藍上雄のガラクタ箱

 「理」が「有る」とか「無い」とはどう言う事なのだろうか?そもそも「理」とは何だろう?

 辞書を見てみると、「物事の筋道」・「不変の法則」・「真理として普遍的なもの」・「現象の背後にあって現象たらしめているもの」とあります。また「理」は「ことわり」とも読み、しかし「ことわり」の読みに対しては「断」の字も当てられている。この場合「ことわ(理)りなし」は「筋道が立たない事」を表している。おまけに「断」に対しての「ことわ(断)りなし」に対しては、「判断がない事」とされている。ちょっと個人的な意見ですが、日本の古典で使われる場合の「ことわり(理)」は「何か運命論的なもの」として片付けられているのではと思います。「西洋のように哲学が現われずに宗教(主に仏教)的な思想に基づいて書かれていたからではないか」と推測しています。

 英語では、有理は「rational」で「合理的な」とか「理性的な」と言う意味のようです。・無理は「surd」は「不条理な」とか「馬鹿げた」という意味でで使われています。特に「surd」ですが、「知」を探究するという観点からみると、「そこに論理性を見い出せなかった」と言う場合もあるかも知れません。

 数学でも「有理数」「無理数」なる「数」が使われます。「有理数」は分数の形で表わされ、小数点以下は規則的に数字が繰り返される数です。「無理数」は、小数点以下の数が不規則に表れ無限に続く数です。「有理数」どうしの加減乗除では答えが「有理数」に成り、「有理数」と「無理数」の加減乗除では答えが「無理数」と成ります。ところが、「無理数」どおしの加減乗除では必ず「無理数」と成る訳ではありません。たとえば、(1+√2)+(1-√2)では有理数に成ります。(そんなの当たり前。ではご期待に応えてもう少し複雑な式を!!)

 P{素数(奇数の場合でも成立することが有る)とする}・n{自然数}・π{角度を表しています。π=180度}とします。

      2^(P-1)=n=1〜n=(P-1)/2(cos 2nπ/P)^-2

 不思議な事に「無理数」どうしを掛け合わせることによって、2のべき乗と成ります。つまりsurd*surd*surd*・・・・・=rationalと成る訳です。もしかしたら「rational」は「surd」の組み合わせで出来ているのかも知れません。この様に「数学」に「道徳的な雰囲気」が当てはまる場合もあります。(もし面白いと思う方が居りましたら、研究してみて下さい。時間の無駄になるかもしれませんが、フィールズ賞をとれるかもしれません)

 個人的な意見ですが、要するに、「理」=「再現」では無いかと思います。「再現可能な物」を「有理」・「再現不可能な物」を「無理」としているのではと思います。しかし、「再現不可能な物」を失う事は、大変な損失です。生物の多様性にも通じる考えだと思います。(ちょっと出来すぎかな!)