【vol.224】大松達知『ばんじろう』六花書林
咲くためにこれまで生きた菜の花のなるべく咲いてない束を買う
レーズンになりゆくまでをひそやかな喜怒哀楽のあっただろうに
アンビギュアス、アンビヴァレント、アンビシャス、三人寄ればひとりとふたり
キリンビール飲んでたまさか思いおりキリン、キリングつまりは殺し
モルヒネと言えばなにかが救われてどこかが壊れゆくなりそっと
霜月のとある深夜の首都高を遺体の父はベルトされて行く
〈お父さんのお通夜〉とわれの口が言い耳が聞きたりよくわからない
なにゆえに母は言い切ったのだろう父は白木の棺が好きだと
深呼吸しながらシエラレオーネの山脈(シエラ)おもえば私語はしずまる
狂わせてしまったようだかんかんと飛び切り燗の加賀の〈加賀鳶〉
感情と感情的に違いありmumble bumbleぱぱんどぱぱん
死ぬまえにたべたいものをたべる日のようにしずかなチーズ牛丼
いますこし傷つけられるゆとりある夜を話してすこし傷つく
きっとあくびしているんだな手のひらをマスクの上にかざしたひとり
柿食えば「飲んでるとこに柿出すな」そう怒りたる父を憶えり
ひとりひとりレジに寄りゆき告解のごとしよ朝のセブン‐イレブン
食べたお皿もってきてねと妻が言うお皿は食べてないと子が言う
〈選べる〉は〈選ばなくてはならない〉でコーヒーブラック、ホットで先で
「5年おきで買い替えてゆくとしてですよ、先生はあと5、6回です。」
とんかつに添えられているひとやまの、いうなれば傷だらけのキャベツ
グンカンと呼ぶほかなくて呼んでいるいやな感じは食えば消えたり
見ることは祈ることとは違うけれど漕ぎつつ二秒見ている祠
標本木のような生徒のひとりふたり解き終わるまでちらちらと雲
歌人として、教師として、夫として、父として充実した時間を過ごす。一方、お父様の死や、挫折(めずらしく負の感情)もある第六歌集。言葉への興味、こだわりは一段と深まり、場面の切り取り方には独自性がありつつ一読納得できる。誰もが潜在意識下にある感情を言語化してくれているようだ。