれに列しられているために会社では何の変化もないし、これといった感情も湧かない普段と何ら変らない1日を送った。早めに家に帰ってみたが、娘夫婦は留守(週に1、2回はある)で一人で夕食を済ませて、のんびりとテレビをみた。これが小生の60歳の誕生日なのだ。

 戦中、戦後の混乱期に幼児期を過ごし、日本の経済成長期には社会人としてその経済成長のための一翼を担い、いま大不況の中で間もなく(?)会社人間としての現役を退こうとしている。日本の大きな歴史の変化の真っ只中で生きてきたように思う。概して悪い時代ではなく、むしろ良き時代を生きてきたと言えよう。これからITの時代がどのように変化していくか大きな期待をもって見守っていきたい。自分としては、社会に対しての責任は大方果たしたと思いたいし、これからは自分自身の生活を中心に考えて生活を組み立てていけばよかろう。

 この60歳を節目にいろいろと遣りたい事は多いが、会社を退かないことには時間的な制約があり、如何ともし難い。会社の新再建計画が軌道に乗れば、その時がチャンスとなろう。そのチャンスを早く掴むためにには、早く計画を軌道に乗せるべく全力を傾けることしかなかろう。後少しの努力がいま要求されていることである。

00年1月23日



:ゴルフのあとで旧友 村山君に面会!  

 ドライバーがどうしようもなく悪い。まともに振り抜けない。50肩が思わしくないためもあろうが、それだけではないように思う。今のクラブが重く感じられる。2,3ヶ月前には快調に使いこなしていたクラブがやたらと重く感じられるということは何故だろうか。まったく分らない。今年になって、総ての休日を休まずにゴルフに熱中していることから来る疲れもあるかもしれない。少し休んでみたいと思いながらも、誘われるとすぐ出かけてしまう。何度このような思いをしたか、数え切れないが、何時も同じ事を繰り返している。<3パット5回で、スコアは竹I43、O47>

 一緒に廻った「同前氏」(HC17)は、昭和12年生まれというが、パワフルで飛距離は深井君をも上回っていた。小生も明日で60歳となるが、まだ老け込むのは恥かしいと思わねばなるまい。練習を重ねて、「糖尿病」も吹き飛ばして、体を鍛え直さねばと強く思い知らされた1日であった。

 ゴルフの後で、三越で開催されていた「鹿児島物産展」に出かけて、幼馴染の村山君と面会した。彼の店の他も含めて、例年になく大量の食料品の買い物をした。故郷の味は幾つになっても忘れられない、懐かしいものである。1年に一度のこの物産展が楽しみの一つになって来ている。

 日本テレビの「知ってるつもり!?」という番組で、アンネとオードリー・ヘップバーンの生涯を紹介した。二人は同じ年齢で、11歳(アンネが日記を書いた年)当時は同じオランダの別々の都市に住んでいたという。ヘップバーンは「アンネの日記」読んだ時にこれは自分自身のことだと強く感じたという。その一生にはアンネの影響が強く、「魂のリレー」という副題がピッタリの印象をうけた。非常に印象深い番組であった。我が身に思いを馳せれば、60歳まで何の苦労もなく、幸せな人生を送ってこれた。このことに対して、心から感謝したいと思う。<ゴルフの悩みの何と小さなことか>

00年1月22日


:休日はゴルフと歯医者通い!   

 山崎、佐川、保坂の各氏と千葉国際の竹を回った。昨日の大寒波も幾分和らぎ、天候が気になることもなかった。4パットが2回もあって、スコアは45,45で芳しくないが、パターで2回もダイヤモンドをやってしまい、「握り」は大勝ち。3氏に申し訳無い気分である。

 ゴルフの後で、気は進まないが歯医者に行った。約3ヶ月かかって、ようやく下の「指し歯」の本歯が完了した。これから下の奥歯の入歯、上の入歯の全面取替えとまだまだ3ヶ月は治療が続く。今まで長く放置した報いがあって苦労するが、今回は完治するまで治療に通うことにしたい。

 明日は今年になって初めてゴルフのない休日を、と思っていたが、青山君から電話があって(奥さんの親戚で不幸があったとのこと)代打を依頼された。好きな事だけに断りきれず、また出かけることにした。ゴルフ病は容易には治らない。風邪気味であっても、ゴルフに出かけると風邪が逃げて行くという効能もあることであり、悪いことではないが。

00年1月21日

:外は大寒で、社内も厳冬だ!

 今日は「大寒」だという。この冬は暖かい日が続いていたが、今日は今冬の一番の寒波が到来し、晴天ではあるものの寒風が吹き荒れた。冬は好きではないが、この程度の寒さが1,2回で済めば何と言うこともない。1月も半ばを過ぎたし、そのうち春は必ずやって来るのだから。

 会社では「2次再建計画」が発表された。今日入手したのは概要のみで、25日にもっと詳細が分るが、いよいよ厳しい状況が差し迫ってきている。この計画を達成することが予定通りに進められるか、が大きな賭けであるように思う。心を鬼にして断固進めなければ、本当に会社は駄目になってしまうだろう。来るべきものが遂にやって来たという感じがする。

00年1月16日


:疲れていてもゴルフは止めない! 

 さすがに疲れも最高点に達したようで、思うようにスコアも纏まらない。足もモタツクことがあり、膝がガタツイタりした。時には休みも必要のようである。スコアも情けないが、ついに100をたたいた。伊藤君と初めての月例参加であったが、両者とも惨敗といったところ。近いうちに一度コースに出ないで、体を休めるとともに、ショットをじっくりとチェックしてみたい。年齢が高まるにつれて衰えている力を有効に活用するためには、今やっているフェード打ちより、昔のドロー打ちのほうが合理的かもしれない、という気持ちが強くなってきている。練習場で確かめてみたいものだ。さもなくば、不満が残るだけのゴルフを繰り返して何ら向上に繋がらない。

 兄と電話で久し振りで話した。大分気弱になっているような感じがした。早めに一度帰省して欲しいとの要請があったので、今月末か2月初めには帰ってきたいと思う。今後の兄の身の振り方も話し合って決めてきたい。

00年1月15日

:ベンダーの挨拶は今がピーク!   

 冬場に1.5ラウンド廻っても足の痙攣はなくなった。喜ばしいことである。しかし、久し振りの習志野は成績が芳しくなかった。スコア(48,47,40)以上に勝負に負けてしまった。明日の白鳳の「月例」が控えており、今日は気乗りがしなかったが、坂口の強い要請に負けて出かけた、という中途半端な気持ちが良くなかったのであろう。こういう日もあるということだ。ただ、ドライバーがあまり良くないというのが気掛かりであるが。

 ベンダーの新年の挨拶は今週がピークであった。多い日は15社以上の来訪があり、朝9時から夕方5時半まで切れ目のない状態が続いたが、来週は幾分少な目となりそうである。ベンダーの来訪が多いと言う事は、当社に対する期待が未だに多いということでもあり、喜ばしいことと思う一方、ベンダーも不況で藁でも掴みたいという気持ちの表れであると理解すべきでもあろう。

 平凡と見えるサラリーマンの一生でも大きな変遷があるものだ、と思わざるを得ない。戦中、戦後の苦渋の中で育ち、その後日本経済の隆盛の恩恵を十分に享受したが、今は先が全く見えないトンネルの中での暮らしとなっている。平々凡々の人生よりは刺激があって、生きている実感を味わいやすいし、充実した一生とも考えられるが。

00年1月10日

:ゴルフ3レンチャン!      

 午前中は大雨の天気予報の中、長谷川、中野(正)、中野朗の3氏の誘い(?)を断りきれず3日連続のゴルフとなった。雨が降りしきっているうちはOBも叩いてスコアは纏まらなかったが、練習と割り切って、雨が止んでから1ラウンドまわって何とか纏まってきた。松(39)、竹O(42)とも50Cm程度のパットを2回、計4回も外しながらも、スコアが纏まったのはFアイアンでの寄せが上手くいっているためである。このところ、ドライバーもアイアン全般もあまり上手くいっていないが、Fアイアンでの寄せだけは絶好調である。ボールが浮いていなくても柔らかい高い玉が出るようになった。パットが安定してくればスコアももう少しは良くなるだろう。

 冬場に3日連続、しかも3.5ラウンドをこなすとは思ってもいなかったが、故障も無くやれたと言うこの幸運を周囲の皆に感謝したい気持ちである。2度目の左肩痛もゴルフの回数を重ねるうちに大分和らいできた。体の動く部分は動かしながら治すのが一番である。寒さ大嫌いの小生にとって、このところ寒波が和らいでいることも幸いである。このまま行けば今年もゴルフの回数は90回近くにはなりそうである。

 後2週間もすれば、60歳の還暦。若い頃と違って、体も無理が利かなくなって来つつある。何時までも無理をしてクラブを振りまわすこと生き甲斐を求めず、年齢に合ったゴルフのやりかたを目指したいものである。最近、少しだけ分ってきたように思う。ドライバーも、FWも、アイアンも同じリズムで打てるように心掛けていきたい。そのためには、何より練習が必要であるが、それが実行されないのが頭痛の種である。休日になれば、コースに出る誘惑に打ち勝てず、練習のための時間がつくれない。

00年1月9日

:歯医者よりゴルフが優先!    

 堀脇、竹内、小池氏の組にさそわれたため、4時半に予約していた歯医者を5時半に延期してゴルフに出かけた。何ともブレーキがきかない。コースは千葉国際の竹O,Iで昨日と同じとなった。アウトは難易度の高い3,5,7番でパーをとった他はボギーの42。インでは10,11,12番とパーでスタートしたが、14番でアイアンを持ちながらOBを出してトリップルを叩き、5パーながらも43で、上がってみれば昨日と同じ85となってしまった。今年になって90台を叩いていないのを良しとすべきか。スコアに比して「握り」は大勝であった。パットは全般に不調で不満も残ったが、それでもインでは18番でカラーからパターで直接カップインし、ハーフのパット数が11となり、ダブルパット賞を取ったのが大きかった。パットが良かったというより寄せが良かったということであろう。Fアイアンでの高い柔らかい玉が良くコントロール出来るようになって来た。アイアンを買い換えたきっかけで、いろいろ試していることが少しずつ効果が見えて来たようだ。このまま行けば春先が楽しみである。

00年1月8日

:ゴルフの日記は欠かさず書いている!    

 竹のINから出たが、相変わらず、出だしの10、11はグリーン廻りでしくじりボギー、12からは安定し、途中17番で3パットでボギーとした他は6パーに纏めて、久しぶりに39であがった。竹Outではパーなしの1OBで46と締まらないゴルフとなった。OBは4番のパー5、12月の月例と同じホールで同じ失敗をしてしまった。また、後半はグリーン廻りからの寄せとパットが思うようにいかなかった。ゴルフはハーフで全く様子が一変してしまう。ただ、一時のドライバーの不調は脱したようである。(同伴者は佐藤仁君と山崎君、河田君は日を勘違いして欠場)

 JALショップで購入依頼した「HUNTING WORLD」の腕時計が届いた。この1ヶ月で「精工」、「BVLGARI」ほか4個も腕時計を買い込んでしまった。無駄買いの謗りを免れないが、夫々、状況、用途に応じて使い分けて行きたい。

00年1月7日

:新年の挨拶で来訪者絶えず!          

 5日から今日まで、毎日10社ほどの会社の新年の挨拶が続いて、席に着いている時間がない。大から小まで調達先は数多く、来週一杯は来客が続く予定になっている。国内のベンダーが一巡すると、その後は韓国のベンダーの来訪が予定されている。人に会うのも調達の大事な仕事であり、また貴重な情報源でもあるので疎かには出来ない。前向きに対応することにしたい。

 大林君が母親の不幸があって1時帰国していたので、菊地氏を交えて夕食を共にした。彼も、いまは吹っ切れたようであり、安堵した。

00年1月4日

:新年早々、社長の挨拶も明るさなし!

 社長の年頭の挨拶は予想通り「再建計画の見直し」、所謂「2次再建計画」に関してが大半をしめた。新年早々から夢のない寂しい話であるが、これが当社の現実であり、厳粛に受け止めるしかない。今は、新再建計画が早く軌道にのり苦境を脱却出来ることを祈りたい。そのために微力を尽くさねばなるまい。

 昨年末に実施した糖尿病の検査結果を聞いた。多少の不摂生が気になっていたので、結果も思わしくないものとなるであろうと想定していたが、8月の検査時と同じで「良好」とのこと。先ずは安堵した。毎週ゴルフで体を鍛えていることが役立っていると思いたいものだ。これからも医者のアドバイス通り「油断することなく」現状を維持出来るよう努めていきたい。

 今日は予定外のベンダーの新年の挨拶者の来訪があった。明日から2週間は、終日仕事をする時間がとれないほどの多くの来訪者が予定されている。

00年1月3日

:正月休みもゴルフに明け暮れた!       

 強風が吹いて思うようにボールのコントロールが出来なかったが、先ず先ずのスコア(松44、桜O43)というところか。風を意識して、特にパットが狂ってしまった。ショットはいろいろチェックしながらやってみたが、大体において良い方向へ向いているようである。練習もしないで本番だけのゴルフとしては、新年の2日間は良しとしよう。

 今日のプレイは長谷川氏、中野(正)氏、池田氏と同伴したが、これらの友達は退職後も末永く付き合いが続くであろうし、他の千葉国際の仲間や習志野の仲間のことも考えると、鹿児島への転居よりも楽しい生活が待ち受けているような気持ちが強まってきた。後は釣り仲間を作れば、申し分ない状況となろう。経済的にもそのほうが楽であり、いよいよ決断の時であろう。

 明日から仕事。アット言う間の6日間の休日であった。また厳しい現実が待ち構えているが、何とか良い年になるよう微力を尽くしたい。そのためには、先ず健康であることが大切であり、明日は先日の糖尿病の検査結果を確認しておきたい。

00年01月02日

:今日は、今年の初打ち!

 新年発打ちは弟と池田氏と
3人でプレイが満足な結果であった。

 桜INからスタートし、出だしの12打は完璧ながらグリーン廻りで失敗してダボ、11番は3パットでダボ、12番も3パットでボギー、13番は2打目トップでボギーと初めは芳しくなかったが、14番で2打目を50Cmにつけてバーデーはのがしたもののパーとした後5連続のパーで計42であがった。後半は松にまわり、3番までパー(桜から連続して8個のパー)、4,5,6番でOBあり3パットありでパーを拾えなかったが、上がりの3ホールはパー、バーデー、パーで計40、合計で82。今日の調子からみてスコアは十分とは言えないが、満足する部分が多かったように思う(3回のバーデー逃しは痛いが)。

 ドライバーショットのポイントは「右脇の締め」と「頭の残し」と「打ち込み」であることを実証した1日であったと思う。しっかりと記憶に留めて置きたい。ここ4、5回の不調が信じられない思いであるあが、これで2度と乱れることはあるまい(甘いか?)、と信じたい。新アイアンも徐々に戦力になってきつつある。特に、高いボールを打ち易いことバンカーが出易いことその他ありそうである。ただし、明日の結果も見てみないと安心はしておれない。1日過ぎれば全く違ってしまうのがゴルフだから。

 弟の飛距離は素晴らしい。練習を積めばかなりのスコアが出せそうである。時折さそって、鍛えてみたいものである。

00年11

:年は明けた!海に出かけた!

世界中が警戒していたY2K問題は、日本でも他の国でも何事もなく2000年を迎えたようだ。今日は気持ちのいい晴天で、家の中に閉じこもっているのが勿体無いような日であった。気持ちのよい2000年の幕開け。

 昼12時過ぎに家を出て、房総の海を見に出かけた。先ず勝浦港に直行し、そこから岬港まで海沿いに北上というコースで5時間余り走り回った。退任後の「趣味の釣り」のための候補地探しを兼ねてのドライブであったが、時間的に多少の無理があったように思う。しかし、予定した場所は一通り見て廻った。海の美しさから言えば、勝浦が圧倒的に素晴らしい。砂浜もあり、磯もあり、波も静かで水も澄んでいて美しい。釣場として魅力在る場所かどうかと船の置き場が確保出来るかは、これから情報を集めるしかない。岬では釣船のカタログも集めた。岬は船の置き場と釣場としては申し分ないが、安全上の問題が残る。河口から海への出口が波が荒く、かなりの危険を伴いそうである。内房も含めて、時間をかけて、じっくりと選定したいと思う。あせって後悔することのないように!

 他人のことは言えないが、元旦というのに、しかも寒さにも負けず、何処でもサーファーと釣人が一杯であった。海は人を引きつける大きな魅力を持っているということであろう。何処でも釣果は見られなかったが、サーファーにとっては適当な波があって楽しめる状況であったように思う。