【vol.212】栗木京子『水惑星』雁書館
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)
少しづつ逞しくなり少しづつ疎まれはじむ迷ひ仔猫は
トルソーの静寂を恋ふといふ君の傍辺(かたへ)に生ある我の坐らな
緑陰に入り来て蝶は噓ひとつつき来しごとく羽合はせたり
鶏卵を割りて五月の陽のもとへ死をひとつづつ流しだしたり
積む白に舞ひ立つ白を重ねつつ北の樹林に雪降り頻る
待つことを我は選びぬ夜の街に風と風との出会ふ音する
人にまぎれ回転扉押すやうに幸せにふと入りゆけぬか
灼き尽すまで幾たびも繰り返す火の屈伸を見つめてゐたり
難(かた)きこと語りて長く歩みしが疲るれば妻と夫に戻る
さりげなく疎遠になりてゆきたしと雨のホームにひとを見送る
いたみたる林檎の果肉そぎ落とす甘ゆることも武器のひとつか
脱ぎ捨てしドレスの長きファスナーが傷口のごと闇に光れり
花束をほどけば細き茎をもつ花のさびしく顔そむけ合ふ
幸せを見せびらかしに日曜の動物園に来て象を見る
いのちよりいのち産み継ぎ海原に水惑星(みづわくせい)の搏動を聴く
約40年前の歌集をCOCOON有志で読む。時代を加味して読む必要があるが、栗木は今で言うリケジョ。京都大学理学部在学中に「二十歳の譜」で角川短歌賞次席となる。その後、就職、結婚、出産と娘→妻→母という女の三体を経験する。それは不幸ではない。しかし幸せでもない。このジェンダーに対する問いは、今に通じるように思う。