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【vol.234】森尻理恵『グリーンフラッシュ』青磁社

子をなしてハンディー背負うは女ゆえ君が決めよと同業の夫

背広にしか着かぬ印章配られてオフィスのデスクの奥に押し込む

男なら軽々持てる磁力計に担当者われは他力を頼みぬ

子の一年僅かと知りつつ吾の一年長しと思えり育児休業

定年まで勤め続ける約束の住宅ローンに実印を捺す

終業のベルと同時に駆け出せるベルサッサ組とわれも呼ばれぬ

子を持ったマイナスばかり数えいるわが顔が澄んだ子の目に映る

吸収合併のニュースを見れば十年前女は要らぬと言われし会社か

研究と家庭は両立せぬものと妻子ある身の男言いおり

離婚増は女の自立が原因と自立できない男は言いおり

雨降れば死にたい人が減るという朝の電車が定刻に来る

電子レンジで卵が爆発するような予感抱えて地下鉄に乗る

なぜ旧姓を使いたがると責めらるるそれなら君が姓変えてみよ

母の肩を揉めば私の肩が凝る老々介護の前触れなりや

不惑とは迷わずではなく迷っても引き返せない 両目を閉じて

仕事削り子に向ききしが昇格の遅ればかりを指摘されいる


 

森尻さんは1963年生まれ。22歳の時、男女雇用機会均等法が制定され、いわゆる一期生と呼ばれる。均等法制定後、初の社会人として社会の期待と希望を持って働き始めた世代である。森尻さんは、国の研究機関で地質調査等をこなす研究員だ。私は、女性労働者の歌について、いろいろ調べているうちに、この歌集に行きついた。

【vol.233】斎藤美衣『世界を信じる』典々堂

ひきだしのサクマドロップスの缶の底 ざざん、ざざんと波音聞こゆ

ぬいぐるみ型の爆弾あるといふ 人は抱くもの、抱きしめるもの

夕飯のさなかに仕事の電話来て口はわれより上手に話す

たましひの抜けゆくごとしティッシュペーパー最後の一枚引き出しをれば

わが身より離れてしろきブラウスはやさしさうなりわたくしよりも

冬をする けふは一人で冬をする 金木犀はだまつてなさい

広場には雨に降られて重そうにあほらしさうに四月の噴水

体内に充つる真みづはたゆたひぬかたはらの人ねがへりうてば

反抗期ただなかの子がまだあれをくつつき虫と呼びて摘まみぬ

医学書の巻末付録のカラフルな血液癌の生存率表

雪の午後ながくひらかぬ踏切のむかうでわたしが手を上げてをり

思春期の「ああ」に多様な「ああ」ありて今夜の「ああ」はいい方の「ああ」

肩並べ上る坂なりわたしたち違ふ高さに心臓ありて

くるほしい愛ではなくておほぶりの薬缶を持つて春になります

取材受けながらかぞへる〈起業家〉の前に〈女性〉が付いた回数

うたがはず夫を社長と呼ぶ人のネクタイ光る午後の銀行

右足のいつもほどける靴紐を結びなほして世界を信ず

アイロンをかけたシャツ着てシャツのため身をまつすぐにひとひを過ごす

きみの書く「衣」の字はいつもやはらかい わたしはすこしやはらかくなる


 

コスモス、COCOONの仲間、斎藤美衣さんの第一歌集。14才で作歌をはじめ、今年(2024年)で歌歴34年。その内の2007年~2024年迄の17年間の歌を収めたもの。白血病を克服し、子育てしながら抱っこ紐の会社を立ち上げた作者。「やはらか」「影」「水」等が多い印象。常に自身を離れて見つめるもう一人の自分がいるよう。

【vol.232】江戸雪『カーディガン』青磁社

死はこわく生きるも不気味 さやぎたる竹のひたすら美しい世に

カーテンは下にむかってやさしさを垂らしてそれがときに傲慢

輪になってなんだか人は皆ひとり小さな壜に夏雲あつめ

朝顔は朝を忘れる日もあってゆらゆら蔓を風になびかす

母の膝にしぼませてあるカーディガン低く鳴きおりそうかそうかと

生きものが生きものを食うレストランきれいな花が飾られている

ええやんか虹はいつでも半円やん今日もたこ焼きはんぶんこしよ

虚しさの崖っぷちから飛んでみるなんと静かな終わりの海へ

てのひらが硬くて朝の火にかざす温もればまた生きたくなった

母はもう父には逢えぬしゃらんしゃらん私があえないよりも逢えない

やわらかくなった輪ゴムをぐるぐると巻きたりかりんとうの袋に

本当と噓とどっちがさびしいか噓の娘となって座れば

わらってもわらっても落ち葉ふってくるゆるしてねって言いたくなった

糠床に茄子ねむらせて冬の手はちっともやさしくなってゆかない

山は空だけを抱きしめ空は星だけを抱きしめ愛(かな)しみのはじめ

いつか、はるか、まだか、そうして別れゆくきっといつかはもうこないから

雨を忘れ雨におどろく枝となる母のスプーン小さかりけり

いちにちは何も起こらず夕暮れて地に落ちているカーディガンあり


第8歌集。残酷なシーンほど美しく、と言ったのは北野武監督だったか。そんなことを思った歌集。生きるとは苦悩の連続。特に老いゆく母を詠んだ歌は切ない。

【vol.231】睦月都『Dance with the invisibles』角川書店

春の二階のダンスホールに集ひきて風をもてあますレズビアンたち

女の子を好きになつたのはいつ、と 水中でするお喋りの声

あかねさす銀杏並木のはつ冬の黄葉(くわうえふ)するつてきもちがよさそう

会ひたきといふ感情もすでに恋なのかな 同じ夜を眠る犀

昨日と今日がまちがひさがしの絵のやうにならぶ九月の朝の食パン

風の夜あなたの捲毛をほぐしてゐる小さなソファーが箱舟になる

わたしの彼女になつてくれる? 穂すすきのゆれてささめく風の分譲地

けはひなく降る春の雨 寂しみて神は地球に鯨を飼へり

婚なさず子なさずをれば一日がシロツメクサのやうな涼しさ

娘われ病みて母きみ狂ひたまふ幾年まへの林檎樹の花

人らみな羊歯の葉ならばをみなともをのこともなくただ憂ふのみ

鳥獣保護区に入りつつ反芻してゐたり女のひとの子どもを産む夢

お母さんわたし幸せなのと何度言つても聞こえぬ母よ 銀杏ふる日の

ハンドベル奏者の右手左手の音のあゆみせり少女ふたりは

わが気配泥にひとしく冷たしとわれを産みたる母は告げきぬ

靴ずれを見むと路上にかがむとき雨の路上の音量あがる

いつか小さなアパートになつて冬の日の窓辺にあなたの椅子を置きたい

夢のなかでの殺意は罪に問はれえず卵ふたつでつくるオムレツ

夏の白い光がさしてわたしいま大きな保健室にゐるのかもしれず

流し台に立つたままプラムへ齧りつく 憎しみの跡地に憎しみが来る

人間のからだにありて爪だけが作りものめいてうつくしいこと

革靴に差し挿れる舌 恋といふあなたを損ふもの思ひつつ

さびしさの補償をあなたは求めすぎる 千の夜 月の土地の権利書

感情を人質に取るやうなことをしてたし、されてゐた、恋の洞

その日からいまも降りつづく白い雨 あなたが姉妹都市になる夢


主体はレズビアンである。独創的かつ幻想的なイメージにより、繊細な感情を昇華している。文語旧仮名が「言葉のコスプレ」「言葉を虚構化する装置」として機能している。1991年生まれ。「かばん」所属の第一歌集。2017年角川短歌賞受賞。

【vol.230】川島結佳子『アキレスならば死んでるところ』現代短歌社

オンライン会議のために上半身着替えてわたしケンタウルスのよう

包丁でキャベツを二つに割るときに新雪を踏みしめてゆく音

カーテンの隙間から差す夏の陽はジョン・F・ケネディを撃つかのように

私が桃ならばここから腐るだろう太腿にある痣撫でている

シャーペンの先から芯を入れる眼をして蜜蜂を食おうとする猫

ハリガネムシに寄生されてる蟷螂のようにふらふら初冬の池へ

走れば息は血の香りするいつだろうマスクが季語を取り戻すのは

美容師に掃き集められる髪の毛は地獄で売られる綿あめのよう

まず倒すそれから剥がすボス戦に挑むみたいにミルフィーユ食う

昆虫をやがて食べる日今は目に近づく虻を追い払っている

ミステリーの双子トリックを思い出す見分けのつかないAのねじaのねじ

無理やり死者を蘇らせる強さにて締めつけてゆく六角ボルト

殺された女性見習い看護師の写真 笑顔では殺されてない

風を受けて海岸をゆくロボットの動きで走る犬とすれ違う

穴を掘るうさぎは知らない穴を掘って埋めるを繰り返す拷問を

えっ、と思いそうかと思い「いいえ」って答える「戸籍は変わりますか」に

トマトの皮を直火に当てれば思い出した怒りのように弾けはじめる

足首を何度も何度も蚊は刺してアキレスならば死んでるところ

洗濯槽のドア引き開ける人質を閉じ込めていた扉の重たさ

熊でないから嚙みつかないだけである目の前で眠るサラリーマンに


通常「雪のような肌」と喩えた場合、多くの人が雪を知っているので、白く美しい肌をイメージできる。しかし、川島の比喩は「雪」にあたる部分が独特で、共通認識を持たない。この歌集は、ほぼ二〇二〇年三月以降の作品を編年体で収録したもの。コロナ渦の生活の変容を、この時代を生きた人類の記録のように細部まで詠み込んでいる。また、自らの身体をさらして、日常を滑稽に表現するのが特徴。

【vol.229】小島ゆかり『はるかなる虹』短歌研究社

全身の感覚はどんなふうなのか生まれ変はつて毛蟹の場合

はるかへとおもひをさそひ冬の日の岬のやうに老犬ねむる

冬陽澄む川原に会ひし少年と老人おなじ人かもしれず

無風なるゆふべは奇(あや)し灰白(はひじろ)のさくらは犀のやうにしづけし

黄の花はおもひでこぼれやすきはな連翹といひ山吹といひ

二、三人はみでてはまたもどる列りッくりッくとランドセルゆく

ふるさとの家の合鍵もうどこも開かぬ古き鍵ひとつ持つ

雷鳴のとどろく夜をスプーンに舌触れて金のスープを飲めり

オンライン会議終はればしんとひとり生身(なまみ)の桃を猛然と食む

秋風はつまさきに沁み ふるさとの家へ燐寸をとりに行きたし

はばからず冷蔵庫にも話しかけ愉しくもあるかゆるむ身体

死を報(しら)すこゑはあるのか夕靄にかうーかうーと鴨は呼び合ふ

火のやうなもみぢの下を 最後かもしれない 母の手をとりて行く

ちぎれたるこころのごとし冬晴れにわが干す母のしろい靴下

〈よみがへり日和〉と言はん冬の陽のさんさんとけふ父に会ひたし

石垣にすきま見えねどしるしるととかげ出で入るこことむかうを

猛暑日の刃物重たく腫れ物のやうな完熟トマトを切りぬ

みづからの噓に追ひつめられて泣くこどものなかのまひまひつぶろ

パスワード、覚えてません。面倒な世の中のめんだうな人われ

巻き尺のびゆんと戻れば手のなかにカンブリア紀の巻貝ひとつ

おもはないことも大切たらちねをおもへばかなしみにまつしぐら

知らぬ間に世はすりかはり小綬鶏がChat Chat GPT(チャットチャットジーピーティー)と鳴く

死んだ子の星点滅すクリスマスのくじは六枚、引くのは五人


第十六歌集。2020年の終わり~2024年の初めまでの468首。オノマトペ、小動物、身体感覚、時空移動、ユーモアetc.どのページをめくっても、確立された小島ゆかりの文体が息づいている。それにしてもずいぶん〈老〉が多くなったような…。〈古〉も。

【vol.228】金田光世『遠浅の空』青磁社

遠浅の海は広がる生徒らがSと発音する教室に

ひつそりと標識は立つ夕空に記憶を捨てた木立のやうに

裂くやうにきりんは歩く青空の水琴窟の底に目覚めて

波紋とは水の肋骨 現れては消える体に抱かれてゆく

風を裂いて坂を下れば十月が空港のやうに開かれてゐる

納豆の糸の切れつつひかり帯びて微笑みたるか半跏思惟像

風つよき夜を帰りて温めたる糸こんにやくの結び目を嚙む

消えようとしてゐるものがさいごまでそつと消えゆくためのまばたき

あるだけのマスクの白を鳥のやうにすべて抱へて東京へ来し

浮遊できぬからだは土地にとどまりて矢車菊と石鹼を買ふ


塔短歌会。十代の学生時代から歌を詠みはじめ、20年を超える作品をまとめた第一歌集。抽象画をずっと眺めていると急に花や鳥が見えてきてはっとする、そんな印象の歌集。選んだのは歌意が取れる歌だが、淡い印象の歌も多く、解釈するより感じる歌集なのだと思った。

【vol.227】外塚喬『不変』いりの舎

盛り上がる蔕(へた)にナイフを入れるときデコポンはおのづから笑ひだす

こはれたる皿より逃れ大空にはばたく鳥はわれかもしれず

迷ふこと少したのしゑ街中の漢方薬店にて蛇に遇ふ

捨てる物まだあればわれを捨てるのを先延ばしして花咲くを待つ

これはもう死に欲なのか全国の桜行脚(あんぎや)をしてみたくなる

樹になると思へばなれるくすのきの翳りに入りてわが影を消す

つくづくと見れば嶮しく見ゆる顔われを許さず鏡の顔は

花終へて青葉こくなる人はみな善根(ぜんこん)をつみて死ぬとかぎらず

孤独とはさみしさならず一輪の花がこころの内深く咲く

〈ドラえもん〉の〈どこでもドア〉のやうなものパソコンにゴビの砂漠を歩く

誉(ほ)めそやすときの相手のしたごころふにやふにやのゴムまりのやうだな

わが骨をひろへぬわれはかしこみて拾ひたり父の骨母の骨

憩(いこひ)には甜(てん)と心があればこそ夏の日の妻とのアイスクリーム

猫なりの悩める顔をわが知れば猫の会議のこゑが聞こえる

ゆづれざる一線といふのが連れ合ひにありてハーフのマヨネーズ買ふ

いくたびとなく伊勢海老をさばくうち命を取るといふコツを知る

充電の完了ランプ灯りゐてシェーバーは夜の孤独ふかめつ

つやつやの椿の実あり目を洗へ心洗へといふがごとくに

ひといろに暮れゆく川に飛ぶ鳥のこの世の忘れ物のごとくに

黄金(くがね)なる瑞穂をわたる風をきく瑞穂はわれの産土(うぶすな)の村

使はない鍵といへども心奥(しんあう)の扉を開ける鍵かも知れぬ

丸い部屋に育つたことのなきわれはゐる心地せず丸い地球に

人間の世界を見ないはうがよい首を隠して甲羅ほす亀

押し波にまさる速さの引き波に大き海石(いくり)のうごく気配す


第14歌集。2020年の1年間に詠んだ628首ということで、1日2首弱詠んでいる計算だ。そのためか、緻密に技巧を凝らすような歌ではなく、日記のような自然な作品群。「ゴムまりのやうだな」等、つぶやくような口語の歌もある。言葉は仏教用語~どこでもドアまで、実に自在。コロナ渦ということで、自己を見つめる歌も多い。

【vol.226】吉村実紀恵『バベル』短歌研究社

庇護の手をふりほどきわが見上げたる空の高みに雲雀うしなう

何をもて天与の性と和解せむ遂にいのちを産むことなくて

落ちてなお色ある花に壮年を過ぎたる心添わせむとすも

花束を抱えて帰る花束にふさわしき顔よそおいながら

みずからの色を忘るるまで浴びたし銀座アップルストアの白を

会社には行かぬ、行かれぬ君のため取り分ける〈シェフの気まぐれサラダ〉

うなだれて咲く水仙の首ほそし置かれた場所で咲けと言われて

気の抜けた炭酸水と答えおり愛でなければ何かと問われ

開閉をくり返すドアとおく見る〈無理なご乗車〉もはやせずとも

明日からはまた現実と言う人の今日はそれなら何であろうか


大学四年で短歌をはじめ、矢継ぎ早に二冊の歌集を出し、30歳でいったん歌の世界を離れたという作者。『バベル』は22年ぶりの第三歌集。子を持たず働く女性の複雑な心境に多く共感。

【vol.225】俵万智『アボカドの種』角川書店

人間かどうか機械に試されて人間として答えつづける

言葉から言葉つむがずテーブルにアボカドの種芽吹くのを待つ

「どんぶりで食べたい」というほめ言葉息子は今日も言ってくれたり

二人がけの席に二人で座るときどんな二人に見えるのだろう

色づいてはじめて気づく木のようにいつも静かにそこにいる人

「割烹着のように」着るよう渡された検査着うまい比喩だと思う

春だから、そんな理由があっていいミナ・ペルホネンのスカートを履く

心配をさせてくれない人だから救急箱のように見守る

宇宙から地球を見れば人類は集まることが好きな生き物

ちぐはぐなパッチワークを見るように五輪のニュース、コロナのニュース

三か月ぶりの病院に向かうとき同窓会のように化粧す

ダイソーの迷路に息子見つければイメージよりも大きかりけり

「はじまり」と「おわり」にそれぞれ一つずつ「り」がある男と女のように

第二志望迷う息子の傍らにおせちカタログ眺めておりぬ

簡潔にネタバレをするタイトルの「ジキルとハイドに恋した私」

ルーティンを増やしてごめん老母にはヤクルト1000がストレスになる

白い娘と黒い娘がおりましてどちらが出るか日替わりランチ


50代最後の375首を収めた第七歌集。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の4か月にわたる取材中に詠んだ50首が核になっている。番組を見たが、サブタイトル「平凡な日常は、油断ならない」の通り、生活の中にあるわずかな心の揺れを見逃さず、じっくりこだわって一首に昇華している。時代は変わっても、詠む素材が変わっても、作風は変わらないと改めて思う。一方、これらの作品は「俵万智」というクレジットが付いた上で評価されるものだとも思う。マネてもダメだろう。

【vol.224】大松達知『ばんじろう』六花書林

咲くためにこれまで生きた菜の花のなるべく咲いてない束を買う

レーズンになりゆくまでをひそやかな喜怒哀楽のあっただろうに

アンビギュアス、アンビヴァレント、アンビシャス、三人寄ればひとりとふたり

キリンビール飲んでたまさか思いおりキリン、キリングつまりは殺し

モルヒネと言えばなにかが救われてどこかが壊れゆくなりそっと

霜月のとある深夜の首都高を遺体の父はベルトされて行く

〈お父さんのお通夜〉とわれの口が言い耳が聞きたりよくわからない

なにゆえに母は言い切ったのだろう父は白木の棺が好きだと

深呼吸しながらシエラレオーネの山脈(シエラ)おもえば私語はしずまる

狂わせてしまったようだかんかんと飛び切り燗の加賀の〈加賀鳶〉

感情と感情的に違いありmumble bumbleぱぱんどぱぱん

死ぬまえにたべたいものをたべる日のようにしずかなチーズ牛丼

いますこし傷つけられるゆとりある夜を話してすこし傷つく

きっとあくびしているんだな手のひらをマスクの上にかざしたひとり

柿食えば「飲んでるとこに柿出すな」そう怒りたる父を憶えり

ひとりひとりレジに寄りゆき告解のごとしよ朝のセブン‐イレブン

食べたお皿もってきてねと妻が言うお皿は食べてないと子が言う

〈選べる〉は〈選ばなくてはならない〉でコーヒーブラック、ホットで先で

「5年おきで買い替えてゆくとしてですよ、先生はあと5、6回です。」

とんかつに添えられているひとやまの、いうなれば傷だらけのキャベツ

グンカンと呼ぶほかなくて呼んでいるいやな感じは食えば消えたり

見ることは祈ることとは違うけれど漕ぎつつ二秒見ている祠

標本木のような生徒のひとりふたり解き終わるまでちらちらと雲


歌人として、教師として、夫として、父として充実した時間を過ごす。一方、お父様の死や、挫折(めずらしく負の感情)もある第六歌集。言葉への興味、こだわりは一段と深まり、場面の切り取り方には独自性がありつつ一読納得できる。誰もが潜在意識下にある感情を言語化してくれているようだ。

【vol.223】富田睦子『声は霧雨』砂子屋書房

わがうちに金春色の壜がありあふれだすとき桜咲き初む

伸びし陽に長くのびたる影の手を下げるその手はもう繋がぬ手

ドクダミは黙って咲いてまなうらに白き小さき紋章(しるし)をのこす

芍薬の莟に「ゆらら」と名付ければ枯れたるときには泣かねばならぬ

うっそりとこころ離(さか)れば伝えざる言葉を夜の川に棄てにゆく

鯉の背のぬるぬるふくらむまなざしに互いの娘を褒め合う母ら

桜守さくらを見つめるまなざしで発表会を母ら見つめる

わが耳は自分で見えぬゆえにわが耳をいちばん知るひとがいる

冬空をだらりと脚をさげて飛ぶゴイサギのこころで座るスツール

今はまだ死ぬのが怖いヒレ肉を油に落とすすれすれの指

樹にありて地にありて常より美しく憎悪の炎のように紅葉

触れあわぬ合せ鏡にももいろのラナンキュラスは果てしなく咲く

春の虚空 されどさくらは咲きはじめ一枝を振りてたましいを招(よ)ぶ

目を覚ます夢をみている夢に似て緊急事態宣言解除

七月のおもたきまぶたを両の手で押さえるときの草むら、ほたる

開くとき用心せねば崩れくる押し入れがわが胸底にもある

生きめやも/生きざらめやも 熱の夜にふいに浮かび来どちら正しき


あとがきに「この時代を生きるごく普通の人間の生活が表れていますように」とあり、その目指すところは十分に達成されている。その上で、単なる日常詠に留まらず、詩に昇華できているのは、心情をあらわす比喩の素晴らしさによるものだと思う。同じ母らのまなざしでも「鯉の背のぬるぬるふくらむまなざし」と「桜守さくらを見つめるまなざし」のように、その違いが明らかである。2018年春~2021年秋までの381首を収めた第三歌集。充実期の歌集である。

【vol.222】福士りか『大空のコントラバス』柊書房

御包(おくる)みから顔のぞかせる児(こ)のやうに中一男子詰め襟高し

受胎告知ほどにあらねどパーキンソン病の告知のわけのわからなさ

病院から帰る頃には病人となつてしまつて歩幅の狭さ

津軽弁「空骨(からぼね)病み」とふ地ビールを飲めばゆるゆる空骨が病む

いいいるか ららららいおん きききりん弾む名前を持ちたし秋は

羽はもう水を弾かず残年をかぞへて中学主任退きたり

「ドーナツは穴があるからゼロカロリー」どこか政治の理屈に通ず

グランドにひびく歓声そのこゑの真中に立てば夏空ふかし

床も壁も白く塗りたる化粧室出でむとすれば見失ふドア

投薬と運動のほか治療法なければ歩く 歩くために歩く

オオデマリ、コデマリ揺らす夏の風さみしいときは一緒に揺れる

この雪はいつまで続く空深くコントラバスの鈍き音する

何をするにしても名前を問はれればいつしか名前は記号のかるさ

さみしいと言へばさみしくなるこころ鷺はひつそり片足で佇つ

クリスタルのペーパーウエイト置く窓辺 ひかりは虹を虹は希望を

恥の多い人生の終はることなきか『人間失格』二〇九刷

はつゆきは〈歓〉をふぶきは〈憂〉を連れ津軽野づらを白く染めたり

散る花ありつぼむ花ありつなぐ手のぬくみが今のかけがへのなさ


教師の歌、雪国の歌、ほのかな相聞に加え、難病までも福士さんの詩の世界へ昇華し見せてくれる。2018年~2023年の400首を収めた第五歌集。福士りかの歌は次の章へ移ったのだと感じた。

【vol.221】後藤由紀恵『遠く呼ぶ声』典々堂

蛇口はた床や言葉の少しずつゆるむ家にてちちははと暮らす

まだ少しこころ残して東京に降るはつゆきのニュース見ており

路地に咲くほたるぶくろの鈴なりのひとつひとつに入れるかなしみ

すべらかな幹として立つ青年のそのまま口を開かずにいよ

性別を持つ淋しさよ実の落ちぬ銀杏並木を見上げておりぬ

お悔やみをメールに述べてなにとなく壁にむかいて正座をしたり

風のふね木のふね水のふねとなる女のからだ夜を浮かびぬ

育ちよき方を兄(え)として朝ごとに水を遣りつつ弟(おと)を励ます

陽の当たる場所から咲いて散ってゆくその正しさにさくらよさくら

浸されて色を変えゆくひとひらの白布のように春の心は

どこへでも行けるからだは雛の日の陽ざしの中を職場へとゆく

契約社員(けいやく)も育児休業(いくきゆう)取れると改正を誇らしげに告ぐ天からの声

声ならぬ声は火となりわが喉の金の小鳥を焼き尽くすまで

スカートの裾をゆらして百合のごと人を待ちたる季節のありき

くらやみをほのかに照らす希望とはこんなかたちとデコポンを見る


第三歌集。2013年~2021年の481首を収める。まず韻律の美しさに魅了される。韻律がないがしろにされがちな現代短歌において、重要なことのように思う。歌集全体にしんとした淋しさが漂う。まだ真冬ではない、少し寒くなりかけた初秋のイメージだ。

【vol.220】濱松哲朗『翅ある人の音楽』典々堂

どうせこれも捨てられるつて知つてゐてそれでも揃へてかへす割り箸

ぶれぶれの写真に残るよろこびが削除の指を遠ざけてをり

冒険の途中のやうな顔つきでホットドックを立ち食ひしよう

耳で聴く風景ならば雪原は最弱音のシンバルだらう

白鳥を焼くをとこゐて私にもすすめてくれるやはらかい部分

よく死ぬと知つてゐて読む小説に不意に咲き乱れる沈丁花

ここだけがやけに明るく人生の急所としてのサービスエリア

またひとりここからゐなくなる春の通用口にならぶ置き傘

非正規で生きのびながら窓といふ窓を時をり磨いたりする

心身を病みてうしなふ職あればわれに値引きのパンやさしけれ

夢を持つためにも金の要ることを水のにほひに切花の朽つ

あいつの分も生きてやらうと云ふ声に不意に溺れたやうな気がして

ゴム印の角欠けをればうつらざる番地のうへに風のさまよふ

偶然を運命と言ひ張りながらおまへが俺のぬかるみに来る

エレベーターごとゐなくなる物語われに起こらず十階へ着く

匂ひからこはれはじめて桃の実をしづかに啜る夜の流しに


抑圧や諦念を抱えつつ、しかし柔らかい。世界は薄暗いが、そこには小さな灯がある。そんな印象の一冊。現代の生きづらさを丁寧に歌に昇華している。1988年生まれ、「塔」所属の第一歌集。2014年(26歳)~2021年(33歳)の420首を収める。

【vol.219】吉川宏志『雪の偶然』現代短歌社

鶫(つぐみ)とは鳴かざる鳥と書かれおり殺されるときは鳴くのだろうか

ゆうぐれの鳥啼く下に墓石の文字を読みおり文字とは傷だ

『野火』のあと字幕が宙を昇りゆくそのほとんどは死者を演じき

スーダンに運ばれてゆく隊員は印鑑を捺し拭いしならむ

裸木をくぐりぬけゆく雪が見ゆ あやつらるるごとく自由のごとく

紙の白さ、雪のしろさは異なるを折々に窓ながめつつ読む

冬の朝受験に向かう娘なり秒針のある時計を貸しぬ

コーヒーの碗をかちりと皿に置く共謀罪の生まれゆく夜に

橋ができてもう川幅は変わらない風に巻かれる橋を渡りぬ

もう息は帰ってこないのに口をこんなに大きくあけて、母さん

ずっと離れて暮らした母は死ののちも離れたままで 綿虫が飛ぶ

隣室に「おんしゃ」「おんしゃ」と面接の練習しつつ籠もる娘は

指を誘うかたちに葡萄置かれあり少し眠って目覚めた夜の

(        )の中にウイルスがいるかもしれず焼き尽くしたり

牛と豚混じるミンチが真っ白いパックに粘りつくのを剥がす

慰安所の扉に続く列がある 水溜まりを避けて途切れたる列

二十六年過ぎてしまいぬ大根を擂りつつ二人暮らしにもどる

この海を見るのは最後でないはずと思いて去りぬ五十二歳(ごじゅうに)の旅は

氷雨降る 人をあきらめさせるため〈偶然〉という言葉使いぬ

縦の空に黒き煙はのぼりゆくスマホに撮りしをスマホに見たり

焼け跡を歩きて溶ける靴底の臭いは想像できる できるか

キーウに居る我をおもえり眼鏡がまず砕けて見えぬ銃口に向く


第九歌集。社会詠、時事詠が多い。印鑑を押し拭う仕草や、水溜まりを避けて途切れた列など、その細部の描写により想像の世界であってもリアリティが増す。また、疑問形も多く、読者はふと考えさせられる。母への挽歌や巣立ってゆく子供達、変容する家族の姿を詠む家族詠は味わいが増す。

【vol.218】山田恵里『秋の助動詞』六花書林

「セカンドとサードの間」とヒント出し野球部員に読ませる「せうと」

子を抱くは子につかまりているごとし「子のいる我」に守られている

いくつもの口を開きて人生を吞みゆくごとし「癌」という文字

はね、止めを呑みこんでいるゴシック体文化を滅ぼす字体にあらん

挨拶もなしに逝きたりある朝(あした)父は固くて父は固くて

死は必然 生は偶然 なかぞらに圧倒的な死者のひしめく

寝返りを打ちて季節は春となり白き乳房を見せる木蓮

焼酎の海から外を眺めれば覗いて揺するおばさんがいる

とろとろと小(ち)さき心臓煮るごとく鍋のいちごは従順になる

形なきものが形をもつときに生(あ)るる優しさ初雪が降る

子の下宿フツーにきれいな部屋なれどキッチン磨く母というもの

反論は酒席で為され蓮根の天ぷらの穴の向こうが遠い

ランタンで区切られているデモ会場右は撮影不可なるエリア

「お母さん」と母に呼ばれぬ「お母さん」と母を呼べなくなった私が

だまし騙し開け閉めしていたファスナーが騙されなくて財布を出せぬ

引き出したアルミホイルを戻すごと訂正をせり昨日の授業


COCOONの仲間の歌集が次々と出て嬉しい。山田さんは、高校の国語教員であり、妻であり母であり子であり、さまざまな顔を見せてくれる。

【vol.217】菅原百合絵『たましひの薄衣』書肆侃侃房

魂を揺らす鞦韆(ふらここ)しづかなりサン・サーンスのスワンの眠り

ほぐれつつ咲く水中花ーゆつくりと死をひらきゆく水の手の見ゆ

会ふことと会はざることの境目に待つとふ不可思議の時間あり

たましひのまとふ薄衣(うすぎぬ)ほの白し天を舞ふときはつかたなびく

ノアのごと降りこめられてゐるゆふべcorps(からだ)をcorps(かばね)と訳し直しぬ

掬ふときなにかを掬ひのこすこと 〈ひかり〉と呼ぶと死ぬる蛍(ほうたる)

水差し(カラフ)より水注(つ)ぐ刹那なだれゆくたましひたちの歓びを見き

触れあへぬ間隔もちてたつ並木それぞれ違ふ影をおとして

スプーンの横にフォークを並べやり銀のしづかなつがひとなせり

ブラインド越しの光のずたずたに曝されてをりきみの午睡が

語源なるpassio(苦)の泉よりpassion(情念)の潮(うしほ)吹きだすまでをたどりつ

風吹きてゆらぐ水鏡(すいきやう) 夕さりを存在(エートル)灯るほどにひと恋ふ

「わたしの夫(モン・マリ)」と呼ぶときはつか胸に満つる木々みな芽ぐむ森のしづけさ


心の花の作者の第一歌集。印象をひとことで言うと「まったき」。旧仮名・文語であり、破綻がない。作者はフランス文学の研究者であり、フランス語と日本語をルビ等の表記の工夫により使い分けている。随所に水の気配がするのも特長。

【vol.216】千葉優作『あるはなく』青磁社

「用意」から「ドン!」のあひだの永遠を生まれなかつたいのちがはしる

《こはれもの注意》の札を このところ海を見たがる君の背中に

思ひ出の手紙の墓となるだらう鳩サブレ―の黄なるカンカン

かなしみは言葉の先を尖らせて針の雨降るゆふぐれの街

真つすぐな胡瓜の並ぶスーパーにぼくのゐるべき場所はなかつた

ほんたうは僕が変はつたせゐなのに度が合つてないと言はれるめがね

けふもまた怒られてゐるぼくのため万能ぢやない葱を買ひたり

釘を打つときにイエスの掌(て)の見えてわれに冷たしゆふべの雨は

音もなく雨が降るなりほんたうにかなしいときのなみだのやうに

以前よりやさしくなつた庖丁がかぼちやをうまく切れないでゐる

二千年前からミロのヴィーナスがしづかに耐へてゐる幻肢痛

月光に濡れて窓辺に吊られゐし形状記憶喪失のシャツ


塔短歌会の作者の第一歌集。2015年~2021年の291首を収める。定型のリズムと詩情のある言葉、旧仮名で古典の要素も感じられるが、確かに現代の若者の姿がある。「万能ぢやない葱」「形状記憶喪失のシャツ」等の欠落感に読者として寄り添いたくなる。

【vol.215】有川知津子『ボトルシップ』本阿弥書店

凍て初むる湖面に月のひかり差す小鹿を誘ふごとくやさしく

あやとりの相手を待つてゐるごとし送電線をむすぶ鉄塔

ふるさとのあらたしき日のおほぞらよ何を隠してかくまで青し

うみかぜにひらき初めたる浜木綿のはなびらほそしつよし真白し

母の手に手をかさねたき衝動が冬のみかんのなかよりあふる

ぴんと飛ぶハマトビムシは〈磯のんぺ〉島を出づれば不思議な名なり

いとよりもいとよりに振る海塩(うなじほ)も振り手のわれもこの島の産

卓上にこほり枕の口金(くちがね)が置かれてありてむかしのごとし

椅子の人なにをカウントしてゐたかわが通るときカチャリと鳴らず

いのちからいのちいただくいのちです鯨供養を今年も終へる

小数点以下の気持ちをひきつれて星の林をゆくははきぼし

パックの中の苺にのこるはなびらは船に手をふる島のやうです

蝶なりしころの記憶が湧き出でてスティック糊がころんとうごく

ベルリラがパート練習してをりぬ空を見上げてたたくベルリラ

自然界には今はもう無い天然痘いまはもうない、自然界には

せりなづなすずなすずしろすずやかに小鈴鳴るなり祖母の待針


コスモス、COCOONの仲間、有川知津子さん待望の第一歌集。有川さんは長崎、五島列島の出身。意図的にそう編集してあるようだが、一冊を通して波音が通奏低音のように流れている。ゆっくりして懐かしい時間だ。

【vol.214】永田淳『光の鱗』朔出版

すみません火を貸してくれませんかのごとき気軽さに戦争前夜

寂しさのいろ持ち寄りて純白とならぬ桜を創りたまいき

川辺には川風吹けり同時には二つのことを悲しめざるに

盈ちるごと霧は岸辺を鎖しゆけり支笏湖の上にわれら浮きいて

没り際の山に大きく響きいん春の夕日の沈みゆく音

紅しとも蒼しとも見ゆ 高瀬川の桜は夜に浸されてゆく

伏せらるるカップの抱きいし小さき闇朝のわが手が展きていたり

ゆかざれば常に憧れ行きてまたさらに思ほゆ子規庵の玻璃

遅れ来し四人は釣りの仲間なりまだ思い出は誰も語らず

朧ろなる花の下道(したじ)のほの明かりすずろすずろと人の行き交う

夜は秋 禾をゆらして渡りくる風は生身の寂しさの中

軋みつつ日々は過ぎゆく風中のあかまんじゅしゃげしろまんじゅしゃげ

あるなしの四月の風にひかり曳き高きより降る芽鱗(がりん)数片

時折に光集むる一筋の繊きにたより降りてくる蜘蛛

翳を出て翳にもどりて飛ぶあきつ微温の風に翅脈ふるわせ


第四歌集。「塔」の選者となった2015年以降の445首を収める。前歌集では、叙景歌しか作らない時期があったと「あとがき」に書いていたが、お母様のご逝去等を受けて人が登場する歌も多くなった。本歌集の題材は実に豊富であるが、わたしはやはり叙景歌がいいように思う。

【vol.213】水原紫苑『快楽』短歌研究社

わたくしの溶けゆく空に星星の生老病死きらきらと在り

鏡持つ人類さびし 鳥、けもの、石、夕焼も鏡見よ 狂へ

くれなゐの萩に黄蝶がとまりけり神は死すともまなこ残らむ

自由人太陽は奴隷なる地球に命ず〈言葉をもちてわれに仕へよ〉

自転車に乗らずは宇宙にゆかれずと欺きたりしグラジオラスよ

萩の枝に四十雀乗り地球外生命のごとくゆれゐたりけり

流れ星とよばれたること限りなき幸ひとして大気圏に入る

黒妙(くろたへ)のたましひひとつ泛ばせてにんげんのごとく湯浴みせりけり

凶器幾つかばんに入れて上りゆくこの坂道は神のひたひか

井戸なりしわれより夢を汲みてゆく少年少女銀髪にして

自己愛の指輪外せばひかりけり夜(よる)と葡萄と山羊と帆船

消え残る雪のさびしさ汚れたる白は叫びと白鳥が言ふ

背後より死は迫りけりまひるまをかへり見すればかぎろひにけり

疲れたる天使はつばさ外しつつけむりぐさ吸ふ月光の中

透明のわたくしならむさよならと言ひしかば樹樹はふりむきにけり

くちびるのふるへいづるをわだつみゆとほく来たれるゆゑとおもひき


「宇宙を浮遊する魂の歌」そんな印象を持った一冊。魂は実に自在であり、姿かたちを変え、場所を変え、時空を行き来する。通底して宇宙への憧憬が感じられ、日常から非日常へ飛躍する壮大な世界観がある。言葉そのものが持つ力を活かし、怖くて美しい。

【vol.212】栗木京子『水惑星』雁書館

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)

少しづつ逞しくなり少しづつ疎まれはじむ迷ひ仔猫は

トルソーの静寂を恋ふといふ君の傍辺(かたへ)に生ある我の坐らな

緑陰に入り来て蝶は噓ひとつつき来しごとく羽合はせたり

鶏卵を割りて五月の陽のもとへ死をひとつづつ流しだしたり

積む白に舞ひ立つ白を重ねつつ北の樹林に雪降り頻る

待つことを我は選びぬ夜の街に風と風との出会ふ音する

人にまぎれ回転扉押すやうに幸せにふと入りゆけぬか

灼き尽すまで幾たびも繰り返す火の屈伸を見つめてゐたり

難(かた)きこと語りて長く歩みしが疲るれば妻と夫に戻る

さりげなく疎遠になりてゆきたしと雨のホームにひとを見送る

いたみたる林檎の果肉そぎ落とす甘ゆることも武器のひとつか

脱ぎ捨てしドレスの長きファスナーが傷口のごと闇に光れり

花束をほどけば細き茎をもつ花のさびしく顔そむけ合ふ

幸せを見せびらかしに日曜の動物園に来て象を見る

いのちよりいのち産み継ぎ海原に水惑星(みづわくせい)の搏動を聴く


約40年前の歌集をCOCOON有志で読む。時代を加味して読む必要があるが、栗木は今で言うリケジョ。京都大学理学部在学中に「二十歳の譜」で角川短歌賞次席となる。その後、就職、結婚、出産と娘→妻→母という女の三体を経験する。それは不幸ではない。しかし幸せでもない。このジェンダーに対する問いは、今に通じるように思う。

【vol.211】中川佐和子『夏の天球儀』角川書店

雨夜(うや)にたつ枝垂れ桜は人間の孤独に増(ま)さる孤独を持てり

長くながくかかりて選ぶ夏帽子卒寿の母に気力のわきて

破水して生み落とさんとするまでの子の腰さする噓つきながら

さみしくはないと言い切るときにわくさみしさを知る娘の前に

みどりごはかぶせた帽子を投げ捨てて歩きはじめるそれでもいいよ

天球儀ながめておれば人間を小さく感ず夏の光に

コハクチョウが羽を休めに湖(うみ)に来るまでを思いて駅頭に立つ

ハロウィンの仮装の魔女の児が駆ける元より仮面のおとなの前を

散る気配なくて散りゆく桜ばな近づきたれば刃をもつごとし

蜘蛛の巣がジューンベリーの枝先にかかるくらいの嫌な感じだ

独り住まいの母の庭先どくだみがぎっしりと咲くあきらめるまで

蓮の葉の上を雨滴はころがるにどこかへ行ってしまおうと言う

一(いち)、二(にい)、三(ちやん)、四(ちい)、六(ろく)、八(はち)と声聞こえどこかへ散歩す五と七の数

冬の陽といえど海面(うなも)の反照をすればカモメは光の番人

母がわれにのこししもののさみしさよ硝子コップの二藍の色

鈴虫と閻魔蟋蟀(えんまこおろぎ)、言の葉の持つ迫力の差を思いたり


新しい命と死に向き合った時期。お孫さんの誕生とお母さまの逝去、また岡井隆さんを見送る。桜やコハクチョウ、ジューンベリー、どくだみ等々、自然とともに感情が動く。