【vol.236】久永草太『命の部首』本阿弥書店

呼び捨てにされてあなたをはたと見るここか私の分水嶺は

手を絞り指揮者が音を消すようにラットの胸の太鼓を止める

生命の等価交換 献血の後に卵を十個もらいぬ

そりゃそうさ口が命の部首だから食べてゆく他ないんだ今日も

ゴンゴンとウシのおしりをノックする注射の前の鈍痛は愛

パンダ似のホルスタインが自らの顔を見ずして終える一生

治す牛は北に、解剖する牛は南に繋がれている中庭

採算と命の値段のくらき溝 鶏の治療はついぞ習わず

ヒトという毛のなき獣の腕を見る猫より採血むきだと思う

午前中五匹殺した指でさすドリンクメニューのコーヒーのⅯ

保育士の「おやすみなさい」に潜みたる命令形の影濃かりけり

マシュマロを焼いたら燃えたそれだけが光源だった夜ありしこと

ポツリまたポツリと中和滴定(てきてい)をするようだった愚痴をこぼせば

無くなった気がする、気がするけれどまだそうと決まったわけじゃないペン

苦くないことが売りとうニガウリの苗、ノンアルコールビール、休講

昨晩の残り物たる僕たちを温めなおしてください、朝日

宇宙旅行五日目クッキー食うときのやっぱり下に添えてしまう手

「人生で最後にググるとしたら何?」「そうねピカソのフルネームとか?」

未だ見ぬ東京ドームで計られてとにかく古墳群広いらし

文化財現状変更許可申請済ませて御崎馬(みさきうま)の採血

宇宙から見たら規則のありそうな天丼の海老、ケーキのいちご

選択肢「予後は悪い」に丸をする答案用紙に牛がまた死ぬ

身離れのよさ褒められているカレイどんな気持ちで煮汁に沈む

なにひとつ嚙み殺したことなき歯なりエビマヨおにぎりもそもそ食べる

納得のいかぬ姿で目玉焼き焼けゆく 命に別状はない

受信料十二ヶ月分納めたり十二ヶ月を生きる予定で

AIがAIをプログラミングしたらそいつは繁殖なのか


 

獣医師として日々「命」を見つめている作者が「命」をテーマに詠う。現場で体験した者だから詠える手触りがある。またウイットとユーモアを合わせ持っている。1998年生まれの第一歌集。獣医学科在学中の6年間と動物病院に勤めて1年の間に詠んだ400首を収録。2023年歌壇賞受賞。「心の花」会員。

2025年03月01日