藍上雄のガラクタ箱

中心

 中心・真ん中・臍(へそ)・要・芯・重心・軸・首・衷心・・等、多種多様な言葉で中心であることが示される。それと同時に、どんな観点から、「それらの言葉」を用いられているかも議論されている。正当な理由なしに、「それらの言葉」を、使う事が有れば、たちまち争の原因と、なってしまうかもしれません。とても危険なことだと思います。

 球の表面には、中心が無いので、「ここが中心だ」と、言い張る人と、それに賛同する人々でグループが作られます。(ここまで書けばこの球が何であるかは、気がつく方が居られるものと思います。) これはちょっとした「可変的なジグソウパズル」です。この「可変的なジグソウパズル」の、a piece(或いはFragment)の一つについて,より詳しく知れべて見ることにします。

 最初に目に付くのは、「首(しゅ)」です。この「首」は人間での体では、頭に当たります。上から見ると、体の中心に有り、一番高い場所に位置しております、そして、様々な情報が「首」に集中的に集められ、「a piece(或いはFragment)を代表して言葉だ」と、発言します。かなり古い古典では「首」を「コノカミ」と読んでいます。

 つぎは「軸」です。「首」は「軸」の上に載せられます。「軸」は、周辺が動いても、「首」が落っこち無い様に、「a piece(或いはFragment)」のバランスを考えております。もちろん人間の体では、背骨にあたります。辞書で調べると、「軸」は運動の中心と書かれております。これと近い意味で使われるのが、「要」です。扇子を広げたり閉じたりできるのは、この軸のおかげです。主に重要性を意味していると思います。

 バランスをとるために必要なのは「重心」ですが、これは必ず、「a piece(或いはFragment)」の内側に存在すると言う訳ではありません。人間の重心は、臍にあるのかも知れません。(実際には、もっと上の方だと思うのですが。)

 最後に芯ですが、「こいつは芯が有る」とか「無い」とか、こういう言葉をよく耳にします。ちなみに林檎には芯が有ります。食べると歯ごたえが有ってとても美味しいです。(まあ、これと似たような意味で使っているものと思います。) 余談ですが、芯が無くても美味しい果物は沢山あります。辞典で調べると。「芯」は、物の中心と書かれておりました。

 番外で「衷心」ですが、まごころ・心の深いところを意味しているそうです。(辞書より)

 こうやって観てみると、「形」・「加重性」・「政治力」・「意志」によって決められているのだと思います。それぞれの事が複雑に、絡み合う事によって、決められるのかも知れません。形や加重性による中心とは、数学的に決定できるかもしれませんが、政治力や意思による中心に付いては、そう簡単には決定できません。(ちょっと難しい問題です。端っこで小さく成っていた方が、安全かも知れません。巻き込まれるとかなり厄介そうです。)